第2話 圭吾とふたり

文字数 2,890文字

 圭吾は甘えん坊だった。遅生まれだから小さくかわいかった。靖とは家が近かった。新築の建て売りに、小学校に入る前にふたりの家族は越してきた。

 圭吾は真希と同じクラスになった。真希は背が高くしっかりした少女だ。父親がいないのだ。ふたりは仲がよかった。甘えん坊の圭吾にしっかり者の真希。真希は圭吾の世話を焼いた。ランドセルを忘れて帰る圭吾を真希は追いかけてきた。軽々と黒いランドセルを持って。ふたりははしゃぐ。靖は仲間には入れない。圭吾の家の前で別れる。圭吾の父親は喜んだ。
「もう、ガールフレンドができたのか?」

 圭吾の父親が、事故で亡くなった。線香をあげにいくと真希がきていた。圭吾に小さなぬいぐるみを渡して慰めていた。圭吾は葬式の間それを握りしめていた。靖はうらやましかった。父親は早く死ぬべきなのだ。

 靖は100点を取らないと怒られた。95点でも怒られた。口答えすると殴られた。母はかばった。父はかばった母まで殴った。靖は優等生でいなければならない。

 父親の死後、不登校になりがちな圭吾を同じクラスの真希が迎えにいった。姉のような真希は圭吾の世話を焼き、送り迎えした。
 3年になるとふたりは別のクラスになり、同じクラスになった靖は圭吾に頼られた。母親にも頼まれた。甘えん坊の圭吾はからかわれたり、いじわるをされていたが、靖が友達になるとそれはなくなった。

 その頃ある事件が起きた。初めは軽いいたずら……幼い恋心だったのだ。夏休みに、真希がパン屋から出てきた。隣のクラスのしっかりした女子。頭もよく運動神経もいい。圭吾は真希を好きなのだ。靖はからかった。
「腹減ったな。パンもらってこいよ。彼女から」
圭吾ひとりならパンのひとつくらいくれただろう。しかし、後ろにいる靖の性格を真希は見抜いていた。圭吾に付き合うのをやめろ、と話しているのを聞いたことがある。真希はその日もそんな目をした。
 ムカついて、真希の持っていたパンを圭吾に奪わせた。奪って逃げた。圭吾は好きだからからかった。すぐに返すつもりだった。しかし袋には釣り銭も入っていた。大きな金額だった。
 取るつもりはなかったのだ。返してよ、と言われ圭吾は少し意地悪をしただけだ。あとで返しに行けばいいと……

 真希は怒って走って行った。大ごとになった。真希は母親に問い詰められ言わざるをえない。奪われたのは小銭ではない。圭吾が返しにいく前に母親は先生に電話した。その頃、靖はまだ、いい子だと思われていた。間違いでしょう、と言われ母親は靖の家に乗り込んできた。
 大ごとになった。父も母もいた。
「取ったのか?」
父に聞かれ、靖は取ってない、と何度も言った。
「僕、取ってない」
「嘘のつけない子なんですよ」
と母は信じた。
「末恐ろしい子」
真希の母親は靖をにらんで真希の手を引っ張って帰った。父は靖を信じた。助かった。
「あいつは父親がいないんだ。嘘つきなんだ」
うらやましい。父親は早く死ぬべきなんだ。
 圭吾は謝りに行き、靖をかばった。真希は会うたび軽蔑の目で靖を見た。

 6年になり、ついに靖は父親に刃向かった。殴られむかっていった。襖が倒れた。母が止めた。もう1度殴られた。母が腕に噛みついた。父は悲鳴を上げた。
 この家は崩壊寸前だ。父親もわかったのだろう。この息子は自分が寝ている間にバッドで頭を叩き割るかもしれない。妻に包丁で滅多刺しにされるかもしれない。
 嵐のあと(、、)の静けさ。父は暴力を振るわなくなった。母は離婚のための準備を始めた。

 靖は優等生だ。勉強はできる。運動神経もいい。顔もいい。女子には人気がある。しかし男子はわかっていた。靖の鬱屈を。時々乱暴に机を叩いた。仲のいい父子を見ると唾を吐いた。男子の大半はおそれたが、ヤッ君、ヤッ君と機嫌を取り、逆らわなかった。数人は子分だった。彼らの中では靖は父親と同じだった。気前よく奢り、ふざけているふりをしながら本気で蹴った。気に入らない男子には、給食を配る時に熱いスープを指にかけた。手が滑ったと。階段から突き落とした。

 子分たちは靖のために気に入らない相手をいじめた。上履きを隠した。ノートにいたずらした。女子トイレに押し込んだ。カンニングをしたと言いふらした。靖は見ているだけだ。

 ある朝、教室に行くと靖の机や貼ってある絵が、絵の具で悪戯されていた。ひどい状態だった。先生が皆の前で、
「あなたはこんなことをされるようなことをしたの?」
と聞いた。靖は答えられなかった。それでも女子は同情した。女子には手を出したことはない。靖が妬まれたせいだと思っている。女子は机を拭いてくれた。靖のために喜んで。

 それからしばらくして、先生が皆の前で言った。
「男子が大勢、あなたがいじめをしてるって言いにきたのよ。本当なの?」
 思い当たる。言いつけたのはあいつだ。あいつも。しかし靖は何も言えなかった。もはや孤立した。落書きされた時に悔い改めないから……

 孤立……靖は思い知った。女子もよそよそしくなった。自分は弱い人間だ。父親と同じだ。あとは卒業まで耐えるしかない。中学は皆と違うところに通えばいい。

 真希がいた。真希は靖を軽蔑している。靖は勝てない。真希は勉強もできる。クラスが違うから比べられないが。運動もできる。女だから比較しようがないが。ただスイミングクラブでは完全に負けた。真希は選手コースなのに靖は育成コースだ。才能が違う。根性も。

 圭吾がカラスに突かれているカエルを助けた。あいつは好きなのだ。カエルも蛇も。優しいのだ。圭吾は靖に見せた。小学校に入る前からの友達だ。圭吾だけは離れていかなかった。真希から金を奪ったことになったあとも、圭吾は必死に真希に説明して謝った。靖のことも。

 圭吾は真希を好きだったのだ。ずっと。パンを奪ったのも、好きだったから、からかおうとしただけなのだ。そして今、圭吾は好きな女の子にカエルを見せた。真希は嫌がった。こんなにかわいいのに……嫌がられば余計にかまいたくなる。好きだから。カエルを付けられそうになり真希は走って逃げた。そこに何人かの子分が来た。面白がって追いかけた。真希は走るのは早い。走って道路に飛び出した。表通りではない通学路に運悪く車が来た。

 圭吾は茫然自失。子分たちは圭吾のせいにした。靖はかばっていた。集まってきた大人に言った。
「僕だよ。僕がやらせたんだ」

 学校は大騒ぎになった。真希の母親は責めた。靖の両親と学校を。金を取られた時にうやむやにするから、こんなことに。今度は泣き寝入りしませんからね。

 圭吾は不登校になった。靖は転校した。母と家を出ていく前に圭吾に会った。
「学校へ行け。おまえのせいじゃない。授業に出て、しっかりノートを取って、真希に届けるんだ。真希のために頑張れ。好きなんだろう? 真希の力になるんだ」
圭吾は泣きながらうなずいた。
「おまえだけが友達でいてくれた。ありがとう」

 靖は真希が退院する日に病院に行った。謝るつもりだった。しかし、杖をついた真希を見ると会うことはできなかった。
 外に出た。空が落ちてくるような気がした。
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