サチの心配

文字数 16,749文字

 ……あたしの不安は日に日に膨らんでいく。
 夜が明けて〈歯車〉が消えると、あたしたちは昨日の公園に戻った。そこでしばらく待っていると、ミキオが自転車に乗って帰ってきた。
 なんで先に行ったの、と訊かれても、茶化すように笑って、曖昧なことしかいわない。
 意外なほど、というべきか、みんなはあまり心配してはいないようだった。ジロウなんかは気まぐれで突飛なことをよくするし、昨夜のミキオと似たような行動をとったこともあるので、それと同じようなものと考えられているのだろうか。
 いまはミキオもみんなに混じってキャッチボールをしていた(ジロウが取ってきた野球ボールだ)。その様子にはべつに変なところはないように見える。
 でも、最近のミキオは明らかに変だ。何かするにもぼんやりした調子だし、話してるときも上の空であることが多い。
 いつからなのかははっきりしてる。功志くんがいなくなってからだ。
 あたしが初めて会ったとき、ミキオと功志くんはもう一緒だった。あたしのあとにシンイチくん、ジロウ、カナエの順に加わったので、幽霊仲間としてはこの二人が最初の始まりだ。
 功志くんが笑いながら話していた。ミキオは初めて仲間を見つけたとき、ぽろぽろと涙をこぼしたと。ミキオはぶすっとした顔になって、泣いてねえよ、なんて否定してたけど。
 〝この身体の不思議を眼のあたりにしたのは、あれが最初だったかもしれないね。
 なにしろ、涙が流れていったかと思うと、雫が重力に逆らって、するする眼玉に戻っていったんだからさ〟
 功志くんのことで一番動揺しているのはやっぱりミキオだろうと思う。
 功志くんがいなくなったことについては、もちろんみんなそれぞれショックを受けたはずだけれど……。でもあたしなんかは自分でもおどろいたことに、もうそれほど気に病んではいない。
 ショックというのなら、功志くんが暴れるようになったときの方が大きかったかもしれない。シンイチくんなんか、いちばん被害が大きかったともいえるし、ざまあみろ、とまでは思ってないとしても、でも、安心したという部分はあったんじゃないかと思う。
 ……なんだか自分がくだらない人間に思えてきた。数少ない仲間がいなくなってしまったというのに……。こうなってから、心の中のいろいろなものが気づかないうちに麻痺してきている。
 それでもミキオの様子は心配だし、このままじゃ危ないような気がする。
 カナエにいっても、「大丈夫じゃない、たぶん。無茶はしないだろうから。ミキオくんは」とかいうだけで、あんまり真剣にはとりあってくれない。
 シンイチくんとは功志くんにかかわる話はできるだけ避けたいし、ジロウはこういうデリケートな問題には向いてない。ユキに相談なんてのも論外だ。
 やっぱり、あたしがなんとかしないと。

「あー、もぉっ!」
ジロウが握っていたコントローラーを床に叩きつけた。
「おいおい、見苦しいぞ」
 ミキオがその後ろで笑ってる。ジロウを負かしたシンイチくんはすました顔のままだ。
 三人が遊ぶテレビゲームの画面を横目に、あたしとユキとカナエは古くからの遊び道具、トランプで遊んでいた。
「このゲームじゃ勝てねェ! 別のを見つくろってくる!」
「まだ持ってくんのかよ」
 ジロウがばたばたと出ていった。この一軒家はゲームソフトを売っている店から近いので、持ちこみが楽だ。既にゲーム機やソフトが山をなしているけど、ジロウはまた新しいのを取ってくるつもりみたいだ。
 二階にあるこの部屋は子ども部屋のようで、ロボットのプラモデルがごちゃごちゃ置かれた勉強机がある。持ち主はいまは学校だろう。もっと広い居間に居すわってもいいのに、なんとなくこっちの方が落ちつく。
 人の家に勝手に、しかも土足で入ることへの後ろめたさなんかは、もうないけれど。
「下手なのにあいつがいちばん熱いな」
「執念感じるよね」
 残ったふたりは淡々とゲームを続けている。それがなぜだか、肩を寄せあってお茶をすする老夫婦みたいな風情でおもしろかった。
「サチのばんだよ」
 ユキが手札をずいっ、とこちらに突きだす。
「んー、じゃ、これ」
 一枚引いた。数字がそろったので札を捨てる。ババ抜きなんて、簡単すぎるくらい簡単なゲームだけど、ユキは飽きる様子がない。あたしも別に飽きていない。
 カナエはそれより本を読みたいのかな、と思わないでもない。カナエはいつも本を持っていて、いまもすぐ手にとれる位置に置いている。けど読みたいときは遠慮せずにいうのがカナエの性格なので、気をまわす必要はないだろう。
「トランプ、楽しい?」
 手はコントローラーを握ったまま、上体をのけぞらせてこちらに顔を向けたシンイチくんが訊いた。メガネがずれている。
「たのしーっい」
 変なぐあいにのばされたユキの返事を聞いて、シンイチくんの逆さまの目がパチパチした。
「せめて大富豪くらいならいいけど、ババ抜き、かあ」
 シンイチくんと同じく上体をのけぞらせてミキオがいった。二つならんだ珍妙な顔を眺めながら、
「あんたら、仲いいわねえ」
 とあたしはしみじみいった。こういうときはミキオも大丈夫に見える。功志くんのことを話しだしたときとは別人みたいだ。でも、夜になるとまた……。
「いまのいい方、おばさんくさいな」
 ……心配している相手からだと、なんだかむかつく言葉だった。
「──いてっ!」
「あっ、ごめん」
 怒りの表明のために投げたプラモデル(床に落ちてた)は、ミキオの顔に命中してしまい、ミキオはうめいて横に倒れた。
