第2話 テレビ番組 オーソドックス 第三回より抜粋(神谷・佐々木)

文字数 22,142文字

本編 『朽ち果つ廃墟の片隅で 四巻』と同一。
   琴音が師匠を初めて誘い、一緒に実際に数寄屋に
   行った晩の翌朝に放送された、第三回、
   そして第四回と二週に渡るうちの第一週分。


司会  望月義一

出演者 神谷有恒
    佐々木宗輔

内容 『師弟対談』
   ・人生と学問
   
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最初に誰もまだいないスタジオに一人立ち、義一が今回はどのような内容なのかを簡単に説明して、それに加えて、今回初登場となる佐々木の紹介をしてから一度CMに入った。
雑誌の方でもお馴染みの、神谷と大学時代の先輩後輩にして、今も交友が繋がっている西川敏文が創業した、全国展開している某有名なビジネスホテルのCMが、様々なパターンで流された後、いよいよ番組がスタートした。


義一「えー…今番組オーソドックスは、先週まで二週連続で同じゲストに来て頂いて議論を楽しんだわけでしたが、今日からもですね、二週に渡って、その間は同じゲストに登場頂いてですね、また議論を楽しみたいと思います。
最初に紹介しました通り、まずお一人目は、我々の雑誌を発刊しましたご本人でいらっしゃいます、評論家の神谷有恒先生です」

神谷「神谷です。また性懲りもなく公の場に出てきてしまい、また二週連続ということで、私からすれば、前回も出ていましたので、合計四週連続ということになるのですが、まぁ…ふふ、なるべくお茶の間の皆さんに飽きられたり、呆れられたりしないように、議論だけは真剣な冗談を交えつつしたいと思いますので、よろしく」

義一「あはは、よろしくお願いします。で、もうお一方はですね、今年の三月を持ちまして、京都にある旧帝大での教授職を定年退職されまして、今は肩書き上では同大学の名誉教授となっています、佐々木宗輔先生にもお越し頂きました。先生、どうぞよろしくお願いします」

佐々木「アッハッハッハ、はい佐々木です。よろしくお願いします」

義一「視聴者の方には、番組の初めの方で、これまた説明させて頂いたのですが、一応また簡単に紹介いたしますと、こちらにいらっしゃいますお二人は、実は佐々木先生が大学院生だった頃に、担当教諭が神谷先生だったという、いわば師弟関係でありまして、あまり他のですね、この手の討論番組と申しましょうか、その場では師弟が、それもお二人のように長年にわたって継続している師弟関係というのは珍しいというのもあって、これはですね、私が無理を言ってですね、同時にご一緒に出演してくださらないかとお願いしたところ…ふふ、お二人ともに快く引き受けて下さいまして、こうして実現となり、私は一応番組のホストという立場なのですが、地上波というこの場で、お二人がどのような会話や議論を展開されるのか、今から楽しみにしています」

神谷「あはは、それだと私が喜び勇んで出てきたみたいじゃないかね?それでは、さっきの私の言葉が嘘になってしまうじゃないか」

佐々木「アッハッハッハ」

義一「あはは、すみません」




神谷「ではえぇっと…ふふ、なんか雑談でも良いって聞いてるから、まずとっかかりとして…佐々木くん、君と私は、もうどれくらいの付き合いになるんだろうね?」

佐々木「そうですねぇ…え、えぇっと…あっ、三十年は少なくとも超えていますね」

義一「長いですねぇ」

神谷「あなたが二十四、五歳くらいの時からだものねぇ。私はまだ肩書きは准教授だったと思うけれど、初めてゼミを持ったその時に、その第一期に最初に入ってきた大学院生の中の一人が佐々木くんなんです。それ以降も、たくさんの大学院生と付き合ったはずなんだけれど…ふふ、今に始まった事ではないが、彼らは早々に私から離れていってしまって、残ったのは佐々木くん彼一人だけだったんだよ」

佐々木「アッハッハ、そうですねぇ」

神谷「絶妙か何か知らないけれど、何ていうのかね?こういうのを『付かず離れず』っていうのかね?」

佐々木「アッハッハッハ」

義一「ふふ」

神谷「ところであなたは、また雑談だけれど、どういった事で大学の先生なんかになったの?」

佐々木「そうですねぇ…改めてそう聞かれますと大した理由もないんですけれどねぇ…一つは時代状況みたいなものがありまして、私が大学に入ったのが70年代前後で、先生は確か…60年代前後の世代でしたよね?」

神谷「うん」

佐々木「先生はいわゆる六十年安保の時代ですけれども、私は七十年安保で、大学紛争、全共闘運動というのが盛んな頃で、当時の私は別に学者になりたいとか研究者になりたいとか、積極的な志みたいなのは無かったのですが、就職して企業に入って、それでいわゆるサラリーマン生活を送るという選択肢は、それだけは不思議と全く考えませんでしたねぇ。そういう意味では消去法で大学院に行ってしまったと」

義一「なるほどぉ」

神谷「でもアレでしょう?さっき出してくれた全共闘運動にはさほど同情的ではなかったんでしょう?」

佐々木「そうですね」

神谷「なんか…変なことをしているなぁって感じがあったんでしょう?」

佐々木「全共闘運動というのは、建前として言えば、現政権をひっくり返して日本に革命を起こすと、というような事を言ってたわけです。毛沢東思想の影響なんかを受けたりしてですね。しかし…ふふ、そんな事はあり得ないし」

