第4話 理由

文字数 9,103文字

 昔の僕にとって、父と母のいる家が世界のすべてだった。

 特に母が大好きだった。「お母さん!」と呼ぶと絶対に返事をしてくれて、抱きついて甘えても嫌な顔をせずに笑ってくれる人だった。公園に遊びに行くときも、わざと変なところにボールを投げても笑いながら取りに行ってくれたし、買い物へ一緒に行ったときも、「このお菓子食べたい!」と言ったら一つは必ず買ってくれた。もちろん叱られたことだってある。いつもキッチンで母が使っている包丁が気になって、母がトイレに行っている間にキッチンに入って棚にしまってある包丁を取り、まじまじと眺めていたことがあった。するとトイレから戻った母から聞いたこともないような怒号が家中に響き渡り、訳がわからず怖くなった僕は大泣きしたこともあった。
 父も、帰って来るのはいつも遅かったが、僕が寝る前にはほとんど必ず帰ってきてくれていて、父が隣で絵本を優しい声で読んでくれる時間が何よりも好きだった。たまに週末になると父が車を出して遠くの大きな遊具がある公園に連れてってくれていた。最初はたくさん人がいる遊具の周りに行くのを怖がって、父と母の手を繋ぎながら遊具の近くまで行ったのを覚えている。結局、大人の背丈よりも高い滑り台だったり鎖で繋がれた渡り橋には怖くて途中で戻ってしまったが、父が滑り台の先で手を広げて待ってくれている。それだけで小さな滑り台でも十分楽しめていたものだった。
 町の幼稚園にも通っていたが、今となってはよく覚えてない。あやふやだが、同じ園児と楽しく遊んでいたことは何となく覚えているのでそれなりに楽しかったのだろう。その頃は不安とか、疑いとか、一切の無縁だった。

 最初にそれを感じたのは、幼稚園を卒園し、小学校に上がって3年目の夏だった。

 当時の僕にはよく一緒に遊ぶ友達がいた。小学校に入学したばかりの頃は顔見知りはいたものの、それぞれが初めて会う同級生に夢中になり、夏が始まる頃には既にある程度の友達がお互いに出来上がっていた。最初の頃は色んなクラスメイトから話しかけられたりはした。「どこに住んでるの?」「お前って、〇〇って見たことあるか!?」最初は聞かれたことに答えることでクラスメイトと話していたが、次第に話しかける人は減っていって、やがて誰も話しかけて来なくなった。ただただ戸惑いでしかなかった。クラスの中で声を上げない大人しい僕は、今思えば“空気“みたいな存在だったのだろう。大勢の中に一人でいる、というのは初めての経験だった。その時は、不満、というのが強かったと思う。一人でいることに慣れてしまっても、やはり周りの人には友達がいるという現実は、日に日に居心地の悪さを作り始めていた。
 ある日のクラスのレクレーションの時間だった。先生から「三人一組でグループを作ってください」という指示があり、クラスメイトは仲の良い友達同士でこぞってグループを作っていた。当然、友達のいない僕はすぐに余り物になった。グループがある程度決まってきた時、同じように余り物になっているクラスメイトがいた。普段は僕も気にならなかったが、その子もどちらかといえば僕と同じ大人しい子だった。大人しいもの同士が余り、先生から「じゃあ二人で一緒になろうか」と提案あった。当時、クラスメイトは30人いたから一組だけが4人になり、先生が僕達と一緒になってくれる人がいないか皆に話したが、「えー、俺こいつらと一緒にやるのやだよ!」「二人でやれば良いじゃん!」と不満の声が次々と上がった。僕はその声を聞くたびに居た堪れない気持ちになった。一緒になった子もずっと顔を伏せていたので同じ気持ちだったのだろう。
 結局、先生が半ば諦める形で僕達だけ二人一組になった。最初はお互いに黙って向かい合う時間が続いていた。周りが話し合いで盛り上がる中、僕達は気まずい雰囲気だけが残っていた。最初に口を開いたのが彼だった。

