山荘を訪ねて。

文字数 4,264文字

 午前四時半に、僕は実家を出てドアに鍵を掛けた。
 ライディングジャケットを着てヘルメットを被り、はじめて貰った印税と貯金を折衷して買ったハーレーのスポーツスターに跨った。騒音が邪魔にならないところまで両足で漕いで進むと、キーを挿して電源をオンにし、セルを回してエンジンに火を入れた。ドロロというアメリカンな振動が股座に伝わり、オイルが潤滑しエンジンが温まるのを待つ。そうしてエンジンが温まったのを確認すると、僕はギアを一速に落として、夜の街へと駆り出した。目的は八ヶ岳にある友人の山荘に向う為だ。
 明治通りを新宿方面に向かい、国道二十号から初台へと向う。そうして初台から首都高に乗ると、そのまま中央道を走って山梨方面へと向かった。背後に感じる日の出の気配を気にしながら僕はハーレーを走らせ続けた。
 途中、小休止寄った談合坂サービスエリアで自動販売機のココアを買うと、二輪車専用レーンに停めた愛車をまじまじと見た。約六年落ちの、XL883R。初心者向けとか本当のハーレーじゃないと言う人が居るかもしれないが、僕にとっては一生の思い出に残るかけがえの無い一台だ。
 ココアを飲み終え、再び中央道に戻る。途中双葉サービスエリアで燃料を満タンにすると須玉インターから下道に下りた。ここからここから野辺山にあるKの山荘まで、どれ程の時間が掛かるだろうか、僕は途中でバイクを停めて、メールで送ってもらったKへの山荘の道筋を確認した。東の方を見ると、空は白く輝き始めていた。
 Kとの付き合いは長いようで短い。小中学校が同じだったと言う理由だけで訪ねるのは理由にならない。ただKは絵が上手で、僕は文章が得意だった。そしてお互いに画家と小説家になると言う志を持ってそれぞれの高校に進み、大学へと進んだ。そこで日本文学を専攻した僕は小さなスーパーマーケットに勤めながら、学生時代から愛読していた文芸誌の新人賞に応募し、めでたくその新人賞を受賞して、小説家の端くれになっているらしいのだ。そんな自分であっても、未だに「小説家」と言う実感がまだ無い。確かに原稿の催促やら連載の話でそれなりに忙しい日々を送っているのだが、どうも実感が湧かないのだ。
 そんな矢先、久々にあった古い友人のFと酒を飲んだ時、Kがデザイナーとして仕事をしていると聞いた。何でもネパールやアメリカなどで己の感性を磨き、日本に戻って小さなデザイン事務所を開いているとの事だった。すると僕はFを通じてKのメールアドレスを教えてもらった。そして十年ぶりに連絡を取ると、今は八ヶ岳の山荘に居て会えないと言う返事が届いた。すると僕がバイクで行くと答えると、Kは地図を添付したメールを僕に送ってくれた。久々に昔馴染に会える。その嬉しさが、僕の胸を昂ぶらせた。それと同時に、同じクリエイターとしてどんな心構えでモノづくりに取り組めば良いのか、その疑問をぶつける事が出来ると思ったのだ。
 地図とスマートフォンの地図アプリで現在位置を確認し終えると、僕は地図を閉じてサイドバックに仕舞い、再びハーレーに跨った。場所は国道から少し離れた別荘地にある小さな山荘。ここからバイクを走らせれば、一時間ほどで着くけるだろう。
 国道を抜けて細い県道に入る。ハーレーを走らせる頭上を覆う木々はまだ緑色で、朝の光を弾き返していたが、周囲から発せられる空気の匂いは秋の香りを発し始めていた。
 暫く走ると目的の山荘へ続く林道へ入った、そこを少し走ると、目的の山荘が見えてきた。
 Kが居る筈の山荘は何処にでもあるログハウスといった趣で、特別何の変哲もなかった。恐らくここは余暇を楽しむ為の、無になるための場所なのだろう。様々なエネルギーを持った物に触れる職業だからこそ、こうやって自然に帰って気分をリセットする場所が必要なのだろう。
 そうして山荘に見とれていると、山荘の入り口の脇に、二台のバイクが停められている事に気づいた。一台はカワサキのスーパーシェルパと、もう一台はSC40型のホンダ・CB1300スーパーフォア。ナンバーを見ると大宮ナンバーの車だった。
 すると、山荘の方で人の動く気配がした、何だと思って入り口に目を向けると、ジーンズにTシャツというラフな格好のKが入り口のドアを開け立っていた。
「やあT君か、久しぶり」
 最後にあった時よりもはるかに大人びた声で、Kはそう僕に言った。
「ああ、久しぶり」
 僕は鷹揚にそう答えた。Kには大人びた声に聞こえるかもしれないが、十五歳の時から精神年齢が止まっている様な気がする僕には、十年前と同じ声に聞こえた。そう思うと、時が経つのは早い物だなしみじみと感じるのだった。
「とりあえず、バイク停めてくれる?私の・・・スーパーシェルパの隣にでも」
 Kが言うと、僕はゆっくりクラッチを繋いで、スーパーシェルパの隣にハーレーを停めた。そしてエンジンを切りヘルメットを脱ぐと山荘の入り口の方で再び人の気配がした。
「Kの友達、来たのか?」
 その声は低い男の声だった。ヘルメットをミラーに置いて振り向くと、僕とそう歳の離れていなさそうな、筋肉質のがっしりした体格の男が僕を見下ろしていた。
「ええ、小中時代の同級生のT君。ついこの間小説家デビューしたの」
 Kが男に向かってそう離す間、僕はハーレーを降りた。そして凝り固まった筋肉を解すと、ライダースジャケットの前を開けて冷たい空気を身体に取り込んだ。
「初めまして、俺はS。凄いな、ハーレーのスポーツスターか」
「こちらこそ初めまして、ハーレーといっても中古のパパサンだよ」
「いや、腐ってもハーレーはハーレーさ」
 僕が謙遜すると、Sと名乗った男はそう言った。
「所で、二人はどんな関係?」
「婚約者同士よ」
 まるでスイカでも半分に切るかの様にKがそう答えた。僕は小さく頷き、Sに目を見やった。
「T君、朝ごはんは食べた?」
「いいや、まだだけれど」
「なら家で食べて行きなよ。朝ごはんといってもトーストと目玉焼き位だけれど」
「いや、十分だ」
 僕はそう促されるまま、KとSが住んでいる山荘へと入った。