神谷「あり得ないねぇ(笑)」

義一「そうですねぇ(笑)」

佐々木「まぁ、心情的に言えば、何か鬱積したものというか、欺瞞やごまかしに満ちた今の世の中に対して何か行動したいと、好意的に言えばそういった解釈も成り立つと思いますし、それにはまぁ共感しない訳でもなかったんですが」

義一「あー、まぁ…そうですねぇ」

神谷「あー、そっか…それで言えば、私の時も大体同じだったね。所詮当時は十九や二十歳そこそこのガキだったわけだけれども、どの時代にもそういった…って、私も当時はそのガキの一人だったから資格があると思って言うのだけれど」

義一「ふふふ」

神谷「自分の生きている社会に対する不平不満は持つもので、これは男女問わずでしょうが、ホルモンが異常分泌してる時期だというのもあって、有り余るエネルギーの捌け口として、私も当時の運動に実は加わっていたというか、駒場で恥ずかしながら肩書だけだけれど指導的立場にいたという事実があるんだけれど…って、これはまぁ色んな場で触れてるし、お茶の間の空気を気まずくさせるわけにもいかないから、この先はお茶を濁させていただくけれども」

義一・佐々木「(笑)」

神谷「私は二十代も半分くらいになる前に、自分が如何に愚かしい事をしたのかって反省したものだけれど、その同世代というか、今の五十、六十、七十代が、まだその若い頃を引きずって変わらずにいるのは異常だなって思うけれどね」





神谷「昔の人はねぇ…ふふ、この話も…って、いや、今までの雑談の内容だって、義一くんは何度も聞いてきた内容だとは思うのだけれど」

義一「あはは」

神谷「あはは、まぁ続ければ、なんだか大学の教員になるってことが、大変な事だったみたいだね。…今は大したことがないけれど」

佐々木「アッハッハッハ」

義一「ふふ」

神谷「私が何を間違ってか駒場の教授になった時にね、まぁ…色々と昔にヤンチャしていたのもあって、母親には苦労をかけていたという自覚もあったし、自分は大学教授だろうと何だろうと、どうでも良かったんだけれど、まぁ一般論としてこれが親孝行にでもなるのだろうって思って、実家にはロクに帰っていなかったんだが、電話自体もそれまでしていなかったのもあって、取り敢えず電話をしてみたんだ。
で、開口一番に、自分が何処其処の大学で教授になったんだよって伝えるとねぇ…ほんの少し間を置いたとでボソッと言ったんだ。『お前も可哀想な子だねぇ…まだ勉強しなくちゃいけないのかい?』って」

佐々木「ッフッフッフッフ」

義一「あははは」

神谷「あはは。私もね、最初にそう言われた時に、揶揄われてるのかなって思ったんだけれど、後で分かったんだが、どうも揶揄ったんじゃなくてね、本気でそう思ったって事だったらしいんだよ。大学というのは猛勉強するところで、私の母親に限って言っても良いのかも知れなけれど、勉強というのは何だか大変なものだと思っていたらしいんだ。でも、我々の頃から言えば、他にやる事がないから勉強してたみたいなものでねぇ」

義一「あははは」

神谷「暇つぶしにって事で勉強してたくらいだったんだけれどもね」

佐々木「アッハッハッハ、面白いですねぇ。紹介にありました通り、私は長年京都の大学で教授という職をしてましたが、その前に一時だけ、関西の別の地方大学にいた事があったんです。
私の頃でもですね、大学の先生は暇というか何というか…ふふ、あ、いや、週に三日くらいは自宅研修と言って、自宅で研究したり原稿書いたりするんですよ。
ですから、自宅研修の日なんかは、朝の十時くらいにゆっくりと起きてきてですね、午前中なんかは犬の散歩なんかをしたりとノンビリして過ごすんです。それをですね、近所の人が見ていたりして。
でー…ふふ、私の姿をよく見いていたという近所の人が私の家内に会った時によく言われたらしいんですよ。『おたくのご主人、何されてますの?失業してはんの?』って」

神谷「あはははは」

義一「ふふふふ」

佐々木「アッハッハッハ。それで家内は一応、『うちの夫は大学で教えています』って訂正入れるらしいんですが、今度は感心した風に返されたらしいです。
『へぇー、おたくのご主人、変わってはんのやねぇー?そんなに勉強好きなん?』って」

神谷・義一「笑顔」

佐々木「アッハッハ、まぁ大体そんなもんです」

神谷「いやぁー、私にも似たような事があって…。まだ准教授の頃だったかなぁ?聞いてる皆さんにはどうでも良いでしょうが、去年に妻が亡くなってしまってるんですが、その妻と新婚だった頃で、団地みたいなところに住んでいたんですが、私の頃なんかは、佐々木くんの頃以上にゆるいと言うか…いや、私の場合だったのかな?取り敢えず実体験でいえば、週に一日か二日程度しか大学に顔を出さなかったんですよ。あとは同じように家にいると。
でも…ふふ、佐々木くんがどうだったか知らないけれど、私の場合で言えば、ずっと家にいるのは耐えられないタチだったから、夕方になるとね、お酒を飲みに毎晩の様に家を出ていたんだ。
で、そんな事を毎日のように繰り返していたせいなんだろうね、団地といっても私のいたのは二階だったから、下で奥さん連中が話しているのが丸聞こえでね?よく女房もそこに加わってお喋りを楽しんでいたんだけれど、それがね、こんなだったんだ。
『おたくのご主人って、毎日夕方に家を出られてますけれど、夜のお仕事をされてるんですか?』って」

