第110話

文字数 2,945文字


源三郎江戸日記110最終

いきなり返せと言うて、挙句の果ては評定所に訴えるだと、米沢藩の米の扱いは江戸屋に帰る3日の内に江戸屋が取りに行くので、預けている蔵米総てと、飢饉時の5年間の預け米を、
引き渡すのだと言うと、そんな3日ではと言うので、わしも3日しか待って貰っていない、もし3日以内に引き渡さなかったら、盗人として目付けに訴えでるぞ、そうすれば家財没収、
の上取り潰しとなるぞ、

さつさと帰って用意しろと言うと、藩士が追い立てたのです、天満屋は蔵に4万両を運び込み、稲葉の屋敷に駆け込み、大変です全額返して、預かり米を3日以内に返せと言うてい、
ますと言うと、何全額返しただと何処から借りたのだと言うので、分かりませぬ、借りられるとすれば相模屋くらいのものですと言うので、米は用意出来るのかと聞くので、3日で、
は無理ですと言うと、

金で返すしかないだろうと、いかほどになるのだと聞くので、およそ2万両になりますと言うので、4万両返したのだから、その内2万両を返せばいいでは無いかと言うので、そうで、
すねと言うと、屋敷を出て、米沢藩の上屋敷に行き金寸で返しますと言うと、ほう、それでいくらになるのだと聞くと2万両ですというので、バカ言えそれは今の米相場での換算だ、
ろう、

蔵にないのはお前が不正を働いたせいだ、一番高かった相場で計算すると2万8千両になる、さらに飢饉の預かり米を勝手に、売ってその代金を貸し付けるとは何ごとだ、今までに、
渡した飢饉の預かり5年分米を計算すると5千両になる、払わなかった5年の利息は締めて2千両になり、さらに5年過ぎて販売したのは古米として半額の金を貰っておるが売り払、
っているのじあから、

後の半額分は返すべきであろう、その金寸が500両として天満屋とは50年の付き合いだ、それから5年を引くと45年となり2万2千500両となる、しめて5万7500両になる、3日以内に、
当屋敷に持参せよと言うと、そんなと言うので、何処か理屈が待ちがっておるかと聞くと、間違ってはおりませぬが、どこもやっている事ですと言うので、それはやられた藩が訴、
えれば良いだろう、

米沢藩は天満屋を訴えるだけじあ、いくら稲葉様が口出しされようと、柳沢様にこの事を話せばお味方くださるだろう、3日以内に5万7千500両を持参せよ、来なかった場合は目付、
けに訴えて出ると言ってとつとと帰えれと言うと、藩士が追い立てたのです、勘定奉行が目を白黒しています部屋に戻り、今頃は稲葉め腰を抜かしているだろう、まだまだこんな、
物では済まさんさんと笑い、

何か間違っている事を言っているかと聞くと、勘定奉行が恐れ入りまして御座いますと言ったのです、天満屋は再び稲葉の屋敷に行き経緯を話すと、なんじあと5万7千500両じあと、
くそ~と言うと、高木が理にかなっておりますので払うしかありませぬ、奴は必ず目付けに訴えでます、火盗改の詮議になり十文字左近様はいくら殿の後ろ盾でも天満屋にてごころ、
は加えませぬ、

柳沢様は大喜びなさるでしょうと言うので、天満屋おまえの所は20万両からの蓄えがあるのじあろう、貸していた4万両を引けば1万7千500両じあ、米沢藩が潰れれば4万両は帰って、
こんので1万7千500両損したと思うしかないだろうと言うと、それはそうですが、これで済みますかね、私はあのお方が恐ろしいですと言うので、こうなれば奴を始末するしか無い、
だろうと言うと、

高木が暗殺は無理です、やるなら戦を仕掛けて大勢で討ち取るしか、ありませぬと言うので、方法は考えよう、とりあえず金を払うしかないだろうと言ったのです、次の日には天満、
屋は5万7千500両を上屋敷に持ってきたので受け取り、札差としての出入りを禁止したのです、江戸屋を呼び今年は米は渡せぬが来年から米沢藩の御用達を頼む、飢饉時の蔵米の金、
を5000両渡すのでこれで預かり米としてくれ、

この金は自由に使ってよいぞ、飢饉の時に5000両分の米を渡せばよいのじあと言うと、ハイ、承知しました、しかしご家老様は知恵者ですなと言うので、天満屋が喧嘩を売って来た、
ので買ったまでじあよ、それから賂だがそれは天満屋と同じに渡してもらうぞというと、勿論で御座います総て引き受けましたと言って帰っていったのです、これで去年の蔵米は、
総て高値で売れた事になり、

逆に3万2千500両の蓄えが増えてこれを返せばし玄海屋の借財は4万両から7千500両になるわけだ、七衛門を呼び2万両は返しておくと言って返して、2万両の借財に証文を書き買え、
たのです、これで1万3千両は開発にいつでも回せるわけだと言って、治憲に報告するとまさに知恵者じあのう、痛烈な一撃じあなと大笑いしたのです、金蔵には4万両あまり入った、
事になり、

勘定奉行は晴れやかな顔をしたのです、これで借財は9万両から紀州の2万両と今回の利鞘2万両を引くと5万両に減って、1万3千両の開発資金が手に入る事になったのです、やがて、
2月になり堂上方、江戸の町衆の赦免の願いもむなしく幕府より赤穂浪士全員に切腹の命が下ったのです、2月4日に全員お預け先で切腹して果て、そけぞれの藩から棺がでて泉岳寺、
の匠の守の傍に埋葬されたのです、

これを聞きつけた町衆が大勢泉岳寺に押し寄せ、その数は数千人になったのです、源三郎とお峰は焼香を済ませるて墓所を出ようとすると、役人が町衆を押し留めて、解散するよう、
に言ったので、何をするのだ忠義の武士に焼香するのが何故止めるのだと言うと、怪我人が出ると私の責めになりますと言うので、町衆に向かって焼香は良いそうだ一度に入ると、
けが人がでる、

おとなしく4列に並び整然と焼香するのだ、ここで死人が出れば赤穂義士も悲しむぞと言うと、みんなが4列に並んだので、役人が少しずつは墓所に入れて焼香させたのです、その、
数は莫大で、次の日もその次の日も沢山の焼香者が訪れたのです、源三郎とお峰は根岸に戻り、仏壇に孫太夫の位牌を並べて焼香して冥福を祈ったのです、行ってしまったかと言、
うと、

お峰が酒を注ぎ満足で御座りましたでしょうと言うので、酒を飲み干し杯を渡して酒を注ぐと飲み干して涙を流すので、思い切り泣いてやるのだと肩を抱きしめたのです、やがて、
涙を拭き、もう泣きませぬ精進落としに町にでましょうと言うので、籠を呼び深川に行き料理屋にはいると、女将が今回はご愁傷様でしたと言うので、お峰がありがとう御座い、
ます、

湿っぽいのが嫌いな父でしたので、今日は賑やかに送ってやりましょうと言って、お勝つさん達と、若狭屋、玄海屋、新之助殿達を呼んでくださいと言うと、女将がハイと返事した、
のです、みんなが集まったので、それではと杯を重ねて飲んで騒いで野辺の送りとしたのです、・・・・・・・・・源三郎江戸日弟1章完、

元禄16年2月4日討ち入った赤穂浪士は全員切腹となり泉岳寺に葬られ、源三郎の前には大きな幕閣の権力者が立ちはだかり、熾烈な戦いが始まったのです、源三郎江戸日記弟2章を、
ご期待ください、

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