第1話

文字数 4,560文字

敗戦まもない1947年のこと。長峰しづは通勤のバスの中でスペイン語を話しているアメリカ兵を見かけた。しづは外交官だった日本人の父とウルグアイ人の母の間にウルグアイで生まれ、アルゼンチンのブエノスアイレスで育った。日本語・スペイン語のバイリンガルだった。当時赤十字で仕事をしていた。

このアメリカ兵はアメリコ・パレデスといい、軍の新聞「スターズ・アンド・ストライプス」の記者だった。テキサス出身のメキシコ系アメリカ人で、こちらは英語とスペイン語のバイリンガルだ。

彼ははじめての出会いをこう回想している。「ぼくは銀座の赤十字を出ようとして、そこで以前見かけたことのある女の子になんの気なく『アディオス』といったら、彼女が『アディオス、アメリキート』(さよなら、アメリカさん)と返したんだ。そのとたん、ぼくは針にかかった魚になった」彼らは翌年結婚し、死ぬまでつれそった。

アメリコ・パレデスは1915年にメキシコとの国境にあるブラウンズヴィルで生まれた。16世紀以来そのあたりに住んでいたメキシコ人の家庭で、家はまずしかったが優秀だった。高校すらメキシコ人には出るのがむずかしかった時代に苦学して大学に行き、1950年に日本から帰ってからは仕事をしながら大学院に通い、博士号を取った。

のちに彼の息子が小学校で親の職業を聞かれ、「テキサス大学で働いている」といったら教師に「用務員をしているのか」といわれたそうだ。

テキサスとメキシコの国境地帯の文化を「テックス・メックス」という。Texas と Mexico の頭をとってTex-Mexというわけだ。文学、音楽、料理までこの名でよばれる。パレデスはこの地方の民話・民俗・民謡を専門とし、傑出した研究者になった。1999年になくなっている。

彼の代表作が「ピストルをにぎりしめて」というぶっそうなタイトルの本だ。国境地帯の民謡「グレゴリオ・コルテスのバラード」の背景と変遷をたどった本、というか、彼の博士論文を出版したもので、その綿密な調査と解釈は博士論文の模範といっていい。タイトルは歌詞の一句だ。

この本を原作とした映画「グレゴリオ・コルテスのバラード」が1982年につくられた。製作と主演をかねたのがエドワード・ジェームズ・オルモスだった。

オルモスはこのときまだ無名だったが、数年後に出演したテレビの「マイアミ・バイス」が爆発的な人気を呼び、メキシコ系アメリカ人の俳優として押しも押されもせぬ地位をきずいた。
私は「グレゴリオ・コルテスのバラード」を公開時に見て、名作だと思った。

これはハリウッドで作られたアメリカ映画としてじつに破天荒(はてんこう)な映画だ。どこが、というと、アメリカ映画なのに主人公グレゴリオ・コルテスがひとことも英語をしゃべらないという点だ。

主人公はメキシコ人で、それだけでもアメリカ映画としては異色中の異色だけれど、その彼がスペイン語すらほとんどしゃべらない。しゃべっても英語の字幕がつかないから観客には彼が何を言っているのかわからない。それで1時間44分をもたせてしまうのがすごい。


グレゴリオ・コルテスは実在の人物だ。そして映画に描かれた事件によってメキシコ民衆の英雄となり、現在まで歌に歌われている。その歌が「グレゴリオ・コルテスのバラード」だ。

「バラード」と英訳されているけれど、もとのスペイン語では「コリード」といい、記憶にのこる事件や人物を歌い上げたものをいう。なかでも犯罪者を民衆の英雄ととらえて歌にする伝統があった。清水の次郎長や国定忠治がナニワ節になっているようなものだ。

しかしコルテスが犯罪者なのかどうかというのは微妙なところだ。事実はつぎのようなものだった。

時は1901年、場所はメキシコ国境から150マイル(240キロ)のテキサス州カーンズ郡。 グレゴリオは貧しいながらも実直な農民で結婚していてこどももいた。ある日彼の家に白人の保安官がやってくる。馬泥棒を追跡しているのだという。グレゴリオは前々日めす馬を買ったばかりだった。その彼に保安官は馬を買ったかと聞くのだが、その通訳をした助手はスペイン語にくわしくなかった。スペイン語ではおす馬とめす馬では呼び方が違うということを知らなかった。「おす馬を買ったか」ときかれたグレゴリオは「いや、買ってない」と答える。

グレゴリオの反応があやしいとにらんだ保安官は「そんなはずはない」とつめより、止めに入ったグレゴリオの弟を射殺してしまう。グレゴリオは動転して保安官を撃ち殺し、そのまま馬に乗って逃げ去る。

情況は正当防衛だが、保安官を射殺してただですむはずはない。果たせるかなこの事件は大々的に報道され、メキシコ人に偏見を持つ新聞は白人に危害をおよぼすメキシコ人強盗団の首領だとグレゴリオのことを書き立てた。

グレゴリオが逃げ込んだ先の友人宅は白人の追跡隊に襲撃される。グレゴリオは闇にまぎれて逃げ去るのだが、双方に死傷者がでてしまう。

それからグレゴリオ・コルテスの信じられないような逃走がはじまる。彼は捕まれば裁判もなく縛り首になることを熟知しているので迷わずメキシコをめざす。

テキサスはもともとメキシコ領だったけれど、アラモの闘いで有名なテキサス独立戦争をへて、アメリカに編入された。昔からその地域に住んでいたメキシコ人はリオグランデ川を国境としてある日突然アメリカ人とされ、それだけでなく征服された民として偏見と差別にさらされた。

