第七章 敵

文字数 7,592文字

第七章 敵

カフェで連絡先を交換し合った聡美と継夫は、その後も頻繁にやり取りし、時折図書館などで会うことも多くなった。それに並行して、川村寿子の小説は、図書館でも目にする機会が減った。

「あれ、この間まで置かれていた本、まだ返却されてないのですかね。その前に誰かが借りて行ったのかな。」

読んでみたい本の一つだっただけに、聡美は残念だった。

「じゃあ、職員さんに聞いてみましょうか。」

継夫は、すぐに図書館の受付カウンターに行って、本の予約をしたいので、返却してもらったら、速やかにうちへ連絡してもらいたいと要請した。すると、職員は、全く悪びれた様子もなく、こう答えた。

「あの本は、数日前に処分しましたよ。」

「なんですかそれ。図書館は誰でも読める本を置いておく施設ではないんですか?」

「そうなんですけどね、新しい市長さんが、川村寿子さんの本は有害なので読まないほうが良いと提言したそうです。ですから、私たちも従わなければならないというわけでして。」

へえ、いつの間に市長が変更になったのだろうか。聡美も継夫も選挙なんて無意味なことだとして、参加しない方針であったから、そんなことは全く知らなかった。しかし、正確に言ったら、先日、任期満了のため、富士市長選挙が開催されたのだ。テレビでは、現職と新人の一騎打ちとして話題になっていた。そういえば、二人の候補者は、親子くらい年齢が離れているということも聞いている。こうなると、田舎町の人であれば、年をとった現職が勝利すると予想するだろうが、不思議なことに、若い新人が当選してしまった。そして、新しい市長さんになった新人は、富士市民が、これまでの古い政治に飽きて、新しい制度がほしいという意思を示したのだと思うから、自分はそれにこたえられるように、一生懸命やりますなんて演説していた。勿論、それがかなうなんてことは、歴史的にも現状的にも全くない。しかし、新しい市長さんは、それを断行してしまったらしく、その具体例が、川村寿子の本を処分しろということだろう。

「しかしですね。読みたいという人もこうしているんですけどねえ。」

「そうですけど、図書館は民間ではなく公営の施設なんですから、市長さんの命令には逆らえませんよ。」

「へえ、それでは、表現の自由も制限しているし、違憲という解釈も取れますな。」

継夫がそう発言すると、図書館の職員はそんなことを言われても困るという顔をした。

「市長さんは、若すぎてそういう事を知らないということでしょうかね。全く、これだから若い政治家と言いますものは困りますね。まあ確かに福祉制度の充実というものも大事なんでしょうけど、その前に表現の自由は保障されているという、日本国憲法で決められたことを破っているのに気が付かないのですかな。それに、川村寿子さんは、日本で一番欠けている、愛国心とか、人間の使命とかそういうものを訴えるのに、優れた作家だと思うのですがね。」

「私に言われても困ります。そういうことは市長さんに直接いっていただけないでしょうか。」

図書館の職員は、それを返すのがやっと、という感じで返答した。

「まあ、そうですよね。大体の人は自分が生活していくのに精いっぱいで、市民全部の幸せなんて考えていないでしょうからね。それを先導していくのに、川村寿子さんのような作家が必要だと思うのに、それを有害な本だと決めつける市長のほうが、頭が悪いのですから、気にしないでください。」

継夫は、半分馬鹿にするような感じで、受付を後にした。

二人は残念な顔をして、近隣のカフェに向かった。図書館に行った後は、ここで食事をとってから帰るのがお決まりになっている。

「でも、本が処分されてしまって残念だったわ。」

聡美はちょっと残念そうに言った。

「そうなると、川村寿子さんの本を読むことも、難しいものになっていくのかしらね。」

「そうですね、確かに川村寿子さんの小説は大体ワンパターンであると批評する人もおおいですよね。まあ、僕もそうだと思いますよ。でも、彼女が著書の中でそれを繰り返し主張しているということは、それは非常に大切なことであるからだと思うんですよね。そういうところが面白くないと、誤解をしている読者や批評家も多いですが。」

