広げられた魔術 1

文字数 3,778文字

 皇国には十名近い王位継承権を持つ王子王女が存在する。
 過去から続く決まり事の中で、当時の王の直系の子のみが王位継承権を持つとされている為に、王の兄弟姉妹は各地の領主となって皇国を支えるようになっている。それ故に王となって以降の王位剥奪闘争は殆ど無いけれども、王になるまでのそれは苛烈を極める。
 そんな中で7年近く前、一人の王女が失踪した。
 国民の前で行なわれた派手な宣言だった。
 歴史上稀に見ないその出来事は、今では吟遊詩人が歌う程に知れ渡っていて、自ら失踪したにも関わらず国民からの王女の人気は高いままだ。それを不快に思う王子王女が多くても、既にその姿を消した王女にそれは届かない。
 彼女の従者は契約に従い、彼女の17の成人の日までは王宮に勤めるけれども、それ以降は皇国を離れる事を宣言して憚らない。
 皇国は、歴史上数少ない色の称号を持つ魔術士を抱える国としてこれまで他国に対し、本来の皇国ではあり得ない程の高慢な態度をとって来たが故に、皇国内では彼等の契約終了の日が近付くに従って様々な動きが活性化し始めている。
 どんな手を使っても二人の従者を取り込もうとするもの。
 失踪した王女を捜し出そうとするもの。
 そして、別の形で二人の従者を留めようとするもの。

 十五を過ぎた辺りの歳だろう金の髪の少年が、漆黒の髪の騎士に木刀を向けている。
 対する漆黒の髪の騎士が手にしているのはその辺で拾ってきたただの木の棒だ。二人がいるのは王宮の中庭の少し開けた場所で、彼等がこうしているのは既に恒例の姿だったから誰も気に留めすらしない。毎度毎度こうして時間を使わされる騎士の方は、髪と同じ色をした瞳を胡乱気に眇めて少年を見ている。
 二人の直ぐ傍では、真白の獣がくぁ、と欠伸をしていた。
「今日もするんすか?」
「勿論だっ! 今日こそ勝って手に入れるっ」
 二人が賭けているのは、当の黒の騎士の将来である。
 が、今現在少年の全敗に終わっている。こと自分の件に関してイガルドは全く遠慮というものが無かった。それが例え王位継承権第五位の少年だろうとも。
 それでも諦めずに少年は毎日のように黒の騎士に賭けを挑んでいるのだ。
 少年からすれば姉である王女付きの従者である彼を己の従者にする為に。
「ってか、俺がサファイア様の従者の資格を剥奪されると解ってて、負ける訳ないでしょが」
「…………あいつの、何がそんなにいいんだよっ」
 はぁ、と溜息を零して呆れたように言うイガルドに、少年ステイアが苛立ちを隠さずに不満をぶつける。
 あいつというのは言わずも知れた少年の姉でありイガルドの主である、七年前に失踪した王女サファイアだ。当時の年齢にして齢十歳。そんな幼い頃しか知らないのに、どうしてこの騎士も金の魔術士も、そこまで彼女に従属出来るのかステイアには理解出来ない。
 彼の記憶に残っている姉は、金の髪青の目の、常に彼等に護られている幼い少女のままだ。
 そこまで彼等が心酔する理由が解らない。
「あいつって、君ね。お姉様でしょう」
「自分の我侭で王族の義務を放棄したヤツなんか姉じゃないっ!」
 そう叫んだ瞬間、周囲の空気の温度がさぁっと下がった気がしてステイアはぞくりと背中に悪寒を感じる。
 見れば、さっきまでつまらなそうにしていた黒の騎士の目が、中に静かな怒りを燻らせながらステイアを睨みつけている。見た事が無いその姿に少年はごくり、と息をのんだ。
「我侭、だと?」
 常より低い声。
「何も知らない餓鬼の戯言としても、聞き流せない言葉だ。サファイア様は今のお前なんかより余程王族としての義務を理解していらっしゃった。だからこそああするしかなかったんだ。お前のような、ヒトの者を欲しがるヤツばかりが此所にはいたからな」
 鋭い、目。
「無い物ねだりしか出来ない餓鬼の時点で、お前がサファイア様に勝てる所なんて無い」
 バシっ
 気付いた時にはステイアの身体は吹き飛んで芝生の上を転がっていた。
 何時もよりも手加減が無いのはそれだけイガルドが怒っているからなのか。その短い時間の中で少年は今まで黒の騎士に全く本気で相手にされていなかった事を知る。それでも直ぐに起き上がれただけ、かなり手加減をされての今、なのだろう。
 ぞくり、とステイアの身体に寒気が襲う。
 今更のように恐怖が這い上がってきて、イガルドの顔が見られない。
 痛い沈黙が満ちたその時。
「何してるんすか?」
 聞き慣れない声が彼等のいる場所に降った。よろりと視線を上げたステイアに、見慣れない二人の男女の姿が見えた。片方の女は魔術士のローブを羽織って長い杖を持った茶の髪に赤目の美少女で、もう片方は金の髪に青の目という色合いだけならステイアの姉にそっくりな綺麗な顔立ちをした男だった。こっちは何も持たず普段着といった様子だ。
 声をかけてきたのは男の方で、女の方は目を見開いてステイアとイガルドを交互に見ている。
 見覚えが無いから外部の者達なのだろう。
 そういえば今日は祭典用の魔術士の公募審査だったと思い出し、情けない所を見られたいたたまれなさもあって少年は俯いて立ち上がる。やはり手加減はされたのだろう、立ち上がるにも痛みはなかった。それが逆に、痛い。
 そんなステイアの向こうで、現れた女の方が男の方に何か耳打ちをしていた。
「え? 第五王位継承者? 王子さんってこと?」
 男の驚いたような声。
 ステイアの方も驚いて顔を上げる。中の人間ならばともかく、ステイアの地位を直ぐに言える者は国民の中にも殆どいないだろう。
「ちょっとちょっと、黒の騎士さん、王子さんには加減しないと~」
「…………恥ずかしい所を見せてしまいました。申し訳ない」
「いや俺達は別に良いんだけどね? 大丈夫かね王子さんの方」
 心配そうに言われるのに対し、思わず反射的にステイアは叫んでいた。
「大丈夫だっ! この位、全然問題ないっ!!」
「おお、タフだねぇ」
 関係無い者の目にも加減しなければならないと映る程に力量差がはっきりしていると思うと、酷く悔しくてステイアはそのまま挨拶もせずに走り去った。
 もしも少年がもう少し冷静に状況を見ていたならば、そこにいた魔術士の女に姉の面影を見たかもしれない。自分を見る彼女の目に、見覚えのある何かを感じたかもしれない。或は、女の方をじっと見ている黒の騎士に普段とは異なるものを見つけたかもしれない。
 けれども少年はやはり幼過ぎて、そして色々と足りない部分が多過ぎた。

