Vol.7 『B.B』
文字数 5,290文字
『悪い、今日の放課後の練習は中止する。涼にもそう伝えたから』
帰りのホームルーム中に、ハルからそんなメールが来た。ハルを見ると、ギターを担ぎ、もうすでに教室を出る体制に入っている。しかし、今日に限って担任の話は長い。ハルはなかなか抜け出せないでいた。
こっそりと机の下で携帯をいじっていると、舞くんからもメールが来た。
『ハル先輩、突然練習休むなんておかしくない? 放課後デートかも! 追っかけてみようよ
(笑)』
舞くんらしいメールだ。でも、確かに突然練習を中止にするのはおかしい。それにハルの性格上、デートとバンドだったらバンドの方を優先させるような気がする。あれだけやる気があるのだから尚更だ。
舞くんのメールだと、ユーイチくんも行くらしい。彼の場合、嫌と言っても無理やり連れて行かれそうだけど。僕もちょっと興味を持ち、メールに『僕も行くよ』と入力して、返信した。
二年生の方が早くホームルームが終わったらしく、廊下で二人は待っていた。それに、何故だか涼もいた。
「午後六時まで暇だし……」
いつものようにボソッと言った。
ハルはというと、担任の話が終わった瞬間、隣の教室に駆け込んでいったらしい。三人の存在にも気づかないで。
「東田先輩ですかね?」
ユーイチくんが、ぽつりと言った。十中八九そうだろう。ハルは東田にキーボードとアレンジを任せると言っていたしな。
四人で下駄箱の前に行くと、東田とハルの靴を確認した。どうやらまだ校舎内にいるようだ。
僕らは手分けして、校内を探すことにした。ハルはギターを持っていた。ということは、どこか音を出せる場所にいる可能性が高い。屋上か、音楽室か。ともかく僕は一度屋上に行ってみた。ここからなら、他の校舎の屋上も見える。だが、それらしい二人組はいない。すると、携帯がブルッと震えた。舞くんからメールだ。『音楽準備室で発見!』と書かれている。僕はダッシュで向った。
舞くんとユーイチくん、涼は、音楽準備室の足下にある小さな窓から、部屋の様子をうかがっていた。助かったことに、周りに人気がないので、堂々と……と言うのもおかしいが、盗み聞きできる。
僕もその小さな窓から、様子を見てみた。
「やらないよ、バンド」
東田のか細い声が聞こえた。ハルはそれに返事をせず、黙ってギターをアンプに繋いでいた。しばらくすると、『ジャーン』と、ハルがギターを鳴らした。
「まぁ、聴いてろよ」
そう東田に言うと、ハルは演奏を始めた。僕らも黙って演奏を聴く。
「あれ……この曲」
僕は思わず口に出してしまった。
「先輩、この曲何か知ってるの?」
舞くんが食いついてきた。僕のかわりに涼が答えた。
「……『BREEZE』の『B.B』って曲だ」
『BREEZE』というバンドは、僕らが生まれる少し前、一九八〇年後半に一世を風靡したロックバンドだ。しかし、人気絶頂の時にメンバーの一人が交通事故で亡くなり、そのままバンドは惜しまれつつも解散してしまった。現在、当時のメンバーは、それぞれ色々な形で音楽活動を続けているらしい。今だに熱狂的ファンもいる。
そんな『BREEZE』の代表曲と言われているのが、今ハルが弾いている『B.B』だ。この曲はかなりのギターテクニックを要するもので、これを弾けるというだけで、色んなバンドから声がかかるという代物だ。
僕は正直びっくりした。ハルがここまでギターを弾くことができるなんて。今まではそれなりに『うまいなぁ』と思うだけだったが、かなり完璧に再現している。
演奏が終わると、ハルは東田に声をかけた。
「小さいとき約束したよな。この曲を完全コピーできるようになったら、一緒にバンド組んでくれるって」
東田は無言だ。空気が重い。お構い無しに、ハルは話を進めた。
「今度、『SIN』ってバンドと対バンすることになった。アレンジを頼みたい。できればキーボードも」
そう言って、セットリストが書かれた紙など資料を取り出す。それでも東田は、それを受け
取ろうとしない。しばらくして、東田が声を出した。
「悪いけど、やっぱり僕にはできない」
覆面をしているせいで表情は読み取れないけど、いつものようにボソッと話すのではなく、
口調はしっかりしていた。
ハルはそんな東田に、少し厳しい言葉をぶつけた。
「お前、いつまで逃げてんだ!」
突然の罵声に、盗み聞きしていた舞くんとユーイチくんも驚いたようだった。
「俺はお前とバンドを組むことを目標に、今まで練習してきたんだ!」