「継夫さんって面白いわね。お茶屋さんで働いているのがもったいないくらい。そういう思想を持っているのなら、何かで表現してみればいいのに。」

正直に聡美は感想を言った。

「まあ、僕も、多くの有名な作家の著書を読んで、研究はしましたよ。昔の島崎藤村とかそういうものも読みましたし、現代流行っている作家の本も読ませてもらいました。基本的にテレビを見るよりずっと面白いですからね。いろんな年代の方の本を読んでみて思ったことは、昔の軍国的な考えが当たり前だったころのほうが、ずっと優れていたのではないかという事です。表現にしても、時代が進んでくるにつれて、どんどん劣化しているような気がする。そして、そうなってくるにつれて、内容も本当にばかばかしいことを美化している小説が多すぎます。昔の小説家は、本当に小さいことも優れた文学に変える力を持っていると思うんですよ。でも、今の人は全くそうじゃありません。そこが、豊かになりすぎて、人間が劣化した証拠だと思います。」

「すごいわねえ。もしかしたら、プロデビューを目指していたとか?」

聡美がそう聞くと、継夫は少し考えて、こう答えを出した。

「そうですね。まあ、若いころはそうでした。思春期の頃は、本当にそうなりたくて、文芸学科に進んだりもしました。でも、そんなところに進んでも、小説の技法なら確かに念入に教えてくれますが、本当に書きたいことを書く方法を教えてくれるかというと、そうではありませんでしたので、あまり意味はなかったと思いますが。」

若いころという言葉を使うには、まだまだ早すぎる年齢であるのだが、多分それくらい密度の濃い人生だったのだろうか。

「へえ、そうなんだ。道理で、一般的な人とは考えが違うんだと思ったわ。それじゃあ、学生のころから、そういう事をやっていたのね。」

「ええ、まあ、少なくとも大学の四年間は、小説漬けだったかなあ。暇さえあれば書いて、技術向上のために、先輩方の著作をたくさん読みまくって。文系の大学は遊んで暮らせると高校時代はよく言われましたけど、決してそんなことはないですよ。おかげさまで、何百本の鉛筆を消耗したし、机の引き出しがはち切れそうなほどノートがたまってます。」

「そうよね。文系理系問わず、本来大学生というのはそういう者よ。まあ、私は家の事情で大学は行かないで、料理の学校に行ったんだけど、そういう人から見たら、大学って憧れの場所だったなあ。四年間も、自分の本当にやりたい勉強ができるんなんて羨ましい限りだわ。」

「うーん、どうですかねえ。果たして本当に書きたいことを書かせてくれたのでしょうか。僕が課題として書かされた小説は、みんな内容がよろしくないと言って、落第であったことのほうが多かったですからねえ。ですから、文芸学科の成績は最悪でした。結局、小説を書くための技法は手に入れたことは確かですが、書く内容としては、教授や大学の学校方針に合ったものを書かないといけなかったんですよ。だからねえ、ああいう大学は、あんまり役に立たないんじゃないですか。表現の自由は憲法で保障されているのにねえ。」

「へえ、どういう内容を書いていたの?」

と、聡美は聞いてみた。

「まあ、あんまり詳しく話すと長くなりますから、説明はしませんが、かいつまんでいえば、川村寿子とよく似たものをよく書いてましたよ。でも、大学の教授たちは内容が時代に合わないとか、古すぎると言って、あまりよい評価をくれませんでした。なので、成績は最悪だったわけです。」

なんだかかわいそうな人だな、と思う。

「それに、大体の人は成績で人間を判断してしまいますから、うちの親もそう思っていたようで、大学でこんな成績しかないのだから、お前はプロデビューなどできるはずもない、いい加減にあきらめろ、なんて、親に叱られてしまいましてね。そんなわけで、お茶屋さんで働いているわけです。」

そういう経緯があったのかあ。道理であの時、雄弁な態度が取れたわけだ。

「いや、私から見れば、すごいと思うわ。文芸学科で技法を学んだのなら、いくらでもすごい文章が書けるんじゃない。確かに大学にいたころは、ある程度教授方には従わないといけない、というのは仕方ないわよ。大事なのは、それを続ける意思があるかどうかじゃないかしらね。あたしからしてみれば、書いてほしいわ。川村寿子だって、今でも現役で書いているんだし。」

「まあ、川村寿子の若かったころは、まだ大学も今ほど確立していませんでしたし、それに女性が大学に行くのはあり得ない話という時代だったこともあるんだと思いますよ。現に、彼女の学歴は、師範学校を出ただけですし、国語教師をしていた時期もあったけど、彼女は比較的短期間で教師を辞めていますからね。その屈辱をもとに、川村寿子は小説を書き始めたといっていますが、それはある意味、そういう時代背景もあるんだと思います。逆を言えば、女は勉強も仕事もやってはいけないという時代を経験していないと、ああいう作品はかけないのではないですかね。」