佐々木・義一「…ふふふ」

神谷「そしたら女房がね、『そのようなものです』ってしれっと答えていたんだよ」

佐々木・義一「あははは」

神谷「ふふ、確かに大学の先生なんてものは、普通の一般的な人から見ればよほど変な代物なんだよねぇ」

佐々木「世のサラリーマンの人達は、朝のまぁ六時だかに起き出してきて、七時か七時半には家を出て満員電車に揺られてね、夜も遅くまで働いてって日常を送ってるわけでして、それから見れば、確かに私みたいな大学の教員というのは、恵まれてるというか、そうとも言えなくもないでしょうねぇ」

神谷「でも、私なんか大学を辞めてしまってから二十年以上経とうってくらいに遠い過去になってしまってるから分からないけれど、今の大学はそうでも無いんでしょう?いわゆる大学改革以来、毎日が会議会議ばかりで…」

佐々木「そうですねぇ…ふふ、これは義一くんがせっかくこの場を設けてくれたのだから、利用させて貰ってねぇ、世間の人にも是非知って頂きたいのだけれど、まぁ最近は大学も、私や神谷先生の若い頃のようにはいきませんねぇ。毎日出かけて行かなければいかないですし」

義一「本当は逆だと思うんですけれどもねぇ。大学の先生には、ある程度たっぷりと暇を与えなくては、本来はいけないんですが…」

神谷「そうだねぇ。これは私の実体験として話させてもらうと、勿論、人間て弱いから、暇に甘えてグータラしちゃうもので、私も例外ではなかったんだけれども、でも人間というのは、これがある意味で面白いところで、次第にグータラするのにも飽きてくるんだね」

義一「あー、なるほど」

神谷「それでようやく何か考えてみようかなって行動に移るものなんだけれど」

義一「そうなんですよねぇ。これはお二方とも当然ご存知なので、視聴者向けに話すのですが、スクールって言葉がありまして、もちろん『学校』の意味ですが、スクールの語源は”scholē(スコレー)”と言いまして、これは古代ギリシャ語で『閑暇』、つまりは『ひま』って意味なんですね」

神谷・佐々木「うんうん」

義一「つまりは、ありとあらゆる学問をする、追求するためには、時間的なゆとりが大事だという考え方でして、これは二千年以上経った今現代でも、とても大事な考え方だと思うんですがねぇ」

神谷「まったく君の言う通りだねぇ」

佐々木「まったくですねぇ…それが現実では、暇を作るのが怖いと思ってるんじゃないかって思うくらいに、次から次へと会議をやり、それ以外の時も、会議のための準備作業をやって、まったく価値があるとは思えない無駄に多い書類を読まされて、それで最終的には疲れ果ててしまって、研究まで辿り着けないんですよ」

神谷「よくないねぇ」

佐々木「アッハッハッハ、よくないですねぇ」

義一「何だか…ふふ、大学に限らず、明治以降から続く教育制度それ自体に大きな疑問というか、大問題があると言うのが私たちの共通する考え方ですが、それは置いといて、今の大学に限って言っても、今はイギリスやら何処かが勝手に発表している、いわゆる大学ランキングなるものがありますが、それが発表されるたびに一喜一憂する言論があちこちで聞こえまして、あんなのは何の指標にもならないだろうと一応前置きつつ、
えぇっと…何が言いたいのかって言いますと、大方において、今の日本の大学というのも大きな問題を孕んでいるというのは、それなりに国民の間で共有されてると思うんですが、今まで先生方の話を聞いて、以前から思っていた事について、ますます確信を増したのですが、今もまだ続いている大学改革そのものが、今日の大学をますますダメにしてきた元凶だと断罪したくなりますね」

二人「まったくそれも同感です」




佐々木「こういうこともあるんじゃないでしょうかねぇ…私も、この場では一応経験者ということで神谷先生に限定させて頂きますが、私も先生もいわゆる社会科学と世間では言われている世界にいるわけですが、まだ…特に先生がまだ教授をされていた頃までは、社会科学が生き生きとしていたような気がするんです」

神谷「あー」

佐々木「何かしら社会科学に与えられた役目というか、役割というか、そういったものがあったと思うんです。政治学にしろ、経済学にしろ、社会学にしろですね。当時は…って、今もというか、今だってかなり大きな変化をしているわけですが、当時も日々の変化が激しくて、このまま社会はどうなるのか、一体社会が何処へ向かって変化していってるのか、といったような大きな問題について我々は議論が出来たし、それはどの学者だって興味を持っていたから、議論をしようと思ったら、相手には困らなかったんですよねぇ」

義一「んー」

佐々木「でもそれが、何と言いますか…その大きな問題設定が、今はしづらいんですかねぇ?んー…ふふ、こちらにいらっしゃいます、望月義一編集長が率いている、雑誌オーソドックスの中からは、そのような大局的なと言いますか、勿論具体的なミクロな問題も取り上げつつも、その大きな視点を一切欠かさずに盛り込んでいらっしゃるので、見たり聞いたりするのが楽しくて、満足するんですが…」

義一「あはは、いや、ありがとうございます。…なんですが、って、佐々木先生…ふふ、そもそも私が編集長しているこの雑誌というのは、神谷先生に佐々木先生、お二人が始められたものじゃないですかー?」

神谷「あははは」

義一「…ふふ、私はただ、先生方がされてきたのを、そのまま引き受けてるだけですから」

佐々木「アッハッハッハ。…はぁ、って、話はえぇっと…ふふ、あ、でもそれ以外から聞こえてくる議論というのは、本当にまぁ小さく纏まっているというか何というか…あまりにも矮小な問題しか取り上げないせいで、私個人の好みなのでしょうが、まったく唆られないんですね」