「さて、と」
 ステイアの姿が見えなくなったのを確認して、アミルは周囲に結界を張り巡らせる。
 視界を誤摩化し、音を遮断するそれが綺麗に張れた事を確認したその上で彼は隣でうずうずしていた少女に声をかける。
「もう構わないぞ?」
 雇われ魔術士としての採用が決まり、決められた宿舎に向かうその途中で黒の騎士の姿を見掛けた時からずっと落ち着きの無かったサフがぱっと顔を輝かせて、ようやく大きな声で早く呼びたかったのだろう相手の名を呼ぶ。
「イガルド! シロ!」
「だ、大丈夫なのか!? こんな所で…………っ」
 呼びかけ走りよって来るサフの姿を嬉しそうに、けれど動揺も隠せずに見ながら辛うじてその名は呼ばずに不安を口にするイガルドには、さっきまでの恐ろしさは掻き消えている。やはり腹心の従者だけあって、姿を見ただけで彼女を判別出来ていたらしく二人が現れた時から彼から余裕は無くなっていたが、名を呼ばれて更に混乱しているようだ。
 無理もない。
 サフはアミルを信頼しているけれど、イガルドからすればアミルは不審人物でしかない。魔術士でもないイガルドには、今アミルが魔術を使った事すら解っていないだろう。横にいる白の魔獣は魔術の気配に気付いて一瞬警戒したようだったが、直ぐに害がないと理解したらしく騎士よりも早くサフの方に擦り寄っている。
「大丈夫ですよ。結界張ってるんで。まぁ金の魔術士にはバレるかもしんねーけど、それは問題ないっすよね」
 アミルが肩を竦めてそう言うのと、サフがイガルドにしがみつくのが殆ど同時。
「あのね、大丈夫だよ、アミルはプライド高いからアミルがそう言うなら間違いないよ」
「お嬢さーん、そこはせめて『凄い魔術士だから』とか言ってくんない? 何か格好悪いんですけど。後、俺今はクラウンって名前なんで。そんでサフはルビーなんで宜しく」
 フォローのつもりだろうサフの言葉に思わずアミルは思わず苦笑いをし、サフはイガルドにしがみついたままで「そう、僕今ルビーって言うんだよ」と続けた。
 戦士学校の頃に自分を僕と言っていた癖は未だに抜けない少女は、そんな事は気にせずにこにことイガルドを見上げ、擦り寄ってきている白の魔獣の頭を杖を持ってない方の手で優しく撫でている。
「サフ…………大きくなって。それに、元気そうで良かった」
「えへへ」
 金の髪ではない、けれど恐らく触り心地は変わっていないだろう茶の髪をそっと撫でてイガルドが感慨深そうに言うのを、照れくさそうにサフが笑う。その姿は兄妹か親子の再会のようだ。
「でも、何でこんな時期に、こんな所に。それに、その姿は」
「あ、うん、えっと」
 説明をしかけたサフに。
「ちょ、何事ですかーこの大掛かりな結界は~」
 結界の向こうから呆れた声を上げて、クリアが現れた。
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