第1話 持ち込み企画(その2)
文字数 2,176文字
(1)持ち込み企画 <続き>
「それでは、私から始めます」そう言って、ミゲルが持ち込み企画について話し始めた。
「私の持ち込み案件は『おじさんへの意識改善プロジェクト』です」
ミゲルが言った瞬間にルイーズが×のプレートを上げた。
ミゲルはルイーズの×を一瞥(いちべつ)したものの、平静を保って話しを続ける。
どうやら、全員が×プレートを出すか、本人の心が折れるまでプレゼンし続けるルールのようだ。
「近年、ダイバーシティ(diversity :多様性)を重視する傾向が世の中に広がり、人種による差別撤廃、女性の地位向上、LGBTQ(Lesbian, Gay, Bisexual, Transgender, Questioning)の社会的地位も改善しています。会社に提出する履歴書には人種、年齢、性別を書かなくなりましたし、同性婚も認められるようになりました」
「知ってる!」と誰かが言った。
「その一方、おじさんはどうでしょうか?」そう言ってミゲルはメンバーを見渡した。
ロイが×のプレートを上げたが、ミゲルは見なかったフリをしてプレゼンを続ける。
「世の中には様々なハラスメントが氾濫しています。パワーハラスメント、セクシャルハラスメント、モラルハラスメント、マタニティハラスメント。弱者を守るためにハラスメントへの対応は必要だからです」
「そうだ!」と誰かが言った。
「一方、おじさんは、怒られることはあっても、守られることはありません。例えば、誰かがおじさんに嫌がらせをした場合、何ハラスメントなのでしょうか?」
ミゲルはメンバーを見渡した。今度は×のプレートの数は増えなかった。
他のメンバーはとりあえず様子見だ。
「この世の中には『おじさんには何を言ってもいい! 差別してもいい!』という暗黙の認識があると思うのです。娘が年頃になってくると、おじさんの洗濯物は別に洗われるでしょう?」
「臭いからだよ!」どこからか野次(やじ)が飛ぶ。
ミゲルは野次に負けずに話を続ける。
「おじさんは匂いが臭い。おじさんはいびきがうるさい。昔は親子揃って川の字で寝ていたのに、今は寝る場所も別です」
「臭いからだよ!」どこからか野次が飛ぶ。
「極め付けは熟年離婚です。今まで家族のために一生懸命に働いてきたのに、定年したら離婚届を突きつけられるのです。諺で『お金の切れ目が縁の切れ目』と言いますが、酷いと思いませんか?」
「ずっと離婚したかったんだよ!」どこからか野次が飛ぶ。
またミゲルはメンバーを見渡した。
スミスとポールは悲しい目をしたミゲルを見つめている。
この2人はミゲルの味方かもしれない。
「女性ばっかり優遇されていませんか? LGBTQばっかり優遇されていませんか?」とミゲルは言った後、少し間をおいてプレゼンを続けた。
「おじさんだって、チヤホヤされたいんです!」
※ミゲルの個人的な意見です。
「金払ってキャバクラ行けよ!」どこかから野次が入った。
ミゲルは野次に負けずに、話を続ける。
「若い時は人間としての尊厳はあったはずなのに、おじさんになると人間として扱われません。部長、今はいいですよ。でも10年したら、立派なおじさんです」
ついに俺はミゲルの話に巻き込まれた。いい迷惑だ。
「部長は『おおじ(王子)さん』と言われていますよね? でも、10年したら『おじさん』と呼ばれます。『お』が一つ無くなっただけですが、意味合いが全然違いますよね?」
※正しくは『おおじ』ではなく『おうじ』です。
既に俺は陰で「おじさん」と言われている。
俺は辛抱強くミゲルの話を聞いているのだが、企画の趣旨がよく分からない。
そろそろ、軌道修正するか・・・
「ミゲルの気持ちは分かるよ。大変だったよね。それで、ミゲルは何を調査したいの?」と俺は優しくミゲルに聞いた。
「おじさんを人間として認めてもらうための調査です。おじさんの尊厳を取り戻すための方策を調査によって明らかにし、実施すべきではないでしょうか?」
俺はついに×のプレートを上げた。
ガブリエルもつられて×のプレートを上げる。
この時点で過半数の反対となったため、ミゲルの持ち込み企画は却下となった。
だから俺は宣言した。
「却下!」
「どうしてですか?」必死に食い下がるミゲル。
「だーかーらー、金払ってキャバクラ行けよ!」また、どこかから野次が入った。
ミゲルは目に涙を溜めている。ついに心が折れたようだ。
「今の野次は俺じゃない。でもさ、おじさんの待遇を改善するのは、内部調査部の仕事じゃない。ミゲルが頑張っていれば、みんなも認めてくれるはずだよ」
俺はミゲルに優しく言った。
これ以上ミゲルに酷いことを言うと、本当に泣いてしまう・・・
― 持ち込み企画のプレゼンは人の心を破壊する
俺は今になってこの持ち込み企画の危険性を悟った。
メンバーの信頼にヒビが入ることは避けるべきだし、何よりも大人な対応をするべきだ。
それに、俺たちは有意義な会議をしなければいけない。
だから、俺はメンバーに言った。
「みんな、さすがに今の野次は言い過ぎだと思う。ミゲルも頑張って考えたはずだ。これから提案する人のためにも、野次を飛ばすのはやめないか?」
メンバーは下を向いて黙り込んだ。