二人「そうですねぇ」

佐々木「とまぁ、議論があるかと思えば、そんなのしかないと。話を戻すと、まぁ一口に言ってしまうとですね、今までの話というのは、要は学問そのものが崩壊している証拠だと思うんです」

二人「あぁー」

佐々木「特に社会科学なんかは顕著ですね。学者の方も、本当は自分が選んだ学問を楽しんでないんじゃないかって、特に最近思うんです」

義一「んー」

佐々木「何となく経済学を始めてみたけれど、それを続けて一体どうなるのかと、それをしているはずの本人達も実感として、肌感覚として分かっていないというのがあって、結局は虚無感のために勉強それ自体も、元から好きだったのかって疑問は当然ありますが、それは今は置いとくとしても、少なくとも面白く感じれなくなってしまっていると」

義一「そうですねぇ。それを何とか解消しようと、ちょっと…ふふ、どこのコンサルタントの思い付きなプランだか何だか知りませんが、先程来出ていますように、制度を弄れば何とかなるだろうと、本来はこれまでの大学改革が失敗なんじゃないかって反省が起こっても良いようなものなのですけど、そんな考えには至らないみたいで、昔のマルクス主義者みたいに、
『今回の革命が失敗したのは、中途半端だったからだ。成功させるには、もっと力強く断行しなくてはいけない!』
ってな調子で、どうも考えてるみたいなんですねぇ」

神谷「あー、本当だねぇ」

佐々木「アッハッハッハ」

義一「えぇ。…ふふ、今またちょっと思い出しましたが、我々が共通して保守思想家だと見ている人で、イギリスはロンドン・スクール・オブ・エコノミクスで長年教授を勤めていた、視聴者にも分かりやすいだろうところで言うと、あの有名な投資家であるジョージ・ソロスも私淑していたという、カール・ライムント・ポパーって哲学者がいますが、彼がマルクス主義者達に不平を漏らす中で、こんな事を言ってるのを思い出しました。正確な引用ではないですが、こうだったと思います。
『マルクス主義者達はズルイ。改革、革命が失敗すると、その原因を追求したら、「いやいや、今は時期ではなかっただけで、私たちがしてきた事自体は正しいんだ」と都合の良い屁理屈を持ち出してきて、批判に耳を貸さない』」

二人「あー、そうだったねぇ」

義一「ふふ、えぇ。まさしく彼が言った通り、私たちは、改革改革っていう人達のことを、元々そちらの陣営の方から出てきた言葉というのもあって、制度を壊す事しか考えていない改革礼賛者を無自覚共産主義者と名付けているんですが…って、何だか無駄話をしてしまった挙句に、どんどん話が逸れて行ってしまいましたが、そうなんですよねぇ」

神谷「いやぁ、面白い話を聞かせて貰いました。と、こんな面白い議論になってきたというのに、私が雑談みたいな話をするので水を差しちゃうようだけど、これは視聴者向けにというか、誰が得するんだと思いながらも言うと、私と佐々木くん、そして義一くんという、この場で言えば三人共に大きな共通点がありまして、それは…」

義一「いやぁ…ふふ、私なんかを先生方と同じだと言って頂いて、恐縮です」

佐々木「アッハッハッハ」

神谷「…ふふ、まーた君はそうやって、昔から一切変わらず変にへり下って見せるんだからなぁー。不用意に褒めることも出来ないよ。…っふ、あははは。っと、話を続けると、改めて、私ら三人の大きな共通点の一つというのは、専門、スペシャルというのを、なるべく持たないようにしてるって事だね」

二人「そうですねぇ」

神谷「スペシャリストの反対が、仮にジェネラリストとすると、なるべく一般的になろうと、一般化するというのが、目標なんです。
えぇっと…まだ視聴者的には分かりづらいでしょうから、分かりやすいよう…って、ふふ、もしかしたら、変わらないかも知れないけれど、一応頑張ってみると、この世というのは複雑な形をしているわけですが、
仮にそうだなぁ…うん、仮に失業問題を取り上げようとしてみると、まず普通は失業問題と聞いた途端に、真っ先に頭を過るのは、
『失業ってくらいだから、経済学の分野かな?』
って思われそうだけれども、でも、さっき言ったように、この世というのは複雑で、その中にある時点で、どんな事だって複雑、少なくとも一面的な物などは一つも無いわけです。
それは失業問題にしても当然そうで、勿論経済学を使ってもある程度は説明できますが、しかし少し視点を変えると、違う見方が出来るというのに気付けるんです。
例えば、『…あれ?経済学だけじゃなく、政治学の点からでも失業問題について考えられるな…』と。仮に経済学で対処法が見つかったとしても、政治がしっかりと機能しなくては、その理論を実行に移せないわけですからね」

義一「その通りですね」

神谷「少し変わった視点で文化…
『日本国家が今までずっと内包してきた、文化面からも考えなくちゃいけないかも知れないと、これは文学や、芸能芸術の視点からも失業問題について考えられるな』
って考えても良いわけです。
なんせ、失業とはいっても、本当に職が無いことは無いわけです。ただ、体力的にキツイとか、汚いものを扱うのが嫌だとか、とまぁ挙げればキリが無いですが、このように選り好みをしてるから、なかなか仕事に就けないというケースも考えうるんですね。
で、これは要は本人は自分の価値基準を元に選り好みしてるわけですが、その価値基準というのはどこから来たのか…ふふ、勿論それは、世間的には、それぞれの人間によって価値観などは千差万別で全く違うと言う人が大勢なのでしょうが…」