「電光石火ってやつだね」
 シンイチくんはつぶやきながら上体を戻し、コントローラーをカチカチと素早く操作した。
「あっ、きたねえっ!」
 とミキオはあわててコントローラーを握った。
「隙だらけなんだよ、ミキオは」
 シンイチくんがにやりとしながらいった。いや、こちらからは表情は見えなかったのだが、そうであろうと推測できた。
 ……平和だ。まちがいなく平和な光景だ。
 そんなときにも関わらずあれが来た。記憶にたったひとつ残されていたおぞましさ。
 あたしは無意識に首をさすっていた。それ以外は、おかしな様子は見せなかった、と思う。
「サチ、引きなよ」
 カナエがうながした。ユキが手札をあたしに突きだしている。
「その長く持ち歩いている本はどんなの? おもしろい?」
 カードを引きながら、カナエに訊いてみる。
 ユキがにんまりした。あたしが引いたのはジョーカーだった。
「おもしろいけど、厳しいかな」
「厳しい? 難しい本なの?」
「いや、娯楽ものだし、SF小説なんだけど。内容が厳しいのよね」
「ふーん」
 よくわからないままあいづちをうった。読んでもないし、わからなくて当然だ。
 そうやってカナエの落ちついた顔を見ていると、頭の中どうなってんだろう、とか変な興味がわいてくることがあった。
 混ぜた手札をカナエに突きだす。
「…………。あっ、ごめん。これにするかな」
 あたしの手札からカナエのもとに、さっき来たばかりのジョーカーが移った。カナエはそのカードを見て、なぜか、くすっ、と小さく笑った。
「なに?」
「いや、邪悪なこと考えてると、悪いカードが来るんだな、と思って」
「カナちゃん、ババが来たんだ!」
 ユキがからからとはしゃぐ。「じゃあくじゃあく」と口にし、響きをおもしろがっていた。
「白状してしまった。ま、最後まで持ってなければいいんだけど」
「邪悪ってまた大げさな。どんなこと?」
「厭世的っていうか……。いや、くだらないこと。忘れて」
 そんないい方されると気になるに決まってるけど、それ以上は訊かなかった。はぐらかされそうだし、強いていわせようとも思わない。
 なに考えてんだろ、と思ったりする相手はカナエだけではないし、当面心配しているのはミキオだけど、それにしても秘密というか、いちばん思わせぶりなのはカナエだった。
 それはかまわない。いってないことはあたしにもあるんだし。
 ミキオのことだって、なんだか変な危なっかしささえなかったら、詮索しようとは思わないだろう。
 あたしはただ六人で穏やかに暮らしたいだけなのだ。
 だからやっぱり、ミキオと話してみよう。おせっかいだけど、ミキオが功志くんのようになるのは嫌だから。
 階段を上る足音がした後、ばたん、と部屋のドアが開いた。
 ジロウが帰ってきたのかと思ったら、入ってきたのは掃除機を持った女性だった。さっき台所で見かけた、この家に住んでいる人だ。
 うぃーーーーーーーーーん、と音を立てる掃除機を部屋のすみずみまでかける。ミキオたちが持ちこんだゲームソフトの山が荒々しく突きくずされ、床に置いていたカードもバラバラになった。
 ごつ、ごつ、ごつ、とミキオとシンイチくんがいま使っているゲーム機にも掃除機がぶつかり、かまわずゲームを続けていたふたりも画面がストップするにいたって諦めた。
 色々なものに掃除機がぶつかり、よけそこなったシンイチくんやユキにこの人の身体がぶつかったりするが、本当は違うのだ。
 本当は部屋にはこの人の他に誰もいないし、最初そうだったように、勉強机の上をのぞけば部屋はあまり散らかっておらず、掃除機は何の障害もなくスムーズにかけられているはずなのだ。
 まあそれを奇妙だと思うこともなくなりつつあるし、考えこんだりはしないけど、一心不乱に掃除機をかける忙しそうなその人を見ていると、「あーあ、あたしが人の親になるなんてことももうありえないんだなー」とか久しぶりに思い浮かんだ。
 掃除を終えて女性が出ていくと、あたしたちはバラバラになったカードをあつめて、ババ抜きを再開した。それが結局カナエの負けで終わると、ミキオとシンイチくんもトランプに参加させて、大富豪を始めた。
「ジロウ遅いな」
「そうだね、確かに」
「寄り道してる姿が簡単に眼に浮かぶけど」
「それも確かに」
「むかえにいく?」
「あいつにむかえなんているかよ」
「なにしてんのかねえ」
「案外、シンイチに勝てるゲームをまだ探してるのかもな」
「ジロウにはゲームで負ける気はまったくしないんだよね」
「おしなべて下手だからな」
「シンイチくん、たまには手加減してあげたら?」
「そうすると怒るんだよ」
「それでもだいぶ手加減してると思うぜ、おれから見ても」
「ミキオは上手いんだっけ」
「別に」
「そのわりに物言いがえらそーな……」
「ゲームによって違うけど、ミキオも下手だよ」
「下手じゃないって。上手くもねーけど」
「革命!」
「……ユキ、いきなりすぎない?」
「だって四枚そろってたから」
「序盤からかあ」
「マジで? おれの手札、そうなるとやばいかも」
「もしかしてトランプも下手?」
「下手とか関係ないだろ、いまの場合」
「あっ」
 黙っていたカナエが急に驚いたような声を出した。その視線は窓に向かっているので、みんなもつられて振りむいた。
「おーい」
 窓ガラスに顔を押しつけていたジロウは、笑って呼びかけてきた。
 ……なんで、二階の屋根に立ってんの?
