第18話:露骨な誘導
文字数 2,292文字
朝食を済ませた後(食事はしていないから、適切な表現ではないかもしれないけれど)、私たちは街へ出ることに決め、食堂を出た。そのまま屋敷の外に出てピロティを抜け、正門の方へ向かう。
体に太陽の熱を感じながら視線を上げると、シンプルな形をした噴水の向こうに、街へ至る坂道が見えた。ちょうどそのタイミングで水が高く吹き上がったため、つられて視線が上がる。
「お出かけですか?」
背後から声がしたので顔を向けると、コイトマが屋敷の入り口から歩いてきていた。彼女の姿は、パンツスーツの色が黒から紺に変わっただけで、基本的には昨日と変わっていない。ポニーテールも白いシャツも、スーツの先からのぞいた綺麗な足首も同じ。
「はい、街まで」
「ご案内しましょう」
「いえ、そんなに気を使っていただかなくても」
「ちょうど、私も街へ行くところでしたから」彼女はそう言って、笑顔を作った。「それに残念ながら、お二人は私がついていないと外へは出られません」
「そうなんですか?」
街の中は自由に歩いて構わない、と昨日言われたはずだけれど、事情が変わったらしい。まあ、朝の出来事を考えれば仕方がないか。
「どうする?」
パドマに尋ねた。
「街のこと何も知らないし、ちょうどいいんじゃない?」
少女の言葉を受け、「では、決まりですね」とコイトマが言った。
彼女はスムーズな動きで先へ進み、門の前にいた女性と言葉を交わし始める。確か、昨日王家と一緒に食堂へ入ってきた人物だ。ここに立って、人の出入りを制限しているのかもしれない。
「参りましょう」
門の前まで行くと、コイトマが坂の方へ手を伸ばした。彼女の眩 しい笑顔の奥で、門番の女性が鋭い視線をこちらに向けている。私はなるべく視線を合わせないようにして、大きな門のわきにある小さな扉から坂道の方へ出た。
街中へ続く下り坂を歩いている間に、昨日見たベーカリーの話をしたら、コイトマもよく利用するとのことだったので、そちらへ向かうことになった。
下り坂の終点で右手に曲がると間もなく、丸いパンの描かれた板が、風に揺られている様子が見える。
「お金はいらないんですか?」
「もちろんです。この街で使えるところはないので、価値がありません」
「お金のほかにも?」
「大丈夫です。何らかの対価は必要ありません」
そう言って前を行くコイトマは、すれ違う人たちと欠かさずに挨拶を交わしている。屋敷で悲惨な事態が起こったとは思えないほど、平和な光景だ。そもそも事情を知らないのか、知っていて内に秘めているのか。
門前でのチェックを考えると、情報が統制されている可能性を疑ってしまう。王家の人間の死は、いろいろと憶測を生みそうだから、強いて明らかにしない方針なのかもしれない。理解はできる話だ。
バターの香りにあふれたベーカリーで、サンドイッチとタルトを受け取った後、コイトマがお気に入りの場所を紹介してくれることになった。
個人的には、もう少し街の中を見ていたかったのだけれど、彼女はその要望をうやむやのうちに受け流し、先導を始めてしまう。
大げさなほど軽やかにメインストリートを行くコイトマは、昨日私たちが利用したエレベーターの方へ進んでいき、その途中で、左に伸びる脇道に入った。
「この先に牧場があるんです」
こちらを振り向いた彼女の表情は、あくまで笑顔である。
その言葉をうけ、パドマと私はどちらからともなく互いの顔を確認し、うなずき合った。理由はよく分からないものの、何となく意思は伝わる。ひとまずコイトマについて行こう、と。
わき道の先はゆるやかな下り坂になっており、その両側にはぽつぽつと家が建っている。家と家の間にある高低差は、石を積んだような塀が支えていた。そして、日差しがよく当たる石の上に、昨日出会った黒猫が一匹。彼女はこちらをちらっと見てから視線をそらし、心地よさそうに目をつぶった。
しばらく道を進んでいると、坂の角度が急になり、右手の視界が開けた。十メートルほど下の大地には、牧草地が遠く向こうまで続いている。その光景を横目に、崖に沿 う形で続く下り坂を歩いて、草原に降り立った。
わずかにでこぼことした大地には、所々に大きな木が生えており、その影の中で十数頭の茶色い牛が草をはんでいる。なおも左手の崖沿いに進むコイトマの向こうには、納屋のような建物が見えた。
彼女の後を追って納屋を過ぎたところで、目の前に長く広い上り坂が現れた。草の生い茂った傾斜地は、凸凹と数十メートル先まで続いており、奥にはうっそうとした森が広がっている。ちょうど山裾 の部分にあたるようだ。坂道の合間には転々と透明な球体が置かれていて、コイトマはその中から、三つ並びに置かれたそれへ向け足を進めた。
先に座った彼女にならい腰を下ろすと、球体が沈み込んで体にフィットする。座り心地は悪くない。
「風が気持ちいいんですよ、ここ」コイトマはそう言って笑い、バゲットサンドを取り出した。「すみません、朝ごはんを食べていなくて」
ざくっ、という美味しそうな音を響かせた彼女の向こう、坂道の左手には木々が点々と立ち並んでいる。反対に、坂道の右手は崖になっており、その上に街の建物がいくつか見えた。向かって正面は坂の終端と納屋があり、納屋の奥にはずっと牧草地が続いている。