義一「ふふ、まぁ私個人の感想を言わせて頂くと、そう言う人に限って、大勢の人と違いが全く分からない考えの持ち主だったりしますけれども」

佐々木「アッハッハッハ」

神谷「あはは。…って、ふふ、別にそのように批判したかったわけでは無かったんだけれど…」

義一「あ、すみません(笑)」

神谷「(笑)。って、話を戻すと、えぇっと…ふふ、人々の間の価値観に、分かりやすい形で違いが出るのは、それはやはり国の違いだったりするんですね」

義一「その通りですね」

神谷「食文化が一番手っ取り早く分かりやすいと思いますが、勿論各国各様のあらゆる芸能だとか、その他もろもろなど、人間はどうしても、生まれ育った環境に影響をどっぷりと受けてしまうわけですが、それがどう個人個人の中に浸透していくかで、そこで初めて千差万別な違いが出てくるわけです。でですね、視聴者の方は議論が冗長なせいでお忘れかも知れませんが、今は失業問題を例に話してる途中なんですが…」

二人「(笑)」

神谷「あはは…で、職の選り好みというのは、価値観によって選んでるのは言うまでもなく、その価値観の根源を辿ってみるのも、失業問題を考える上で、私が説明下手なせいで結局分かりづらかったでしょうが、パッと見では全く関係なさそうな視点からでも、このように幾らでも考えることが出来るわけです」

二人「うんうん」

神谷「ただですね…ふふ、ここで何故、我々三人がスペシャリストにならないように気を付けているのかという話まで戻しますと、今の失業問題をまた使えば、先程来長々と話してきたように、少なくとも一つの問題を扱う時にも、学問だけでは止まらない、ありとあらゆる視点が必要だと、そうしないと問題の全体像が見えてこないと思うんですが、視聴者の方々にこの考え方を承知して頂けたという前提を身勝手に置きつつ続けます。
専門家達がけしからんのはですね、例えば経済学者というのは、一つの問題を扱う時に、まず自分の知ってる単純な理論というか、この場合は経済学だけの視点からそれを持ち出してきてですね、その一方向からだけ無理に見ようとして、当然複雑な現実にある問題とは、結論が全く合わないのですが、それを今度は、現実が間違ってるんだと、そんな方向に今度は向かうんですよねぇ」

義一「ふふ、そうですねぇ…。んー…まぁ言っても良いか、昔は、そのような人達のことを”専門バカ”と言ったと思うんですが…ふふ、これも私たちは散々話してきたんですが、
専門人が何故バカになるかというと、自分が固執している一つの専門からの視点から、無理やり大きな全体像を見ようとするから、当然の帰結として把握が出来ずに、見当違いも甚だしい結論しか出せないからなんですね。
…いや、それだけならまだしも、どう考えても出た結論が間違っているのに、これまた頑なに正しいと今度は強烈に思い込んで、仮に結論と現実が違うのに気付いたとしても、今度は
『いや、私の理論は絶対に正しいはずなんだ!それでも結果が違ってるってことは…あ、そうか!現実が間違っているんだ!だったら、自分が発見した正しい理論に合うように、現実の方を作り替えなくちゃ!』
…とまぁ…ふふ、考えるものですから、このような思い込みの強い、自己懐疑が微塵もないような人の事を、何度も失敗してるのに学習しないで繰り返すという点からしても普通は『バカ』だと、そういうことなんですね」



神谷「えーっと…ふふ、司会者だというのに、テレビで『馬鹿バカ』言いすぎてしまった件について、一応雑誌の顧問をしている立場でもある私が代わって…謝らせて頂きますので、視聴者の皆さん、ご勘弁ください」

佐々木「アッハッハッハ」

義一「ふふ、すみません」

神谷「…っぷ、あははは」

佐々木「あはは。あー…って、あ、そういえば、昭和か平成に入ってすぐくらいだったと思いますが、当時は『結婚の経済学」なんてのもありましたねぇ」

義一「あー、ありました」

神谷「うん、あったねぇー。あの人は、ノーベル経済学賞まで貰った、あれは、えぇっと名前は…」

佐々木「あれは…ベッカーでしたかね?」

義一「そうです。ゲーリー・スタンリー・ベッカーって”奴”でした」

二人「(笑)」

義一「ふふ、今佐々木先生が触れられたのは、確か翻訳もされてたと思います。彼が『ビジネス・ウィーク』誌に連載したエッセイでしたかね。私は…ふふ、当時神谷先生に、
『これを是非読んで見てくれ。そして、その後で雑誌の中で書評を書いて欲しいんだ』
って頼まれましたので、当時はまだ翻訳が出ていなかったので、やれやれと英文で読んだ記憶があります」

神谷「あれ?そうだったっけ?」

佐々木「アッハッハッハ」

神谷「あはは。あれはえぇっと、結婚だけではなく、確か移民とか教育、また徴兵制とかを含めた社会問題を、自分の経済理論によって解釈したのを寄稿するってスタイルだったと思うけれど、今は結婚について、彼がどう論じたのかを述べれば、確かえぇっと…
『人間は、どういった時に結婚するのか?そして離婚するのか?』というと、まず結婚のBenefit、利益ですね、結婚の便益と費用、離婚の便益と費用、そのカーブを書いて、便益マイナス…費用、だったかな?その差が一番大きいところで人は離婚するだとか結婚するだとか書いてあって、あまりにも馬鹿馬鹿しすぎて、どっちがどっちだか、もう少なくとも十五年以上前だから覚えてないんだけれど」