確かにそうである。今の時代は女であっても、平気で大学に行き、平気で仕事を持ち、はたまた政治家になる女性もいる。そういう人たちからしてみれば、川村寿子が主張する、「女は家庭に戻れ」という思想は、非常に困るとしか言いようがないと思うし、そんなことを考えることもないと思う。

「まあ、確かに、川村寿子の著書にでてくる主人公たちは、大体子供を産んで仕事をやめたことで、幸せをつかむことが多いわよね。それって、ある意味必要なことだと思うわよ。仕事もして子供もほしいなんて、わがまますぎる気もするもの。何も有害とは思わないわ。」

「そうですね、川村寿子は女性にそういう事を提言し続けていますけど、僕が小説として書きたかったことはもうちょっと複雑で、結論から言ってしまえば、高齢者や障碍者は表に出るなという事なんです。大学時代、一貫してそれを書き続けようと思っていましたが、どうも大学の教授達は、時代の流れに反すると言って、良い評価をしてくれませんでしたね。一体なんでかな。」

「じゃあ、ぜひ書いて頂戴よ!」

聡美は急にこの人を応援したくなった。

「私、心から応援するわよ。川村寿子の作品がこうして衰退の一途をたどっているのなら、誰か後継者が必要だと思うのよ。私は、そういう主張はやっぱり必要だと思うし、へんに弱い人を甘やかす社会を助長させるよりも、ずっといいと思うわ。」

「そうですねえ。でも、出版社もこの近くにあるわけではないですし、文芸雑誌が刊行されているわけでもないですからね。」

まあ、確かに静岡県は有力な出版社があるわけではない。大手の出版社は東京などに集中している。

「それなら、新人賞とかそういうものを狙ってみれば?」

「うーんどうかなあ。そういうところにも、大学の教授たちが選考に関わっていると思いますから。」

「そんなこと言わないでさ、私、あなたみたいに個人ではなく社会に対して、考えを持てる人ってなかなかいないと思うのよ。それにそういう事が出来るんだったら、ただのお茶屋の店員だけじゃもったいないわよ。それなら、作家として十分やっていけると思う。社会に問題提起ができる人なんてそうはいないわよ!」

「しかしですねえ、文芸学科に行って、悪い成績をつけられている以上、無理なんじゃないかな。」

「それは逆手にとればいいじゃない!だって、小説を書く技法はいろいろ知っているんでしょ?それは逆にたくさんの武器を擁していることにもなるじゃないの。事実、図書館の職員さんにああいう発言できるんだったら、ネタはたくさんあるんじゃないの?」

「まあそうですね。時々、あまりにも障碍者が自分のことを偉そうにいうのには、怒りたくなる時があります。誰のおかげで生かしてもらえるんだって。」

「そういうところを書いてみるのも、一つの手だと思うわ。私、心から応援するから、ぜひやってみて!」

継夫は、しばらく黙り込んで何か考えていたが、

「そうですねえ。やってみようかな。」

と、言ってくれた。

その翌日から継夫の執筆活動が開始された。狙いはある文芸雑誌の新人賞。特に作品のテーマが設けられているわけでもないし、原稿の枚数も比較的少ないので、そこへ出してみることにしたのである。締め切りまであまり時間はなかったが、それでもどうにか原稿を郵便で送ることには成功した。聡美が原稿を送る前日に、完成した作品を読ませてもらうと、彼の才能が第一級の物であるということは疑いなかった。聡美が意味を知らない、難しい単語が連なっていた。それだけでもすごいと思うのに、主人公が持っている個性も、特に完璧な人でもなければ、何か特殊な能力があるわけでもない。それなのに、周りの態度などに影響されて、国民的な英雄に変わっていくというストーリーの筋書きもすごいと思った。これほどの作品を書ける人に、なぜ文芸学科の教授たちはよい評価をつけなかったのか、そのほうがおかしいのではないかと思われる作品だった。

結果は、郵便で送られるということになっていた。継夫はどうせ駄目だろうと言っていたが、聡美はぜひ、結果を拝見したいと言った。二人はその日、図書館に行かずにカフェで落ち合うことにした。

「じゃあ、開けてみますかね。」

継夫が、結果の通知書が入っている茶封筒をカバンから取り出した。結果だけではなく、審査員の寸評が同封されていると聞かされていたので、それもどうなっているか気になるところだった。