「そんなの、ハルの勝手だろ!」
東田も今まで聞いたことがないくらいの大声で、ハルに噛み付いた。それでもハルは怯まず、
話を続ける。
「悔しくないのか? 西園寺にいい様に扱われて。このままだと一生、西園寺の飼い犬だぜ?」
「今更、恨みなんてないよ」
少し悲しそうな声で、東田は話した。
舞くんとユーイチくんは、今までの話を飲み込めないというような表情で、二人の会話を聞
いていた。会話の内容を整理すると、どうやら『BREEZE』と音楽一家の西園寺家は、何かしら関係があるらしい。どんなつながりがあるのかは分からないが。涼も僕と同じくらいは、話の内容を理解したようだ。
「西園寺と何の関係が……」
と、僕は自分でも気がつかないうちに、独り言をつぶやいていた。
ついつい二人の話に聞き入ってしまった僕らは、いつの間にか足元の小さな窓にへばりついていた。
すると、突然ドアが開いた。咄嗟の出来事で、僕らは隠れることもできなかった。
「お前ら、今の聞いてたか?」
ハルが僕らを見た。完全に盗み聞きしていたのがバレた。ハルは渋々といった感じで、僕らを音楽準備室に招きいれた。
「こいつらが、今のバンドメンバーだ」
ハルは僕らを軽く、東田に紹介した。突然の乱入に少し驚いたのか、東田は目を丸くしている。
「涼はベース。近々正式に入る予定になっている」
もう対バンで勝つ気になっているようだ。
「それなら、別にキーボードはいらないでしょ」
東田はまたボソッと答えた。そして、また無言。舞くんもユーイチくんも、ピリピリしたムードなので、声も出せない。
「『BREEZE』にはいただろ、キーボード。お前の親父がやってた」
「……え?」
僕は驚いてつい、声を上げてしまった。『BREEZE』のキーボーディストと言えば、有名だ。確か『ウミ』って名前だったっけ。『ウミ』はバンドの曲のアレンジも手がけていて、その技術は天下一品と評価が高かった。ただ、残念なことに交通事故で死亡してしまったのだ。その有名な天才キーボーディスト兼アレンジャーが、東田の親父さんだって言うのか?
僕は黙って、ハルを見つめた。ハルは東田をずっと見ている。
横に座っている舞くんは、話についていけないらしく、僕に小声でどういうことか聞いてきた。僕も小声で「あとで教える」と返事した。
「でも、僕がステージに上がれないのは知ってるでしょ?」
ハルに見つめられていることに圧力を感じたのか、東田は居心地悪そうに小さくなっている。
「それは西園寺との約束だろ。そんなモン無視しろ。今の状態はどちらにとっても良くないってことぐらい分かってるんだろ?」
ハルは怒りをあらわにした。さっきから西園寺の名前が出てきているが、一体東田とどういう関係なんだ? そのことを果敢にも質問したのが、舞くんだった。
「ちょっと待ってよ。東田先輩と西園寺先輩って何か関係があるの?」
だが、ハルも東田もその質問には答えず、うつむいただけだった。
しばらくすると、ハルは席を立った。
「わかった、お前には頼まない。お前みたいな負け犬とバンドやりたいなんて思ってた俺がバ
カだった」
そういって、書類をまとめて音楽準備室を出ようとした。僕らも一緒にドアに向った。その時だった。
「待って」
東田が僕らを制止させた。
立ち止まらせたはいいが、何を言おうとしたのか自分でもわからなかったらしい。しばらく僕らはドア前で立ち止まっていたが、何も言わない。
ハルがドアノブを回そうとした瞬間、東田がはっきりと大きな声で言った。
「アレンジだけなら、やる」
芯のある声だった。覆面の奥に見える目も、しっかりと僕らを見つめていた。ハルはドアの前から引き返し、東田の前にある机にもう一度資料を置いた。
「三日以内だ、頼んだぞ」
ひと言だけそう告げて、僕らとハルは音楽準備室を出た。
まだ六時まで時間があったので、僕らは機材やドラムを運びだして、屋上で練習することにした。今日は軽音部の練習もないようだったので、無断で借りてもバレないだろう。曲は昼も練習してた『キューティーハニー』だ。この曲は結構合ってきたと思う。それと『線路は続くよ~』を速いテンポにアレンジして演奏した。これはまだまだ全員の呼吸が合わないと難しい。もう少し練習が必要だ。
意外だったのは、かなり涼が真剣に練習をしていることだった。僕らのバンドが終わった後には、自分の入っているバンドの練習もあるはずだ。ここで体力を使い果たして大丈夫なのか?
