第42話 自分らしくないこと

文字数 1,743文字

「勇君は、正人の子どもだよ」



明美からそう告げられた時、自分が知っている何かが壊れた。



「何?」



その声は自分の声ながら、他人行儀にそう呟いていた。
何を言っているんだ。
それは明美に対して聞いているのか、自分に対して聞いているのか、分からなかった。
自分でも知っていたはずだ。
いや知らなかった。
そんなことを考えながら、正人は勇の耳を思い出していた。
そんなのずっと知っていたよ。
ついに正人は自分を誤魔化せなかった。



「優和からじきにそのことで連絡が来ると思う」



正人の前にいる明美はもう正人のよく知る明美ではなかった。
もしかしたら正人自身が正人のよく知る自分ではなかったのかもしれない。
正人はもはや何から考えればいいか分からなかった。
でもそんなことはどうでもよかった。
なぜ明美が正人にそれを教えてくるのか。
それが一番気掛かりだった。



「明美は何なの?」



正人はその疑問を率直に明美に聞くことにした。
そのつもりだったが、感情的な言葉になってしまった。
どこに向ければいいか分からない怒りが収まらなかった。
明美はその質問には答えなかった。
まさかまた嘘をついているのか。
それならば何を目的に?
正人はもう自分が何を考えていいのか分からなかった。
正人のスマホが鳴った。
優和からの連絡だった。
明美はそれがなぜだか知っているとでも言うように正人を見るのだった。



「どうして出ないの?」



明美は正人に突き放すように聞いてくる。
正人はこの電話に出ることで、正人が信じていた全てが変わってしまうような気がしていた。
何かがおかしい。
でもそれが何か分からない。
いつから何が変わってしまったのか正人は分からなかった。
もしかして正人が信じていたものは最初から何もなかったんじゃないか。
正人は明美を見た。
明美の顔には何も書いていなかった。
当たり前だ。
正人は自分で自分に言い聞かせていた。



正人は急に目の前にいる明美が懐かしくなった。
電話が鳴りやんだ。
沈黙。
正人は明美が正人に嘘を告白した時のことを思い出していた。
あの時も優和から電話があった。
そして正人は優和からの電話に出たのだった。
またスマホが鳴った。
優和からの連絡だった。
あの時はその電話に出るために部屋を出たのだった。
でも今度は電話に出なかった。
明美を見た。
もしかして明美もあの時のことを思い出しているのだろうか。



「責任をとるなんて言われたくなかった」



それは明美の叫びに聞こえた。
目の前にいるのは正人がよく知る明美だった。
正人は目の前の明美が愛おしかった。
そして正人は今更ながら自分の過ちに気が付いた。
自分の問題に気が取られるばっかりに明美の気持ちを考えられる余裕が全くなかったのだ。
正人は明美のことを愛していた。
どうすればこの自分の気持ちが伝わるだろうか。
それを伝えられたらもしかしたらこの嫌な予感がなくなるかもしれない。
でもそもそもそんなふうにして言葉を伝えようとするのは打算的ではないか。



「ごめん」



正人からはとってつけたようなありふれた言葉しか出てこなかった。
それは誰かが考えたような言葉でもあり、到底明美の気持ちを受け止められるような言葉ではなかった。
正人は自分で自分の言葉に落胆した。
いつもそうだった。
ここぞという時に正人は失敗する質だった。
でも正人は諦めなかった。



「本当にごめん」



でも同じような言葉しか出てこなかった。
本当に必要な時にどうして必要な言葉が浮かんでこないのか。
どうしていつも自分はこうなんだろう。
でも落ち込んでいる場合じゃなかった。
どうしても諦めたくなかった。
次の言葉は出てこなかったが、また何か言おうとしていた。
何も考えなしにしゃべろうとするのは全く正人らしくなかった。


そしてまた正人のスマホが鳴った。
優和からだった。
三度も続けて電話をしてきたことは今まで一度もなかった。
勇に何かあったのかもしれない。
明美と目が合った。
電話は鳴り続けていた。
一瞬躊躇ったが、正人はついに電話に手を伸ばした。

ワンクリックで応援できます。
(ログインが必要です)

登場人物紹介

登場人物はありません

ビューワー設定

文字サイズ
  • 特大
背景色
  • 生成り
  • 水色
フォント
  • 明朝
  • ゴシック
組み方向
  • 横組み
  • 縦組み