第二話 時空を超えた出会い

エピソード文字数 2,923文字

 迫りくる馬を、寸前で道端に転がってなんとか避けられた。
「あ、痛たた……」
 ふう。ぎりぎり。
 上体を起こした目に映ったのは、いちど通り過ぎたものの、パッカパッカと、こちらに馬を返してくる少年。
 彼もおれと同じく着物姿で、赤い鞘の刀を差している。
 またしても戦国時代の夢なのだろうか。本能寺の変といい、一体なんなんだよ。

(あい)()まぬの。大事(だいじ)ないか? しかし、ヌシが飛び出してくるのも悪いのじゃ」
 少年が騎乗のまま声を掛けてくる。よく通る甲高い声だ。
 状況がつかめず混乱しているせいか頭が痛む。少年に答えた。

「少し頭が痛むんだ」
「なんと、頭が痛む! 由々(ゆゆ)しき事態かもしれぬ。しばし、待っておるのじゃ」
 少年は身軽なこなしで馬から下りて、手綱(たづな)を道端の木に括り付けて馬を固定する。そして、飛ぶように道の脇を流れる小川に駆け下りていった。

 そうか。水を汲みに行ってくれてるんだな。
 馬に蹴られたから頭が痛むのではなく、身の回りで起こる出来事が理解できずに頭が混乱しているんだ。ともあれ水はありがたい。
 少年の気遣いに感謝する。

 ほどなく少年は小走りで戻ってくると、不安げな眼差しで、湿らせた手拭いとヒョウタンを差し出してきた。
「手拭いで頭を冷やすとよい。気が進めばこれを飲むのじゃ。単なる水だが」

 だんだんと落ち着いてきて、脳が働いてきた。
 やはり周囲をいくら見回そうと、現代文明の欠片(かけら)すら見当たらない。少年の姿と話し方、遠くに見える板葺きの家屋、区画が整理されていない田んぼ。
 間違いない。ここは断じて現代日本ではない。鎌倉時代から戦国時代までの中世が濃厚だろう。

 いわゆるタイムスリップの類だろうか? またしてもリアルな夢なのだろうか?
 ともあれ、現状を把握しなくては何にもできない。 
 心配そうにおれを覗き込む少年。小学校高学年ぐらいだろうか。整っている顔立ちだ。美少年といっていいだろう。
 この少年だけが頼りだ。現状を教えてくれ。頼む!

「ありがとう。少し記憶が曖昧なんだけど……ここはどこだい?」
 差し出された手拭いで顔を拭いながら、意を決して訊ねる。
「だいぶ落ち着いたようだな。ここは尾張国(おわりのくに)那古野(なごや)(愛知県名古屋市)なのじゃ。分かるか?」
 日本語が通じるのは助かるし、場所が変わっていないも良かった。現代日本の記憶は、名古屋市の大学に近い奈津の住むマンションで途切れている。

「それから……今年は何年だい? できれば日付も」
 余りにも不自然な質問だが、背に腹は変えられない。
「うむ。天文(てんぶん)十四年六月二十日のはずなのじゃ」
 天文と言ったな。天文十四年といえば、西暦一五四五年。日本史は大の得意だし、中世史を専攻しているので分かる。

「ありがとう。助かったよ」
 おれの無事にほっとしたのか、安心顔ではにかむ少年。いかにも高級そうな着物の仕立てからすると、裕福な武士の子だろう。
 帯代わりに着物を腰縄で締めている。ショートパンツのような半袴(はんばかま)といい、随分ラフな格好だな。
 
 少年の格好よりも、一五四五年といえば戦国時代真っ只中じゃないか。まずいな。下手をすると生命の危険すらあるぞ。
 戦国時代の武士は、通常は小者(こもの)といわれる従者(じゅうしゃ)を連れている。おれは、一人でふらついていて、不審者扱いされても不思議ではない。というか、客観的にいって不審な武士そのものだ。
 危険極まりない状況だ。いつ斬られてもおかしくない。
 不審者という状況から、早急に脱しなければ大変なことになる。うまい手を打たなければ、文字通り命取りになってしまうぞ。

 幸いコミュニケーション能力は、アルバイトの塾講師も無難にこなせたし、まずまず自信がある。戦国時代と言葉が多少異なるはずだが、四の五の言ってられるか。
 まずは、この少年と仲良くなって、少年の親の伝手(つて)を利用するべきだ。

