第4話 薄明かりに伸びる自分の影……

エピソード文字数 1,743文字



 五郎はチンピラの頭である。立ち退きを迫り、やりたい放題したい放題。しかし、今度という今度は、もう堪忍できねえ、と八っつあんは腹が煮えくり返っている。
 トメには、五郎が息子に思えているらしく、五郎が乱暴狼藉を働いても、三太ったらと笑っている。今回のことだってそうだ。思い出の長屋をめちゃくちゃにされても、ダメねと笑うだけである。八っつあんは、ぐったりしているご隠居を見つめた。自分はまだいい。貧しいながらも、女房がいる。だけどご隠居はどうなる。心の支えの骨董品が、すべてなくなったのだ。こんな理不尽があっていいだろうか。

 八っつあんは、五郎に反抗することをひそかに決意していた。
「かたくなだと言われてもかまわない。頑張って手を尽くすのだ。全身全霊をあげて、ここに居残ろうや」
 八っつあんは、立ち上がって一席ぶった。「わたし、もう疲れちゃったわ」

 しかしヨネが顔を上げて、ぽつりと言った。唐突だった。しかし、ずいぶん長い間、考えていたらしい。言葉はなめらかであった。決意を込めた表情で、ヨネは、長屋の住人に言ったのである。
「田舎に息子夫婦がいるから、そこにやっかいになるわ。悪いけど、出て行くわね」
 あっしらを置いていくのか、と泣き崩れる八っつあんだった。
「命の取り替えっこのつもりで、みんなで五郎をやっつけようや。あっしらには、ここ以外にふるさとはねえんだからよ」

「巻き込まれるほうの身にもなってくださいな」
 ヨネの声は、固かった。笑顔のかけらも見えない顔から、涙がほろほろこぼれていった。八っつあんが説得したにもかかわらず、その日のうちに、ヨネは小さな手荷物を持って、長屋を出て行ってしまった。

 午後、八っつあんは、疲れた我が身にむちうって、署に出向いた。そしていまの窮状を、警察に訴えた。が、警官は手を振って笑っただけだった。

「悪いが、あんなボロ家はもう長くないさ。お礼参りされるのは、イヤなんでね」
 しょせん岡っ引きに毛が生えた程度の警察だった。だからまるっきりアテにならないのだ。期待しただけ、ムダだった。八っつあんは、目の前が真っ暗になった。

 夕暮れ迫る街角で、八っつあんは、長屋に帰る道すがら、先行きのことをつくづく考えてみた。未来は暗い。この街角のように。薄明かりのともる道に長く伸びる自分の影。自分は、いったいどこに向かっているのか。

 ヨネさんは立ち去ってしまった。小鳥遊さんの刀は竹光。頼れるものは、なにもない。なーんにもない。善人など、どこにもいない。みんな早死にしてしまったのだ。いるのは自分のことしか考えない連中ばかりだ。
 このまま帰っても、闇に沈む長屋が待っているだけだ。飲もう飲もう。こういうときは、飲むに限る。

 八っつあんは、角をまがって飲み屋街に向かおうとした。いまから行けば、女の一人も抱けるだろうか。この年よりのために脱いでくれる女がいるとは思えないのだが。
「ちくしょう! この世に神はいねーのかよ!」

 八っつあんは、ヤケクソで拳を天にふりかざした。
 そのとき、三毛猫が目の前を通り過ぎた。その猫の行く先を見やると、小さな神社があった。人の悩みを解決してくれるという、猫又神社である。
 どうとでもなれ。

 八っつあんは、神社の方向に足を踏み入れた。一見したところ神社は小さく、ご利益があるのかどうかもよくわからなかった。小汚い注連縄が張ってあり、傾きかけた社殿が、その奥に見えた。朱塗りの社殿だったが、朱い漆がはげてバッタがとまっていた。入口に置かれているのは狛犬ではなく、威厳のある猫の像。さすが猫又神社と名乗るだけはある。

 オンボロの社殿の正面に立ち、八っつあんは、飲み代をすべてお賽銭箱に投げ込んだ。がらんがらんと鈴を鳴らす。パンパン、手を叩いて一生懸命、祈った。
「どうか、あっしらを助けて下せえ。お礼にマタタビでもなんでも、お供えするから」
 八っつあんは、祈りを終えた。

 だが、なんの変化もなかった。
 八っつあんは、少し気落ちしたが、すぐ気を取り直した。要するに、気は心である。神頼みだって、しないよりはマシだ。元気がわいてきて、長屋へ帰る足取りも軽かった。
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