第27話 大事な宝物

文字数 583文字

「イチゾーに会ったことあるのか?」

 イチゾーという名前がでたとたん、小野兄の目の色が変わり、食いついてきた。

「会ったというか、サインも持っているよ。キャップの庇の裏に書いてもらった」

「そ、それ、見せてくれないか!」

「いや、シアトルの実家に置いてきてあるから」

「そ…そうだよな」

「ボクにとっては宝物だからね。チェストの奥に大事にしまってある」

「いや、だれにとっても宝物だよ、それは」

 大城もうらやましげにいう。
 イチゾーこと正木一蔵(まさき・いちぞう)は日米で通算3000本安打を達成した不世出の天才バッターである。
 野球をやるものならば世代を超えてあこがれの的であり、40を越えたいまでもシアトル・マリナーズで4番をまかされている現役バッターであった。

「おれはイチゾーと、あのひとと対戦したい」

 滝沢が遠くをみるような目でいった。その言葉には若干の焦燥感がにじんでいる。

「そうだな。毎年引退が囁かれているし、早くいかねえと間に合わねえな。早くいけ。いっちまえ」

 いささか無責任な口調で赤毛の遊川がせき立てる。
 イチゾーの話題でカイトとチームメンバーの距離感がぐっと縮まった。

「やっぱり、こういうことになったわね」

 カイトを囲む輪の外から落ち着いた女性の声が響いてきた。

「樋口先生」

 カイトが振り向く。来日時、空港まで出迎えにきてくれた英語教師の樋口美希子であった。



   第28話につづく

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