第一話 ここはダンジョンの個人商店

文字数 2,640文字

 魔法の灯に照らされた縦八m、横八m、高さが三mの空間がある。壁は灰色の石造りで床は石畳だった。石畳には縦六m、横四m、の紫色の布が敷かれ、布の上には薬草の束や植物の種などの六品が並んでいた。

 布の後方にはゆったり目の緑のズボンを穿き、布製の緑のアクトンを着た身長百七十㎝ほどの男がいた。
 男は紫の頭巾を目深に被り、広げた布の前で黙って座っている。男はベルト・ポーチに杖を一本持っただけの軽装だった。

 男の名は蛍石歩(ほたるいしあゆむ)。このダンジョン『嘆きの石室』で、売り子をやっている。
 今日の商品は草の束が二つ、指輪が二つ、素焼きの玩具が一つ、謎の木の実が一つである。

 部屋の出入口は北側に一箇所しかない。出入口から一人の若い男が姿を現した。男は赤い髪をし、目つきの悪い、ひょろっとした体格の男だった。
 男は、ぱんぱんに詰まったバックパックを背負い、服装は布のズボンに布シャツの軽装だった。
(ここまで武器を持たずに降りてくるところを見ると、『異能持ち』の探索者か。こういう中途半端に強さを知った異能持ちが一番、迷惑なんだよな)

 後天的か先天的かの違いがあれど、この世界には超常現象を使える能力を持った人間がいた。超常現象を使える人間は『異能持ち』と呼ばれている。
「いらっしゃい」と蛍石は男に声を掛ける。

 だが、男は返事をしない。ただ、男は付近の様子を見渡し、やってきた通路の先を窺う。
 蛍石は自然体で座ったまま、男に視線を向けずに分析する。
(来たよ。泥棒する気だよ。しかも、こいつは初犯だな。止めておけばいいのに、泥棒で死ぬほど、もったいない死に方もない)

 蛍石には今いるダンジョンの階層の地図とモンスターの位置がわかる。
 蛍石のいる部屋から、まっすぐ北に百m行って曲がり、そこから西に五十mほど進んだ先に、縦二十m、横六mの長方形の部屋がある。長方形の部屋の中央には、下への階段がある。

 ダンジョンの売り子は品物を盗まれても下の階まで追いかけてはいけない。決まりではなく、ダンジョン自体が産み出した法則により、追ってはいけない。つまり、泥棒を働いても、下階まで逃げ切れれば捕まらない。

 男は挙動不審に辺りを見回してから、部屋の出入口に移動する。男はベルトポーチから一辺が五㎝ほどの小箱を取り出す。
 小箱はおおよそ見当がついた。『吸い込みの小箱』だった。吸い込みの小箱は、中が空なら、近くに落ちている道具を四つから六つ吸い込んで異空間に収納する箱だ。

 吸い込む対象は道具全般に限られるが、大きさは、箱より大きくても吸い込める。
(『吸い込みの小箱』で商品を持ち逃げする気か。出口まで距離もあるし、あまり賢い選択とは言えないな)

 蛍石は停めようとも、警告しようとも思わなかった。
 ダンジョンのルールとして、商品の代金を払わずに部屋の外へ持ち出さなければ、泥棒は成立しない。泥棒成立や攻撃を受けるまでは、売り子は探索者に手を出してはいけないのも、またルールである。

 男が部屋の出口で『吸い込みの小箱』を発動させた。蛍石の前から、四つの品物が飛んでゆく。
 商品が部屋の外にいた男の『吸い込みの小箱』に吸い込まれた。男はすぐに、やって来た通路を走り出した。
「泥棒!」と叫んで、杖を持って蛍石は立ち上がる。

 部屋の出入口から通路の先を覗いた時には、男は通路の半分を進んでいた。男は速度を上げる魔道具か、短距離を瞬時に移動する魔道具を使っていた。
 
 蛍石は走って泥棒を追いかけた。五十mも距離を開けられれば、男に追いつけそうになかったが。
 だが、蛍石の頭の中には、曲がった先まで来ているモンスターの動く銅像の存在を察知していた。
(男は通路を曲がった先で動く銅像と鉢合わせする。そこで少し足止めだ。運がなかったな。泥棒さんよ)

 曲がり角の先が明るくなっていた。角を曲がると、熔けた銅像と、全身を火に包まれた男がいた。男は炎に包まれていたが、悠然としていた。
(『炎化の異能』持ちか、『炎化の実』を飲んだな。店主泣かせの客だな)

 炎化した体は実体を持たず。普通の攻撃を受け付けない。触れるだけでダメージを受ける。
 また、炎化で吹き出る炎は金属を熔かし、草木を激しく燃やす。

 男が余裕の籠もった顔で蛍石を見る。
「追いつかれちまったから、やるしかない。あばよ、商店主さん」
 男が通路一杯に広がる炎の玉となり、蛍石に跳びかかってきた。

 蛍石の持つ、杖がぼんやりと光る。
「残念だが、ここではそれは通用しない」
 蛍石は神気を杖に込める。神気とは本来神々が持つと言われる特殊な気で、使用できれば様々な奇跡を起こす。

 蛍石は静かに宣言する。
「闘神流戦闘術・『霊破鎚』」
 火の玉と化した男を杖で打つ。杖と衝突した炎を玉は煌くと、消えた。

 蛍石の一撃は、動く銅像を簡単に葬った男を、一回の攻撃で跡形もなく消し去った。
『霊破鎚』は決まれば、実体を持たない存在をも打ち砕く。もちろん、相手が炎化していても、例外ではない。

 蛍石は迷宮で亡くなった、名もなき男に手向けの言葉を懸ける
「馬鹿だな。商店主から泥棒を働こうなんて」

 何もなくなった通路を見て、蛍石はがっくり項垂(うなだ)れてぼやく。
「今日は赤字だな」
 炎化した男は、装備品や所持品や財布も一緒に炎に変えていた。なので、炎が消えれば何も残らない。こればかりは、どうしようもなく、店主泣かせの由縁である。

 蛍石は何も回収できずに店に戻った。仕入れた品が六つ、盗まれて回収できなかった品が四つ。残った品は二つだった。
 盗まれた四つの品に高価格帯の指輪が混じっていたのが結構な痛手だった。残った品は、包装された素焼き玩具と、謎の木の実だった。

 男の他に探索者はやってこなかった。探索者のお客は来る時は立て続けに、三人、四人と来る時もある。だが、来ない時は零ないしは、一人も珍しくない。
 迷宮全体が揺れるような揺れが来た。
「今日は、もう店じまいか」

 ダンジョンの階層は時間が経過すると地震が来る。三度目の地震で全ての床が抜けて崩落する。探索者なら強制的に下の階に、ダンジョンの住人はダンジョン村に強制送還される。
 二度目の揺れが来るが客は来ない。三回目の揺れと共に地面が抜けた。蛍石は慌てず、落下に身を任せる。
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