「涼、自分のバンドは平気なの?」
僕は深い意味もなく、汗を拭いている本人に聞いてみた。
「……うん、向こうはあまり練習しないから」
そう言って、前髪の間から見える目を伏せた。僕にはその残念そうな表情が、印象的だった。
僕達が音を合わせている間に、ユーイチくんは横で、『サザエさん』の新しい詞を書いていた。
時間になるまで、何回練習しただろうか。両腕がドラムの叩きすぎで痛い。他のメンバーも疲れきった顔をしている。三日後には、東田がアレンジした『夜桜お七』の練習もしなくちゃならない。ユーイチくんの書いている『サザエさん』は、もうほとんどできたらしく、明日には練習に入れる。ともかくやることがいっぱいだ。
午後六時を過ぎたので、涼は屋上を去った。この後は『SIN』の練習だ。僕らは機材を片付けて、今度はチケットをさばかなくてはならない。
舞くんは今朝引きずってきたカートを開けて、ゴスロリ服を取りだした。
「ねぇ……これ、マジで着なきゃダメ?」
「今更だろ。早く着ろ」
ハルは舞くんに冷たく言い放った。渋々着替えた舞くんに、僕がメイクをする。目をつぶっているところをみると、本当の女の子みたいでちょっとドキッとする。
「なーに見つめてるんですか」
舞くんが脱ぎっぱなしにしていた制服をたたんでいたユーイチくんが、横から声をかけた。いやいや、僕はそういう気ないですから! ユーイチくんにじろりと睨まれた僕は、心の中で精一杯否定した。
メイクが終われば、この間付けていた金髪ウィッグをつけて完成だ。我ながらメイクもうまくいった。
舞くんの着替えが終わると、チラシの入ったダンボールを一箱抱えて一同は正門に向った。校舎内を歩いていると、まだ残っている生徒達が舞くんに注目する。
「うぅっ、何か恥ずかしいんだけど」
小声で舞くんが言うと、
「我慢しろ」
と、ハルが返す。
「そもそもお前、今度の対バンその格好で歌うんだから、慣れとけよ」
「マジで?」
ハルと舞くんが漫才みたいな会話をしているうちに、目的地へ到着した。やっぱりここでも下校途中の生徒に注目された。男子校に女の子がいるだけでも驚きなのに、それがかなりの美人だったら、ナンパの一つもしたくなるだろう。でも、僕やハル、ユーイチくんがいるせいか、人だかりはできても、声をかけてくる生徒はいない。
これじゃチラシが配れないってことで、とりあえず舞くんとユーイチくん、ハルと僕の二手に分かれて配ることにした。目立つ正門前は舞くん達、裏門に僕らが立つことにした。
「まぁ、先公や生徒会のヤツらが来ても、一応ユーイチがいれば平気だろ」
チラシの枚数を確認しながら、ハルが言った。そんなハルの姿を横目で見ながら、僕は聞いた。
「東田くんってさ、ハルの幼馴染なんでしょ?」
「小五までな。その後あいつ、引っ越したんだよ」
そこまでは前に聞いたことがある。でも、他に聞きたいことが山ほどあった。東田と西園寺の関係、『BREEZE』のウミと東田のこと、何でハルが東田をバンドに入れたいのか――僕は東田のことを知らなすぎだ。
「知りたいか? ミブのこと」
唐突にハルが言った。まるで僕の心の内を読んだようなタイミングだった。
「知りたいけど……」
そう言いかけたとき、携帯が震えた。姉貴からの着信だ。僕はポケットから出し、ボタンを押した。
「何の用だよ」
せっかく東田の話を聞けるかと思ったのに、邪魔されたせいで、僕はちょっと不機嫌な口調で応対した。
「ライブの告知出したいんだけど、あんた達のバンド名って何なの?」
大事なことをすっかり忘れていた。そういえば、僕らのバンドには名前がない。誰もそれに触れなかったっていうのもあるけど、全員あまりにもマヌケすぎるぞ。とりあえず、携帯の通話口を手で押さえ、ハルに聞くことにした。
「ハル、姉貴からなんだけど、僕らのバンド名ってどうするの?」
ハルは少し考えてから、口を開いた。
「『B.B』だ」
帰りのホームルーム中に、ハルからそんなメールが来た。ハルを見ると、ギターを担ぎ、もうすでに教室を出る体制に入っている。しかし、今日に限って担任の話は長い。ハルはなかなか抜け出せないでいた。
こっそりと机の下で携帯をいじっていると、舞くんからもメールが来た。
