その4 観客といっしょに歳をとること、あるいは/そして成井硝子店の再出発について

文字数 2,320文字

(2020/02/05)

 活動休止した劇団キャラメルボックスの成井豊氏が、「成井硝子店」として活動を再開するという。
 成井硝子店。なんて素敵な名前だろう。お祖父様のお店の名前らしい。

 キャラメルボックス、という名前が好きだった。
 正直に告白すると、キャラメルボックスの舞台のファンではとくになかったのだけど(ごめんなさい)、暗くて怖くて読みにくい名前が(いまでも)多い演劇界で、あえて「キャラメルボックス」と名乗った心意気が好きだった。
 ハーフタイムシアターという試みもいいと思ったし(まあそれ言うならサラなんてデフォルトがハーフタイム=1時間だけどね)、福島のことがあったとき、できるだけコンパクトな舞台装置を積んでかけつけたという、やっぱり「心意気」が好きだった。

 検索して、キャラメルボックスの最後のほうの頃の写真を見つけた。舞台写真ではなく、集合写真だ。
 若い俳優さん女優さんのキラキラした笑顔に囲まれて、成井氏が、はにかんだ笑顔を見せていた。

 きゅうにせつなくなって、画面を閉じた。

 偶然だけど成井豊さんは、私の高校の先輩なのだ。それもあって、ブレイクしたときの、若かった成井さんの顔を私は記憶してしまっている。
 キラキラしていた。あれをキラキラと言わずして、日本にキラキラはないだろうという感じのキラキラだった。
 そう、キャラメルボックスは永遠のキラキラだ。だから、成井硝子店。成井豆腐店や成井工務店じゃだめなのだ。ガラス店なのだ。
 それでいいのだ。

 でも、私には無理だ。

 自分史をふりかえると、中学時代はかるく暗黒だったけれど、高校時代は悪くなかった。ハッピーだったと言っていい。なにせ、いまも続いている友人たちと会えたのも、舞台の楽しさを知ったのも、高校でだったから。
 それでも、思い出すと苦しい。
 いちばん思い出したくないのは大学時代だ。やっぱり生涯の恩師にたくさん会えたりしているのに、ふりかえるといたたまれなくなる。

 ようするに私は、十三歳から二十三歳、いや、二十七歳くらいまでのあいだずっと、本当にアホだった自分が、いまだに直視できないのです。
 へんな生き物だったよ。サナギのようなものだった。
 あれをキラキラと言い張るのは、天が許しても、私が許さない。

 たんに、不安定だった。ふつうに、道に迷っていた。
「青春時代が夢なんて/あとからほのぼの思うもの」という歌があったけど(昭和だ)、私はいまもぜんっぜん、ほのぼの思わない。
 あれが夢なら、ほぼほぼ悪夢だった。

 人生が、重荷を背負って歩く道なら、その重荷のほとんどは、未来と名乗ってのしかかってくる時間の重さだ。

 だから、歩いてきて、残りの時間つまり背中の荷物がだんだん少なくなってきて、私は楽になった。
 ほとんど迷わなくなったのは、迷う時間がもうそんなにないからだ。

 私は現在、教師として生計を立てているけれど、ここだけの話、つくづく教師には向いていないと思う。
 未来という重荷を背負った若い人たちに寄り添い、輝かせてあげたい、などという「親心」が、まるでない。だって私そんな偉い人間じゃないんだもの。彼らのほうが立派だったり素敵だったりするんだもの。それも「若いから」じゃなくて、純粋に、人間として。
 私が彼らに教えられることなんて、なんだかんだ言ってもそのうちこんなふうに楽ちんになれるから、心配しなくても大丈夫だよということくらいだ。

 教え子ちゃんたちは私が見ているうちに自力でどんどん成長して、卒業していく。嬉しい。よかったよかった、と拍手して、思いっきりハグして、送り出す。
 すると4月、また新しいキラキラたちが入ってくる。
 おんなじような話を、ゼロからくりかえす。

 これが私にはきつい。

 いっぽう、サラのお客さまたちは年齢層がばらばらだ。現時点でまだ若い人たちもいるし、私より年上の方々もいる。だけど、ひとつだけ言える。旗揚げ当初からならまるまる十年、そうでなくても五年でも、三年でも、皆さんと私はいっしょに歳をとってきている。

 それが嬉しい。
 誰も、「卒業」していかない。

 もちろんさまざまな理由で離れていくひとたちはいる。でもそれは「卒業」とはちがう。
 何と言ったらいいのかな。これは、「卒業」された経験がある人でないとわからないかもしれない。
 つまり、置いてきぼりになるのだ。自分だけが取り残される感覚。去っていく渡り鳥の群れを、地上から見上げている感覚。胸にあいた穴。
 新しい鳥が来る喜びで、その穴を埋められる人は、それでいい。私には、それができない。
 私もいっしょに飛んで行きたいのだ。
 たとえそれが、老いへ向かって、死へ向かってであろうと。

 だから、かつて教え子だった人たちが社会人になって、もう学校とは関係なく観に来てくれると、泣きたいくらい嬉しい。
 もう「先生」じゃないのが嬉しい。こう思ってしまう段階で、私はほんとに教師に向いていない。リードなんかするより、肩を並べて抜きつ抜かれつしたい。それが楽しい。
 いつかは私のほうが抜き去られるのがわかっていても、ふふ、それまでは負けないよ?なんて思う。

 成井硝子店の再出発を、私は心から尊敬する。エールを送りたいと思う。同時に、永遠のキラキラの宿命をも思う。永遠に若い観客を開拓しつづける、という宿命を。
 そして、サラの舞台を愛してくれている、ほんの、ほんの、ほんの一握りのお客さまたちに、しみじみと湧き出るような感謝をおぼえる。

 青春、朱夏、白秋、玄冬。
 演劇も、すべての季節のためにある。


付記(2021/5/25)
成井硝子店、この春(2021年3月)に無事、旗揚げ公演を打ったそうです。
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