私は特に意識をすることもなく、さらさらと吹いてくる風に合わせ、深呼吸をしていた。緑のにおいが感じられるのと同時に、隣からバターの香りも漂ってきて、おなかが鳴る。朝食を食べていないことが急に意識された。
紙袋からタルトを取り出すと、甘い香りにほほが緩む。
体に太陽の熱を感じながら視線を上げると、シンプルな形をした噴水の向こうに、街へ至る坂道が見えた。ちょうどそのタイミングで水が高く吹き上がったため、つられて視線が上がる。
「お出かけですか?」
背後から声がしたので顔を向けると、コイトマが屋敷の入り口から歩いてきていた。彼女の姿は、パンツスーツの色が黒から紺に変わっただけで、基本的には昨日と変わっていない。ポニーテールも白いシャツも、スーツの先からのぞいた綺麗な足首も同じ。
「はい、街まで」
「ご案内しましょう」
「いえ、そんなに気を使っていただかなくても」
「ちょうど、私も街へ行くところでしたから」彼女はそう言って、笑顔を作った。「それに残念ながら、お二人は私がついていないと外へは出られません」
「そうなんですか?」
街の中は自由に歩いて構わない、と昨日言われたはずだけれど、事情が変わったらしい。まあ、朝の出来事を考えれば仕方がないか。
「どうする?」
パドマに尋ねた。
「街のこと何も知らないし、ちょうどいいんじゃない?」
少女の言葉を受け、「では、決まりですね」とコイトマが言った。
彼女はスムーズな動きで先へ進み、門の前にいた女性と言葉を交わし始める。確か、昨日王家と一緒に食堂へ入ってきた人物だ。ここに立って、人の出入りを制限しているのかもしれない。
「参りましょう」
門の前まで行くと、コイトマが坂の方へ手を伸ばした。彼女の
街中へ続く下り坂を歩いている間に、昨日見たベーカリーの話をしたら、コイトマもよく利用するとのことだったので、そちらへ向かうことになった。
下り坂の終点で右手に曲がると間もなく、丸いパンの描かれた板が、風に揺られている様子が見える。
「お金はいらないんですか?」
「もちろんです。この街で使えるところはないので、価値がありません」
「お金のほかにも?」
「大丈夫です。何らかの対価は必要ありません」
そう言って前を行くコイトマは、すれ違う人たちと欠かさずに挨拶を交わしている。屋敷で悲惨な事態が起こったとは思えないほど、平和な光景だ。そもそも事情を知らないのか、知っていて内に秘めているのか。
門前でのチェックを考えると、情報が統制されている可能性を疑ってしまう。王家の人間の死は、いろいろと憶測を生みそうだから、強いて明らかにしない方針なのかもしれない。理解はできる話だ。
バターの香りにあふれたベーカリーで、サンドイッチとタルトを受け取った後、コイトマがお気に入りの場所を紹介してくれることになった。
個人的には、もう少し街の中を見ていたかったのだけれど、彼女はその要望をうやむやのうちに受け流し、先導を始めてしまう。
大げさなほど軽やかにメインストリートを行くコイトマは、昨日私たちが利用したエレベーターの方へ進んでいき、その途中で、左に伸びる脇道に入った。
「この先に牧場があるんです」
こちらを振り向いた彼女の表情は、あくまで笑顔である。
その言葉をうけ、パドマと私はどちらからともなく互いの顔を確認し、うなずき合った。理由はよく分からないものの、何となく意思は伝わる。ひとまずコイトマについて行こう、と。
わき道の先はゆるやかな下り坂になっており、その両側にはぽつぽつと家が建っている。家と家の間にある高低差は、石を積んだような塀が支えていた。そして、日差しがよく当たる石の上に、昨日出会った黒猫が一匹。彼女はこちらをちらっと見てから視線をそらし、心地よさそうに目をつぶった。
しばらく道を進んでいると、坂の角度が急になり、右手の視界が開けた。十メートルほど下の大地には、牧草地が遠く向こうまで続いている。その光景を横目に、崖に
わずかにでこぼことした大地には、所々に大きな木が生えており、その影の中で十数頭の茶色い牛が草をはんでいる。なおも左手の崖沿いに進むコイトマの向こうには、納屋のような建物が見えた。
彼女の後を追って納屋を過ぎたところで、目の前に長く広い上り坂が現れた。草の生い茂った傾斜地は、凸凹と数十メートル先まで続いており、奥にはうっそうとした森が広がっている。ちょうど
先に座った彼女にならい腰を下ろすと、球体が沈み込んで体にフィットする。座り心地は悪くない。
「風が気持ちいいんですよ、ここ」コイトマはそう言って笑い、バゲットサンドを取り出した。「すみません、朝ごはんを食べていなくて」
ざくっ、という美味しそうな音を響かせた彼女の向こう、坂道の左手には木々が点々と立ち並んでいる。反対に、坂道の右手は崖になっており、その上に街の建物がいくつか見えた。向かって正面は坂の終端と納屋があり、納屋の奥にはずっと牧草地が続いている。
私は特に意識をすることもなく、さらさらと吹いてくる風に合わせ、深呼吸をしていた。緑のにおいが感じられるのと同時に、隣からバターの香りも漂ってきて、おなかが鳴る。朝食を食べていないことが急に意識された。
紙袋からタルトを取り出すと、甘い香りにほほが緩む。