『ハル先輩、突然練習休むなんておかしくない? 放課後デートかも! 追っかけてみようよ
(笑)』
舞くんらしいメールだ。でも、確かに突然練習を中止にするのはおかしい。それにハルの性格上、デートとバンドだったらバンドの方を優先させるような気がする。あれだけやる気があるのだから尚更だ。
舞くんのメールだと、ユーイチくんも行くらしい。彼の場合、嫌と言っても無理やり連れて行かれそうだけど。僕もちょっと興味を持ち、メールに『僕も行くよ』と入力して、返信した。
二年生の方が早くホームルームが終わったらしく、廊下で二人は待っていた。それに、何故だか涼もいた。
「午後六時まで暇だし……」
いつものようにボソッと言った。
ハルはというと、担任の話が終わった瞬間、隣の教室に駆け込んでいったらしい。三人の存在にも気づかないで。
「東田先輩ですかね?」
ユーイチくんが、ぽつりと言った。十中八九そうだろう。ハルは東田にキーボードとアレンジを任せると言っていたしな。
四人で下駄箱の前に行くと、東田とハルの靴を確認した。どうやらまだ校舎内にいるようだ。
僕らは手分けして、校内を探すことにした。ハルはギターを持っていた。ということは、どこか音を出せる場所にいる可能性が高い。屋上か、音楽室か。ともかく僕は一度屋上に行ってみた。ここからなら、他の校舎の屋上も見える。だが、それらしい二人組はいない。すると、携帯がブルッと震えた。舞くんからメールだ。『音楽準備室で発見!』と書かれている。僕はダッシュで向った。
舞くんとユーイチくん、涼は、音楽準備室の足下にある小さな窓から、部屋の様子をうかがっていた。助かったことに、周りに人気がないので、堂々と……と言うのもおかしいが、盗み聞きできる。
僕もその小さな窓から、様子を見てみた。
「やらないよ、バンド」
東田のか細い声が聞こえた。ハルはそれに返事をせず、黙ってギターをアンプに繋いでいた。しばらくすると、『ジャーン』と、ハルがギターを鳴らした。
「まぁ、聴いてろよ」
そう東田に言うと、ハルは演奏を始めた。僕らも黙って演奏を聴く。
「あれ……この曲」
僕は思わず口に出してしまった。
「先輩、この曲何か知ってるの?」
舞くんが食いついてきた。僕のかわりに涼が答えた。
「……『BREEZE』の『B.B』って曲だ」
『BREEZE』というバンドは、僕らが生まれる少し前、一九八〇年後半に一世を風靡したロックバンドだ。しかし、人気絶頂の時にメンバーの一人が交通事故で亡くなり、そのままバンドは惜しまれつつも解散してしまった。現在、当時のメンバーは、それぞれ色々な形で音楽活動を続けているらしい。今だに熱狂的ファンもいる。
そんな『BREEZE』の代表曲と言われているのが、今ハルが弾いている『B.B』だ。この曲はかなりのギターテクニックを要するもので、これを弾けるというだけで、色んなバンドから声がかかるという代物だ。
僕は正直びっくりした。ハルがここまでギターを弾くことができるなんて。今まではそれなりに『うまいなぁ』と思うだけだったが、かなり完璧に再現している。
演奏が終わると、ハルは東田に声をかけた。
「小さいとき約束したよな。この曲を完全コピーできるようになったら、一緒にバンド組んでくれるって」
東田は無言だ。空気が重い。お構い無しに、ハルは話を進めた。
「今度、『SIN』ってバンドと対バンすることになった。アレンジを頼みたい。できればキーボードも」
そう言って、セットリストが書かれた紙など資料を取り出す。それでも東田は、それを受け
取ろうとしない。しばらくして、東田が声を出した。
「悪いけど、やっぱり僕にはできない」
覆面をしているせいで表情は読み取れないけど、いつものようにボソッと話すのではなく、
口調はしっかりしていた。
ハルはそんな東田に、少し厳しい言葉をぶつけた。
「お前、いつまで逃げてんだ!」
突然の罵声に、盗み聞きしていた舞くんとユーイチくんも驚いたようだった。
「俺はお前とバンドを組むことを目標に、今まで練習してきたんだ!」
「そんなの、ハルの勝手だろ!」
東田も今まで聞いたことがないくらいの大声で、ハルに噛み付いた。それでもハルは怯まず、
話を続ける。