 「・・・どうする?」

 彼の声は過細く、戸惑いながらも声を出したのがわかった。

 「・・・どうしよっか」

 「・・取り敢えず図書室でなんか本探してみる?」

 「・・・・・うん」

 その後も沈黙は続き、その時間に決まった内容はそれだけだった。授業中もその約束のことばかり考えていた。このまま帰ってしまったらどうしよう。僕から聞いた方がいいのかな。不思議なことに“話しかける“と頭によぎっただけで、急に胸のあたりがざわざわし始めていた。息は意識してしないと止まってしまいそうになり、足は落ち着きなく小刻みに動く。親と話す時はそんなことないのに、どうして?と思ったものだった。“それ“は今も続いている。
 お昼の時間がやってきたが、僕は無理矢理口に運ぶだけで精一杯だった。心臓がドクドクする。話しかける彼に視線を向ける。彼は黙々と昼ごはんを食べている。周りにクラスメイトはいるが、彼も含めて周りは意にも返さない様子だった。先生からの“ごちそうさまでした“の合図でクラスメイトが一斉に立ち上がった。続々と外に遊びに行く男子、それぞれ固まるように集まる女子。僕はしばらく座ったままだった。僕は彼に視線をやった。すると、彼も僕の方を見ていたのだ。その瞬間、あれだけドクドク言っていた心臓が鳴りを潜め、僕は自然と彼の方に歩いてった。

 「・・・行ってみよっか」

 「う、うん」

 二人して図書室の方に歩いていった。図書室に着いた時、僕達は迷うことなく図書室に着いたことに疑問をもった。なぜならこの頃は小学校があまりにも広く感じており、教室を探すのでさえ、必ずどこかで迷ってしまうのだ。彼にそのことを聞くと、放課後はいつも図書室に行っていたとのことだった。静かで人気がない図書室は一人でいても居心地の悪くない唯一の場所で、僕もよく行って本を読んでいた。それがきっかけで、僕達は会話が弾むようになり、その日に下校も一緒に帰っていた。彼のことは“ケンちゃん“と呼んでいた。やがて僕達はお互いの家で遊ぶようになり、初めて“友達“と呼べる人ができた。あれだけ居心地が悪かった学校が、その時には楽しくてしょうがない場所に変わっていた。どんな時でも僕と“ケンちゃん“は一緒になって過ごしていた。そんな時間がいつまでも続くと思っていた。
 3年生になると部活動への参加ができるようになる。当時の小学校の部活は野球やサッカー、水泳など運動系の部活しかなく、運動が苦手だった僕は部活に入るつもりなんてさらさら無かった。その事を僕と“ケンちゃん“は彼の家でゲームをしながら話していた。
 彼も部活には入らないだろう。彼も僕と同じくらい運動が苦手なのだ。そう思ってこの話題を出したのだが、彼からの返答は予想とは違っていた。

