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文字数 4,621文字

 
 彰が磯田と共に神崎の元を訪れたこと、今回の「猫かぶり」を彼が仕込んでくれたことを話すと、英一は飛び上がって神崎の現状を尋ねた。
 英一達の事故の際に、最初からずっとコンタクトを取り、その後の交渉の主導をしたのが神崎なのだという。二年前に体調の問題で引退することになった、と聞いた時はかなり応えたのだそうだ。
「その頃はすっかり諦めてはいたんだけど……ああ、もう本当に出られないんだな、て。僕達を出せるようにできる人がいるとしたら、それは神崎さんだけだと思ってたから。他の研究者の人は、もう全員諦めちゃってたし」
 実際神崎が引退してからは、研究者側から英一達にコンタクトを取ってくること自体が殆どなくなったのだそうだ。見捨てられた、そう感じたという。
 彰が神崎の様子を説明すると、英一は眉を曇らせる。
「そう、後三年……そんなに、悪いの」
「うん、でも、ここ最近はすごく元気になった、て家政婦さんが言ってた。確かに足腰弱ってるから寝たきりだけど、毎日精力的にばりばり新しい論文読んで、何かみなぎってるよ、すごく」
「想像できるな、それ」
 彰が必死にフォローすると、英一はうっすらと微笑った。
「言ったら何だけど、ああいうのがマッド・サイエンティストって言うんだろうね。ある意味、研究者の(かがみ)だよ」
「僕もそう思う」
 彰もつられて、くすりと笑って。
「それで、神崎先生から聞いたんだけど……」
 それから神崎が考えている英一達の事故の原因、そしてもしかしたら今後新しい展望が得られるかもしれない、ということを彰は注意深く話した。希望は捨ててもらいたくないけど、あまりぬか喜びもさせたくはない。
「……ああ、すごく納得できる、その仮説。確かに夢から出られなくなってる、て感覚はあるよ」
 彰の説明に、英一は深々とうなずいた。
「そうか、うん……あ、でも、神崎さんは今は引退してるんでしょ? 誰か引き継いでくれる人がいるの?」
「……いや」
 彰はかぶりを振って、神崎のもう一つの話、「事業」についての説明を始めた。
 殆ど口をはさまずそれを聞きながら、英一の目が丸く見開かれる。
「……知らなかった」
 ひと通り話し終えたのに、英一は考え込みながら呟く。
「シーニユは? そんな話、知ってた?」
「いえ、初耳です」
 英一の問いに、彼女は即座にかぶりを振った。
「じゃ、少なくとも『事業』の場所はナイトゾーンではない、てことか」
「ナイトゾーンを含め『パンドラ』内に、そこで働いている人工人格が知らない空間がある可能性はありますが、どちらかと言えば低い確率のように思えます。おそらく都市の外部に『パンドラ』のように別枠の空間をつくって、そこで行なっているのではないでしょうか」
「確かに、都市内の地理は大体把握してるけど、そんなことができそうな場所、思いつかないしなあ……全然、知らなかったよ」
 どこか感心したような口調で言って、どさりと大きく椅子の背にもたれて。
「でも、じゃあそこにも多少は、人工人格がいたりするのかな」
「可能性はあります。限られた研究者だけではそこまで連続して利用者の方に付き添うことはできないでしょうから」
「だよね」
 口髭をなでると、英一はわずかに顔をしかめる。
「なんか、気分悪いな……自分達が育ててきた人工人格が、そんな仕事させられてると思うとさ」
「もし本当にその仕事の為だけの人工人格が存在するなら、それは私共とは異なる方法で作成されたものではないでしょうか」
「え?」
 シーニユの言葉に、彰と英一はきょとんと彼女を見た。
「私共はヒトにとって、仮想空間での最大の問題は『仮想誤認』や『現実誤認』を引き起こしてしまうことだ、と教育されています。それはもう徹底的に。禁忌、と呼んでいいレベルで浸透しています。ですから『パンドラ』の為に教育された人工人格をその『事業』で使用することは困難かと」
「成程……」
 英一は呟いて背中を起こした。
「じゃ、その為だけに人工人格を作成してるか、仮想人格を作ったか、か」
「僕等以降にも、仮想人格って作られたの?」
 その呟きに彰は思わず反応して。英一達の事故の後で、よく実行できたものだ。
「テスト的なことは何度もしてたよ。僕等の時は一年かかったけど、もっと短期間で、僕等の時程完全な複製じゃなくて、長期低活動下のヒトが入る時用のベースになるような。勿論一般人じゃなくて研究者で。最終的には単なるベースだけならほんとにすぐにつくれるようになってたから、それなりの仮想人格ならそんなに時間はかからないんじゃないかな」
「そうなんだ……」
 英一の言葉に、彰は何だか胸が悪くなるような思いがした。
 あの時会って話をした「もうひとりの彰ともうひとりの皐月」、あれは本当に自分と同格の存在に思えて、だから彼等には都市の中で幸福に暮らしてほしかった。自分ならきっとこういうことが有意義に思える、そういうことをしていてほしい。
 研究者にとって自分の仮想人格がそんなことの為だけにその場所にいる、というのは果たして苦痛ではないのだろうか。
「そうか、じゃ……神崎さんはそれを告発することで、現場に戻ろうと考えてる訳だ」
「うん、そう」
 考え込んでいると目の前で英一がそう聞いてきて、彰は急いでうなずくと、神崎がどれ程現場に戻りたいと思っているか、自分は研究に没頭したいから他のことは磯田達に任せる、と話していたことを伝えて。
「成程ねえ……やっぱり、マッド・サイエンティストだ」
 神崎の「他の何を犠牲にしても自分のやりたい研究に戻りたい」という強い執念を聞いて、英一は気を悪くするどころか逆にどこか嬉しそうな様子でそう言った。
「もし本当に現場に戻れたら、きっとあの人、あと十年や二十年は長生きするよ。また話せるの、嬉しいな。ああいうむちゃくちゃな人、僕好きなんだよね」
「神崎先生も、美馬坂くんと話をするのは刺激的で楽しかった、て言ってたよ」
「……そう」
 唇の端にしみじみとした笑みを浮かべて、英一はうなずいた。


