The Door into Summer 2020

文字数 4,068文字

 中学二年の夏にアインシュタインを論破した私は、次の日からタイムマシンの制作に取りかかった。完成までに要した年月は四年。同級生が甲子園球場のグラウンドを行進している最中にそれは完成した。
「くぅもぉは沸ぁき、ひっかりあふぅれぇてぇ……」
 ラジオから流れていた歌を口ずさみながら、シークエンスの最終チェックに入る。──システムオールグリーン。
「完璧」
 軽やかにキーを叩く。ソファから立ち上がった私は、冷蔵庫からジンジャーエールの入ったペットボトルを取り出しグラスに注いだ。二つ年上の従姉が沖縄旅行の土産にくれた、丸みを帯びた真っ青なグラスは私のお気に入りだ。縁のところが波打っており、沖縄の海を想起させる。……行ったことないけど。
 しゅわしゅわと立ち上る炭酸の泡は、さながら消えゆく人魚姫のようではないか。窓から差し込む陽光に翳すと、黄金色の液体がきらきらと輝く。太陽が海水浴をしているようで、なんだか心が浮き立った。
「あっ、そうだ」
 完成記念に写真を撮るべく、スマホを手に扉を開いた。外に出るとまばゆい日光が降り注ぎ、灼けた空気が地面から立ち上る。蝉たちも喧しくがなり立てている。早く終わらせて、エアコンの効いた室内に戻ろう。
 太陽を背にスマホを構える。青々と茂る芝生の上には、宇宙船を思わせる流線型の車体。アルミ製のボディが日光を照り返している。おじいちゃんがオハイオまで足を運んで購入したというキャンピングトレーラーが私の研究室だ。長らく庭のオブジェと化していたのを有効活用させてもらった。

 研究室に戻ると、テーブルの上に黒い塊があった。なんだろう、いつの間に? よく見ると黒い猫が一匹、ジンジャーエールをぴちゃぴちゃと舐めている。首輪をしているから飼い猫かな? 光沢を帯びた銀色の首輪。
 そうっと距離を詰めようとしたら、たちまち気付かれた。飲むのを止めてこちらに顔を向ける。目が合った。瞳は淡い青、今日みたいに晴れた空の色だ。
「やあ。この時空航行装置は、キミが作ったの?」
 どこからか声がした。ここには私と目の前の猫の他には誰もいない。ラジオからはたぶん偉い人の長い挨拶が流れているけど、声のトーンがまるで違う。幼い子供が発するような──。
「あれ? 翻訳機能の故障かな……。ボクの言ってることが分からない? それとも聴覚が鈍い個体とか」
 猫が不思議そうに首を傾げた。間違いない。喋っているのは目の前の黒猫だ!
「ね、猫が喋った!?」
「ニャッ、びっくりした。急に大声出さないでよ」
 猫は背中を丸め、毛を逆立てる。あ、ごめんね。でも、喋る猫に出会ったらみんな興奮しちゃうと思うんだ。
「ごめんなさい。言葉を話す猫に会ったのは初めてだから」
「何を言ってるの? みんな喋ってるじゃないか。キミが理解していないだけだよ」
 呆れたような物言いだ。そのままテーブルの上に座り込む。図々しい子。でもそれより、猫たちは普段どんな会話をしているんだろう?
「あの……、そっち行って座ってもいい?」
「許可しよう」
 尊大な口調で尻尾を揺らす。私がおそるおそるソファに座ると、またジンジャーエールを飲み始めた。小さな黄金の海にさざ波が立つ。
「美味しい?」
 頬杖をついて覗き込むと、黒猫は煩わしそうに一瞬だけ顔を上げる。
「刺激的な飲み物だね」
「君、名前は?」
「ピート」
 こっちを向くのも面倒なのか、グラスに向き合ったまま答える猫くん。
「そう。私は理子、星野理子よ」
「聞いてないよ」
「覚えてね」
 ジンジャーエールを飲み終えたピートは毛繕いを始める。
「ねえ、ピートはどこから来たの?」
 彼は天井を見上げた。釣られて天井を見上げる。天窓から覗く青い空。
「……空? 空から来たの!?」
「うるさいよ。大声出さないでってば」
 彼の耳がぴくぴくと震える。
「だいたいさあ、ボクの質問には答えずに自分だけ質問するのって、狡くない?」
「え? 何か質問されたっけ?」
「最初に訊いたでしょ、この時空航行装置を作ったのはキミなのかって」
「ああ、そういえば……時空航行装置って、タイムマシンのこと? なら、作ったのは私だよ」
「キミ一人で?」
「そうよ」
「ふうん……」
 ようやくこっちを向いてくれた。空色の瞳、やっぱり綺麗。
「こんな未開の惑星に時空揺動を感知したって報告があった時は何かの間違いだと思ったけど、無駄足じゃなかったわけだ」
 立ち上がった彼はテーブルから飛び降りると、私の足元を歩き回る。
「で、キミはこの装置を使って何をしようとしていたの?」
「おばあちゃんにオリンピックを見せてあげるの」
「オリンピックって?」
「私のおばあちゃん、五年前に死んじゃったんだ。東京でオリンピックが開かれるのをすごく楽しみにしてたのに。だから、おばあちゃんがまだ元気だった頃まで迎えにいって、オリンピックがある来年の夏に連れて行ってあげるの」
「はい、駄目。有罪。ていうか、ボクの質問に答えてね」
「オリンピックっていうのはね、……なんだろう? お祭りみたいなものよ」
 答えながら、自分でもオリンピックについてよく知らないことに気がついた。四年に一度、世界中から人が集まって行われる大規模な運動会。よくニュースになっていたけど、一体何の意義があるんだろう?
「あのね、リコ。キミたちは知らないだろうけど、私的な時間旅行は銀河連邦政府によって制限されているんだ。時間旅行をするには、正式な手続きのもとに発行された査証が必要なのさ。キミのやろうとしていることは、犯罪だよ」
「なんで?」
「歴史が改変される恐れがあるからだよ。どれだけ危険なことか、分からない?」
「じゃあどうしろって言うの?」
「普通は時空管理局に申請するんだけど、この惑星は銀河連邦に加盟していないから受け付けてくれない。ま、あきらめる他ないね」
「この国には『タイムマシンで過去や未来に行ったりしてはいけません』なんていう法律はないわ。自治権の侵害よ」
「そうなんだよなあ」
 ピートは両の前足で頭を抱えた。あ、可愛い。
「まさか、ろくな宇宙開発もしていないこんな未開の惑星で時空航行装置が開発されるなんて、誰も思わないよ。……けど、ボクたち護民官は、現行犯に限り犯罪を取り締まる強力な権限を有している。その権限を使えば、キミの行動を規制することは公式に認められるはずだ」
「横暴ね」
 従わなかったらどうするつもりだろう? 目の前にいるのは、言葉を話すことを除けば何の変哲もない猫に見える。でも、話の内容から察するに高度な文明を持つ地球外生命体らしい。こちらの想像を超える手段を持っているかもしれない。
 彼は先ほどから天井を見つめたまま動かない。空の色を映す瞳が丸く見開かれている。一体何を見ているんだろう?
「ねえ」
「シッ、静かに。今、時空管理局と交信中なんだ」
 空を見上げたまま、大真面目な口調で答える猫。しばらく時間が流れた。ラジオの声がやたら遠くに聞こえる。突如、試合開始を告げるサイレンの音が響き渡った。それが合図だったかの様に、彼は口を開いた。
「リコ、ものは相談だけどさ……」
「ん、なあに?」
「この時空航行装置、ボクたちにくれないか? お礼はするから」
「ピートたちは、タイムマシンを持っているんでしょう? どうして欲しがるの?」
「ひどく原始的で雑な造りだけど、とても個性的だ。この惑星の文明を知る上で良い資料になるというのが管理局の判断でね」
 その言い方、貶してるようにしか聞こえないよ。でも、そうね……。
「タイムマシンをあげるから、今回だけ目を瞑ってもらうってのは、どう?」
「……残念ながら駄目だね」
「どうしてよ? ケチ」
「ボクじゃなくて、管理局に言ってね」
「融通が利かないのね。……その管理局に正式な手続きとやらを執るにはどうすればいい?」
「キミの所属する国家が銀河連邦政府と国交を持つことだね。それには先ず技術的な基盤──星間通信や移動の問題を解決する必要がある」
 私はしばらく考えた。タイムマシン作成に使用した理論のフィードバックで、星間航行は可能だ。だけど、実際にはエネルギー資源の問題がある。同じ惑星上で時間軸だけを動かすのとは訳が違う。莫大なエネルギーが必要だ。おそらく地球上の資源を掻き集めたって足りやしない。もっと効率を突き詰めるか、全く別のアプローチを考えなくては。