それでも俺は、俺の願いがメンバーに通じたように感じた。
<続く>
「それでは、私から始めます」そう言って、ミゲルが持ち込み企画について話し始めた。
「私の持ち込み案件は『おじさんへの意識改善プロジェクト』です」
ミゲルが言った瞬間にルイーズが×のプレートを上げた。
ミゲルはルイーズの×を一瞥(いちべつ)したものの、平静を保って話しを続ける。
どうやら、全員が×プレートを出すか、本人の心が折れるまでプレゼンし続けるルールのようだ。
「近年、ダイバーシティ(diversity :多様性)を重視する傾向が世の中に広がり、人種による差別撤廃、女性の地位向上、LGBTQ(Lesbian, Gay, Bisexual, Transgender, Questioning)の社会的地位も改善しています。会社に提出する履歴書には人種、年齢、性別を書かなくなりましたし、同性婚も認められるようになりました」
「知ってる!」と誰かが言った。
「その一方、おじさんはどうでしょうか?」そう言ってミゲルはメンバーを見渡した。
ロイが×のプレートを上げたが、ミゲルは見なかったフリをしてプレゼンを続ける。
「世の中には様々なハラスメントが氾濫しています。パワーハラスメント、セクシャルハラスメント、モラルハラスメント、マタニティハラスメント。弱者を守るためにハラスメントへの対応は必要だからです」
「そうだ!」と誰かが言った。
「一方、おじさんは、怒られることはあっても、守られることはありません。例えば、誰かがおじさんに嫌がらせをした場合、何ハラスメントなのでしょうか?」
ミゲルはメンバーを見渡した。今度は×のプレートの数は増えなかった。
他のメンバーはとりあえず様子見だ。
「この世の中には『おじさんには何を言ってもいい! 差別してもいい!』という暗黙の認識があると思うのです。娘が年頃になってくると、おじさんの洗濯物は別に洗われるでしょう?」
「臭いからだよ!」どこからか野次(やじ)が飛ぶ。
ミゲルは野次に負けずに話を続ける。
「おじさんは匂いが臭い。おじさんはいびきがうるさい。昔は親子揃って川の字で寝ていたのに、今は寝る場所も別です」
「臭いからだよ!」どこからか野次が飛ぶ。
「極め付けは熟年離婚です。今まで家族のために一生懸命に働いてきたのに、定年したら離婚届を突きつけられるのです。諺で『お金の切れ目が縁の切れ目』と言いますが、酷いと思いませんか?」
「ずっと離婚したかったんだよ!」どこからか野次が飛ぶ。
またミゲルはメンバーを見渡した。
スミスとポールは悲しい目をしたミゲルを見つめている。
この2人はミゲルの味方かもしれない。
「女性ばっかり優遇されていませんか? LGBTQばっかり優遇されていませんか?」とミゲルは言った後、少し間をおいてプレゼンを続けた。
「おじさんだって、チヤホヤされたいんです!」
※ミゲルの個人的な意見です。
「金払ってキャバクラ行けよ!」どこかから野次が入った。
ミゲルは野次に負けずに、話を続ける。
「若い時は人間としての尊厳はあったはずなのに、おじさんになると人間として扱われません。部長、今はいいですよ。でも10年したら、立派なおじさんです」
ついに俺はミゲルの話に巻き込まれた。いい迷惑だ。
「部長は『おおじ(王子)さん』と言われていますよね? でも、10年したら『おじさん』と呼ばれます。『お』が一つ無くなっただけですが、意味合いが全然違いますよね?」
※正しくは『おおじ』ではなく『おうじ』です。
既に俺は陰で「おじさん」と言われている。
俺は辛抱強くミゲルの話を聞いているのだが、企画の趣旨がよく分からない。
そろそろ、軌道修正するか・・・
「ミゲルの気持ちは分かるよ。大変だったよね。それで、ミゲルは何を調査したいの?」と俺は優しくミゲルに聞いた。
「おじさんを人間として認めてもらうための調査です。おじさんの尊厳を取り戻すための方策を調査によって明らかにし、実施すべきではないでしょうか?」
俺はついに×のプレートを上げた。
ガブリエルもつられて×のプレートを上げる。
この時点で過半数の反対となったため、ミゲルの持ち込み企画は却下となった。
だから俺は宣言した。
「却下!」
「どうしてですか?」必死に食い下がるミゲル。
「だーかーらー、金払ってキャバクラ行けよ!」また、どこかから野次が入った。
ミゲルは目に涙を溜めている。ついに心が折れたようだ。
「今の野次は俺じゃない。でもさ、おじさんの待遇を改善するのは、内部調査部の仕事じゃない。ミゲルが頑張っていれば、みんなも認めてくれるはずだよ」
俺はミゲルに優しく言った。
これ以上ミゲルに酷いことを言うと、本当に泣いてしまう・・・
― 持ち込み企画のプレゼンは人の心を破壊する
俺は今になってこの持ち込み企画の危険性を悟った。
メンバーの信頼にヒビが入ることは避けるべきだし、何よりも大人な対応をするべきだ。
それに、俺たちは有意義な会議をしなければいけない。
だから、俺はメンバーに言った。
「みんな、さすがに今の野次は言い過ぎだと思う。ミゲルも頑張って考えたはずだ。これから提案する人のためにも、野次を飛ばすのはやめないか?」
メンバーは下を向いて黙り込んだ。
それでも俺は、俺の願いがメンバーに通じたように感じた。
<続く>