 ジロウは窓を開けて部屋に入ってきた。
「なかなか気づかねーよな、お前ら」
「いや、なにやってんの?」
「家のそばに手ごろな木があったから登ってみた」
「あんたって……」
 転落して死んだらしいのに、なんで高い所に登りたがるんだ?
「で、ゲームは?」
「ああ、なんかあんまりいいのなかった。それより外いこう、外」
「執念はどこいったんだよ」
「大富豪やり始めたばかりだから」
「あっ、オレもまぜて」
「一回終わったらな」
 その回は、革命までしたのにユキが大貧民だった。それからジロウも参加してゲームを続けながら、あたしはミキオの様子を相変わらずちらちらうかがっていた。

「ミキオ、なにか悩んでるんじゃない?」
「え?」
 散々ためらったわりには、なんのひねりもない言葉で訊いてしまった。いまはここにはミキオとあたしのふたりしかいなかった。
 しばらく大富豪を遊んだあと、あたしたち六人は外へ出た。
 白熱しておもしろかったので、トランプは持ったままだったのだが、外にいくことをせっついたジロウに別段なにをするというアイデアもないのがわかると、それを考えるあいだトランプをしようといって、往来にすわりこんでまた大富豪をやりだした。
 これはさすがに場所が悪く、風に吹かれたり、通行人にカードを踏まれたりして邪魔くさいのでやめることにして、なにしようかと相談してると、自転車が通りかかったので、みんなでそれを奪いとることにした。
 荒っぽく自転車からおろされたおじさんは、なにごともなかったようにせかせかと進行方向に歩いていった。
 ジロウ、ミキオ、あたしが三人乗って遊び、みんなで走りまわってうろついた。
 ペンキを塗ってる人がいたので、その赤ペンキと刷毛をかっぱらった。手近にあった灰色の地味なマンションの壁に、落書きして遊ぶことにした。
「このメガネの人、誰?」
「シンイチ、それでこっちがカナちゃんで、これがミキオ」
「ああ、みんなを描いたのね」
「ミキオくんの身体ねじれちゃってるけど」
「これ、僕なのか」
「ジロウのその絵はなんなんだよ」
「カタツムリ」
「下手だなあ」
「うっせえ!」
「ていうか何でカタツムリ?」
 そんなふうにわいわい騒いだあと、そのマンションの中で鬼ごっこをすることになった。
 入口はオートロックだが、非常階段の方から簡単に入れた。
 鬼のシンイチくんが一階のロビーで百数えているあいだに、みんなはちらばった。
 ジロウとユキは階段を上っていき、他はエレベーターに乗った。このマンションは十階まであるようだ。カナエは五階で降りた。ミキオは九階で降り、あたしもそれについていった。
 ミキオはなにもいわずにこちらを見たが、ついてくるのを不審がってはいないようだった。
 ちょうど赤ちゃんを連れた女性が部屋に入ろうとしていたので、一緒に中に入った。
「部屋に隠れられたら見つけるのが大変だよな、鬼は」
 ミキオが居間のソファに寝そべりながらいった。その顔にはペンキの赤い斑点がついている。
 あたしは冷蔵庫にあったオレンジジュースをコップについでから、ソファのそばのガラステーブルに向かってすわった。
「あんまりずるくならないように、鍵は閉めずにおいたけど。……あ。何階で止まったか、表示を見られてたらわかるか。シンイチ、見てたかな。もし見てたらけっこうすぐにバレるかもな。逃げまわるスペースに余裕ないし、これだと鬼ごっこっていうか、かくれんぼみたいだな」
 あたしはうん、とか、そうだね、とかいい加減に返事をしていた。
 そして自分でも唐突に切り出した。
「ミキオ、なにか悩んでるんじゃない?」
「え?」
 女性が赤ちゃんをあやしている声が台所から聞こえた。
 あたしはぐいっ、とジュースを飲んだ。喉は渇かなくても、水分を通した方が喋りやすくなるような気がした。まあ、ただの気休めだ。
 どう話すか決めてなかったけど、もういいはじめてしまったので続けるしかなかった。
「だって、最近変でしょ。ぼーっとしてて。前もぼーっとしてるところはあったけど、今ほどのぼーっじゃなくて。いや、バカにしてるわけじゃないからね。
 つまり前は心配させるようなものじゃなかったけど、最近はおかしいってことをいいたいってことで。昨日の夜も先にいっちゃって、明らかに変で。でもみんなはなんかお気楽だし、カナエは心配いらないでしょとかいって、ミキオは普通に遊んでるし」
 困った。なんだか思ってたようには喋れてない。散らかっていた。
 ミキオは口を開けたままこっちを見ていた。
 別になんにもしてないのに自分の顔が赤くなっていくような気がしたけれど、幽霊だから赤くはなっていないはずだ。
「だからさ、その、功志くんのことよ」
 やっとその名を口にできた。なんでそれをこんなにためらってしまうんだろう。
「功志が?」
 あいかわらず寝そべったままで、平然としていた。
 だけど、その平然としたところがおかしいのだ。
 あたしも、カナエも、シンイチくんも、ジロウも、死んだまま遊んで、仲間がひとり消えても遊んで、それもみんなおかしなことかもしれないけど、いまのミキオはそれからも孤立している気がするのだ。