コルテスは首に懸賞金をかけられ、テキサス始まって以来という300人からのガンマンと猟犬による大規模な追跡を受け、10日間逃げ切ったあげく、国境まであと少しというところで裏切りのためにつかまってしまう。

彼は自分の命が風前のともしびだということを知っていた。だから逃亡したのだ。実際に事件直後に罪のないメキシコ人が何人も殺されている。国境をこえることはできなかったけれど何百マイルという逃避行を敢行したおかげで彼は少なくとも裁判にかけられる権利は確保したのだ。

感心するのは彼の精神力と決断力と行動力、それに体力だ。コルテスは100マイル(161キロ)を徒歩で歩き、400マイルを馬で走った。しかも追っ手をまくために同じところを行ったり来たりしている。つまり追跡隊にむかって走ったこともあったのだ。それがどんなに勇気のいることか我々には想像もつかないだろう。水飲み場の近くにいた牛をあつめて牧童をよそおって水を飲む、という大胆不敵な行動もとっている(もしひとりで近づけばすぐに射殺された状況だった)。

実在のコルテスは英語がすこしできたようだけれど、映画ではまったくわからなかった、ということになっている。スペイン語の誤解がもとで人が殺され、追われたのだ、ということがわかった時のコルテスの嘆きは人を打つ。

家族とともに牢屋に入れられ、激高した白人たちによってもう少しでリンチに会うところだった。

裁判の結果終身刑を宣告されたが、1913年に出所している。その後メキシコ革命に身を投じて政府軍に属して負けいくさを戦い、結局1916年に42歳で病死している。

逃走中からすでにコリードが作曲され、偉業を歌われた。つかまったときには無罪を主張するメキシコ系アメリカ人によりカンパがおこなわれた。刑務所から出られたのも彼をサポートする人々の請願が時の州知事を動かしたからだ。

逃亡中のコルテスは恐怖におののいていたに違いないが、コリードの中ではアメリカ人の鼻をあかした銃の名手として、また不屈の勇気の持ち主として描かれ、アメリカに対するメキシコの怨念を一身に背負った正義の英雄に変貌してゆく。


歌の中でテキサス・レンジャーは「リンチェス」(レンジャーズのスペイン語なまり)と軽蔑的によばれて徹底的に悪役である。メキシコ人から見ればグリンゴ(アメリカ人)の法など人種差別以外のなにものでもなかったのだろう。歌の中ではコルテスは「さあ来い腰抜けレンジャーズ、われこそグレゴリオ・コルテスだ」と威勢がいい。

テキサス・レンジャーは日本でも有名だ。自衛隊にもレンジャー部隊というのがあって災害救助などに活躍している。ことば自体は英国起源だけれど、レンジャー部隊はテキサス・レンジャーなくしてはあり得なかっただろうと思う。

日本では「テキサス警備隊」と訳される。しかしこれでは何の為に誰にたいして警備するのかわからないし、軍隊なのか警察なのかもよくわからない。その私の不確かなレンジャー観に一条の光を投げかけたのが “Gun Notches” という本だった(1931年刊)。これはテキサスにならってアリゾナに新設されたアリゾナ・レンジャーの隊長が書いた回顧談だ(Gun notchというのは人を一人殺すごとに記念に銃のにぎりにきざみつけるきざみ目のことだが、この題名は内容とまったく関係がない)。その中で著者はレンジャーのことを「マウンテッド・ポリス」つまり騎馬警官隊と書いている。なるほどレンジャーというのは馬に乗った警官なのか、と納得がいった。

この本によるとアリゾナ・レンジャーはメキシコのカナネア銅山の労働争議の時(1906年メキシコの鉱夫が白人労働者と同額の給与を要求してストライキをうった)白人経営者の支援に国境なんか無視して駆けつけ、武力で鎮圧している。


また銃の名手の一隊員がメキシコ側に飲みにでかけてメキシコ人の無法者に銃を射かけられ、足を撃たれたため這いずって国境まであと数メートル、というところで絶命した、などと書いてある。その理由というのがよくわからない。いくらワイルド・ウェストでもこんなとほうもないことが…とちょっと信じられない。

しかしパレデスの本を読むとアリゾナ・レンジャーが模範としたテキサス・レンジャー自体、荒くれ男の集団で法なんか眼中になく、怪しいと思えば問答無用で銃撃する、と書いてある。特にメキシコ人やインディアンはかたっぱしから殺してしまう。有色人種はすべて劣等な犯罪者だと思っている。メキシコ人から見たら武力を背景にした無法者たちでやくざみたいなものだから、恐れられ、憎まれ、同時に軽蔑されていた。無抵抗のインディアンの女子供を虐殺するなどという事件が数知れずおきている。

アリゾナ・レンジャーが殺されるといった事件も、メキシコ人の側によほど深いうらみがなければありえないことだろう。

テキサスにあとからやってきた白人たちが身を守らねばとレンジャーを組織しなければならなかったのも、そもそも自分たちが先住民から収奪を繰り返していたからではないだろうか。 

テキサス・レンジャーといえば白人の間では英雄だ。「ピストルをにぎりしめて」が1958年に出版されると著者パレデスのもとには「殺してやる」というおどしの手紙が多数舞い込んだという。


「東電OL殺人事件」の犯人とされ、15年獄中にあったゴビンダ・プラサド・マイナリさんが2012年に無罪釈放された時、私はグレゴリオ・コルテス事件のことを思いださないわけにはいかなかった。人種差別により無実の罪で十数年投獄される、ということが百年後の今もまかり通っているのだ。ゴビンダさんはネパールで歌の主人公になっただろうか。

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