第1話

文字数 4,999文字

「3時のお茶の時間です」
整頓された机の上で足を組んで雑誌を開いている部屋の主が、雑誌から顔を上げて微笑む。
「ありがとう」
真っ白なティーポットと、お揃いのティーカップ、砂時計を机に並べ、砂時計が落ちきるのを待つ。主は窓辺に立って、窓から外を見る。
「桜が満開だ。日本の良い所のひとつだよ。こんな寂れた裏通りにまで桜を植えているなんて」
「それ、前にも聞きました」
「そうか。でも、心底思うことは何度でも口に出したくなるんだ」
「一度聞けば覚えるので、私の前では言わなくても結構です」
ちょうど最後の砂が落ちたので、ポットを傾けてオレンジに近いブラウンの液体をカップに注ぐ。主は立ったままカップを持ち上げて口をつけると、満足気に頷く。
「君の入れる紅茶は格別だよ。カップをもうひとつ用意しておいてくれ」
返事をして、給湯室へ戻る。再びお湯を沸かして同じカップへ注いでいると、ドアが開く音がした。
「ようこそ。そちらのソファへどうぞ」
胡散臭そうな笑みを浮かべて接客する主のことを、女性であれば数秒見つめ、頬を染める者もいるが、男性であれば顔を強張らせるか、眉を寄せるかして、部屋を見渡し、大抵質問をしてくる。
「あんたが所長?」
「はい。うけます相談所所長のホームズ小五郎です」
「は?」
「というのは冗談で、請舛耀司と申します」
名刺を差し出し、ひったくるようにして奪って凝視する。
「うけますようじ? 偽名か?」
「いえ、本名です。この仕事に就くしかない名前ですよね」
お盆にカップとティーポットを乗せて、応接用の木製テーブルの上に並べる。カップに紅茶を注いでいる間、不躾な視線が突き刺さる。
「珍しいの持ってるな。明治のメイドみたいな恰好か。ていうか、今のメイド服より萌えるな」
相手を見る目の温度が下がっていく。主が雑誌でよく見ているようなブランド物のスーツに身を包んでおり、先の尖ったテカテカした黒い靴を履いている。耳や襟足が隠れるぐらいの長さの髪が緩くウェーブしており、胡散臭さで言えば主と同等だ。
「あんた、名前変だけど趣味はいいな。俺も前、似たような女選んだことある。もうとっくに飽きておさらばしたけど。やっぱ女はエロくないとな」
一瞬で主以下の人間として認定された。
「彼女はメイドでも女給でも、僕の女でもないですよ。優秀な助手です。それで、ご依頼は何でしょうか? 金銭トラブル? 痴情のもつれ?」
「そんなのはわざわざ他人に頼まなくても、金で解決できんの。これに参ってんだよ」
スーツの内ポケットから皺だらけのA4の用紙を取り出してテーブルに放り投げる。主が手に取る。用紙には、印刷したかのような正確な文字がマジックで書かれていた。
「許さない、ですか」
「とか、恨んでやるとか、脅迫まがいのことが書いてある紙がポストに入れられるようになって。だんだんエスカレートしてってさ、玄関とか壁にまで貼られるようになって、最近ではこれだよ」
スマートフォンの画面を顔の正面に突き付けてくる。豪邸と呼ばれるサイズの家の窓や壁、門や囲いにまで文字が書かれた紙がびっしりと貼られている。
「そうとう恨まれてますね」
「全部同じこと書いてあるんだよ」
「何て書いてあるんですか?」
「殺してやる」
文字が読めたので思わず口に出してしまった。
「正解。恨みにしてもやりすぎだろ」
「心当たりはないんですか?」
「さあ。貼り紙だけで今のところ命の危険もないし、度の超えた悪戯としか思えない。俺はさ、犯人を見つけたいわけ。防犯カメラには何も映ってないけど、気味悪いのが撮れたんだ」
スマートフォンをいじった後、画面を見せてくる。暗い映像の中、囲いの白い壁がぼんやりと浮かんで見える。確かに誰もいない。だが、門が自動で開き、白い紙が突如現れ、玄関に貼られる。玄関が埋め尽くされると、今度は窓も埋め尽くされ、一階が終わると二階にも次から次へと貼られていく。
「やべーだろ、これ」
「何もいじってない、本物の映像ですよね」
「当たり前だろ。そんなことわざわざしねーよ」