 「僕さ、バトミントン部に入ろうと思う」

 聞き間違えたのかと一瞬思った。操作していたコントローラーの手が止まってしまうほどに。

 「・・・ほんと?」

 彼もコントローラーを手放し、僕に顔を向ける事なく頷いた。
 戸惑いはあったが、彼に向ける言葉を考えた時、これしか思いつかなかった。

 「応援するよ、僕は、大丈夫だから」

 僕はこの時、彼とこれからも友達でいることに何の心配も無かった。彼といるのが当たり前で、何があっても大丈夫。そんな気がしていたのだ。

 「・・・・うん」

 彼はしばらく間を置いて、そう返事した。その後はまた二人でゲームに戻っていったが、この時から彼との間に小さな違和感のようなものを感じ始めるようになった。

 3年生になって彼は僕に言った通り、バトミントン部に入部した。僕は帰り際に体育館から必死になってシャトルを追いかけている彼の姿を窓の隙間から眺めていた。汗だくになって動き回る彼の姿を見て、僕の中に小さな靄がかかったような気持ちになった。それから僕は彼と話す時間が少しずつ、少しずつ減っていき、次第に彼と話さない日が日に日に増えていった。彼と話さなくなって、次第に学校は孤独を感じる場所に変わっていってしまった。1ヶ月、2ヶ月。僕は端から彼の姿を眺める日々を送るようになっていた。4年生に近づく頃には、彼の周りはバトミントン部の仲間で囲われてた。僕とは違う友達に囲まれた彼の顔はかつて見慣れていた笑顔を振りまいていた。その顔を見た僕は胸に針が刺さったような痛みが走った。

 春休みに入る前の出校最終日。僕はその日、一つのことを胸に決めていた。彼を遊びに誘おう、そう決めていたのだ。大丈夫だと思っていた彼との関係に不安は大きくなり、昨日の夜には“それ“が恐怖となったからだ。最後の授業が終わり、下校時間になった時、僕は彼のもとへ歩いていった。すぐ近くなのにとても遠くに感じる。僕は彼の背中から肩を叩いた。

 「・・・ケンちゃん・・・」

 彼は振り向いた。

 「あ・・あの・・さ、こん、今度・・・いや・・・あの・・・僕の家、遊ぶ?・・今日でも」

 上手く喋れなかった。こんなに喋れなかったことに自分自身がショックだった。



 「ごめん、この後部活の友達と遊ぶ約束してるんだ。また今度ね」



 あっさりと返事をして、彼は足早に帰っていった。

 僕の足は棒のように動かなくなり、その場で立ちすくんだ。彼の肩を叩いた手が粘土のように固まる。

 地面がぐるぐる回る。息は少しずつ小さくなる。

 僕の知っている彼が、“他人“のようになってしまったように感じた。


 こうして、僕は彼と“他人“のまま、小学校を卒業した。





 中学校の入学式。周りは笑顔に溢れている。でも、僕にとってその笑顔は別世界のものだった。
 母と一緒に行く入学式。車の中で母が僕に言ってくれた。「大丈夫よ、きっとまたお友達ができるわ」僕はその言葉に空返事で答えた。この時の僕は一人でいることにほとんど慣れてしまっていた。放課後や休みの日も僕は籠るように図書館に入り浸っていた。そこは静かで、誰も干渉してこない。本を読むことに集中できるのはとても有難かった。お小遣いもほとんど本を買うことに費やしてしまい、周りが話すテレビや漫画、ゲームの話なんてこれっぽっちもわからなかった。もう周りと話そうと思わなかったし、このまま一人でもよかった。家でご飯を食べるときは家族と話すこともあったが、聞かれることがなくなると自然と沈黙になってしまい、食事を終えると部屋に一直線に戻って行く、そんな生活を続けていた。母はそんな僕を心配して、励ますつもりで言ったのかもしれない。でも、もう僕は“友達“を作ることを諦めてしまっていた。たとえ居心地が悪くても、またあんな思いをするなら、一人でいた方が良かった。

 中学に入学してしばらく経った頃、昼放課の時間に声を掛けられた。

 「なぁ、国語の宿題見せてくれない?昨日やるの忘れちゃってさ〜」

 手を合わせながら、申し訳なさそうに言っている。彼は隣の席のクラスメイトだった。
 それまでは一度も話したことがない。でも、断る理由がないため彼に宿題のノートを渡した。

 「ありがと〜!ついさっき思い出してさ〜。助かるよ」

 彼は笑顔を浮かべながらお礼を言った。その時、ほんの少しだけ気持ちが和らいだ気がした。彼は僕のノートを開いて真っ新な状態のノートに急いで書き綴っていた。顔をノートに向けてペンを走らせながらも彼は続けた。

