残りもの

文字数 4,209文字

 オフィス街の公園で、コンビニ弁当が入った袋を手にぶら下げた一人の男が、うつむきながら歩いている。
 杖を手に持ちベンチに座っていた一人の老人が、その男に声をかけた。
「そこのお若い人」
「はい?」
 男は立ち止まって老人を見た。
「何だか浮かない顔をしているが、どうした?」
「あなたには関係ないでしょう?」
 男は、不躾な質問をしてきた老人に素っ気なく答えた。
「はっはっはっ。それはそうだな」老人は明るい笑顔で言った。
「もし悩みがあるなら一肌脱いでやろうと思ったが、余計なお世話だったかな?」
 老人はそう言いながら、堂々とした態度で男を見ている。
「一肌脱ごうと思った――というのはどういうことですか?」
 男は、どこか威厳がある老人の態度を見て、少し話を聞いてみようと思い直した。
「悩みを解決するために力を貸してやろうということだよ」
「あなたは誰ですか?」
「わしは仙人だ――」
 老人は笑顔のまま平然と答えた。
――この老人は詐欺師か、それとも妄想に取りつかれているのか?
 男は警戒し、老人を見つめたまま沈黙した。
――だが、ただ者ではない風貌だ……話をしてみて、途中で怪しげな様子になってくればそこで打ち切ればいいか……。
 男はそう考えて、老人に少し歩み寄りながら言った。
「実は悩みがあります。僕は運が悪く、いつも残りものしか回ってこないのです」
「どうしてそれが悩みなのだ?」老人は優しい口調で尋ねた。
「残りものというのは、皆が良いと思ったものから選んで最後に残ったもの、つまり最悪のものだからです」
「残りものには福がある――という言葉もあるが?」
「それは単なる慰めの言葉です。残りものに本当に福があるなら、皆競って選ぶことはしないはずです」
「はっはっはっ。理屈っぽい男だな」老人は苦笑した。
 男は憮然とした表情で沈黙した。
「まあ、良い。それで、わしが力になれることはあるか?」
 老人は優しそうだが力のある目で男を見ている。
――どうやら悪人ではなさそうだ。
 男はそう考え、老人の目を見ながら再び話し始めた。
「結婚相手だけは、複数の女性の中から自分が最も良いと思った女性を選びたいのです」
「そうか。一生の伴侶は大切だからな」
「実は明日、結婚を希望する若い男女が大勢集まるパーティーがあります。男性の参加費はとても高いのですが、素敵な女性に巡り合えることが多いという評判があるので、僕も大金を出しました。このパーティーで自分が最も良いと思った女性を選びたいのです」
 男は真剣な眼差しで老人を見ながら、鬼気迫る勢いで一気に自分の希望を伝えた。
「分かった。わしは仙人だから、それくらいのことはできるよ」
 老人は男の気迫に動じることなく平然と答えた。
「是非、お願いします。僕は真面目に働く人間ですし、浮気な性格でもありません。妻を必ず幸せにする自信があります」
 男はさらに一歩老人に近づいてから、深く頭を下げた。
「お前は確かに悪い人間ではなさそうだ。それに今さら断るわけにもいくまい。その望みを叶えてやろう」老人は笑顔で男を見た。
「ありがとうございます」
 男は礼を言い、明日のパーティーの時間と場所を老人に伝えてから尋ねた。
「僕は明日、どうすれば良いでしょうか?」
「何も心配しなくてよい。必ず最高の女性と巡り合えるようにしてやる」
 老人は手に持った杖で、トンと地面を突いた。
 男が再び礼を言ってから歩き出し、公園の出口で振り返ると、老人の姿はすでに消えていた。


 翌日、男が開始時刻の少し前にパーティー会場に行くと、会場に老人の姿があった。
「何故あなたがここに?」男は驚いて老人に声をかけた。
「参加者を見に来た」
 老人はそう言いながら、会場に集まっている女性たちを眺めている。
「でも、若い人たちばかりの会場に、よく入ることができましたね。参加費も払っていないのですよね?」男は老人の横顔に向かって尋ねた。
 老人は男の方に振り向きながら言った。
「わしの姿はお前以外の人間には見えないからな」
 そして、近くに立っている別の男の前に歩いていき、持っている杖を彼の目の前で振って見せたが、彼は何も気づかない。
「すごいですね。驚きました」男は、戻ってきた老人に言った。
「まあな……それよりも、最高の女性と巡り合うチャンスが来たのだ。自分の目でしっかりと見極めることだな」
 老人そう言うと、手にした杖で男の肩をトンと軽く叩いた。
 男は、肩に触れた杖から何か不思議な力が体に入っていくのを感じていた。
「はい、頑張ります!」
 男はそう言うと、周囲の大勢の女性の姿を真剣な目で観察し始めた。
「よし!」
 魅力ある女性がたくさんいることを確認した男は、小さな声でつぶやいた。
 男が振り返ると、老人の姿はいつの間にか消えていた。