義一「あはは、僕もですよ」

佐々木「アッハッハッハ」

神谷「そんなことを真面目にベッカー本人が書いたのかと、あまりにも内容が内容だけに、流石に冗談だと信じたいくらいの内容だったね」

義一「いやぁー、彼自身も、そして、それを掲載する事を許した『ビジネスウィーク』も本気だったと思いますねぇ…信じられないですけれど。
なんせ、いわゆる週刊誌と言いますか、誰もが手に取って気軽に読むような類ではなく、この雑誌は、アメリカで大手総合情報サービス会社として有名な、あのブルームバーグが発行していて、いわゆる高給取りのエリートビジネスマンの愛読書として親しまわれているんですから」

神谷「あはは、相変わらず皮肉が効いてるねぇ」

佐々木「アッハッハッハ」

義一「ふふふ…っとまぁ、ビジネス界隈では一目置かれている雑誌ですし、その時点ではノーベル賞を獲っていたのか…な?興味が無いせいで、一度は調べたのに覚えていないのですが、それはともかく、どっちであろうと、当時から経済学会で重鎮と見なされていたベッカーが書いたのですから、話を戻すと、彼なりのジョークで書いたのではなく本気で書いたのだと思いますねぇ」

神谷「そっかぁ。まぁ、それはそうだねぇ」

佐々木「んー…あ、さっき先生がチラッと言われたおかげで、彼のそのエッセイの一つを思い出しましたが、こんなことが書いてありましたね。
彼は徴兵制に反対していますが、その理由がまた凄いんです。それは確かこうでした。
『一般社会で高額を稼げる人間を徴兵し、軍隊で安く雇う場合、所得の差額は隠れた税金といえる。その金額は、志願制にした場合の税金の支出額を上回る』と。だから反対だって言うんです」

義一「あー…はぁ…」

神谷「あはは、本当にため息を吐きたくなるねぇ」

義一「えぇ…って、ふふ、なんか彼に関して、佐々木先生の話を聞いて芋蔓式に私もまた思い出してしまったんですが、まず先に視聴者向けに話すと、
ベッカーはそもそもですね、当然師匠がいまして、その人の名前はミルトン・フリードマンと言いますが、彼から巷で言われている”新自由主義”というものが始まったというか、まぁ彼が教祖と見做されています。
彼らのことを一般にシカゴ学派と言いますが、そのフリードマンの弟子の一人が、繰り返しますがベッカーでした。
でですね、彼は確か最初に書いた本が、”The Economics of Discrimination”、翻訳すると、『差別の経済学』というのを書きました。その中でですね、差別はいけないと書いてるんですが、その理由がですね…ふふ、先ほど佐々木先生が触れられたのと同じノリなんですが、『経済的に損だから、差別はいけない』って書いてるんです」

二人「(苦笑)」

義一「あはは…その後もですね、こんな調子で、『人間行動を経済学からみるとどうの』とか、『家族に関する経済分析』、後は、先ほどのエッセイの中身も、思い出したくなくても思い出してしまいましたが…」

二人「ふふ」

義一「『差別についての経済学』、『犯罪についての経済学』とかですね…ふふ、犯罪で言えば、具体的には麻薬の事とか書いてありましたが、要は損だから犯罪はしないようにした方が良いって書いてるんです。
終いにはですね、んー…これまた嫌なことを思い出してしまいましたが、ついにはですね、自分の最初の奥さんが自殺してしまったんですけれど、そんな悲劇があったというのに、間をロクに置かずにですね、自分の師であるフリードマン先生の元を訪れまして、こんなことを言ってのけたというんです。
『先生、私はこれから『自殺の経済学』をやろうと思うんです』」

二人「…」

義一「これはもう、何というか…ふふ、流石のフリードマンもですね、顔を背けて黙っていたといいます」

二人「(ため息)」

義一「…とまぁ、事実ではあるのですが、司会でありながらも少し余計な話をしてしまい、場を冷やしてしまいましたので、それに関しては”今回は”私がしっかりと自分でお詫びを申し上げたいと思います」

二人「微笑」




神谷「しかしねぇ…ふふ、急に話が飛ぶというか戻るようだけれど、まぁ…ふふ、私はね?って、私個人で良いんだけれど、今義一君が話してくれた事も含めて、そんな学者がいる世界、そんな学者なんかが有り難がられる世界なんかいられないなって思ってね、それで経済学から飛び出しちゃったんだけれど、実は…ふふ、心配だったんだ、ここにおられる佐々木君含み学生達のことがね。
なんせ、専門を無くすっていうのは私が始めちゃったんだけれど、彼らまで巻き添えを食らわせてしまった形にもなってしまったし、もう大学の教員となっていた自分はともかく、これからっていうのに、彼らの人生をダメにしてしまったんじゃないかとね?思ったんだが、それが何とか…ふふ、彼に関して言えば、大学に就職してねぇ」

佐々木「アッハッハッハ。いやぁ、今から思えば不思議ですけれど、就職…うん、確かに、一応経済学の世界にはいるんだけれど、いわゆる経済学から離れてしまっていると。かといって別に、他の政治学なり社会学の専門家でもなかったんですが、大学に就職しようとした時には、経済学者として就職するとか、政治学者として就職するわけなので、んー…ふふ、良く考えてみれば、就職口が無いんですよ。ふふ、入り口が閉ざされていると。ですけれど、不思議と全くそういった事は心配しませんでしたねぇ」