「悔しくないのか? 西園寺にいい様に扱われて。このままだと一生、西園寺の飼い犬だぜ?」
「今更、恨みなんてないよ」
少し悲しそうな声で、東田は話した。
舞くんとユーイチくんは、今までの話を飲み込めないというような表情で、二人の会話を聞
いていた。会話の内容を整理すると、どうやら『BREEZE』と音楽一家の西園寺家は、何かしら関係があるらしい。どんなつながりがあるのかは分からないが。涼も僕と同じくらいは、話の内容を理解したようだ。
「西園寺と何の関係が……」
と、僕は自分でも気がつかないうちに、独り言をつぶやいていた。
ついつい二人の話に聞き入ってしまった僕らは、いつの間にか足元の小さな窓にへばりついていた。
すると、突然ドアが開いた。咄嗟の出来事で、僕らは隠れることもできなかった。
「お前ら、今の聞いてたか?」
ハルが僕らを見た。完全に盗み聞きしていたのがバレた。ハルは渋々といった感じで、僕らを音楽準備室に招きいれた。
「こいつらが、今のバンドメンバーだ」
ハルは僕らを軽く、東田に紹介した。突然の乱入に少し驚いたのか、東田は目を丸くしている。
「涼はベース。近々正式に入る予定になっている」
もう対バンで勝つ気になっているようだ。
「それなら、別にキーボードはいらないでしょ」
東田はまたボソッと答えた。そして、また無言。舞くんもユーイチくんも、ピリピリしたムードなので、声も出せない。
「『BREEZE』にはいただろ、キーボード。お前の親父がやってた」
「……え?」
僕は驚いてつい、声を上げてしまった。『BREEZE』のキーボーディストと言えば、有名だ。確か『ウミ』って名前だったっけ。『ウミ』はバンドの曲のアレンジも手がけていて、その技術は天下一品と評価が高かった。ただ、残念なことに交通事故で死亡してしまったのだ。その有名な天才キーボーディスト兼アレンジャーが、東田の親父さんだって言うのか?
僕は黙って、ハルを見つめた。ハルは東田をずっと見ている。
横に座っている舞くんは、話についていけないらしく、僕に小声でどういうことか聞いてきた。僕も小声で「あとで教える」と返事した。
「でも、僕がステージに上がれないのは知ってるでしょ?」
ハルに見つめられていることに圧力を感じたのか、東田は居心地悪そうに小さくなっている。
「それは西園寺との約束だろ。そんなモン無視しろ。今の状態はどちらにとっても良くないってことぐらい分かってるんだろ?」
ハルは怒りをあらわにした。さっきから西園寺の名前が出てきているが、一体東田とどういう関係なんだ? そのことを果敢にも質問したのが、舞くんだった。
「ちょっと待ってよ。東田先輩と西園寺先輩って何か関係があるの?」
だが、ハルも東田もその質問には答えず、うつむいただけだった。
しばらくすると、ハルは席を立った。
「わかった、お前には頼まない。お前みたいな負け犬とバンドやりたいなんて思ってた俺がバ
カだった」
そういって、書類をまとめて音楽準備室を出ようとした。僕らも一緒にドアに向った。その時だった。
「待って」
東田が僕らを制止させた。
立ち止まらせたはいいが、何を言おうとしたのか自分でもわからなかったらしい。しばらく僕らはドア前で立ち止まっていたが、何も言わない。
ハルがドアノブを回そうとした瞬間、東田がはっきりと大きな声で言った。
「アレンジだけなら、やる」
芯のある声だった。覆面の奥に見える目も、しっかりと僕らを見つめていた。ハルはドアの前から引き返し、東田の前にある机にもう一度資料を置いた。
「三日以内だ、頼んだぞ」
ひと言だけそう告げて、僕らとハルは音楽準備室を出た。
まだ六時まで時間があったので、僕らは機材やドラムを運びだして、屋上で練習することにした。今日は軽音部の練習もないようだったので、無断で借りてもバレないだろう。曲は昼も練習してた『キューティーハニー』だ。この曲は結構合ってきたと思う。それと『線路は続くよ~』を速いテンポにアレンジして演奏した。これはまだまだ全員の呼吸が合わないと難しい。もう少し練習が必要だ。
意外だったのは、かなり涼が真剣に練習をしていることだった。僕らのバンドが終わった後には、自分の入っているバンドの練習もあるはずだ。ここで体力を使い果たして大丈夫なのか?