「功志くんがあんなことになって、それからでしょ? どうなの?」
 こういう訊き方をしたかったわけじゃなかったのに。人のことはいえない。あたしもデリケートな問題なんておよそ向いてない人間のようだ。
「どうっていわれても……。別にどうもしてないけど。まあ、あいつのおかげでやっぱり〈歯車〉に近づいたらいけないってのははっきりしたよな」
「じゃ、なんであんなふうに走っていったの? 振りきってもどんどん速いやつが出て来るのはわかってるじゃない」
「速くなるっていってもちょっとずつだろ? そんなに危なくもないよ。アレがなんなのか気になるから、いろいろ試してるだけで。走るのは好きだし」
「功志くんのこといってたよね。まだ生きてるとか」
「いや、生きてはいないんじゃないか? おれたちも生きてないんだし」
 ミキオは笑った。冷たい笑い方だった。
「──あたしは、いまのあたしたちが生きていないなんて思ってない。特殊な形ではあるかもしれないけど。こうやって話してるのに、死んでるなんていえるわけないじゃない。……えーっと、違う、そんな話じゃなくて。功志くんが生きてるとはいわなかったかもしれないけど、それと似たようなことはいってたよね?」
「ああ、まあそういう空想だよ。そうだったらいいなって」
「……やっぱり功志くんに生きててほしいのね」
「え? まあ、そうかな」
 なんだか安心した。
 あたしは、功志くんのことを悲しんでいないかもしれない。他のみんなも平気でいるように見えた。そのことに戸惑っていたのだ。
 もしかしたら、あたしはミキオを心配しているのではなく、悲しんでいることを確認したかっただけなのかもしれない。
「でも、いなくなってよかったとは思うだろ?」
「え?」
 ミキオはソファから降りて、テレビをつけた。
「そうだろ? みんなうんざりしてたもんな」
「それはそうだけど……。でも、あんなふうに」
 消えて、しまうなんて。
「自業自得だろ。自分から突っこんでいったんだ」
「ミキオ。落ちこんでたんじゃないの?」
「なんで?」
「だって一番仲がよかったし」
「そうだっけ?」
 ミキオはテレビを見ながら意外そうにいった。とぼけてるのではなく、本当に不思議がっているような感じだった。
「おれはそもそもなんでみんなが功志がいなくなってせいせいしたってことをいわないのかわからないけど。あいつ、シンイチを屋上から突き落としたんだぜ」
「それは……でも、確証はなかったんでしょ? シンイチくんはなにもいってないし。事故だったかもしれないじゃない」
「おれはやったと思ってるけど」
 ミキオはテレビのチャンネルをリモコンでかえだしたが、内容に興味はなさそうだった。
 しかし突き落としたことに特別ひっかかるというのも、おかしな話だった。あたしたちは麻痺した感覚のまま、もっととんでもないこともしていなかっただろうか。
 真剣なことと、笑ってすませられるようなこととの境目が、あたしにはよくわからなくなっていた。
「さっき生きていてほしいっていったじゃない」
「消滅することはねーだろ、って気持ちがあるだけだよ。自分もいつかそーなるかもって考えると怖いしな。おれたちの前からいなくなったのはいいことだよ。あのままだと、どこまで悪化するかわからなかった」
 赤ちゃんを別の部屋に寝かしてきたらしい女性がリビングに入ってきて、テレビを消した。いや、つけたのだろう。ソファにすわって画面を眺めている。
「鬼、来ないな。もう出るか」
 そういってミキオはさっさと出口に向かった。
「また今日も先にいくの?」
 ついていきながらあたしは訊いた。夜のことをいっているのは伝わったようだ。
「さあ。気が向いたらかな」
 ミキオは玄関のドアの把手に手をかけたが、なにかを考えるようにして動作を止めて、不意にこちらをふり返った。じっ、と眼が合う。
「──サチ、眠りたいと思ったりする?」
「……眠りたい?」
「うん。……いや、ないなら別にいいんだけど」
 顔を伏せてぼそぼそと呟いていた。
 なんだかさっきまでとは違ってひどく心細そうな様子だった。
 どういう答えを望んでいるのかとっさに浮かばなかったので、そのまま正直に答えた。
「眠りたい……。うん、あるよ。ゆったりと夜を過ごしたいって。それだけじゃなくて、食べたり飲んだりを楽しみたいとか、学校にも通いたいとか、家族を持ちたいとか。普通に生きたいって、そう思ってるよ。でも、それが無理なら、せめてみんなで楽しく暮らしたい。そう願ってるよ」
 結局いえたのは平凡なことだ。
 ミキオは「……そっか」とだけつぶやいてドアを開けて出ていった。
 あんまり無愛想すぎないかそれ、と落胆すると、なぜかミキオはまた戻ってきた。
「ど、どうしたの」
「いや、コレ」
 手に持ったままだった黒くて細長いリモコンを示すと、ふりかぶって、放り投げた。
 あたしの頭上を飛んでいったリモコンは壁にぶつかり落下して、からからと床を滑っていった。