 「お前友達いないの?ずっと一人でいる感じみたいだけど」

 あまりに核心をつく言葉に言葉が詰まってしまった。

 「・・・・あぁ、うん」

 「ふーん・・・・よしっ!終わり!サンキューな」

 そそくさとノートをしまい、僕のノートを返す彼。僕の息つく間もなく彼は続けた。

 「なぁ、この後公園でサッカーやるんだけど、お前も行かね?」

 「あ・・・うん」

 「良かった〜。じゃあ放課後に〇〇公園に一緒に行こうぜ!」

 彼の勢いに負けてしまい、結局了承してしまった。それがきっかけとなったのか彼は僕に何かと話しかけるようになった。正直、僕は困っていた。彼は授業の合間の放課後だけでなく、授業中にも話しかけてくるのだ。先生から僕と彼が注意されて、落ち込んでいる時に彼は「すみませーん」とあっけらかんに平気な顔をしている。しかも、放課後は本当に公園でサッカーをすることになり、彼と僕を含めた4人でサッカーをした。運動が苦手だった僕はすぐに屁垂れてしまったが、僕以外の三人は体力が尽きる事なくサッカーを楽しんでいた。僕はそれをグラウンドの端で座って眺めていた。ふと、僕は“彼”のことを思い出していた。
 彼も僕と同じく、運動事が苦手だった。クラスメイトと体育の授業でバスケをすることなっても、僕と彼はいつも足手纏いになり、クラスメイトから邪魔者扱いされては体育館の端で二人で座って見ていた。僕は座っていた方が楽だったし、何より彼が一緒にいたことで苦ではなかった。でも、“彼”だけはクラスメイトのプレーをじっと眺めては口を結ぶような表情をしていた。“彼“が何を考えていたのかはわからない。でも、今サッカーを楽しそうにしている彼らを見て、僕は漠然と、“羨ましい”と思っていた。“彼“もそう思ってたのだろうか。
 夕方になり、彼らは汗だくになって戻ってきた。三人とも笑顔を崩さず僕の元に来る。途中で抜けた僕に文句を言うのかと身構えていたが、出てきた言葉は意外なものだった。

 「体力ないな〜、じゃあ今度は“ショウ“の家でゲームやろうぜ」

 「どうせスマブラ目的だろ〜またボコボコにされるじゃんか〜」

 「お前も来いよ。ゲームだったら上手そうな気がするし」

 僕にとっては三人の反応は拍子抜けするようなものだった。三人のような明るい性格の人は、僕のような暗い人とは合わないものだと思っていたからだ。何よりこんな僕でも遊びに誘ってくれることが、何よりも嬉しかった。久しぶりに僕は、心臓が高鳴るのを感じた。
 それから僕は、“ヨシアキくん“、“ショウくん“、“キョウスケくん“と四人で一緒にいることが増えてきた。放課後はどちらかの家で集まり、宿題を僕に教えてもらってから四人でゲームをする、というのが習慣になってきていた。たまに外でスポーツをして遊ぶこともあったが、相変わらず僕は先に休むことがあっても彼らは「前よりは動けるようになったじゃん!」と褒めてくれていた。彼らの話は漫画だったり、スポーツ選手の話だったり、別のクラスメイトの交際関係だったりと、正直わからない話ばかりで横で頷いて聞いていただけだったが、それでも三人は楽しそうに話をするので、不思議と僕もその場でいるだけで楽しくなっていった。でも、まだ自分の話をすることはできなかった。本当は本の話もしたいし、その時思ったことを話したい。四人で図書館で静かに本を読んでいたいということもしてみたかったが、どうしても三人が楽しそうにしている風景が思い浮かばなかった。僕の話をしたら、みんな飽きられるんじゃないか。そんな不安がいつまでも拭えなくて、彼らのすることについていくしか関わることができなかった。

 そんなある日、“ヨシアキくん“からこんなことを聞かれた。

 「そういや家で普段、何してんの?」

 隣のクラスメイトのいつも学年上位をとっている男子が家ではネットゲームばかりしているという噂話をしていた流れで、僕に質問がきた。“ヨシアキくん“は僕の隣の席で、最初に話しかけてきた人だ。三人の中で遊びの提案をするのはいつも彼だった。突然の質問に僕は心臓がドキドキしていた。“ショウくん“と“キョウスケくん“も興味があるように僕のことをじっと見つめている。高まる緊張を抑えながら、僕は思い切って本当のことを話した。

