中編
文字数 2,945文字
今日の僕のミッションは、花見の幹事だった。
要は、大学のサークルの飲み会だ。
この広めの公園は桜が適度に並び、遊具と離れた場所で寛げる、近場ではなかなかのスポットだ。
その中でも陣取れた桜は、数年前まで枯れたように寂しかったのが最近復活したのか何なのか、枝ぶりも咲きっぷりもこの近辺では一番といわれるくらいの花をつけると評判の木だ。
公園はバーベキュー禁止なくらいで、うるさくもない。
ということで予算を組んで酒とか食べ物を調達して、昼過ぎに集合。
正直なところそういうことに慣れてるわけではなかったけど、僕なりに頑張った。
田端 綾花 。
一輪で生きる花のような、しなやかな強さと可愛らしさが同居した印象の子だ。
見た目もいい方だと思うし、明るいけど、男の噂は聞かない。
密かに焦がれているあの子が、強引気味な誘いで参加することが決まったからだ。
理由は誰も知らないけど、普段から花を嫌っていたり、木に近づくことも妙に避けたりしている子なのが、今回はどういう風の吹き回しか、あるいはしつこい誘いに根負けしたのか、来ることになったのだ。
だから、田端さんへのアピール目的もあって、幹事を買って出た。
――結果はまあ、本編は無難に済んだけど、僕は酔い潰れてしまった。
片付けの途中までは覚えてる。
田端さんがあまり、というかほとんど、桜を見てなかったのも。
酔って眠りこけているようで、妙な夢に遭遇している――のだろう。
田端さんとの仲を深めたいという下心が「女同士なら簡単かも」なんて意識になって、夢の中でこうなったんだろうか。
それならば、出てきてくれてもいいじゃないか。
それなのに、目の前にいるのは知らない少女だ。
(ちょっと、聞いてる?)
経緯を思い出そうとしてる間に、何か言われてたようだ。
「あ、ごめん、何?」
少女がため息をついたような気がした。
(――いい。
ともかく、あたしがここに埋められてるってことを知らせたいのと、あたしを殺した犯人に仕返ししたいのと、一緒にさらわれてた昌也 くんに一言言いたいの)
要求の多い幽霊だな。
それに、桜の下に埋めるなんて――
「そんな、梶井基次郎じゃないんだから」
これでも文学部なんだ。桜の木の下には……なんて話はそのまますぎて草も生えない。
しかもあれは『そうだと思って安心する』という、本当に埋まってる話じゃない。
(誰それ)
そういうことは、この子には通じないようだ。
「――それで、僕に夢の中で知らせよう、って?」
ひょっとしてベンチで寝ていたのが北枕になってて――とか。
(夢じゃないよ)
そうか、夢じゃないのか――って。
「そんなわけないだろ」
この子と話してても埒が明かない――というか、この子の目的は判った。
とはいえ、僕がしてやれることがあるようには思えない。
どうこの子に言って断って、夢から覚めるか――そんなことを考えてると、声をかけられた。
「あの……すみません」
田端さんだった。
昼から一緒にいた、その時と同じシャツとスカート、それに小さめのバッグ。薄めのメイクと、チャームポイントのような泣きぼくろ。
さっきはポニーテール風にくくっていた髪を、下ろしていた。
引き返して来てくれたんだろうか、優しいなあ。
自分の願望通りに現れるなんて、ほら、やっぱり夢じゃないか。
「大丈夫ですか? それと、ここに男の子いませんでした?」
近付いてきた田端さんはそう言って、どこか怪訝そうな顔を見せた。
「田端さん、僕だ、小園 だよ」
「はぁ?」
田端さんは見るからに不審そうな目つきで僕を見る。
「からかってるんですか?――ていうか、どうして私の名前を?」
フリーダムな夢の中とはいえ、女になったらこうなるか。
「田端さん、僕が小園智夫だよ。こんな姿になってるのは――」
「田端? あの、あなた、兄弟とか親戚に昌也くん、っていませんか?」
僕の言葉を遮って、僕の口から少女の声が出た。
いつの間にか、脳裏に浮かんで話していた少女の姿が消えていた。
田端さんはますます怪しんだ様子で、スマホを取り出す。
「嫌がらせ? ストーカー? 警察呼びますよ」
「からかってなんかいません。あたしがこの彼の体を借りたら、こうなっちゃったんです」
僕の口で少女が田端さんに訴える。
「あたし、原綾花っていいます。あなたのお友達の体を変えちゃってごめんなさい。でも、こうしないとこっちに出てきて喋れな――」
「ふざけないで!」
田端さんが声を荒げて、スマホを操作しようとする。
――綾花?
