第26話:凍空

文字数 2,608文字

「――あっ」
 仕事を終えた茉莉は、帰宅途中にあるハーブティー専門店で買い物を終え、品物をバッグの中にしまう最中、キーホルダーがないことに気が付いた。そういえば昼の休憩中に弁当箱を出す際、一緒に引っかかって出て来たキーホルダーを一旦机の端へ置いておき、そのまましまい忘れていたなと思い出す。
 今から会社へ戻るのも面倒だと、茉莉は店外へ出てからスマホを取り出し、自宅へかけた。
「はぁい、茉莉ちゃん」
 3回コール音が鳴ったあと、電話に出たのはガスターだった。
「ガスターさん、私うっかりして家の鍵を会社に置いてきちゃった。家に付いたらチャイム鳴らすから、鍵開けてくれると助かります」
「オッケ~。マッハで開けるわ」
「ありがとう、よろしくお願いします」
 ガスターに快諾された茉莉はホッと胸を撫で下ろし、安心して帰宅の途についた。

 * * * * *

「茉莉に――何か、あったのか……?」
「おうちの鍵を会社に忘れちゃったんですって。だから帰ってきても自分で開けられないから、チャイム鳴ったら中から開けてって」
 通話を終え受話器を置いたガスターは、不安そうに聞いてくるロキソへ事情を説明する。
「左様か。では拙者が玄関で待機しておこう」
「俺も……」
「そう? じゃあお願いね」
 ちょうど夕食の準備に取り掛かっていたガスターは、申し出てくれたボルタとロキソにその任務を託した。ロキソは遊びに来ていたドンを抱えて一緒に玄関まで連れて行く。ソファに座ったロキソの膝の上でまどろんでいたドンは、抗議することもなく成すがままだった。
 2人と一匹が玄関にスタンバイし、茉莉が躓かないようにと薄暗い玄関に照明を点灯する。すると程なくしてピンポーンという軽快なチャイム音が響き渡った。
「ぬ? 存外早い帰宅であったな」
 そう言いつつボルタは鍵を解錠し、ガチャリとドアを開けた。
「茉莉殿、今日も無事にお帰りで何より――」
 最後まで語ることなく、ドアノブを握ったままの体制で硬直してしまったボルタ。ロキソはなぜボルタが硬直したのかと、彼の後ろから玄関前に立つ茉莉を覗き込んだ。だがしかし、そこに茉莉の姿はなく。
 代わりに立っていたのはドンの飼い主――お隣の薬師寺大二郎であった。彼もまたボルタと同様に、目を点にして硬直していた。その手には、茉莉に渡すのであろう有名菓子店の紙袋が握られていた。大二郎はこうしてよく茉莉へ、ドンの世話に対しての礼として色々な贈り物を持ってきていた。
 今日もよく行く菓子店で見つけた季節限定の洋菓子を帰宅途中に購入し、愛車で茉莉宅の前を通り過ぎたところ、その玄関先に明かりが灯ったため、そのまま足を運んできたという訳だった。

「!!!!!」
 薬師寺大二郎の姿を捉えた瞬間、ロキソは硬直したままのボルタごとドアを引っ張り急いで施錠。ドアチェーンまでしっかりとかける念の入れようだ。その動作は片手にドンを抱えたまま行っていた。器用忍者である。
「!」
 バン! ガチャリ! ガチャガチャという騒がしい音を聞き、やっと硬直から解けた大二郎は、たった今頑なに閉められたドアを外側からドンドンと叩き始めた。
「やっと見つけたぞ! 3人とも、大人しく出てくるんだ!」
「ちょっと! なんの騒ぎなのアンタ達!」
 大二郎の怒号と拳の音を聞きつけたガスターが血相を変えてやってくると、そこにはドアを必死に守っているロキソとボルタの姿があった。
「ガガガガスター! 外に……外に“灰色悪鬼(はいいろあっき)”がおるぞぉぉぉぉっ!!」
「なっ、なぁんですってぇーーーーーーーっ!?」
 あまりの驚きにガスターは持っていたお玉を手から落としてしまう。カランカランという金属音と、ドンドンという殴打音が、茉莉宅の玄関に鳴り響いた。
「どうしてここにいるのがバレたのよ!?」
「皆目見当もつかん!!」
「……もう、終わりだ――」
 三者三様の戸惑い方をするロボット達。彼らとは対極的に、ドンはロキソの腕の中で悠々と顔を洗っていた。クリームパンのようなお手々を、んぺんぺと舐める姿がたいそう愛らしい。

「こらっ! いい加減にしなさい! 津村さんはどうしたんだ!? 彼女に迷惑をかけるんじゃない!」
「私がどうかしたんですか、薬師寺さん?」
 数十分ほどの時間、必死に家の中へ呼びかけていた大二郎へ、帰宅してきた茉莉がキョトンとした様子で声をかけると、大二郎は『ふぉっ!?』と素っ頓狂な声をあげ、体を盛大にビクつかせた。
「つ、津村さん……。無事で良かった」
 安堵の息を吐きながらそう言うと、大二郎は茉莉の両肩に己の手を置いた。
「いいかい、落ち着いて聞いてくれたまえ。――実は君の家に、とある危険な“モノ達”が潜伏していて――」
「茉莉ちゃん! “灰色悪鬼”にたぶらかされちゃダメよぉーーー!」
 家の中から大二郎の話を聞いていたガスターが、血相を変えて飛び出して来た。
「左様! かような悪鬼の言葉に耳を貸す必要はござらん!!」
「……逃げろ、茉莉」
 ガスターに続き飛び出して来たボルタとロキソ。彼ら3人は大二郎から茉莉を守るように、その背へ彼女を隠した。
「なっ!? ……これは一体、どういうことなんだ……?」
 茉莉不在時を狙い、勝手に家へあがりこんでいたと思っていたロボット達が、帰宅してきた茉莉を必死になって守ろうとしている姿に、大二郎は勢いを削がれギュッと眉を顰めた。
「みんな落ち着いて。私は大丈夫、何もされたりしないから。とりあえずここじゃ人目につくから、中に入ろう?」
「……本当に――大丈夫なの?」
 隠した背後からスルリと前に出て来た茉莉と、怪訝そうな顔をする大二郎を交互に見遣り、ガスターは不安そうな声を出す。
「本当本当。ほら、3人とも家に戻って。それでガスターさんには、気持ちが落ち着くお茶を5人分入れてもらえると嬉しいな」
「……茉莉ちゃんが、そういうのなら」
 渋々といった様子で頷き、家へと戻っていくガスター。ボルタとロキソも後ろ髪を引かれつつも、彼に従って入っていった。
「薬師寺さんもお願いします。どうぞこちらへ」
「う、うむ……」
 一人冷静な茉莉に促され、大二郎も茉莉宅へと足を踏み入れた。
 ドンはというと、ロキソが玄関から飛び出す前に玄関マットの上へ置かれ、ここじゃ寒いといわんばかりにリビングのソファーへと早々に移動していた。
 季節は12月初旬。まだ雪こそは降っていないが、吐く息はとても白かった。
ワンクリックで応援できます。
(ログインが必要です)

登場人物紹介

登場人物はありません

ビューワー設定

文字サイズ
  • 特大
背景色
  • 生成り
  • 水色
フォント
  • 明朝
  • ゴシック
組み方向
  • 横組み
  • 縦組み