第15話

文字数 1,453文字

 リョジュンは結局ロウと呼ばれたまま、ヤッカのリラ弾きとして人生を終えた。
 文字にしてしまえばたったそれだけのことだが、彼がいかに幸福な人生を送ったかを「あのじいさんは死んでもリラを放さなかったからな」と、しばらくの間残された人々は折に触れては笑い合った。
 そうして時の流れと共に、リラ弾きのロウはゆっくりと人々の記憶から薄れ、やがて忘れ去られた。そしてリラもまた廃れていき、一部の愛好家が爪弾く程度になっていった。

 そしてリョジュンがこの世を去ってから、二百年あまり後のことではあるが、テサの民なら知らぬ者はないと言われるほど、人々の間でよく歌われている歌があった。
 それはどちらかと言えばしみったれた歌で、一番好きな歌と問われてまず一番にあげる者はいなかった。しかし、その旋律は美しく切なげで、たとえば遠い故郷を思うとき、大切な人と別れるとき、思いがけず美しい夕日に出会ったとき、なぜか口ずさみたくなるような、そういう類の歌だった。
 この国にも何度もの動乱があったが、戦地で兵士たちが歌うのは決まってこの歌だったし、最近では、学院を卒業する日にこれを歌うのが習慣になりつつある。
 とても有名であるにもかかわらず、この歌の作者やいつごろ作られた歌なのかということは明らかになっていない。そして妙なことに、この歌にはいくつもの歌詞があり、研究家が大まかに分類しただけでも八種類の歌詞があった。それは情景を歌うものであったり、恋人との別れを歌ったものであったり地域によっても様々である。ただ、旋律だけは同じだった。
 実のところ、この曲が歌になったのは、この頃から百年ほどさかのぼった頃の話だった。
 ある歌うたいの男が、歌の譜本を編纂するにあたり、各地の民謡を集めて回るということをやっていた。そうして男がヤッカ地方でよく歌われている民謡の原曲らしき譜を、ルーベンの図書館の倉庫で発見したのだった。
 それはもう、触れただけで端から崩れ落ちてしまうような古い譜だったが、幸い文字は全て読み取ることができた。とても古い書体で書かれたその譜は、どうやら四弦リラの譜のようで、読み解く限り、かなり複雑な難曲だった。しかし、主旋律になったり裏に回ったりしながら、何度も何度も繰り返される旋律は単純で美しく、人々が自然と口ずさむようになったのにもうなずけた。
 そこで見つかった譜のほとんどには署名がなされていたのに、この曲の譜の署名には指示譜とは違った筆跡で、名前なのかどうかよくわからない署名がされていて、仕方なく男はその譜の作曲者の欄に「ルーベン地方の民謡・作者不明」と書き入れた。
 そうして出版された譜本はいつしか全国に広がり、それぞれの土地でそれぞれの人々が歌いたい歌詞が付けられた。そしてさらに時を経ていくうちに、いくつもの楽器の譜へと編曲されていった。

 そうして瞬く間に何百という冬が過ぎ、春が来て、ルーベンは寂れて何もない田舎と呼ばれるようになり、カデンツの麦畑はずいぶん減って家が増え、たくさんの人が移り住んだ。ヤッカはこの頃になっても、やはり港町として栄えており、ここには昔と変わらずリラ弾きが多く住んでいる。
 もうこの頃には、リョジュンのことはもちろん、ルーベンにロベルト派というリラの一派があったことすら忘れ去られていた。リョジュンの書いた譜もいつしか失われてしまったが、それでも、八つの歌詞、十数種の楽器、何千何万という人の口を借りて、リョジュンは今でも彼の旋律を歌い続けているのだった。


──了──
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