神谷「不思議なもんだねぇ」

佐々木「アッハッハ、えぇ。また、変に楽観的とでも言うのか、それで食べていけなくなったらどうしようみたいな、そういった心配も一切していなかったと。根拠もないのにですね。ですが…ふふ、これも時代に余裕があったおかげだったのでしょうねぇ」

神谷「そうだろうねぇ」

佐々木「もうすでに大学紛争というか、全共闘も収まってはいたんですが、しかしまだ余韻というか、どこかでまだ燻っている気配もしたりして、また八十年代に入ると、例のポストモダンが出てきますでしょ?」

二人「あー」

佐々木「ですから、他方でそういう既成のものに囚われないやり方とかに、スポットライトが当てられてた時代でもあって、だから結果として、出版界なども巻き込んだポストモダン的なムーヴメントが沸き起こったというのが、『専門を無くす』をスローガンに立てていた私なりには、有り難かったのかなって思いますね」

神谷「確かにねぇ。私の場合で言っても、まだ私が生き延びてるというのが、今までの自分の人生を振り返ってみれば、奇跡に近いなぁって、特に最近思うんです。
この生き延びるって表現は、社会的にって意味合いが強いんですが、それくらいですね、
大学を辞めた二十年以上前から、一応肩書きは、今日も初めの方で紹介された通り、広義な意味で評論家として象牙の塔から市井に出てきたんですが、自覚あるので自信を持って言わせて貰えれば、これまでの戦後日本でいえば、タブーというか何というか、まぁ一般に建前ではタブーと思われてきたことを、実はそのタブーこそがこれまで我々の国家が紡いできた歴史や文化の根底にある、支えてきてくれたものの本質なのだと、それを、それこそ過去の名を後世に残すような偉大な先人達の業績などを知るうちに、そんな人たちと自分を合わせるのは不敬にも程があると重々思いますが、まぁ考え方としては彼らに同感なのだし、それならば自信を持っても良いかなと、それで今まで活動してきました。
…ふふ、しつこいようですが、そんな私も今年に入ったのと同じくして引退したつもりだったのですが、こうしてまた表舞台に出てきてしまったけれど」

義一「…ふふ、すみません」

佐々木「ふふふ」

神谷「ふふ…っあ、そうだ、まぁ我々というのは、専門を持つのを毛嫌いしてるんだけれど、それでも今だけ便宜のために一瞬使わせていただくと、いわゆる人文社会学の世界に身を置いてるのだけれど、我々学者はどう活動するかというと、主に文章を書くんですよね。
だけれど、その文章と対照として仮に人生を持ってくれば、人生を解るためには文章が必要になってくるんだけれど、文章は人生の中から生まれてくるわけですよ」

二人「そうですね」

神谷「そうなってくると、専門家達が愚かしくダメなのは、自分の人生と、自分の帰属している学問なりの間の関係が、昔と比べたら弱くなってしまっていて」

二人「あー」

神谷「我々のように、色んなことをトータルに物事を押さえようとしたならば、どうしたって人生が顔を覗かせてくるんだよねぇ。
我々男の視点から言えば『女とはなんだろうか』とか、先ほどの話にまた寄れば『収入とはなんだろうか?』とか、『飢えとはなんだろう?』とか、『社交とは、人付き合いとはなんだろうか?』などの、いわゆる人生における問題とね、文章の問題、学問の問題との間に本来は関係が現れてくるはずなんですがね」

佐々木「そうですねぇ、今の先生の大局的、全体的な話を具体化してみますと、やはり現代社会において重要な価値というのは『科学』なんですよね。で…科学というのは何だと言うと、『価値を持ち込まない』ってことに特徴があるわけです」

義一「あー…うーん…」

佐々木「でもですね、今先生が言われたような、人生の問題というのは、これも詰まるところ価値観の問題へと行き着くわけです。この価値観については、先ほどから、形を変え品を変えつつ出てきてますが、繰り返し言えば、科学というのは価値観を持ち込まないので、それ故にいわゆる客観性が出てくるんですね」

義一「んー、なるほど…。ふふ、確かに、今佐々木先生が仰ったことは、世間の一般論としてはその通りで、視聴者の皆さんも概ね賛成されて、私自身もそうだと言ってしまっても良い気はするんですが…ふふ、私はこの様な天邪鬼な性格をしていますので、議論のために一つ話させていただきますと、
結論から申せば、人文社会学に関してはその通りだと全面的に賛成するんですが、では天文物理化学、生理医学そして数学といった分野が、今先生が仰ったように、価値観から離れてしまっているのかというと、必ずしもそうとは言えない気がするんです」

神谷「うん、続けて?」

義一「はい。これは過去に遡れば例は幾らでも出てきてしまうので、今は日本に限って引っ張ってくればですね、まず我々の雑誌に時折寄稿して下さっている、佐々木先生と同じ大学で数学をしていらっしゃる谷先生という方がいまして、その寄稿では、数学の理論的な話はほんの少し出てくるくらいで、殆どは現代社会に巣食う病魔について書かれています。
…っと、これは谷さんには悪いですが、数学界ではそれなりに難問の証明などで一目置かれている先生であるにも関わらず、世間一般には知られていないと思うので、有名どころを出そうと思います…」