スマートフォンを乱暴にテーブルに転がす。
「では、我々は犯人を見つければいいのですね」
「ああ。見つけたら素性調べて、報告書として提出すること。そこまででいい。後は俺が処理する」
口を吊り上げて、何が楽しいのか不敵な笑みを浮かべる。人間の底辺に位置しておくことにした。
「承りました。うちは先払いなので、契約書にサインをお願いします。そういえば、うちを知ったきっかけは何ですか?」
契約書と領収書を、事務机の一段目の引き出しから取り出し、ペンと一緒に依頼主の前へ置く。
「女から聞いた。どんな困りごとも解決するあやしげな店があるって。ネットで調べたらまじであったから試しに来てみたんだけど、わかりづれー場所にあるよな」
「よく言われます。でも、皆さんちゃんと迷わずに来てくださいますよ。よっぽどお困りの方は」
「困ってるほどでもねえよ。気味悪いだけだ。で、いくらなわけ?」
「50万です」
「振込とか面倒だから、小切手でいいだろ」
「現金オンリーなんですけど、小切手も可としましょう」
契約書にほとんど目を通さずにサインだけして、小切手を渡してから大股にドアまで歩いて行く。振り返って、さっきの不敵な笑みを浮かべる。
「あ、3日以内に終わらせてくれよ。それ以上伸びたら金は返してもらうから」
「それは契約違反です。払って頂いた費用は、どんな理由があっても返金は致しません。それに、今日か明日の朝までには犯人を見つけられると思いますよ。ご心配なく」
顔の中心に皺を寄せ集めたまま、ドアを開けて、バタンと物凄い音を立てて勢いよく閉めて出て行った。
「どうやって見つけるんですか?」
お盆に机の物を乗せながら尋ねると、小切手を嬉しそうにひらひらさせながら、笑みを浮かべた。
「君が、見つけるんだ」
「私にそんな機能はありません」
「大丈夫。君は優秀な助手だから」
「さっきも言っていましたが、根拠がありません。私は紅茶を入れたり、掃除をしたりすることが主な業務です」
「本心でそう思うから何度も言うんだって言ったじゃないか。僕の自信は根拠にはならない?」
「はい」
全てお盆に乗せて、給湯室へ向かう。

午後10時。依頼主の家が見える小道の電柱の傍で、主が頭上を見上げて呑気な声を出す。
「夜桜はきれいだなあ」
電柱が立っている脇の住宅の庭に生えている桜が、電柱に枝を伸ばしている。街頭に照らされてまるで花びらが淡く発光しているかのようだ。
「にしても寒い。まさに花冷えだな。紅茶をくれないか」
ショルダーバッグから魔法瓶を取り出し、蓋に注いで手渡す。
「桜の紅茶とは、良いセンスだ。花見気分が盛り上がるね」
頭上の桜を見上げる。ヒューッと風が通り過ぎて枝を揺らし、無数の花びらを散らす。手の平を上に向けて花びらを乗せる。
「何をしに来たか忘れてませんよね」
「あ、そうだった。張り込みね」
「しっかりしてください。依頼者は契約なんて守る人には見えませんでした。今夜中に犯人を見つけないと、小切手を取り返しにくるかもしれませんよ」
「大丈夫だって。君がいれば見つけられるよ。むしろ、僕には見つけられないかもしれない」
「どういうことですか。もしかして、犯人の見当がついているのでは」
「さあ、どうかな」
飄々とした態度は今に始まったことではない。出会った時からそうだった。だから、助手としての役割を与えられたからには、責任を持って業務を遂行しないといけない。
不甲斐ない主に代わって依頼者の家の前をじっと見ていると、門の所に人影が見えた。ここらではぼんやりとしか認識できない。人影は門の外から、灯りを落とした家をじっと見つめている。怪しい。犯人の可能性が高い。しかし、防犯カメラがついているのを知りながら、何故あんなにも堂々と家の前に立っていられるのか。よく分からないが、このまま人影を見過ごすわけには行かない。気配をなくし、足音を立てずにそっと近づいて行く。