「待って、田端さんっ」
僕はとっさに立ち上がって田端さんの手を掴む。
「本当なんだ。十歳くらいの女の子が僕に――!?」
田端さんは、涙を浮かべていた。
さらに、小刻みに震えているのが伝わってくる。
「なんなの? 私の心を抉るのがそんなに楽しい!?」
「そんなつもり――」
田端さんは血の気を失った唇を結び、僕を睨む。
僕は何も言えず、ただ田端さんがスマホを操作しないように手を取ったままでいる。
「ひょっとして――」
それなのに少女――綾花?――は話を続けた。
「
何言ってるんだ、この子。田端さんは女の子じゃないか。
「な――」
田端さんが目を大きくした。
「あたしだよ! よく見て昌也くん、面影――ない?」
そのまま、僕をまっすぐ見つめる。
ドキドキする僕を気にする様子もなく、唇がわなわなと揺れる。
手から、スマホが落ちた。
「綾――花、ちゃん?」
細い指が僕の目尻に迫る。
ひやりとした感触が、右目のすぐ下をそっと撫でてゆく。
「ふたつ並んだホクロなんて珍しい、って言ってたよね、昌也くん」
僕は――いや、少女が、ふわりと微笑む。
「そういえばちょっと、女の子ぽいところあった。
なんなら、一緒にいた間のことでも話す?」
田端さんがゆっくり首を振る。
「いい――ほんとに、綾花ちゃん?」
「友達の体勝手に借りててごめん。それか、彼氏?」
力が抜けているのを感じて、僕は手を離した。
「友達、かな。本当に小園くん?」
今度は僕が頷く。
「『母音がOだけ』の小園だよ、『全部A』の田端さん」
これは、前に偶然二人だけになった時に田端さんが言ったことだった。
「なんていうか――信じられない」
「仕方ないよ、夢なんだし」
僕が苦笑すると、田端さんは「えっ?」と眉をひそめた。
「夢じゃないよ、小園くん――現実だよ」
「え? いや、だってほら、僕の体――」
こんなに現実離れしたことが本当なわけがないじゃないか。
頭はまだ遠くにじわじわと疼きを残して――痛み?
「う、そ――」
また、自分の体を探り回す。
「う、うわあ……っ」
「ねえっ!」
パニクりかけたところを、田端さんに抑えられた。
「お互いちょっと、整理しない? 私も聞きたいことあるし、小園くんに『入った』って言ってる綾花ちゃんも話したいこと、あるんでしょ?」
冷静な提案だった。
先に頭に血が上った分、僕より早く落ち着けたんだろうか。
「う――うん」
「場所変えたいけど、だめ?」
「ごめんなさい、昌也くん」
綾花、という僕の惚れてる田端さんと同じ名前の少女が申し訳なさそうに、僕の体と口で謝った。
――思い出した。
この子の顔、ニュースで見たんだ。
児童誘拐殺人の。
要は、大学のサークルの飲み会だ。
この広めの公園は桜が適度に並び、遊具と離れた場所で寛げる、近場ではなかなかのスポットだ。
その中でも陣取れた桜は、数年前まで枯れたように寂しかったのが最近復活したのか何なのか、枝ぶりも咲きっぷりもこの近辺では一番といわれるくらいの花をつけると評判の木だ。
公園はバーベキュー禁止なくらいで、うるさくもない。
ということで予算を組んで酒とか食べ物を調達して、昼過ぎに集合。
正直なところそういうことに慣れてるわけではなかったけど、僕なりに頑張った。
一輪で生きる花のような、しなやかな強さと可愛らしさが同居した印象の子だ。
見た目もいい方だと思うし、明るいけど、男の噂は聞かない。
密かに焦がれているあの子が、強引気味な誘いで参加することが決まったからだ。
理由は誰も知らないけど、普段から花を嫌っていたり、木に近づくことも妙に避けたりしている子なのが、今回はどういう風の吹き回しか、あるいはしつこい誘いに根負けしたのか、来ることになったのだ。
だから、田端さんへのアピール目的もあって、幹事を買って出た。
――結果はまあ、本編は無難に済んだけど、僕は酔い潰れてしまった。
片付けの途中までは覚えてる。
田端さんがあまり、というかほとんど、桜を見てなかったのも。
酔って眠りこけているようで、妙な夢に遭遇している――のだろう。
田端さんとの仲を深めたいという下心が「女同士なら簡単かも」なんて意識になって、夢の中でこうなったんだろうか。
それならば、出てきてくれてもいいじゃないか。
それなのに、目の前にいるのは知らない少女だ。
(ちょっと、聞いてる?)
