十二
文字数 1,719文字
週末、調布市内にあるファミリーレストランに出かけた。
「前みたく贅沢はできないけど、たまにはいいわよね、私も働かなきゃね」
それを聞いて、久々に心に軽さを覚えた。やはり、部屋の狭さと睡眠不足によるストレスがあったのだろうと思った。
「前にいつだったか、閉所恐怖症だって言ってたよね、今の僕との生活は大丈夫?」
「ええ、平気よ。それよりあなたの方が最近疲れているみたい」
「まだ二人での生活に慣れていないだけ。正直、仕事はきついし、僕って意外と神経質なところあるから」
「だといいんだけど」
二人は食事の前に一杯ずつ生ビールを飲み、テツヤがハンバーグステーキを、ミライがドリアとシーザーサラダを頼んだ。ミライは一週間分のテレビドラマの話をした。
帰宅して、裸でベッドに横たわり、ミライがシャワーを浴び終えるのを待っていた。エアコンをつけても蒸し暑く、まだ何もしていないのに体中が湿っていた。ミライを抱くのは久しぶりだった。ミライがバスタオルを体に巻いて出てきた。以前のような小麦色の肌ではなく、痩せていて粉を噴いたように白かった。骨張った下腹部に、ほんの僅かな茂みが見え、その黒さが浮き立っている。乱暴に抱き寄せた。心がこれ以上前に進まない。ミライもそれを感じたのか、少し寂しげな表情を見せた。
「一体どうしたの? 久しぶりだったから?」
気の無い返事をした。
「ちょっとシャワー浴びてくる」
ミライがユニットバスへと立った。浴室からシャワーの水が床を叩く音と、排水口に水が流れ込む音がする。その音を聞きながら、心の古井戸から何かおぞましいものが顔を出そうとしているのをグッと堪えた。それは単に欲望によって栓をされていただけで、以前感じていたものが消えたのではなく、姿を隠していたに過ぎない。顔が熱くなるのを感じた。眩暈がして、額にも背中にもびっしょり汗をかいた。立ち上がり、冷蔵庫を開けて一口水を飲んだ。少し落ち着いた。ミライが浴室のドアを開けた。
「大丈夫?」
鼻唄を歌いながら、濡れた髪にブラシを通し、体にバスタオルを巻いていた。濡れた肩の辺りから湯気が立っている。ミライが腰を折って冷蔵庫から飲み物を取り出す時、尻の間から性器が見えた。ミライが冷えたドリンクを一気に飲み干した。
「雨かしら? 早目に帰ってきて正解ね」
部屋の脇の道を、車が水しぶきをあげて走り去る音がした。ミライを見ることができず、立ち上がり、カーテンを少し開けて外の様子を伺った。ガラス窓に自分の顔が薄明かりに照らされて、死人のような形相で映し出される。振り向くと、豆電球のぼやけたオレンジ色の光の下に、今にも泣き出しそうな顔をしたミライの姿があった。
「私の、せいなの?」
俯いている姿を直視できない。
「そうじゃない、そうじゃないよ。これは僕自身の問題なんだ」
投げ捨てるような口調だった。ミライは俯いたままだった。
「本当に、まだ二人の生活に慣れていないんだ。僕も正直、自分自身に戸惑っている。もう少し時間をくれないか?」
「時間? 二人で一緒に暮らすために、これ以上何が必要なの?」
「本当に、すまない。疲れてるんだ」
「もう、嘘をつくのはやめて」
思わず顔を上げた。肩が震えていた。息を吐き、体を仰向けにしてベッドに横たわった。小さくて白い箱のような部屋の天井を見つめると、息が詰まった。鼓動が耳の脇を通り抜ける。目をつむると、神経質になり過ぎた耳が、ミライの動きを全て感じ取って、映像として瞼の裏に映し出す。彼女の存在が、窒息しそうなほど隙間無く、脳の襞の奥まで触れてくる。時間がとても長く感じられる。胸の奥が締め付けられた。そんなテツヤの様子を、ミライはじっと見ていた。ミライの方を向き直った。形の良い、つんと張った乳房を見ても何も感じない。逆に、幼くして両親に捨てられた彼女の悲しみが、心に入り込んできた。呟くような小声で、ミライに服を着るように言った。そして自らも服を着て、テレビをつけた。ワッと音声が静寂を引き裂き、暢気な会話が流れた。乾いて歪んだ口元が震えている。何か次の言葉を恐れているかのようだった。息を飲んだ。頭の中が一瞬、白く焼けるのを感じ、慌てて背を向けた。