「じゃ、いこう」

 外廊下に出ると、シンイチくんがなにか大声を出しながらうろうろしていた。
「げっ」
「あっ、いた」
「鬼だっ、逃げろ!」
 ミキオとあたしが身をひるがえして逃げようとすると、シンイチくんがあわてて、
「待って待って、逃げないで! いまは鬼はジロウだよ! ていうか、そんなことより大変なんだよ!」
 といった。
 どうも様子が違っていた。
「大変って、なにが」
「いや、僕もよくわかんないんだけど……。なんか、ユキがさ」
「ユキが?」
 あたしはなにかわからないままもぎくりとし、不安がはいのぼってくるのを感じた。

 三人で一階のロビーに降りると、カナエがユキの肩に手をかけ、顔の高さをあわせるようにひざを曲げて、なにか話しかけていた。その横ではジロウが珍しく心配そうな様子で立っている。
「どう?」
 とシンイチくんが簡潔に声をかけた。
「うん……」
 とカナエはなんともいいがたい返事をして、背を起こして振り返った。
 そうしてこちら側からは隠れていたユキの顔がはっきりと見えた。
 それは奇妙だった。はっきりと変わったところが見てとれたわけではないのに、なにか、違和感を抱かせるものだったのだ。
 まるでこの子と会うのはこれが初めてであるかのような。
「…………」
 あたしは呆然としてその顔を見つめていたが、はっと立ち直って、走り寄った。
「ユキ、どうしたの? なにかあったの?」
「…………」
 ユキはなにも答えなかった。ただあたしの顔を見上げて、うっすらとした表情を浮かべるだけだった。
 笑み……だろうか、これは?
「なにを訊いても喋らないの」
「どういうこと? なにかあったの? シンイチくんは、ただ変とだけしか……」
「いや、おれと一緒にいたんだけどよ──」
 ジロウが困ったように説明しだした。
 それによると、鬼ごっこがはじまりジロウとユキは階段をかけ上がってから、鍵の開いていた家に出入りしながら中にいた人にちょっかいを出して遊んでいた。そのときはなにも異常はなく、ユキはジロウの真似をしたりしてはしゃいでいた。
 四階をうろうろしているときにシンイチくんが現れてふたりは逃げた。シンイチくんは捕まえそこねて、ふたりは非常階段を今度はかけ下りた。そのまま一階まで下り、ジロウはシンイチくんからぐるぐる逃げまわっていた。そしてふと気づくとユキがぽかん、と立ちつくしていたらしい。
「なにそれ?」
「それでシンイチがみんなを呼びにいって──」
「カナエがサチたちはもっと上にいったっていうから探しにいって──」
「ユキがなんでこうなったか、結局全然説明になってないじゃない」
「そうなんだよ。わかってないんだよ……」
「落ちつかない様子だから、てっきりあんたがなにかしたのかと思ったわよ」
 ジロウはぽりぽりと頭をかいた。
 ミキオがユキに話しかけているが、相変わらずなにも答えない。ただ相手の顔を見上げるだけだ。
「でも……これって、どういう状態なのかしら……」
 虚ろな雰囲気さえ漂わすユキを見ながらあたしは呟いた。
 ユキの顔を見たとき心底うろたえたけど、どうしてなのかよくわからない。
 これがどういう事態なのか、大変なことなのか、それともユキの気まぐれであったりするのか──そんな感じは全然ないけれど──まったくつかめてないのに。
 もちろん明るかったユキがまったくしゃべらなくなったなんて、それだけで変な事態だけれど、そんなことを知る前からあたしはひどく揺さぶられていた。
「病気かな」
 とシンイチくんはいった。
「病気って……幽霊に?」
「違うかな。うーん……」
 シンイチくんは首をかしげた。
「しゃべれない、なのかな? しゃべらない、なのかな?」
 ふう、と息をついてミキオがユキへの呼びかけを中断した。
「まあしゃべろうと努力している感じはないけど……。そういうよりは、正常な意識があるのかどうかってことじゃないか?」
 ユキはなにもない空間をとろん、とした眼で見つめて曖昧な表情を浮かべている。
「たしかにこの様子は正常ってふうにはいえないかも……。なんか、変っていうか」
 とあたしはいった。いってからさっきまでミキオに対して「変」だといっていたことを思い出した。他人の正気を疑ってばかりだ。
 不安な気持ちがふつふつとわいてくる。
 功志くんは消えてしまう何日も前から変になった。ミキオも、あたしの思い違いでなければだんだん変になろうとしている。そして今度はユキになんの前ぶれもなく変化が起きた。
 あたしたちはなにか、順番に蝕まれていく運命にでもあるのだろうか。
 そして、功志くんのことを大して悲しいと思えないように、ミキオが、ユキが、もしもいなくなったとしても、そのときあたしはなにも感じないのだろうか。
「…………」
 カナエはさっきから口元に拳を当てて黙っていた。しばらくそうしていたが、拳を口元からどけて、
「ぽかんとしていたってどんなふうに?」
 とジロウに訊いた。
「いや、気づくと、こう、なんだろ。いまみたいなよくわかんない感じで」