「そういえば神崎先生が聞いてほしい、て言ってたんだけど、他の事故に巻き込まれた人達は今どうしてるの?」
 ふっと思い出して彰が聞くと、英一は「ああ」と眉を上げた。
「亡くなった人がいる、て話はしたよね」
「あ、うん」
 神崎から少しだけ聞いた話を思い出して、彰は何となく緊張する。
「あの人はもう僕等とは離れて、仮想人格達と暮らしてる。最初の頃は顔も合わせてもらえなかったけど、でも今は、もう自分がヒトとしてここにいたことを忘れてる、て言うか……うん、そうならないと当人が辛かったのかもしれないけど、やっぱりあれも一種の『仮想誤認』なんだろうね。もうすっかり、自分は最初っから仮想人格なんだ、て認識になってる」
「へえ……」
「だからもし公表することになったとしても、彼については亡くなった時に都市内の人格も同時に消滅して、元々できあがってた仮想人格しか残っていない、てことにしといた方がいいように思うよ。下手に身内とかに尋ねてこられて、ほんとは自分が生きてたんだ、て自覚しちゃったら……多分、ものすごく辛いことになるんじゃないかと思う」
「……うん」
 英一の言葉に、彰は小さくうなずいて。確かにその認識をひっくり返すのは、無駄に残酷だ。
「後の二人は、ちょっと離れてはいるけど近くに住んでるよ。まあどっちも、出られない、てなった時にはしばらく荒れてたけど……ほんと、もう、割り切る以外にできないくらいの時間が、僕達にとっては流れてるから」
 ごくあっさりとしたその口調の中にどれ程の懊悩があったのか、そう思うと喉の奥が詰まるような思いがする。
「一人は僕より二つ上、萩原(はぎわら)さん。もう一人は九つ違いで坂口(さかぐち)さん。坂口さんの方が僕はウマが合うかな。萩原さんは何て言うか、熱血タイプで」
 言いながら英一はちょっと苦笑して。
「もともと体育教師が夢だったんだって。だから人工人格の教育にもすごく熱心で。必要ないのに、スカイゾーンの人工人格に筋トレとかストレッチとかひと通り仕込むんだよ。面白くはあるんだけど、長く一緒にいると疲れるタイプ」
 そう言いながらもその口調には全く悪意や嘲りは感じられず、なんだかんだ言って上手くつきあっているのだろうな、と彰は内心で思う。
「坂口さんは、まあいわゆる『オタク』。て言っても、映画も本も漫画もアニメもゲームも、ほんとに満遍なく好き、て感じ。機関側にリクエスト出して取り寄せたのが家にずらっと並んでて、よく借りに行ってる。同じものを出してもらえばいいだけなんだけど、彼のおすすめとか感想聞くのが楽しくてさ」
 にこにこしながら話す英一に、彰はほっとした。期せずしてそんな風に暮らすことになった面子とそりが合わなかったらさぞしんどいだろう、と思ったので。
「向こうは向こうで、外のこと、時事問題とかにはもう全然関心なくなっちゃってるんで、でも人工人格の教育にはそういう知識も必要なんで、そこは僕がフォローしてる。人工人格達は最新のニュースをきちんと取り込んでるから、こっちが全然知らないんじゃお話にならないからね」
 でもきっと彼なら多少面倒な相手でも、上手に長所を見出して仲良くつきあえるんだろうな、笑顔で話す英一を見ながら彰はそう思い直した。
「その二人は、今回の件を知ったらどういう反応しそう?」
 それから少し気になって聞いてみると、英一は「うーん」と少し考え込んで。
「どうだろうなあ……前に言ったけどさ、もう本当にここに長くいるから、それはそれで、確かに安定はしてるんだよ。だから今更外に出てややこしくなるより中にいたい、て二人が思ってもおかしくないし、そうは言っても僕みたいにやっぱり出たい、て思い直すかもしれないし」
「まあ、そうだね」
 確かにその辺りはもう蓋を開けてみるまでは判らない問題なのだろう、彰は小さくうなずいた。
「萩原さんなんかはさ、人工人格の教育にもう一種の使命感感じてるから、例えばもし出られてもその仕事を通いで続けられる、なんてことになれば諸手をあげて出たがると思うよ。坂口さんは……出なくても平気なタイプに見えるけど、でも家族がどう反応するかだよね。あまり家族の話は聞いたことがないけど」
「そうなの?」
「うん。……最初、まだ出られると思ってた頃は、僕等それぞれに訳アリだったし。その後もう出られない、てなってからは、話したって仕方ないとか、話すことでホームシックみたいな気持ちになるのもあって、お互い言わなくなった」
「……そう」
 かける言葉もなく彰がまたうなずくと、英一は身を乗り出した。
「だからそこの辺り、神崎さんにもちょっと確認しておいてほしい。二人に戻れる場所があるのかとか、出た後の社会的な保障はあるのか、とか」
「うん、判った」
 確かに事故の件を公表することで、英一だけでなくその二人にも大きな影響がかかるのだから、それは確認しておく必要がある。英一は間違いなく実家が受け止めてくれるだろうけど、その二人の身内が同じように思ってくれるとは限らない。
 彰は英一の顔を見直して、しっかりとうなずいてみせた。
  
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