14.蛇と葬送
文字数 2,008文字
魔導四家の長女の訃報は、瞬く間に市民に知れることとなった。
一様に喪服を着た市民の間を、馬車に積まれた棺がゆっくりと運ばれていく。そうしてパンドルフィーニの領地と巡ったあとに、王都へと運ばれていくのだ。
馬車の横に取り付けられた箱に花が投げ込まれていくのを、わたしは窓越しに見ていた。
こういうときにも――わたしは表に出してはもらえない。こういうときだからこそ と言う方が、正しいのかもしれないが。
父はわたしが棺に近寄ることを嫌がった。せめてわたしの分も花を添えてほしい――という願いさえ、どうにか許されたくらいなのだ。わたしに近づく姉という存在を、最後まで蔑んだ目で見詰めていた。
視界の限界を超えて、街の出入り口へと消えていく棺の音が遠ざかる。
姉は――。
父を愚かだと言った。
姉を殺す ためなら、どんなこともすると言っていた。それは本当で、わたしは所在不明の姉の死を見詰めている。
あの馬はどこに向かうのだろうか。王都を出た先、どこに貴族のための墓地があるのか、わたしは知らない。
何を埋めに行くのだろう。
あの棺の中に、姉はいないのに。
何も入っていない棺に無関心な献花だけを詰めて、市井の人々が予定外の出費と陰鬱な空気に密かな愚痴を吐き捨てる中、姉の存在は死ぬ。
アルティア・パンドルフィーニは、もう戻ってこないのだ。その命が今もあるかどうかを別にして。
なにもかもが空虚な葬列に、心のこもらない喪服が行き交う。とうとう棺を引きずる音が聞こえなくなったことに耳を澄ませた。
それから体を横たえる。
ひどい虚脱感が心の内から湧いている。目を開けることもできない。
本当なら――。
姉の棺に、誰より近寄りたかった。そこに何も入っていないと知っていても、姉の存在が最期を迎えるのを、誰より近くで見つめていたかったのに。
わたしはこんなところで転がっていて、喪服に触れることさえ許されていない。
漠然とした拘束感が形を成したのは、ちょうどそのころだった。
それまでずっと、姉はいつか戻ってくると思っていたのだ――と思う。彼女の面影を追い、彼女の部屋に忍び込み、使用人たちの目を盗んでは彼女の脚本を読んだ。刻々と記憶から消えていく彼女の印象を焼き付けるために、彼女と過ごしたあらゆるにおいを脳髄に叩きつけていた。
けれど。
もう二度と、この家にアルティア・パンドルフィーニの席は用意されないのだと悟ってから、その全てが曖昧になってしまった。
姉の部屋にあったはずの空気が、既に薄埃で汚れていることを知った。無造作に積まれたままの脚本は、きっと姉にとっては駄作だったのだろう。開け放したカーテンから入り込む日差しですっかり焼けて、中の紙までもが黄ばんでいた。あんなに潔癖だった人が毎日使っていた鏡は、曇って見えなくなっていた。
一年は――思ったよりも長かったのだ。
そう気がついてしまった。
それ以来、姉の顔がどうにも思い出せない。最初のうちこそ、恐怖と意地にまかせて部屋のドアに手をかけていたが、その先に期待する声が脳の中で掠れていくのを知ってからは、あがくのをやめた。
わたしはこれから、姉を忘れていくことしかできない。
別れを告げてしまったから。別れを告げなくてはいけないと知ってしまったから。
姉は知ることを愛したが、わたしは嫌いだ。何も知らなければ、心の奥底に住まった姉の声を頼りに、この家に殉ずることもできたかもしれないのに。
わたしには――この家にいる理由がなくなってしまったのだ。
外に出るよう促す使用人の言葉に、素直にうなずくようになった。雑踏の空気に紛れて、あの日の葬列が歩いた道をなぞる足取りだけが、わたしに姉を教えてくれる。
濃密な姉の気配に触れることがなくなって、わたしはますます彼女を遠ざけた。記憶の淵にある声が聞こえなくなる。彼女はどんな顔で、何を語っただろうか。わたしの中にある知識のいくつが姉のもので、いくつが教育係のもたらしたものだろうか。
大切だった思い出のいくつかを、あの日の棺と一緒に埋めてしまったわたしの日々からは、姉の誕生日さえ抜け落ちてしまった。
きっと――。
こうしてわたしの空虚は埋められていくのだ。外堀に押されて、閉塞感に挽き潰されて、確かにある穴は目立たないよう圧縮される。
確かにあったはずの、姉の形をした虚無を失ったとき、わたしはどう生きていけばいいのだろう。既にぼやけた彼女の輪郭をつかむことを諦めて、わたしはすぐに形を見失う。近い未来に訪れるはずのルネリア・パンドルフィーニのありようは、きっと今のわたしには理解できない。
