第54話 非情なるジャッジ

文字数 814文字


「あっとひっとり! あっとひっとり!」

 たった一人の応援団木崎先輩が盛んに連呼している。
 そうだ、あと一人なんだ。
 とうとうここまできた。
 鼻先に待望の一勝がぶらさがっている。
 この試合に勝てば、廃部は免れる。
 19年間無勝の不名誉記録ともおさらばだ。
 達森は「ツーアウト」と叫んでナインを振り返った。
 みな、このときを待ちわびた顔をしている。
 勝ちに飢えていた顔だ。
 それがいま、ようやく叶えられる。
 達森がセットポジションに入った。
 もう序盤のときのようなワインドアップをとる余力は残されていない。
 コントロールを大事にしてボールを低めに集める。
 ただ、それだけだ。



 ボテボテのゴロが三塁線に転がった。
 ノーボールツーストライクまで追い込まれ末に、焦って打たされた格好だ。
 遊川は走った。
 最後のバッターになんかなりたくない。
 この一年半の間、どんなに練習してきたか。
 土まみれ、汗まみれになりながら白球を追ってきた。
 見た目か、この天然の赤毛のせいかわからないが、ひとは遊川をチャラ男と呼んだ。

 チャラ男がこんな地道な努力をつづけるものか。練習が休みの日でもバットを振った。バッティングセンターに通った。
 そうして獲得した3番の打順だ。
 マネージャーの加奈が見つめている。
 祈るように胸の前で手を組んでいる。

 おれは加奈が好きだ。
 だけど言い出せない。
 甲子園にいって勝つまでは口にはだせない。
 だけど、あのカイトという野郎は、あろうことか監督の家に居候して加奈と親しく口をきいている。
 そうだ、あの野郎、どこいったんだ?!
 肝心なときにいないじゃないか!
 おれたちがこんなにも必死であがいているときにヤツはどこにいるんだ?
 チクショウ!
 一塁が遠い。
 右打席から一塁までこんなに距離があったか。

 土煙を舞いあげて遊川はヘッドスライディングした。

「アウッ!」

 一塁塁審の非情なジャッジが頭上で響いた。



   第55話につづく

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