経緯を思い出そうとしてる間に、何か言われてたようだ。
「あ、ごめん、何?」
少女がため息をついたような気がした。
(――いい。
ともかく、あたしがここに埋められてるってことを知らせたいのと、あたしを殺した犯人に仕返ししたいのと、一緒にさらわれてた
要求の多い幽霊だな。
それに、桜の下に埋めるなんて――
「そんな、梶井基次郎じゃないんだから」
これでも文学部なんだ。桜の木の下には……なんて話はそのまますぎて草も生えない。
しかもあれは『そうだと思って安心する』という、本当に埋まってる話じゃない。
(誰それ)
そういうことは、この子には通じないようだ。
「――それで、僕に夢の中で知らせよう、って?」
ひょっとしてベンチで寝ていたのが北枕になってて――とか。
(夢じゃないよ)
そうか、夢じゃないのか――って。
「そんなわけないだろ」
この子と話してても埒が明かない――というか、この子の目的は判った。
とはいえ、僕がしてやれることがあるようには思えない。
どうこの子に言って断って、夢から覚めるか――そんなことを考えてると、声をかけられた。
「あの……すみません」
田端さんだった。
昼から一緒にいた、その時と同じシャツとスカート、それに小さめのバッグ。薄めのメイクと、チャームポイントのような泣きぼくろ。
さっきはポニーテール風にくくっていた髪を、下ろしていた。
引き返して来てくれたんだろうか、優しいなあ。
自分の願望通りに現れるなんて、ほら、やっぱり夢じゃないか。
「大丈夫ですか? それと、ここに男の子いませんでした?」
近付いてきた田端さんはそう言って、どこか怪訝そうな顔を見せた。
「田端さん、僕だ、
「はぁ?」
田端さんは見るからに不審そうな目つきで僕を見る。
「からかってるんですか?――ていうか、どうして私の名前を?」
フリーダムな夢の中とはいえ、女になったらこうなるか。
「田端さん、僕が小園智夫だよ。こんな姿になってるのは――」
「田端? あの、あなた、兄弟とか親戚に昌也くん、っていませんか?」
僕の言葉を遮って、僕の口から少女の声が出た。
いつの間にか、脳裏に浮かんで話していた少女の姿が消えていた。
田端さんはますます怪しんだ様子で、スマホを取り出す。
「嫌がらせ? ストーカー? 警察呼びますよ」
「からかってなんかいません。あたしがこの彼の体を借りたら、こうなっちゃったんです」
僕の口で少女が田端さんに訴える。
「あたし、原綾花っていいます。あなたのお友達の体を変えちゃってごめんなさい。でも、こうしないとこっちに出てきて喋れな――」
「ふざけないで!」
田端さんが声を荒げて、スマホを操作しようとする。
――綾花?
「待って、田端さんっ」
僕はとっさに立ち上がって田端さんの手を掴む。
「本当なんだ。十歳くらいの女の子が僕に――!?」
田端さんは、涙を浮かべていた。
さらに、小刻みに震えているのが伝わってくる。
「なんなの? 私の心を抉るのがそんなに楽しい!?」
「そんなつもり――」
田端さんは血の気を失った唇を結び、僕を睨む。
僕は何も言えず、ただ田端さんがスマホを操作しないように手を取ったままでいる。
「ひょっとして――」
それなのに少女――綾花?――は話を続けた。
「
昌也くん
?」何言ってるんだ、この子。田端さんは女の子じゃないか。
「な――」
田端さんが目を大きくした。
「あたしだよ! よく見て昌也くん、面影――ない?」
そのまま、僕をまっすぐ見つめる。
ドキドキする僕を気にする様子もなく、唇がわなわなと揺れる。
手から、スマホが落ちた。
「綾――花、ちゃん?」
細い指が僕の目尻に迫る。
ひやりとした感触が、右目のすぐ下をそっと撫でてゆく。
「ふたつ並んだホクロなんて珍しい、って言ってたよね、昌也くん」
僕は――いや、少女が、ふわりと微笑む。
「そういえばちょっと、女の子ぽいところあった。
なんなら、一緒にいた間のことでも話す?」
田端さんがゆっくり首を振る。
「いい――ほんとに、綾花ちゃん?」
「友達の体勝手に借りててごめん。それか、彼氏?」
力が抜けているのを感じて、僕は手を離した。
「友達、かな。本当に小園くん?」
今度は僕が頷く。
「『母音がOだけ』の小園だよ、『全部A』の田端さん」
これは、前に偶然二人だけになった時に田端さんが言ったことだった。
「なんていうか――信じられない」
「仕方ないよ、夢なんだし」
僕が苦笑すると、田端さんは「えっ?」と眉をひそめた。
「夢じゃないよ、小園くん――現実だよ」
「え? いや、だってほら、僕の体――」
こんなに現実離れしたことが本当なわけがないじゃないか。
頭はまだ遠くにじわじわと疼きを残して――痛み?
「う、そ――」
また、自分の体を探り回す。
「う、うわあ……っ」
「ねえっ!」
パニクりかけたところを、田端さんに抑えられた。
「お互いちょっと、整理しない? 私も聞きたいことあるし、小園くんに『入った』って言ってる綾花ちゃんも話したいこと、あるんでしょ?」
冷静な提案だった。
先に頭に血が上った分、僕より早く落ち着けたんだろうか。
「う――うん」
「場所変えたいけど、だめ?」
「ごめんなさい、昌也くん」
綾花、という僕の惚れてる田端さんと同じ名前の少女が申し訳なさそうに、僕の体と口で謝った。
――思い出した。
この子の顔、ニュースで見たんだ。
児童誘拐殺人の。