(一・十)ゴリラのボス

文字数 1,589文字

 健一は、かなしみさまに向かって言いました。
「ねえ、かなしみさま。もうかなしいことはたくさんだよ。ぼく、辛くて見ていられないよ」
 けれど画面には容赦なく、別の映像が流れていました。そこは深い森の中。
 野生の色とりどりの植物が咲き乱れ、珍しい野鳥たちが飛び回っています。どうやらアフリカ大陸のジャングルのようです。
「健一くん。苦しんでいるのは、人間だけじゃないんだよ」
「ええっ?」
 健一はビックリしました。
「この地球に生きるすべての生きものに、それぞれ違ったかなしみがあるんだよ」
「すべての生きものに?」
「うん。しかも動物たちの中にはね、人間にいじめられたり、殺されたりする動物たちだって、一杯いるんだ」
「人間に?うそ」
 にわかには信じられない健一でした。でもかなしみさまは続けます。
「ほんとうだよ、健一くん。たとえば、ほら、見てごらん」
 かなしみさまに促され、健一はノートパソコンの画面に注目しました。
「これも人間のエゴから起きる、悲劇なんだよ」
 悲劇……。健一は黙って、アフリカのジャングルの映像を見つめました。

 そこには、たくましい一頭のゴリラがいました。ゴリラは一生懸命走っています。
「健一くん。ゴリラが群れを作って暮らしていることは、知っているかな?」
「うん。本で読んだことがあるよ、かなしみさま」
「このゴリラはね、群れのリーダーなんだ。ゴリラのボスだね」
「へえ、どうりで強そうだと思った。でもどうしてあんなに、走ってるの?」
 健一の問いに、かなしみさまは答えました。
「ほら見てごらん、健一くん。ゴリラのボスが走っている先に誰かいるだろ?」
「えっ、本当だ」
 そこには、人間がいました。五、六人の男たちです。しかも男たちはみんな、マスクを被って顔を隠していました。そしてゴリラのボスから逃げるように、懸命に走っていました。
「うわあ、なんか怪しそうなやつらだね」
 健一は興奮して言いました。
「その通りだよ、健一くん。ゴリラのボスは、あいつらを追いかけているんだ」
「どうして?ゴリラのボス、あんな怒った顔して。何か悪いことしたんだね、あいつら」
「そうだよ、良く見てごらん、健一くん。ひとりの男が、カゴを持っているだろ」
「カゴ?」
 健一はじっと画面を見つめました。
「あの中にはね、ゴリラの赤ちゃんが入っているんだよ」
「ゴリラの赤ちゃん?」
「男たちがゴリラの群れの中から、盗んだんだよ」
 盗む?健一はわけが分からず、かなしみさまに問いました。
「どうして?どうして、ゴリラの赤ちゃんなんか盗むの?」
 疑問一杯の健一に、かなしみさまは丁寧に答えました。
「密猟と言うんだよ、健一くん」
「みつりょう?」
「ゴリラの赤ちゃんを欲しがる業者がいてね。密猟者たちは、その連中に高く売るつもりなんだよ」
「ひどい。それでゴリラのボスがあんなに怒って、赤ちゃんを取り返そうとしているんだね」
「そういうことだね、健一くん」
 健一はようやく事情が分かりました。でもゴリラのボスは、無事赤ちゃんを取り戻せるでしょうか?

 ゴリラのボスに追いつかれた男たちは、逃げるのを諦めました。しかも男たちは、大きな槍を持っています。そして容赦なくその槍を、ゴリラのボスに向けました。
 えっ?健一は目を疑いました。うそ、信じらんない……。
 一本、二本、三本……、ゴリラのボスの体に次々と槍が突き刺さっていきました。物凄い痛みです。それでもゴリラのボスは諦めません。怒りと痛みに絶叫しながら、赤ちゃんを取り戻そうと最後まで男たちに立ち向かっていきました。体中に刺さった槍で、血だらけになりながら。
「ひどい……」
 あまりの残酷さに、健一はもう画面を見ていることが出来ませんでした。
「あんまりだよ、ゴリラのボスがかわいそう」
 涙をこらえながら、健一も絶叫したいほどでした。
 ここで画面はまっ暗になり、ゴリラのボスの姿は消えました。
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