「涼、自分のバンドは平気なの?」
僕は深い意味もなく、汗を拭いている本人に聞いてみた。
「……うん、向こうはあまり練習しないから」
そう言って、前髪の間から見える目を伏せた。僕にはその残念そうな表情が、印象的だった。
僕達が音を合わせている間に、ユーイチくんは横で、『サザエさん』の新しい詞を書いていた。
時間になるまで、何回練習しただろうか。両腕がドラムの叩きすぎで痛い。他のメンバーも疲れきった顔をしている。三日後には、東田がアレンジした『夜桜お七』の練習もしなくちゃならない。ユーイチくんの書いている『サザエさん』は、もうほとんどできたらしく、明日には練習に入れる。ともかくやることがいっぱいだ。
午後六時を過ぎたので、涼は屋上を去った。この後は『SIN』の練習だ。僕らは機材を片付けて、今度はチケットをさばかなくてはならない。
舞くんは今朝引きずってきたカートを開けて、ゴスロリ服を取りだした。
「ねぇ……これ、マジで着なきゃダメ?」
「今更だろ。早く着ろ」
ハルは舞くんに冷たく言い放った。渋々着替えた舞くんに、僕がメイクをする。目をつぶっているところをみると、本当の女の子みたいでちょっとドキッとする。
「なーに見つめてるんですか」
舞くんが脱ぎっぱなしにしていた制服をたたんでいたユーイチくんが、横から声をかけた。いやいや、僕はそういう気ないですから! ユーイチくんにじろりと睨まれた僕は、心の中で精一杯否定した。
メイクが終われば、この間付けていた金髪ウィッグをつけて完成だ。我ながらメイクもうまくいった。
舞くんの着替えが終わると、チラシの入ったダンボールを一箱抱えて一同は正門に向った。校舎内を歩いていると、まだ残っている生徒達が舞くんに注目する。
「うぅっ、何か恥ずかしいんだけど」
小声で舞くんが言うと、
「我慢しろ」
と、ハルが返す。
「そもそもお前、今度の対バンその格好で歌うんだから、慣れとけよ」
「マジで?」
ハルと舞くんが漫才みたいな会話をしているうちに、目的地へ到着した。やっぱりここでも下校途中の生徒に注目された。男子校に女の子がいるだけでも驚きなのに、それがかなりの美人だったら、ナンパの一つもしたくなるだろう。でも、僕やハル、ユーイチくんがいるせいか、人だかりはできても、声をかけてくる生徒はいない。
これじゃチラシが配れないってことで、とりあえず舞くんとユーイチくん、ハルと僕の二手に分かれて配ることにした。目立つ正門前は舞くん達、裏門に僕らが立つことにした。
「まぁ、先公や生徒会のヤツらが来ても、一応ユーイチがいれば平気だろ」
チラシの枚数を確認しながら、ハルが言った。そんなハルの姿を横目で見ながら、僕は聞いた。
「東田くんってさ、ハルの幼馴染なんでしょ?」
「小五までな。その後あいつ、引っ越したんだよ」
そこまでは前に聞いたことがある。でも、他に聞きたいことが山ほどあった。東田と西園寺の関係、『BREEZE』のウミと東田のこと、何でハルが東田をバンドに入れたいのか――僕は東田のことを知らなすぎだ。
「知りたいか? ミブのこと」
唐突にハルが言った。まるで僕の心の内を読んだようなタイミングだった。
「知りたいけど……」
そう言いかけたとき、携帯が震えた。姉貴からの着信だ。僕はポケットから出し、ボタンを押した。
「何の用だよ」
せっかく東田の話を聞けるかと思ったのに、邪魔されたせいで、僕はちょっと不機嫌な口調で応対した。
「ライブの告知出したいんだけど、あんた達のバンド名って何なの?」
大事なことをすっかり忘れていた。そういえば、僕らのバンドには名前がない。誰もそれに触れなかったっていうのもあるけど、全員あまりにもマヌケすぎるぞ。とりあえず、携帯の通話口を手で押さえ、ハルに聞くことにした。
「ハル、姉貴からなんだけど、僕らのバンド名ってどうするの?」
ハルは少し考えてから、口を開いた。
「『B.B』だ」