「前みたく贅沢はできないけど、たまにはいいわよね、私も働かなきゃね」
それを聞いて、久々に心に軽さを覚えた。やはり、部屋の狭さと睡眠不足によるストレスがあったのだろうと思った。
「前にいつだったか、閉所恐怖症だって言ってたよね、今の僕との生活は大丈夫?」
「ええ、平気よ。それよりあなたの方が最近疲れているみたい」
「まだ二人での生活に慣れていないだけ。正直、仕事はきついし、僕って意外と神経質なところあるから」
「だといいんだけど」
二人は食事の前に一杯ずつ生ビールを飲み、テツヤがハンバーグステーキを、ミライがドリアとシーザーサラダを頼んだ。ミライは一週間分のテレビドラマの話をした。
帰宅して、裸でベッドに横たわり、ミライがシャワーを浴び終えるのを待っていた。エアコンをつけても蒸し暑く、まだ何もしていないのに体中が湿っていた。ミライを抱くのは久しぶりだった。ミライがバスタオルを体に巻いて出てきた。以前のような小麦色の肌ではなく、痩せていて粉を噴いたように白かった。骨張った下腹部に、ほんの僅かな茂みが見え、その黒さが浮き立っている。乱暴に抱き寄せた。心がこれ以上前に進まない。ミライもそれを感じたのか、少し寂しげな表情を見せた。
「一体どうしたの? 久しぶりだったから?」
気の無い返事をした。
「ちょっとシャワー浴びてくる」
ミライがユニットバスへと立った。浴室からシャワーの水が床を叩く音と、排水口に水が流れ込む音がする。その音を聞きながら、心の古井戸から何かおぞましいものが顔を出そうとしているのをグッと堪えた。それは単に欲望によって栓をされていただけで、以前感じていたものが消えたのではなく、姿を隠していたに過ぎない。顔が熱くなるのを感じた。眩暈がして、額にも背中にもびっしょり汗をかいた。立ち上がり、冷蔵庫を開けて一口水を飲んだ。少し落ち着いた。ミライが浴室のドアを開けた。
「大丈夫?」
鼻唄を歌いながら、濡れた髪にブラシを通し、体にバスタオルを巻いていた。濡れた肩の辺りから湯気が立っている。ミライが腰を折って冷蔵庫から飲み物を取り出す時、尻の間から性器が見えた。ミライが冷えたドリンクを一気に飲み干した。
「雨かしら? 早目に帰ってきて正解ね」
部屋の脇の道を、車が水しぶきをあげて走り去る音がした。ミライを見ることができず、立ち上がり、カーテンを少し開けて外の様子を伺った。ガラス窓に自分の顔が薄明かりに照らされて、死人のような形相で映し出される。振り向くと、豆電球のぼやけたオレンジ色の光の下に、今にも泣き出しそうな顔をしたミライの姿があった。
「私の、せいなの?」
俯いている姿を直視できない。
「そうじゃない、そうじゃないよ。これは僕自身の問題なんだ」
投げ捨てるような口調だった。ミライは俯いたままだった。
「本当に、まだ二人の生活に慣れていないんだ。僕も正直、自分自身に戸惑っている。もう少し時間をくれないか?」
「時間? 二人で一緒に暮らすために、これ以上何が必要なの?」
「本当に、すまない。疲れてるんだ」
「もう、嘘をつくのはやめて」
思わず顔を上げた。肩が震えていた。息を吐き、体を仰向けにしてベッドに横たわった。小さくて白い箱のような部屋の天井を見つめると、息が詰まった。鼓動が耳の脇を通り抜ける。目をつむると、神経質になり過ぎた耳が、ミライの動きを全て感じ取って、映像として瞼の裏に映し出す。彼女の存在が、窒息しそうなほど隙間無く、脳の襞の奥まで触れてくる。時間がとても長く感じられる。胸の奥が締め付けられた。そんなテツヤの様子を、ミライはじっと見ていた。ミライの方を向き直った。形の良い、つんと張った乳房を見ても何も感じない。逆に、幼くして両親に捨てられた彼女の悲しみが、心に入り込んできた。呟くような小声で、ミライに服を着るように言った。そして自らも服を着て、テレビをつけた。ワッと音声が静寂を引き裂き、暢気な会話が流れた。乾いて歪んだ口元が震えている。何か次の言葉を恐れているかのようだった。息を飲んだ。頭の中が一瞬、白く焼けるのを感じ、慌てて背を向けた。