「──どこに立ってたの?」
「……えーと、この辺か」
 ジロウは少し歩いて壁に近づいた。べつになにか変わった場所でもない。
「どっち向いてた?」
「どっち?」
「うん、方向」
 ジロウは記憶を探るようにしながら身体の向きを変え、エレベーターの方を向いた。
 そこにはさっき話している最中に入ってきたランドセルを背負った男の子がふたり、エレベーターを待って立っていた。
「エレベーターを見ていたってことかしら」
 カナエは片手で本をぶらぶらさせながらいった。なんだか探偵じみている。
「それ、関係あるの?」
「さあ。けど他にとっかかりがないし」
 男の子ふたりはなにか話しながらエレベーターに乗りこんだ。
「──もう下校時間か」
 カナエは考えながらユキに歩み寄った。
「ユキ、もしかして誰か見たの?」
 ユキはやはり答えない。
「誰かって?」
 ミキオが怪訝そうに尋ねた。
「わからないけど……生きてたときの知りあい、とかかな」
「まさか」
 あたしは思わずそういった。
 あたしたちは生前かかわりのあった人物に出くわしたことがない。といっても、記憶がないのでわからないのだけど。会っても気がつかなかったのかもしれない。
 けれど、もしもユキがそういった人を発見して、それで様子が変なのだとしたら──これは初めての〝遭遇〟ということになる。
 偶然入ったこのマンションで? ──いや、あたしたちはいつも気まぐれに行動しているから、なにかが起こったとしても全部偶然みたいに思えるかもしれない。
 でも──
「そういや……」
とジロウが思い当たったようにいいだした。
「たしかに、エレベーターの方に引きよせられるように歩こうとしてた気がする」
「さっきはそんなこといってなかったじゃない」
 あたしの口調は自分でもとげとげしいと思うようなものだった。ジロウを嫌ってるというわけではないのに、こうなってしまうことがあった。
「ほんとにちょっとした動作でよ──。なんか雰囲気が違って、わかるだろ、で、どうしたって手をかけたらすぐに立ち止まったんだ」
「じゃあやっぱりエレベーターに乗る誰かを見てこうなったわけか」
「でも──それと、喋らなくなることと、どうつながりがあるの?」
 誰も知っているわけがなかった。
 そもそもあたしたちの存在している状況はわからないことだらけなのだ。
「──探してみようか、その人を」
 カナエが好奇心を示しながら提案した。
「そうだね。このマンションにいることは確かなんだから」
 シンイチくんが同意した。
「かたっぱしから見てまわるのか? 戸締まりされてたら困るな。そもそも見つけたとして、そいつがそうだとわかるのか?」
 ミキオが訊いた。
「それはユキを見てれば大丈夫じゃない? なにか反応を示す可能性は大きいと思う」
 それで、探索がはじまることになった。
 あたしたちは二階から探しはじめた。エレベーターを使うくらいだから高い階かもしれないが、そうであるとも限らない。
 エレベーターを待つのは面倒なので、非常階段を使った。
 鍵の開かないドアは無視し、とりあえず入ることの出来るところから調べていくことにした。
 部屋に入り、そこの住人をユキに見せる。しばらく待ってもなにも反応がないなら次にいく。その繰り返しだった。
 意外に不用心な家は多かった。しかし今のところどういった反応もユキは見せなかった。
 この行為に意味があるのか疑わしくなってくるが、やめる気にはならない。暗くなりきってしまうまでに間にあわなければ明日も続けようということになった。どうせあたしたちには時間はあり余るほどあるのだ。
「それにしても、以前と似ているわね」
 ようやく八階にまでさしかかったとき、カナエがユキを見ながらいった。
「ああ」
 とミキオもうなずく。
 あたしはなんのことだかわからなかった。
「似てるって?」
「あのときの──最初に見たときのユキもこんなふうだったじゃない」
 ──いわれて思い当たった。
 初めて会ったような顔という印象は間違いだ。このぼんやりと虚ろな表情をあたしたちは一度見たことがある。
 功志くんが消えたあとにユキを見つけたとき、ユキは意識があるのかどうかもわからない様子で人形のようにのろのろとさまよっていた。そのときの表情だ。
 それでみんなで声をかけ、つかまえると、「あれ?」という呟きを皮切りに、空っぽの亡者からあたしたちの知るようになる元気な女の子になった。
 一ヶ月たって、あのときにまた逆戻りしてしまったというのだろうか。
「あたしも一緒にいればよかったな……」
 あたしがミキオに、余計なお世話かもしれない問いつめをしているときに、ユキになにかあったのだ。それを考えると後悔にとらわれた。一緒にいたからといってなにができたとも思わないけれど……。
「ごめんな」
 とジロウが謝った。落ちこんでいるようだった。
 あたしはそんなことは予期していなかったのでびっくりした。普段はなにをいってもけろっとしているのに。
 ジロウはユキと一緒にいたというだけなのに、負い目を感じているらしかった。