 朝食が済むと僕ら三人はリビングに座ったまま食後のコーヒーを飲むことにした。まず話題に上がったのは小中学校時代に僕がどんな人物だったかと言う話題だった。
「T君は小学五年の頃から文章が上手くなりはじめてね、先生に褒められる事も多くなったし、決められた枚数よりも多く書く事もあったの。中学に上がると対人関係のトラブルとか色々あったけれど、それでも学年一文章は上手かったわ」
 Kが嬉々とした様子で語る思い出話を、僕は適当に聞き流した。僕がKに聞きたいのは思い出に耽る事ではない。クリエイターとしてどう有るべきか、それを聞きに来たのだ。
「それじゃ、才能と言うか素質はあったんだね」
 Sは淡々とした口調で、思い出話の感想を締めくくった。僕はまあねと苦笑いを漏らしながら、コーヒーを啜った。
「でも才能の上には努力が伴わないといけないんだ。僕はその努力の面で苦労したよ」
 僕がそう思い出話に釘を刺すと、Sの方をを向いてこう尋ねた。
「所で、君は何をしているんだい?」
 僕の質問にSは訝しげな視線を送ると、コーヒーを一口啜ってこう答えた。
「一応絵描きをしている〝画家〟を名乗るまでには到っていないけれど」
「デザイナーと絵描きか、お似合いだね」
 僕は静かにそう答えた。Sには皮肉に聞こえただろうか。
「よかったら作品が何点か置いてある。観て行くかい?」
「ああ、ぜひ」
 僕は即答した。そして僕ら三人は席から立ち上がると、Sの案内で彼のアトリエへと向かった。
 彼のアトリエはリビングから離れた四畳ほどの一室で、部屋には鼻を打つほどの油絵の具の匂いが立ち込めていた。Sが部屋の電気をつけると、暗闇が晴れて雑然としたアトリエの様子が光の下に晒される。するとまず目に飛び込んできたのは。イーゼルに立て掛けられたままのキャンパスに描かれた、赤一色の抽象画たった。
「これは〝赤の空間〟と言う作品なんだ。その時の気分を色で表している」
 Sが自分の作品についてそう語ると、僕は周囲に置かれた彼の作品群を観た。上半分は淡いオレンジ色で彩られて、白い余白を残して下半分はさしずめ抜けるような青空のような青色で彩られた作品や、漆黒からグラデーションで白に変わってゆく画・・・見回す限り、人物や生物、特定の何かをモチーフに作品は無い様だった。
「彼はね、見た物や感じた事を色を使って表現するタイプの絵描きなの、それがなんとも言えず不思議でね、こう作品に吸い込まれるような・・・」
 隣でKが興奮気味に話すと僕はイーゼルに立て掛けられたままの〝赤い空間〟と言う作品を覗き込んだ。善でも悪でも無い。何もない無の空間が広がっているように見えた。
「これは、鑑賞する側が考えるタイプの画だね」
 僕がそう感想を漏らすと、Sは「ああ」と小さく答えた。
「でも今の俺は空っぽなんだ。だから色でしか自分を表現できない。本当は描いてみたいモチーフや題材がある筈なのに、今の俺には何も無いから、こんな作品しか作れないんだ」
 Sの言葉に僕は何かが引っ掛かるのを感じた。疼きのようなその感触は僕の胸の中いっぱいに広がって、やがて水の様に透明になって消えて行った。小説家としての実感が湧かない自分―今の空虚な僕は、この空間の中に居る。そんな気がした。
「僕がここを訪ねた理由を話しても良いかな?」
 僕は画から離れて、二人の方を見つめながらこの山荘にやってきた顛末を語る事にした。
「実は俺、まだ物書きとしての実感が湧いていないんだ。その事を疑問をデザイナーになったKに質問しようと思ったからここに来たんだけれど、まさかS君がその疑問に答えてくれるとは思っても見なかった」
「絵描きや物書きに係わらず、クリエイティブな仕事に就いている人間はどこか問題意識を常に持ち続けなければならないんだ。俺は〝何も無い〟という実感を持って作品にぶつけてきた。君が今作品にぶつけたい物は何か無いのかい?」
 Sの言葉が遠い雷鳴のような音になって僕の頭の中に響く。
「何も無いことを嘆いて文章にしてみるよ」
 それだけ答えると、僕はアトリエを後にした。
                                      (了)
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