希望の光、喜びの花

文字数 1,969文字

現代社会の闇のせいで元気をなくした人は多い。

みんな暗い顔で、生きることの希望を見いだせず、スマートフォンを凝視し、適当な画面を眺めている。

「少しでも、みんなには元気になって欲しいよね!」

そのように語るのは髪はボサボサ、無精髭を生やした、黒いダウンジャケットを着た男である。

彼の名前はキヨシちゃん。
この夏で49歳になる。

「歯周病菌は若い頃からの盟友、死なせたくないから歯は磨きません。僕の身体は臭いけど汚れてはいないです。でも近隣の住民がうるさく生卵など投げてくるので、風呂には二週間に一度入ります。」

白昼の路上。
誰に聞かれたわけでもないが、応答するキヨシちゃん。

彼の旺盛なサービス精神には目を見張るものがある。

思えば深夜のコンビニなどでお釣りを力強く投げつけてくる店員も、退屈な我々の日常にスリルあるエンターテイメントを提供しようという、旺盛なサービス精神を働かせていたのかも知れぬ。

あるいは、悪い霊が取り憑いているからと、お祓いの意味で、小銭を全力投球してくるのだろうか。

あなたに悪い霊が取り憑いている、などと言われたら気分が悪い。だから、優しい心遣いから、あえて何も伝えずに、小銭を出来るだけ顔面に当たるように、投げる。

「痛すぎる!なんなんだよ!」

相手が叫んで、苦痛に歪んだ顔をしても、怯んで止めることなどありえない。
何ごとも、貫き通す意思が大切である。

かくいう富阪文江さん82歳も、貫き通す意思の強さを体現する人物。
都心から離れた閑静な住宅街に彼女は在住。
一軒家、小さ目な日本家屋である。
富阪文江さんの朝は早く、いつも3時30分に目覚める。
大きなあくびをしながら寝室をでて、洗面所で顔を洗い、鏡を見つめる。
皺だらけの、瘦せ衰えた老女の顔。
特に苦労をしてきたわけではない。
美容に少し気を遣って生きて来てはいた。
だが、結局は皺だらけになり、老いさらばえた感じは否めない。
自信のある状態ではない。
別に、美しいとか、今更言われるわけもないのはわかっている。
可愛いとか、キャアキャア言われたいとか、そんな願望、持つだけ無駄だと、そんなことは理解している。
人生なんて愉悦を感じる機会などほとんどない。
延々と苦しみの雰囲気だけが停滞した時間の中で繰り返されていく。
罵声の連鎖。
攻撃的で排他的な連中の執拗な嫌がらせ。うんざりだ。

いつも、朝から不機嫌になる富阪文江さん82歳は、朝ご飯を食べることなく
パジャマ姿のまま、ビニール袋を持って家を出る。

何の変哲もないコンビニの袋には、大量の小石が入っている。

富阪文江さん82歳は真剣な表情で、自宅の右隣、左隣にあるアパートの郵便受けに石ころを投入していく。

ザリザリザリ……。郵便受けに、音をたてて小石が落ちていくのだ。

これを、彼女は50年以上、続けている。
素晴らしい強固な、貫き通す意思ではないか。

多くの人が見習うべきこのような敬虔な魂を持った人物が、実は身近なところにかなりいるという事実を、われわれは胸に銘記しなければならない。

電車で隣に立っている冴えない感じのスーツ男性が、もしかしたら富阪文江さんのような素晴らしい人物であるかも知れないのだ。

現代社会の闇に囚われ、暗い顔をして、スマートフォンを凝視して歩く人々。

「さあ!元気出して!」

キヨシちゃんは、彼らの前に現れた。
上には黒いダウンジャケットを着ているが、下には何も、着ていない。

ありのままのキヨシちゃん、剥き出しのキヨシちゃんが現前しているのだった。

「みんな!元気な僕を見て元気になってください!お礼はいりません!全部チャリティ!」

確かに、キヨシちゃんの『キヨシちゃん』は、かなり漲った状態、素晴らしい元気さを露わにしていた。

だが、善意の塊のごとく展開されたキヨシちゃんの行動は、現代社会の闇に囚われた人々によって、あっけなく、否定された。

激怒した民衆に、髪の毛を鷲掴みにされて引き摺り回され、路地裏でボコボコにされたキヨシちゃんは、二度と人々を元気にしてあげたいなどと、そんな優しい気持ちを持とうなどと思わなくなってしまった。

「死んじまえ!俺が希望の光、喜びの花をてめえら気持ち悪いスマホ野郎どもに咲かせてやるって善意の心を否定しやがって!馬鹿野郎が!勝手にストレス感じてろや!どうせみんな最後は病気で死ぬんだからよお!クソ!チャリティを何だと思ってんだ!バカ!」

駅前雑居ビルにある、熟女たちが提供してくれるローションを用いた安手のいやらしいサービスを受けて、キヨシちゃんは自身の下半身をすみやかに沈静化、閃いたと呟いてノートに世界平和実現について緻密な構想を書き込んでいく。

キヨシちゃんが善意の塊で、誰よりも優しく、世界平和について常に考えている人物であることは、周知の通りである。

やはり、人は冷静な時でないと高品質な考えは浮かばないのだ。
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