お菓子をくれなきゃいたずらします!
文字数 1,616文字
「オメガピース」兵士棟806号室の前に立ったアリスは、ドアをノックすると同時にこんな奇妙な声を廊下に響かせた。
806号室。
それは、片思い中のアッシュの部屋。
いわゆる「起こしたら死が待っている部屋」。
そんな場所に、アリスは何も入っていない藁のカゴを持って一人向かったのである。
と、そこに中から床を叩きつける音が。
起こしてしまったようだ。
それでも、アリスは動じない。
手を差し出す準備は整っていた。
ガチャ。
ギィ……。
アッシュが、全くからかうような口調ではなく、さらりとそう言い切ったが、その言葉にアリスは思わず吹き出しそうになった。
そう言えば、アリスはアッシュが「オメガピース」の食堂で何かを食べているところを見たことがない。
いや、銃のセクションの中で一番上と一番下になる二人は席が離れ離れなのだが、そもそもアッシュが食堂に「向かっている」のを一度も見たことがなかったのだ。
これで、ほぼ確実になった。
アッシュの部屋に、食べられるものは基本持ち込んでいないということを。
だが、アリスはそう分かっていても、この魔法の言葉を口にしようと、持っていたカゴをアッシュに突き出した。
アリスは、それでもカゴを突き出す。
だがアッシュは、アリスのその態度に困惑した表情を浮かべることなく、カゴを思い切り掴み、アリスから奪い取ったのだ。
アリスは、ガックリと首を垂れそうになった。
だが、その重苦しい雰囲気を弾き飛ばすように、アッシュはアリスから奪い取ったカゴを高く持ち上げる。
アリスは、その瞬間に息を飲み込んだ。
部屋にいくつか用意していたカゴから、こともあろうに、せんべいでできたカゴを持ってきてしまったことを思い出したのだ。
もちろん、取っ手も含めて食べられる。
今の今まで、藁だと思っていたアリスは真っ青になった。
アリスは、ドアの取っ手を掴もうとするが、アッシュが一足先にそれを力任せに引っ張った。
バタン!
固く閉ざされた806号室のドアの向こうから聞こえる、バリッと豪快に食べられるせんべいの音が、否応なしにアリスを襲う。
手ぶらになったアリスは、ガックリと肩を落としたまま、廊下をゆっくりと歩きだした。
せっかくのアッシュに接触できる機会を、こんな形で終えてしまったアリスは、ただただ後悔するしかなかった。
アリスには、10月の寒空から吹き付ける向かい風が、吹いていた。