「え……あ、いや、別に責めたわけじゃないのよ。そもそもジロウ、全然悪くないでしょ。あたしがいたからって──なにも変わりはなかったと思う」
 うろたえながらいった。ミキオのこともユキのことも心配しているようにふるまっていながら、自分のことばかり考えている気がして恥ずかしくなる。
「悪くないよ。僕だっていたんだから」
 とシンイチくんがいった。
「ジロウを追っかけまわしてばかりで、ユキに注意向けてなかったし。だから、僕も」
「誰も別に悪くねーよ。そういうのはもう、やめとこうぜ」
 とミキオが穏やかにいった。
 それでみんなはその話はやめて巡回をつづけた。
 八階は二軒だけ開いていたが、ここでも反応はなかった。
 次は九階。
 端から順番に調べていく。一軒は反応なし。一軒は鍵がかかっていた。そうしてあたしとミキオが入りこんでいた部屋まで来た。ここも反応なし。
「この階にもいなかったら、あとは十階か、それとも閉まっていたところか」
「……推測、間違っていたかもしれないね」
 次の部屋も鍵は開いていた。あたしたちはドアを開いて中へ入った。
「まあ最後までやってみようよ。ダメだったらそれから考えよう。何日か通ってもいいし」
 シンイチくんがいって、みんなでどやどやと廊下を歩いてその家の居間になだれこんだ。
 ユキの反応を見るまでもなかった。
 ユキが見た人物というのが、すわってお菓子を食べているその子だということは明らかだった。
「…………」
 あたしはまたも呆然としてしまって、その子を見つめていた。みんなも同じような様子だ。
 ランドセルを床に放り出したままのその子は、皿に盛られたビスケットをおいしそうに食べていた。ぽろぽろ落ちたかけらを、かがんで拾い、口に入れた。口のまわりにも細かいかけらがついている。
 その唇の形はユキとそっくりだった。小ぶりな鼻も、くりっとした眼も、額の丸みも。そういうよりも、なによりも全体の印象というか調和というか、それがまったく瓜二つで、ユキと見分けがつかないといっていい顔だった。
 違っているのは髪の長さと服装だけだった。
 ユキはふらふらと鏡像のような顔を持つ相手へ歩いていった。
 どうしたらいいのか判断がつかなくて、ただ眼の前の光景を眺めていた。そのまま、ユキがどこかに連れ去られていくような気持ちをなぜか感じながら。
 けれどもユキの行動はそこまでだった。
 ただ近づいて、隣にすわっただけ。それ以上なにかをする様子はなかった。
 あたしはなんとなく、猫が自分のなじみの場所に、ひなたぼっこにちょうどいいお気に入りの空間に居すわるような、そんな姿を想い浮かべていた。
「……どうする?」
 しばらくしてミキオがいった。
「……どうっていっても」
 みんなまごついているようだった。
 キッチンから誰かが立ち働いている物音がきこえる。年配の女性が食事の準備をしていた。
 あたしはなんとなく居間を見まわした。すみずみまで見通したわけではないけど、テーブル、ソファ、カーテン、テレビ、壁時計、棚、とようするになんの変哲もないものばかり眼に映った。
 ただ、棚の上に写真立てがあった。
 それにはいまよりも少し幼いふたりのユキが写っていた。親しげに肩を組んで笑っている。
 ミキオが窓の外を、そして時計を見た。
「……とにかく連れ出そう。もうすぐ〈歯車〉がやって来る」
 確かにもう夜が近づいていた。

 マンションを出て空を見てみると思ってたよりずっと暗くなっていた。
 狭い屋内で〈歯車〉に出現されると逃げ場がなくなるかもしれない。だからいつもはもっと早めに屋外に出て待つのだが、今日は探索に夢中になっていて、それはけっこう危険なことだったともいえる。
 ユキは連れ出されることに抵抗はせず、手を引くと素直についてきた。ただ口を開くことはなかった。
「双子がいたなんてね」
 背後の離れて歩いてくる〈歯車〉を、そしてあたしが手をひいているユキをうかがいながらカナエがいった。
 今夜はしんがりの見張り役はミキオがしている。……それも少し心配ではあった。
 けどいきなりなにかしでかすような気配ではなかったし、いまはユキのことが頭を占めていた。
「あたし、てっきりユキの家族もみんな死んじゃったのかと思ってた」
「少なくともあの子は助かったみたいね」
「あの子だけ、なのかな。他には──」
「──両親は亡くなったと思う。焼け跡から運び出されていた遺体が、たぶんそうだった」
「……そうよね、やっぱり。三人だったもんね。ユキと、母親と、父親か……。じゃあ、あのマンションの人は、本当の親じゃないのね」
「里親……なのかな。親戚とかかもしれない」
「あの子、なんで無事だったんだろ」
「運良くその日だけ他の場所に泊まっていたとか──。もともと別々に暮らしていたのか」
「そんなことあるの? いやでも──。うーん……」
「まあ調べようと思えば調べられるんじゃない? 直接訊くことはできないけど──。新聞とかにもあの火事は載っただろうしね」
 新聞?
