6 二宮の苦悩

文字数 2,211文字


 昨日から、二宮の心は沈んでいた。どん底と言うほどではなかったが、そこそこ深いところまで落ちていた。

 きっと、掘り返してはいけないところを掘ってしまったのだ。そして、知る必要のないことを知ってしまった。それによって導いた自分の結論が、とんだ見当違いの、ただの空想であってほしいと思った。

 そもそもやっていることが違法行為を含んでいるのだから、結局はそこも含めて後悔しかなかった。気になったら何でも調べる(と言えば聞こえがいいが、結果やっていることは情報の不正取得)癖がついてしまっているとはいうものの、なぜあのとき、彼女のあの様子を見てあんなに簡単に、何の躊躇もなく指が動いたのか――

 三日前、捜査に出る直前の駐車場で、一条警部の携帯電話に着信があった。
 警部はその相手を確認すると表情を陰らせ、車を降りて離れた場所に移動し、終始神妙な顔つきで話していた。その様子を見た自分は、半ば反射的に(その実おそらくは潜在的な直感が働いて)、

を使って警部の電話の相手を調べたのだ。戻って来た警部に電話の内容について探りを入れると、案の定、警部ははぐらかした。そして、警部にとっては予め決めていたことなのかも知れないが、自分にとっては明らかに唐突に、二日間の休暇を告げられた。それで自分は確信した。警部は何か重い問題を抱えている。おそらくは誰にも言えないことだ。そしてそれは、大阪にいる芹沢巡査部長が関わっていることのようだ――

 その日寮に戻ると、警部の電話の相手について情報を収集した。相手はごく最近退官した警察OBだった。最後に在籍していたのは本部捜査一課だ。それで自分は思い出した。去年の秋に管内で起きた、轢き逃げを装った殺人事件の捜査本部が署に立ったときに、本部から乗り込んできた捜査員の中に確かこの人物もいた。おそらく警部との接点はあそこで出来たはずだ。そうなると、芹沢巡査部長に関係した問題ではなく、解決したはずのあの事件に何か警部を悩ませている問題があるのか――

 だが、それならわざわざあの人物を特定して接触する必要はないはずだ。警部自身も捜査に加わった事件なのだし、自分で調べれば済む。退官したOBより、現役の、しかもキャリアの立場の方が簡単なはずだ。それができない事情があるとは考えにくい。ということはやはり、

が絡んでいる問題なのか――

 そこで、あの人物をさらに調べた。一通りのプロフィールに関しては簡単だったが、そこからは特に引っかかる点は無かった。そこで、あの人物がかつて関わった事件をすべて洗い出そうと考えた。当然、膨大な数であることは承知の上だ。自分だけでは時間がかかるので、やはりいつものネットワークを使い、まずは最後に担当した案件から、一件ずつ過去へと遡って挙げていった。案の定、なかなか骨の折れる作業だった。そしてついに昨日――

 見つけてしまったのだ。

を。

 警部はきっと、去年のあの本部事件の際にあの人物から

のことを聞いたのだろう。そしておそらくは自身でも調べた。そこで知ってしまったのだ。驚くべき事実を。そして、

がなぜ、縁もゆかりもないはずの大阪で警察官になったのか、その理由を考えただろう。その結果――

 絶望に打ちひしがれたに違いない。昨日、自分もまたそうだったのと同じように。

 三日前の警部とあの人物との電話の内容までは分からない。ただ、それによって警部が休暇を取って大阪に向かったのは間違いなさそうだ。そこでいったいどうしたのだろう。

と対峙し、すべてを突きつけてその

を諦めさせたのか、それともあれほど強く心を奪われている相手なのだから、どうしても言えなかったか――

 自分も退官したあの人物に話を聞いてみたいと思った。が、それはかなり難しい。警部に知られるわけにはいかないからだ。そうなると大阪での彼――芹沢巡査部長の六年間を調べる必要がある。願わくば何も出てこないで欲しい。できれば諦めていて欲しい。そして、もしも警部がまだ巡査部長に何も話していないのなら、自分が代わりにその役目を果たそうと思った。お門違いだろうと何だろうと、そんなことは構わない。自分は決めた。巡査部長を止めなければ。警察官になったきっかけとその青臭い使命を打ち明けたとき、「それでいい」と言ってくれた巡査部長に、すべてを失って欲しくないから――


「――二宮くん?」
「え? あ、はい?」
 顔を上げると、不思議そうな眼差しの一条警部がこちらを覗き込んでいた。
「どうしたの? 思い詰めちゃって」
「い、いえ、何でもありません」
 ログイン画面のままのノートパソコンを閉じて、造り笑顔を浮かべた。「――あ、おはようございます」
「おはよう」と一条は笑った。「二日間、ご迷惑おかけしました」
「いえ、とんでもない」と二宮は手を振った。「お誕生日祝い、してもらいましたか?」
「ええ。いい休暇だったわ」一条は満面の笑みで答えた。「とても充実してた」
「そうですか。良かったですね」
 ということは、何も言わなかったのかと二宮は思った。
「今日からまた頑張るから」
「あ、はい」
「あと、話があるの」
「え――はい」

 まさか、自分に打ち明けるつもりか――?

「とりあえず出ましょう」
 一条は言うときびすを返し、足早にドアに向かった。二宮は黙ってあとに続いた。また今夜から厳しい作業に取り掛からなければと考えながら。


ワンクリックで応援できます。
(ログインが必要です)

登場人物紹介

登場人物はありません

ビューワー設定

文字サイズ
  • 特大
背景色
  • 生成り
  • 水色
フォント
  • 明朝
  • ゴシック
組み方向
  • 横組み
  • 縦組み