けれど、そんなことを考えられるのも、今のうちだけなのだろう。
忘れるのは早いのだ。
覚えているのはあんなに難しかったのに。
一様に喪服を着た市民の間を、馬車に積まれた棺がゆっくりと運ばれていく。そうしてパンドルフィーニの領地と巡ったあとに、王都へと運ばれていくのだ。
馬車の横に取り付けられた箱に花が投げ込まれていくのを、わたしは窓越しに見ていた。
こういうときにも――わたしは表に出してはもらえない。こういうとき
父はわたしが棺に近寄ることを嫌がった。せめてわたしの分も花を添えてほしい――という願いさえ、どうにか許されたくらいなのだ。わたしに近づく姉という存在を、最後まで蔑んだ目で見詰めていた。
視界の限界を超えて、街の出入り口へと消えていく棺の音が遠ざかる。
姉は――。
父を愚かだと言った。
姉を
あの馬はどこに向かうのだろうか。王都を出た先、どこに貴族のための墓地があるのか、わたしは知らない。
何を埋めに行くのだろう。
あの棺の中に、姉はいないのに。
何も入っていない棺に無関心な献花だけを詰めて、市井の人々が予定外の出費と陰鬱な空気に密かな愚痴を吐き捨てる中、姉の存在は死ぬ。
アルティア・パンドルフィーニは、もう戻ってこないのだ。その命が今もあるかどうかを別にして。
なにもかもが空虚な葬列に、心のこもらない喪服が行き交う。とうとう棺を引きずる音が聞こえなくなったことに耳を澄ませた。
それから体を横たえる。
ひどい虚脱感が心の内から湧いている。目を開けることもできない。
本当なら――。
姉の棺に、誰より近寄りたかった。そこに何も入っていないと知っていても、姉の存在が最期を迎えるのを、誰より近くで見つめていたかったのに。
わたしはこんなところで転がっていて、喪服に触れることさえ許されていない。
漠然とした拘束感が形を成したのは、ちょうどそのころだった。
それまでずっと、姉はいつか戻ってくると思っていたのだ――と思う。彼女の面影を追い、彼女の部屋に忍び込み、使用人たちの目を盗んでは彼女の脚本を読んだ。刻々と記憶から消えていく彼女の印象を焼き付けるために、彼女と過ごしたあらゆるにおいを脳髄に叩きつけていた。
けれど。
もう二度と、この家にアルティア・パンドルフィーニの席は用意されないのだと悟ってから、その全てが曖昧になってしまった。
姉の部屋にあったはずの空気が、既に薄埃で汚れていることを知った。無造作に積まれたままの脚本は、きっと姉にとっては駄作だったのだろう。開け放したカーテンから入り込む日差しですっかり焼けて、中の紙までもが黄ばんでいた。あんなに潔癖だった人が毎日使っていた鏡は、曇って見えなくなっていた。
一年は――思ったよりも長かったのだ。
そう気がついてしまった。
それ以来、姉の顔がどうにも思い出せない。最初のうちこそ、恐怖と意地にまかせて部屋のドアに手をかけていたが、その先に期待する声が脳の中で掠れていくのを知ってからは、あがくのをやめた。
わたしはこれから、姉を忘れていくことしかできない。
別れを告げてしまったから。別れを告げなくてはいけないと知ってしまったから。
姉は知ることを愛したが、わたしは嫌いだ。何も知らなければ、心の奥底に住まった姉の声を頼りに、この家に殉ずることもできたかもしれないのに。
わたしには――この家にいる理由がなくなってしまったのだ。
外に出るよう促す使用人の言葉に、素直にうなずくようになった。雑踏の空気に紛れて、あの日の葬列が歩いた道をなぞる足取りだけが、わたしに姉を教えてくれる。
濃密な姉の気配に触れることがなくなって、わたしはますます彼女を遠ざけた。記憶の淵にある声が聞こえなくなる。彼女はどんな顔で、何を語っただろうか。わたしの中にある知識のいくつが姉のもので、いくつが教育係のもたらしたものだろうか。
大切だった思い出のいくつかを、あの日の棺と一緒に埋めてしまったわたしの日々からは、姉の誕生日さえ抜け落ちてしまった。
きっと――。
こうしてわたしの空虚は埋められていくのだ。外堀に押されて、閉塞感に挽き潰されて、確かにある穴は目立たないよう圧縮される。
確かにあったはずの、姉の形をした虚無を失ったとき、わたしはどう生きていけばいいのだろう。既にぼやけた彼女の輪郭をつかむことを諦めて、わたしはすぐに形を見失う。近い未来に訪れるはずのルネリア・パンドルフィーニのありようは、きっと今のわたしには理解できない。
けれど、そんなことを考えられるのも、今のうちだけなのだろう。
忘れるのは早いのだ。
覚えているのはあんなに難しかったのに。