 ……そういえばそんなこと、考えたこともなかった。ユキのことも載っている? じゃあユキが生きていたころ、どんな子だったのかもわかるということだろうか。
 そうだ、他のみんなはともかく、ユキは死んだ直後で状況もわかっていたのだから、特定しようと思えばそんなに難しいことではないのかもしれない。
「…………」
「まあそれがわかったからといって、どうなるものでもないかもしれないけどね」
「──うん。そうよね、どうしたらいいんだろ」
「なあ、明日になったら、またユキをあの子のところに連れていこうか」
 後ろでシンイチくんと話しあっていたジロウがいってきた。神妙な表情ではあったが、もうそんなに落ちこんではいないようなのでほっとする。
「ユキもそうしたいのかもしれないし」
「……そうなのかな」
 あたしはユキを見た。ユキはただ黙って歩いている。
「あの子と会ったから、おかしくなったみたいなんだよ?」
「でもさっきのを見るとさ。一緒にいたがってただろ?」
「あれ、ユキの意志なのかな」
 ミキオが身体は〈歯車〉の方に向けたまま首だけこちらに向けていった。
「催眠術かけられたみたいで、おかしいじゃんか」
「そうはいっても肉親が見つかったのは初めてだろ。好きなだけ一緒にいさせた方がいいんじゃないか?」
「まあ、とりあえず明日はそうしてみようか」
 カナエもそういって、ミキオも結局は同意した。
「けど僕らも、家族に出会ったらこんなふうになるのかな?」
 シンイチくんが疑問を口にした。
「忘れているから会ってもわからないのかと思ってたけど、じゃあまだ僕たちは〝遭遇〟したことがないだけってことなのか」
「そうとも限らないんじゃない?」
 とカナエがいった。
「双子っていうのは特別なつながりがあるっていうからさ。神秘的な話が世の中には色々あるみたいだもの。片方が怪我をしたとき、遠く離れた場所にいたもう片方も、同じ位置に同じ傷を負ったとか、もっといえば、同日同刻ぴったりにふたりとも亡くなったとか。だからユキも、なにかそういう力に引きよせられているんじゃないかしら」
 カナエは時折、こういった話をとうとうと語ることがあった。
「ユキは死んだのにあの子はぴんぴんしてるじゃん」
「見られてから初めて引きよせるなんて、その力頼りなくねーか」
 ミキオとジロウに口々につっこまれるが、カナエは仮説を語ってもそれにこだわったりはしないので、てんで動じない。そういうところはなんかずるい。
「双子って怖いなあ。僕にもいたらどうしよう」
 シンイチくんは心配そうに、真剣に困ってるように呟いた。
 タイミングのせいもあったのだろうか。
 そのおろおろした語調はどこか場違いに聞こえて、ミキオとジロウがいきなり爆笑し、あたしもシンイチくんにというよりはその突然の爆笑につられて吹きだしてしまい、カナエも声は出さなかったが微笑んでいた。
 シンイチくんは少しむっとしたようだったが、その様子もまわりの笑いに拍車をかけて、しかもミキオとジロウがふたりがかりでくすぐりだし、「ぼふっ、ふひゅふっ」とか変な声を出して笑ってしまうにいたり、うやむやになった。
 ユキもあたしには笑っているように見えた。眼の前の光景と関わりのある表情なのかは、わからないとしても。
 ときおり自分たちのことを考えていると、暗い物思いに陥ってしまうときがあった。それでも、不意に起こるような、楽しみを共有するような笑いはさまたげられることがなく、絶えずそれは表れるチャンスを待っているみたいだった。
 あたしにとって、それは安らぎをおぼえる変わらなさだった。

 ところでミキオは途中から完全に見張り役をサボっていたが、その夜は〈歯車〉は走りだすこともなく歩きつづけで、夜明けになるまでなにごともなく、いつもどおりに夜を越えることができた。
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