「久しぶりに書いたので、学生時代に比べたら、腕が落ちていると思うんですけどね。」

そんなことは絶対ないと聡美は思った。継夫は、丁寧に封を切って、書類を取り出した。

「やっぱりだめですね。まあ、もう仕方ないか。学生のころから、もう10年以上経ってますもの。」

そ、そんなこと絶対ない!と確信していただけに、聡美の衝撃は大きかった。でも確かに継夫が見せてくれた結果報告書には落選と記されていた。

「な、なんでよ!あれだけすごいの書いて、せめて佳作くらいは載るんじゃないかと思っていたのに!」

聡美がいくらそう言っても、落選の文字は変わらなかった。

「いや、無理なんですよ。まあ、はじめからそうなるのかと思いましたけどね。」

「だって、私だってあれほど感動したお話だったのに!なんで落選となるのか、理由を知りたいわ。ちょっと、寸評はどうなっているの?」

思わずそう言ってしまう。継夫は五人の審査員から出された寸評用紙を一枚づつ取り出した。聡美はそれを横取りして、すべての寸評を読んでみた。それによると、古語や慣用句などを効果的に使っていて、語彙が多いのは評価できるが、それだけでは文学とはいいがたいという意見や、内容が社会的弱者を抹殺しようという危険な思想に傾いているので、このようなものを文学としては認められないという意見が書かれていた。それは、あの時懍が、川村寿子本人に下した評価と変わらなかった。勿論聡美が、懍が出した評価を直接聞いたわけではないのだけれど。

「侮辱だわ。」

思わずこう答えが出る。

「だって、生きていくにはどうしても必要なことだから書いたのに、なんで落選となってしまうのかしら。」

「いや、それだけ小説を書くということは向いてないのだと思います。」

妙に納得している継夫にさえも腹を立ててしまう。

「だったらもう一回やってよ!私、必要なものを調達したりするから!もし、原稿用紙に書くのが面倒で、Wordがほしいというのなら、私、少しお金出すわ。返済なんてしなくていいから。」

まあ確かに、今時原稿用紙を大量に買って、それに書くという人もそうはいないだろうが。

「道具の問題じゃないですよ。道具なんて内容には関係ないです。」

「じゃあ何?資料とか、そういう問題?それなら私が調達しようか?調べたいことがあるのなら、図書館で借りてくればいいことでしょう?」

「いや、図書館の資料は情報が古い場合があって、役に立たないことが多いですよ。それに、こないだもそうだったけど、行政の命令で多かれ少なかれ資料を削除することもあるじゃないですか。」

「じゃあ、インターネットで調べるとか?」

「だから、無理なものは無理なので、これ以上こんなことはしたくないですよ。」

「なんで急に負け犬になったのよ!あれほど強気だったのに、一度落選になっただけで、もうあきらめるなんて、私が見ていた継夫さんではないような気がするわ!」

「そうじゃなくてですね、聡美さん。審査員の中に、僕が大学で受け持たれたことのある教授も混じっていたんですよ。それでは、どんなに努力しても、突破することはできませんよ。」

「誰なの?」

継夫は、寸評用紙に書かれている審査員名を指さした。確かに、その中には、日本大学文芸学部教授という肩書が書かれている者もいる。

「でも、もう10年以上たっているんだから、その人はもうかなり年寄りではないの?」

「いや、そんなことはありません。今だって、80歳くらいじゃないですか。それに、こういう人は、80なんてまだまだこれからという人のほうが多いんじゃないですか。」

確かにそうかもしれない。一昔前だったら、80歳はかなりの高齢と言えるのだが、今だったら、80歳といってもまだまだ現役で活動している人は数多い。認知症にでもならなければ、こういう文化人はいつまでも活動できる。彼らは、60歳で定年というのは若すぎるなんておかしな主張を繰り返している。若い聡美からみたら、年寄りはさっさと引っ込んでろと、声を大にして言いたいのに。

「日本人は長生きしすぎだわ。それに応じて私たちがどんなに迷惑しているか、全く知らないんだから!」

思わずそう言ってしまう。継夫の方は、仕方ないと納得しているように見えたが、聡美はこんなに悔しいと今まで思ったことはなかった。

「全く、こんなに才能がある人を潰すなんて、日本の文化人はどうかしているわね!」

改めて、世界を敵に回した瞬間であった。
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