第8話 沿線

文字数 1,077文字

 運転士を失った電車は、みるみる速度を増していく。仲間の話に大声で笑いながら窓枠や手すりを叩いていた少年たちも、数人の乗客が待つ宝来町電停を、減速せずに通過すると、何かがおかしいことに気がついた。さらに、その先の右カーブを倒れそうな勢いで曲がり始めたとき、彼らは慌てだした。
 少年たちの中の一人が、激しく揺れる車内を、手すりやつり革につかまりながら運転台に近寄っていく。そこには運転台に覆いかぶさるように突っ伏している運転士がいた。
「おい、やべえぞ。こいつ死んでるかもしんねぇ」
  少年は仲間に叫んだ。それを聞いた二人もふらつきながら、運転台に駆け寄っていく。電車は青柳町電停を越えて、下りの急勾配にさしかかった。
  少年たちは、運転士の体をどけようとするが、その巨体と車内が激しく揺れるため足元がおぼつかずどうにもできない。制御レバーを握った手は固く結ばれている。ふと前を見た一人が叫んだ。
「ぶつかる!」
  紺のアウディがウィンカーをつけずに右折して前方へ入ってこようとしている。それは、この電車の速度に対する完全な判断ミスであった。
 軌道に入った右前側を電車に弾かれたアウディは、ヘッドライトが粉々に飛び散り、バンパーは外れたかけた状態となり、雪けむりをあげて停車した。運転していた男は茫然と走り去る電車を見送った。
  強い衝撃はあったものの、電車は脱線することなく速度を増していく。少年たちは衝突の直前、手すりをつかみ倒れずにすんだ。その直後、信じられない光景が三人の目に飛び込んできた。
「うそだろ……」一人の少年が呟いた。
  自転車に乗った老婆が進行方向に入ってこようとしている。少年たちは目を見開いた。次の瞬間、鈍い衝突音がして老婆は弾き飛ばされ宙を舞った。彼女の黒いコートがはためいて、まるで死を告げるカラスの羽ばたきのように見える。それから彼女は落ちて動かなくなった。
  谷地頭電停で乗車待ちをしていた人たちは、とてつもない速さで突進してくる電車に驚いて、蜘蛛の子を散らすように離れたところへ逃げた。彼らが固唾をのんで見守る中、電車は轟音をたてて車止めに突っ込んだ。
 あまりの速度に車止めは衝撃を吸収しきれず、市電の前面は大破した。部品や破片が飛び散るその中には、車内から投げ出された少年たちもいた。人々の悲鳴が響く。糸の切れたあやつり人形のように横たわっている、彼らの体から溢れ出る真っ赤な血が白い世界を染めていった。
 それでも雪は降り続け、少年たちも悲鳴も何もかもを包み込んでいく。やがて全ては静まり返った。
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