 「家では・・・小説を読んでる」

 口に出すと余計に緊張が高まった。

 「あ〜・・・そんな感じがする。イメージ通りだな」

 「だな」

 「うん」

 僕の話はそこで終わってしまった。そこからすぐに別の話題が出て、三人はそちらの話に夢中になっていった。僕は興味を持ってもらえなかったショックで半ば上の空といった様子でその場にいた。昼放課後が終わり、教室に戻ろうとしたときに“ショウくん“から言われた。

 「なぁ、漫画だったら読むだろ?今度〇〇買ってきて読んでみろよ」

 僕はうん、と頷いた。漫画はあんまり読まないけど、興味がないわけじゃない。本当は買いたい本があったが、その時は、買わないといけない。そう思うようになっていた。最近三人が僕以外で行動することが増えてきたからだ。放課後になると僕に何も言わず、三人だけでいなくなることもあった。最初は何とも思わなかったが、僕の好きなものに興味がないとわかった瞬間、それが焦りに変わっていった。
 放課後に僕は学校の近くの書店に入り、なけなしのお金で三人がハマっていた漫画を買った。家に帰って読んでみたが、正直あまり興味が出るものでは無かった。よくある少年漫画で、最近話題になっているというバトル漫画だ。僕はどちらかというとミステリーや日常を描いた作品が好きなのだ。読み終わった後は、まるで宿題を終わらせたような、何とも言えない気持ちに襲われた。でも、これで彼らと話が出来る。僕はそう言い聞かせて、眠りについた。
 翌日は、いつものように放課後で四人で集まることがあった。僕は意を決して口を開いた。

 「〇〇って漫画、読んだよ」

 三人が一斉にこちらを向く。「おぉ!どうだった!?」と食い入るように“ショウくん“が聞いてきた。

 僕は迷った。ここで正直に話したら、今度こそ飽きられるかもしれない。僕は努めて笑顔を作った。

 「面白かったよ」

 僕は、彼らに初めて嘘をついた。

 「だろ〜!」 「いや〜やっぱあの漫画おもろいよな!」

 三人が堰を切ったように饒舌になった。面白かった場面とか、キャラの名前をどんどん話すので、僕は思い出す限りの内容を話した。初めて彼らと話が出来たような気がした。でも、僕の胸の中は煙が立ち込めているようにモヤモヤしていた。安心している自分と、嘘をついた自分。こんな気持ちも初めてだった。
 一通り話終えたところで、“ヨシアキくん“が言い出した。

 「夏休みにお祭りがあるだろ?四人で行ってみないか?」

 “ヨシアキくん“の提案はいつも唐突だ。でも“キョウスケくん“と“ショウくん“はいつも乗る気になる。「いいね!」「行こうぜ!」僕もその場で「うん!」と乗っかっていた。まるでそうすることが、正解のように、当たり前のように。嘘をついた罪悪感はどこかへ消えてしまっていた。



 もうすぐ終業式を迎える頃だった。四人で祭りへ行く時の打ち合わせをして、その日は珍しく早々に解散していた。自転車に乗り、夏祭りのことを想像する。友達と祭りに行くなんて、昔の僕には想像もできなかったことだ。今では四人で出店を見て周り、買った食べ物を祭りから少し離れたところで笑い合いながら食べるんだろう。それは多分、僕が体験したかった“友達同士のこと“なんだろう。夢が叶うようでドキドキしていた。学校から少し離れたところで、僕はふと、荷物が軽かったことに気づく。その原因はすぐにわかった。持って帰るはずだった体操服を学校に忘れてきてしまっていたからだ。