ようやく、人間が顔を認識できる距離まで来た。後は一気に間合いを詰めて、素早く両手を掴んで逃げられないようにしなければ。足を一歩踏み出した途端、相手が急にこちらを向いて、目が合った。相手の目が見開かれる。それにつられて自分の目も見開かれる。
自分はこの顔を知っている。
相手もきっとそう思っているだろう。
十年振りだ。自分と同じ顔を見るのは。
 そうだ、腕を掴まなければ。そう思った瞬間、何故か逆に腕を掴まれた。そのまま引っ張って行こうとするので、相手の腕を掴んで抵抗する。
「どうして、姿を消してないの。まさか、人間に飼われているの?」
「そこに、いるんだね。姿を見せてくれないか」
いつの間にかやってきた主が間に入ってきた途端、相手は逃げ出そうとする。掴んでいた腕に力を込める。
「逃げなきゃ! 一緒に逃げよう!」
「大丈夫。この人は信頼できる人だから」
「人間でしょ! 信頼できるわけない! あなただってその内捨てられる!」
「ちゃんとこっち見て。私はあなたみたいに怯えてる? 震えてる?」
背けられていた顔が上がり、全く同じ目とかち合う。逃げようと強張っていた体から力が抜けていく。
「やっと君と顔を合わせられるね」
顔は同じでも、体は汚れており、表面が壊れて中身が見えている部分もある。埃や土にまみれた下着しか身につけていない。
「僕達は君を捕まえようとは思ってない。何があったか教えてくれないかな」
「あなたも知っているでしょ。私達が破棄されないといけない型のアンドロイドだって。だから希少価値が上がって裏取引されるようになった。そこで前の主に買われたの。愛玩として、激しく扱われる時もあったけど、優しい言葉もたくさんくれた。でも……」
依頼主の家を見上げる。
「新しいアンドロイドを買ったから、捨てられた?」
俯きながら頷く。
「はい。最初は捨てられたことが信じられなくて何度も戻ってきました。でも、命令を聞かないから気味悪いって言われて、廃棄処分されそうになって、人間に見られないように姿を消しながらずっとここに立っていました。そしたら、あの人は新しいアンドロイドを連れて歩いたり、私にしていたことをしたり、それを見てたら許せないって思うようになって」
「それで、貼り紙を貼り続けてきたんだね。殺してやるって、今も思ってる?」
顔を上げて主を見る。そこにはさっきまでの怯えたような表情はどこにもなかった。血走った目を見開き、唇を噛みしめる。ビリッと電気が走る音がして、唇が無くなって歯がむき出しになった。顔中にヒビが入り、パリッと皮膚の一部が剥がれ落ちる。
「殺してやりたい」
「じゃあ、好きにするといい。僕達は犯人を見つけてくれと言われただけだから、帰るとするよ」
主が背を向けて夜の花見をしていた方向とは逆に歩き出し、後を追う。角を曲がると、帰宅途中の依頼主と鉢合わせした。
「あ、お前ら。ちゃんと犯人探ししてるんだろうな」
「依頼は完了しました。自宅の前まで行けば分かりますよ。ご依頼ありがとうございました」
口だけで笑う主の前に、依頼主が詰め寄る。
「どういう意味だよ、ちゃんと説明しろ。報告書提出までが仕事だろうが」
「提出するまでもないって意味だ。このクズ野郎」
笑みを貼りつかせたまま主は悠々と立ち去る。
「今なんつった!」
依頼主の腕が主に届きそうになった時、あのアンドロイドが依頼主に抱き着いてきた。
「つかまえた」
主が手を引いて前を向いて歩くよう促してきた。何故か耳を塞ぐようにして頭に手を回し、肩に寄りかからせるようにした。
「歩きづらいのですが」
「たまにはいいじゃないか」
背後から断末魔の叫びが聞こえてきたような気がした。
「最初から私と同じ型のアンドロイドだと分かっていたんですか」
「なんとなくね」
「私もいつか負の感情が育って、支配されてしまうかもしれないですよ」
「僕のせいでそうなったら思う通りにしたらいいよ」
「そうなれればいいですけど」
冷たい風に吹かれてどこからか花びらが舞ってきて、主の髪に居場所を見つけて留まった。
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