「いいわ。ただし、貸すだけよ」
 ピートは首を傾げた。
「貸すだけ? いつまでさ?」
「私が取りに行くまでよ」
「簡単に言うねえ。ボクらの母星までどれだけ距離があるか、分かってる?」
 呆れた物言いの猫に、人差し指を突き付ける。
「あなたはここにいる。だったら、私があなたの星に辿り着けない理由はないわ」
 何パーセク離れていたって、絶対に辿り着いてやるんだから。
 彼は値踏みするように私をじっと見つめたあと、口を開いた。
「面白い。そんなに言うなら、やれるかどうか見せてもらおうじゃない。……さっきはああ言ったけど、実はそんなに離れちゃいない。たったの三百光年だ」
 なんだ、思ったよりも近いじゃないの。
 それより、三百光年ですって? 今年の四月にNASAが発表したニュースに思い当たる。
「もしかして、春にニュースになってたケプラーって惑星だったりする?」
「ああ、それだよ」
「わお」
 パチンと指を鳴らした。心躍る情報じゃないか。光の速度で三百年。そこに地球とよく似た惑星があり、言葉を話す猫が高度な文明を築いて暮らしている──。

「じゃあね。首を長くして待っててあげるよ」
 そう言い残してピートは姿を消した。私の青春時代を費やしたタイムマシンも。
 ところで、近頃家の周りで黒猫をよく見かける。こちらの姿を見るとすぐに逃げ出してしまうのだが、きらりと光る銀の首輪。試しにジンジャーエールを入れた皿を庭に置いてみたところ、翌朝には空っぽになっていた。
 それ以来研究室の扉を開く時は、言葉を話す不思議な黒猫がひょっこり顔を出さないかと胸を高鳴らせている。

                (了)
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