 「あーあ、もう」

 僕はすぐにUターンして学校に急いで戻った。もう夕日はオレンジ色に染まっており、夏の照り返しが蒸し暑さに変わっている。そんな中また自転車を漕ぐのは気が滅入るものだった。
 自転車置き場についたところで、三人の自転車がまだその場に残っていることに気づいた。(おかしいな、もう帰ったと思ったんだけど)おそらく三人ともまだ学校にいるのだろう。会いに行くか迷ったが、僕はまず教室に向かうことにした。階段を登り、僕らの教室が見えた時、教室から笑い声が聞こえてきた。それは何度も聞いていた三人の笑い声だった。彼らがいる。僕は嬉しくなったが、同時にこんなことを考えついた。(こっそり入って驚かせてみようか)我ながら珍しく悪戯なことをしているなと思ったが、そんなことも彼らは笑って許してくれる、そんな気がした。
 足音を消してゆっくりと教室に近づく。扉の窓から教室を覗き込んだ。

 “ヨシアキくん“ “キョウスケくん“ “ショウくん“





 そして、ずぶ濡れになりながら頭を垂れる男子生徒。








 僕の息が止まった。目の前の光景から目が離せない。体が石のように動かない。


 男子生徒は嗚咽交じりに、

 返してください、返してください、と懇願している。

 三人は囲んで、その様子を笑っていた。
 
 「ドッキリ大成功〜!!」「いや〜やっぱ罠にはめるのは面白いわ!」

 明らかに男子生徒は泣いている。それなのに僕の知る三人は、そんな光景を喜劇を見ているかのように大笑いしている。


 吐き出した息は氷のように冷たい。頭の奥が痺れて、地面が車輪のように回る。あれは、本当に“彼ら“なのだろうか。

 “彼ら“の笑い声が、人のような、でも別のもののように聞こえた。

 もう“あの人たち“が、別の何かのように感じた。

 




 それから先はまるで記憶が曖昧だ。相変わらず話しかける“あの人“は、笑いながら何かを話している。僕は目の前の人が、怖くて仕方なかった。三人も寄れば、僕はもう息が冷たくなる。“あの人たち“が考えていることが、もう僕にはわからない。話しかけられても、声が出せない。早く夏休みになってくれ、ただただ、それしか考えられなかった。

 終業式が終わり、僕は逃げるように学校から帰った。一秒でも早く、“あの人たち“から逃げたかった。

 夏休みの間は、ひたすら部屋に篭った。朝起きて、ご飯を食べて、寝て、ご飯を食べて、寝る。その繰り返し。

 夏休みが終われば、また“あの人たち“に会うことになる。日を追うごとに、その恐怖は大きくなった。


 もう、テレビから流れる笑い声ですら、“あの人たち“の笑い声のように聞こえて、耳を塞ぎたくなる。


 僕も、いずれはああいう目にあうのだろうか。


 “あの人たち“に飽きられたら、あんな風におもちゃにされるのだろうか。これからずっと、“あの人たち“に合わせないといけないのだろうか。



 午後11時。眠れない。頭の中は記憶と思考のピースが混ざり合ったようにゴチャゴチャしている。心臓は音が聞こえるほど高まっている。



 午後11時半。体を小刻みに動かさないと、暴れ出してしまいそうになっていた。もう、二学期はすぐそこまで来ている。



 午後11時45分。怖い、怖い、“あれら“が、怖い。






 午前0時。僕はベッドから起き上がった。
ワンクリックで応援できます。
(ログインが必要です)

登場人物紹介

主人公:

読書が好きな引っ込み思案な性格。

中学1年生

"ケンちゃん":

主人公と同じく物静かで本が好き。

途中から運動部に入部した。

お爺さん:

海辺に住む穏やかな老人。愛犬のレインと一緒に住んでいる。

ビューワー設定

文字サイズ
  • 特大
背景色
  • 生成り
  • 水色
フォント
  • 明朝
  • ゴシック
組み方向
  • 横組み
  • 縦組み