『きみは一体?』と問いかけようとしたところ、記憶に引っかかるものがあった。甲高い声で話す少年……縄の帯……ヒョウタン……赤い刀……那古野……。
 まさか! 織田信長か?
 信長は少年時代に、うつけとも呼ばれるラフな格好で領内を駆け回っていたエピソードが残っている。記憶によれば信長は天文三(一五三四)年生まれなので、天文一四年現在の年齢は数え年で十二歳。少年の容貌と辻褄がピッタリ合う。
 電撃のような緊張が走る。唾をゴクリと飲み込んで(たず)ねた。

「あ、あなた様は、ひょっとすると、織田弾正忠(だんじょうのじょう)家の?」
「左様。尾張のうつけ、と呼ばれている織田(きつ)じゃ」
 やっぱりだ。幼名(ようみょう)は織田吉法師(きっぽうし)。戦国の風雲児、織田信長だ。
 この少年が信長なのか。感慨深い。
 本能寺を詣でたせいなのか、タイムスリップなのか、リアルな夢なのか定かではないけれど、おれは一五四五年の少年信長と話しているんだ!

 いや、待て。
 最も興味のある戦国武将で、卒業論文のテーマにした織田信長と話しているからといって、舞い上がっていたら命取りだ。冷静に冷静に考えるんだ。
 現時点でおれは不審者な武士なことは変わりはないし、頼る伝手なんかあるわけがない。現時点でこの那古野を領有しているのは、信長の父親の織田弾正忠(だんじょうのじょう)信秀(のぶひで)だ。

 信長と――父親の信秀と、良い関係を結ばなければ、遅かれ早かれおれの運命は尽きてしまうだろう。
 だが、幸いなことに信長は身分に囚われずに、見込んだ人材を重用している。ならば現代に戻れるまで、少年信長に気に入られてついていく以外に道はないぞ。

 よし。
 ふうっ、と大きく息を吐いて応対する。
「吉様はうつけと見せかけねばならぬ理由があるから、うつけのふりをするのでしょう?」
 少し言葉遣いは怪しいかもしれないが伝わってくれ!
 信長は少年時代に、周囲の大人には進歩的な考え方が理解されずに、うつけと呼ばれていた。
 天才は周囲には理解されにくい。
 こう言えば、おれの考える信長ならば分かってくれるはず。分かってくれ!

「何ッ!?」
 少年信長は鋭い目で睨んできた。満十一歳のガキとはいえ、後の天下人の織田信長。目力や迫力は尋常ではない。思わず気圧されてしまうが、ひるんでいてはまずい。
 訂正。ガキというより美少年だな。
 目が大きく、まつ毛も長くスッキリとした二重の綺麗な顔立ち。さすが、戦国時代一の美女と名高いお市の方と同じ血筋だ。

「ヌシはワシのことを……理解できるのか?」
 少年信長は怪訝そうな表情。
 もちろんノーの返事はないが、生命の危険から逃れる正念場だ。
「はっ!」
 自信満々で答える。
「では聞くが、尾張の戦をなくすにはどうすれば良いのじゃ?」
 よし。食いついてきたぞ。おれの知っている織田信長ならば、正解は分かっている。
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登場人物紹介

織田吉(三郎信長


 那古野城城主で周辺一〇万石の領主。織田信秀の嫡子。

 織田信秀の次男に生まれるはずが、どこで間違ったのか女性に生まれてしまった。見た目は現代風美少女だが男装を好む。最近はアクセサリーを頻繁に変える、鎧を着替えるなどオシャレに気を遣うようになっている。

 奥手で、『つるでぺた』を気にしているが実態は不明。


 戦場では鉄砲を使う。

 初陣で敵大将を討ち取るという大殊勲を挙げた。

 美濃の斎藤義龍との結婚計画があったが流れた。

 口癖は、一人称「ワシ」、二人称「ヌシ」、語尾は「のじゃ」、肯定は「で、あるか!」。「素っ首貰い受ける」もお気に入りのようだ。

 自分に理解を示した左近のことを、とても気に入ってやがて好意を示す。左近の部屋に入り浸っている。

 政治・外交・経済のセンスは抜群で、左近をはじめ周囲をしばしば驚かせる。

 頭に血がのぼると一直線な行動をとることも多い。

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