第89話 取引

文字数 2,080文字

 言葉を失い呆然としていた人々も降り出した雨で我に返り、それぞれ雨の対処に追われ始める。ユウトのようにマントやフードでしっかり身を包む者もいれば、近くに止められていた馬車の荷台へ足早に向かう者もいてあたりは慌ただしくなっていた。

 ユウトはモリードとデイタスを見つけて走り寄る。まず声を上げたのはモリードだった。

「見事だったよ、ユウト!あの大きさの試石でちゃんと性能を発揮することができた。能力を証明したんだ」

 モリードは雨に打たれながら満開の笑顔に強く両こぶしを握り締め、興奮しながらユウトへ語る。横でたたずむデイタスはそんなモリードのフードを力強くかぶせた。

「落ち着けモリード。まだ評価は出ていない・・・が、よくやったなユウト!観客は良い反応だったぞ!はっはっは!」

 デイタスは豪快に空にむけ笑い声を上げる。二人の様子にユウトも気分が高揚してきた。

「あとは評価結果を待つだけか。雨で水を差されてしまったのはもったいなかったけど、振り出す前でよかった」
「そうだろう。そうだろう、私の言ったとおりだったろう!ぬかるんだ地面では力を発揮しきれないからな」

 デイタスはより自慢げに胸を張って満足げに語る。

「ここにいてもしょうがないか。一旦工房に戻ろう。剣をあまり濡らしたくないし疲労度を早く確認しておきたい」

 モリードは二人へ提案する。気持ちが落ち着いたのか冷静になってようですでに興味は移っていた。

「そうだな。お披露目はいったん中断するだろうしな」
「よし、なら急いで戻るぞ。ユウト、剣は私が持とう」

 ユウトはデイタスに剣を渡す。そうして三人は来た道を小走りに戻りだした。 

 降り出したころの雨の強さはしだいに弱まり、小康状態となっている。ほとんど人がいなくなった広場の中心にある、ユウトによって半分を木っ端みじんにされた元巨石の傍には二人の人影があった。

 一人は屈強な男で、あたりに目を光らせている。もう一人はしゃがみ込み、崩れた石の破片を掴んで手のひらに載せて観察していた。手のひらの上に乗せられた小石ほどの白い石をもう片方の手指の先で押し付けると石は砕けるように割れる。その断面は白く細かな粒子の荒い面になっており、割れた衝撃で粉のような白い砂を散らせた。

「どういう原理なのかしらね。斬ったというより壊したと表現する方が正しいかも」

 しゃがんでいた一人は手に載っていた石と砂を両手ではたき、地面に触れて濡れたスカートを気にする様子もなく立ち上がる。

「ともあれ、なんとも取り扱いが難しそうな過剰な威力。だけどおもしろいわ」

 女は一人ぶつぶつとつぶやく。深くかぶったフードの奥から変わり果てた巨石をじっと見つめ、あごに手をやり思案を始めた。

 雨にたたずむ二人へ小柄な人が一人近づく。男は一瞬身構えたが近寄る人物を確認してすぐに構えを解いた。

「いつも姉に付き合わされて大変だねノエン」

 降りしきる雨を気にする様子もなくずぶ濡れのその人物はノエンと呼んだ男の横を通り過ぎ、元は巨石だった石の山のそばに向かう。そしてすでにいたもう一人の横に並ぶと声を掛けた。

「どうかなラーラ。この性能、無視はできないだろう?」
「ええ、工房長。驚きはしましたよ。試石をここまで破壊できる技術はそうない。どこかの魔導貴族の秘技くらいでしょうね。しかしこの技術をどうするおつもりですか?まだ兵器としては粗削りに感じられます。あの特殊なゴブリン、ユウトさんでなければ扱えない代物と思われますが」

 聞き返された工房長マレイはふんと鼻で笑った。

「やはりもうわかっていたか。確かにまだ扱いづらい技術だ。一般の戦士にこの技術を普及させるまでにはもうしばらくの時間と資金が必要になるだろうね」
「私としては魔槍の方がよほど商品として魅力的です。大石橋砦での一件では目覚ましい能力でした。あの長大な射程距離と威力なら使い捨てと割り切っても大量の受注が期待できます」

 ラーラはマレイが声を掛けてきた真意を探ろうと横に立つマレイに向けて視線を斜め下におとす。マレイはそれを見透かしていたかのようにすでに上方のラーラへ視線を送っていた。

「なら魔槍を競り落とせばいい。だが今ならあの大剣の技術を取り扱う交渉権をラーラ、あんたにだけ譲ってもいいのだけどね。どうする?」

 マレイは後ろに手を組み斜め上へ突き上げるような上目遣いでラーラをにらむ。その強い視線は今、ここで決断することを迫る威圧感を放っていた。ラーラはその視線から逃げずに見つめ返すことしかできない。マレイの顔を雨水がつたい、地を打つ雨音だけが鳴り響いた。

「その交渉権、私に譲ってもらいます」

 しばらくの沈黙のあとラーラは絞り出すような震える声で、その決断の意思をマレイに伝える。それを聞いたマレイは口の端を緩ませにたりと不敵に笑顔になった。

「そうか、では頼んだぞラーラ」

 マレイはそれだけ言葉を発すると、きびすを返してさっそうとその場を去っていく。残されたラーラは雨に濡れて染み出した巨石の残骸の白い水たまりを一度眺めて空を仰ぎフードを取って雨に打たれた。
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