「あの……」
 パーティーが始まるや否や、男は最初に目に留まった華やかな女性に近づき声をかけようとした。
 すると、別の男が割り込んできて、その女性はその男と話を始めてしまった。しかし、ここで諦める訳にはいかない。
「ちょっといいですか?」
 男は二人の間に割り込むようにしながらその女性に声をかけた。
 しかし、その女性は男を完全に無視している。
 男は楽しそうに会話する二人をしばらく側から見ていたが、諦めて別の女性を探し始めた。
「少しお話しても……」
 男が別の魅力ある女性に近づいて話しかけた瞬間、また別の男が割り込んできて邪魔をした。
 男は割り込んできた男を手で押しのけようとしたが、手に力が全く入らず、割り込んできた男はその女性と寄り添うようにして話し始めた。
 男は何度もいろいろな女性にアプローチを試みたが、同じようなことが何度も続いた。
――このままではまずい。なんとか頑張らなければ……。
 男は焦り始めていた。
 時間が経つにつれて、意気投合したカップルは会場を出ていってしまう。
 男は必死に女性たちに近づき声をかけようとするが、何故かいつも全く無視されているかのように、女性たちは彼には全く興味を示さなかった。

 やがて、今日は見込みがないと諦めた人々も徐々に会場を出ていった。
 そして、パーティーの終了時刻間際には、スタッフの人間以外は、男と一人の女性しか残っていなかった。
 男はその女性のことを少し前から気づいていたが、見ていると彼女も自分と同じように男性から相手にされず、壁際にずっと一人で立っている。
「こんばんは」
 男はその女性に近づいて声をかけた。
「こんばんは」
 彼女は笑顔で答えた。
 男は今日初めて女性と会話をすることができたので、少しだけほっとした。
 その女性は、髪が短く優しそうな顔で、青いドレスに身を包んでおり、微笑みながら男の顔をじっと見つめている。
――優しそうな綺麗な目をしている……はにかんだような可愛らしい笑顔だ……。
「素敵なドレスですね」
 男はとりあえず彼女の服装を褒めた。
「ありがとうございます」
 彼女は嬉しそうな表情をした。
 二人はしばらく黙って見つめあった。
――もしかするとこの女性が最高の女性なのかもしれない……。
 男は、次に何を言おうかと考えていたが、残った最後の一人である、ということが心の中で引っ掛かっていた。
――これまでは残りものばかりの人生だった……。
 男は、仙人と称していた老人に対する疑念が頭をもたげた。
――あの老人にあれほどお願いしたのに、今回も結局は残りものが回ってきたではないか……俺は騙されたのか……。
 老人に対する疑念が怒りに変わっていった男は、「これから一緒に食事でもしませんか?」と言う代わりに、別の言葉をその女性に投げかけた。
「今日は、お互いに無駄な時間だったようですね」
 女性は驚いた表情をした後、すぐに悲しそうな表情に変わって沈黙した。
 その時、男は、先ほど老人の杖で叩かれた肩から、何かがすっと抜けていくのを感じていた。
「では、失礼します」
 男は、少し申し訳ないと思いつつも、そっけなく言った。
 そして、男は女性を残して会場を去っていった――。


 翌日の昼休み、男は公園のベンチに座っている老人を見つけ、怒りの表情を浮かべながら声をかけた。
「騙された僕も馬鹿だったけれど、あなたも仙人だという嘘はもう止めたらどうですか!」
「あの女性と話をしなかったのか?」
 老人は男の怒りを意に介さずに笑顔で尋ねた。
「あの女性――というのは誰のことですか?」
「青いドレスを着た素敵な女性がいただろう?」
 老人は笑顔のまま、男の顔をまじまじと見ながら尋ねた。
 男は言葉を交わした唯一の女性のことを思い出した。
「彼女こそ、お前の配偶者として最高の女性だ。お前にはもったいないくらいの高い能力と素晴らしい性格を持っている。お前にはそれが分からなかったのか?」
「パーティーの終了間際に少し話しただけですから……」
 男は一瞬言いよどんだが、老人の顔を見ながら、くってかかるような口調で言った。
「しかし、そんなに素晴らしい女性なら、他の男性も目をつけていたはずです! 彼女は誰からも相手にされずに最後まで残っていたのですよ!」
「わしの力で彼女の姿はお前にしか見えないようにしてやったのだ。彼女の姿を見ていたら多くの男性が彼女に群がっていただろう……」
 老人は、憐れむような表情で男を見た。
 男は沈黙したまま老人を見ている。
「そして、お前の姿も他の女性からは見えず、あの女性からしか見えないようにしていたのだ。お前が最初に声をかけようとした女性は特に性悪で、もし彼女と付き合っていたらお前は近い将来必ず後悔していたであろう……」
 老人は、茫然とした様子で立っている男に向かって言った。
「そうだったのですか……」男は力なく言った。
「わしが作ってやった最大のチャンスを逃しおって……」
 老人は残念そうな表情で、顔を数回横に振った。
 男は、沈黙したまま両手を強く握りしめている。
 老人は、そっぽを向いてつぶやいた。
「青いドレスの彼女には悪いことをしてしまったなあ……その償いに近々最高の男性と巡り合うチャンスを作ってやらねばなあ……」
 老人のつぶやきを聞いた男は、思わず目をつぶり昨日のパーティー会場のあの女性の姿を思い出した。
――そう言われてみると、素敵な女性だったかもしれない……知的で、そして可愛らしさがあった……。

 しばらくして、男が老人に話しかけようとして目を開けたが、老人の姿はすでに消えていた。
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