二人「(笑)」

義一「ふふ、谷さん、すみませんね?(笑)
えぇっと…はい、大体ですね、我々が実際に付き合っている、んー…私個人でって言って良いんですが、私はこの言葉が大嫌いで使いたくないのですが、敢えて使えば、いわゆる理系の大家だって、大体共通して価値観の大切さを仰ってきました。
我々の仲間以外でも、例えば物理学者で言っても、日本人初のノーベル賞を受賞する事となった湯川秀樹にしろ、私は個人的に湯川よりも好きな、大学時代は一応湯川の先輩でしたが、ノーベル賞受賞は湯川よりも一足遅れて受賞することになる、朝永振一郎という方もおられました。
それまで相対性理論と量子論という物理学における二大理論があったわけですが、どちらとも正しいのに、しかし組み合わせると全く意味をなさなくなってしまうという、現実には二つとも同時に存在してるというのに、何で一緒にしたらダメになってしまうのかという問題に、当時の物理科学者達は頭を悩ませていたのですが、
ここでは詳しくは説明しませんが、朝永は量子電磁力学の発散の困難を解消するための”組み込み理論”というのを用いまして、その計算が実測値と一致する結果を得たという功績により、時期を同じくして朝永と同様に問題を解決した、物理学の世界では有名なリチャード・フィリップス・ファインマンや、ジュリアン・シュウィンガーの二人と合わせた三人で、六十年代に揃ってノーベル賞を受賞する事となります。
…って、別に今は朝永の功績を称える時間では無かったですね。脱線し過ぎたので戻します」

二人「(微笑)」

義一「えぇっと…あ、でですね、この湯川と朝永には、何人か共通した大学時代に教えを受けた先生がいらっしゃるのですが、この中の一人が、私が佐々木先生への返答内容に関する例として、一番分かりやすいと思うので出したいと思います。
彼の名前は岡潔と言います。彼は数学者でして、当時はまだ発展途上であった”多変数複素関数論”というものにおいて、大きな業績を残されました。
これはかなり難しくて、私如きには説明するのが困難なのですが、乗り掛かった船だというので、一応自分が知る上で、先ほど名前をお出しした谷先生にも教えて貰ったことを、あまり時間をかけないように注意しつつ今私が開示してみますと、

まず幾何、代数、解析学というのがあるんですが、これらが一体となった理論がありまして、これをまぁ一変数複素関数論、または複素解析とも言います。現代の数学において基礎とも言える一つが複素数でありまして、一般にa + bi の形で表されます。
このaとかbとかいうのは実数でありまして、簡単に言えば√1だとか√2だとかがそうです。で、次のiというのはですね、これが不思議な記号でして、このiというのを平方、自乗しますと、数としては−1になりまして、この特別な性質を持つこれを虚数単位と言います。
で、ですね、数学の立場から眺めると、複素関数論の素朴な一般化が多変数複素関数論であるらしいのですが、多変数複素関数論には複素関数論にはなかったような本質的な困難が伴う…と谷さんが僕に教えてくれました。
それを乗り越えたのが岡潔なんですね。
具体的には三つの大問題を解決したのが有名ですが、その強烈な異彩を放つ業績から、西欧の数学界ではそれがたった一人の数学者によるものとは当初信じられないくらいに、日本だけではなく、世界でも賞賛されていました。
で、えー…」

神谷「…ふふ、難しい数学の話を、噛み砕いてとても分かりやすく話してくれるから、私たち二人は大変に興味深く聞いていたけれど、そろそろ視聴者が寝ちゃうとも限らないし、数学の話から戻してもらえるかな?」

義一「あ…ふふ、すみません」

佐々木「アッハッハッハ」

義一「えぇっと…あはは、あ、でですね、そんな功績を残された岡潔ですが、一つですね、面白いだろうというので、視聴者の皆さんが僕の長々と冗長的な話で寝てしまわないように、一つエピソードに触れたいと思います。
先ほども申した通り、湯川と朝永は岡潔の講義を受けていたのですが、物理学の授業よりもよほど刺激的だったと、二人は対談の中で学生時代を振り返る流れで触れています。
何でも、岡潔は講義のために教室に入ってきて、初めのうちは普通に授業を始めるのですが、その途中で不意に問題が頭に浮かんだのか、突然それまでしていた授業をストップしてですね、教壇で一人考え込み始めて、それが一瞬だったり一、二分くらいだったら良いとしても、それから十数分とか、長ければそれ以上考え続けてしまうらしいんですね。
勿論これでは授業にはなりません。生徒達としても、どうしたのだろうかと、あの先生って変わっているというかちょっとオカシイくらいの感想を持っていたらしいのですが、その中で、湯川と朝永の二人と、後の少数のみが、繰り返せばそんな岡潔の授業を大変に面白がり、後年に思い返しても感想は変わらずに『刺激的だった』と称していました」

二人「(笑)」

義一「この一般的に見ての変人具合が、私個人としても先の二人と同様に大変に好きでして、これが何処となく、先程来名前だけ出ている谷先生にも共通してるんですが、えー…っと、でですね、突然話が戻るというか、話が飛ぶようですが、岡清は晩年には日本の情緒の大切さを何冊も著作を書いて訴えております。『春宵十話』なんかが特に有名ですね。共著でも、小林秀雄との対話なども有名です。
まぁ大変に岡潔は、また私の嫌いな区分け法に基づいて言えば、”文系”の分野でも凄まじく深い洞察力を発揮していますが、これも話だすと止まらないので端折りまして続ければ、今チラッと出した『春宵十話』に、確かこんな事が書いてありました。
『人の中心は情緒である。情緒には民族の違いによって、色々な色調のものがある』と」

二人「なるほどぉ」

義一「『例えば春の野に、様々な色どりの草花があるようなものである』。
岡はですね、数学の研究なり、後年の教育についての研究を進めていく中で、情緒の重要性に気づくんですね。理数学にしろ人文社会学にしろ、重要な発見には自然と人間が対立する西洋的な思考だけではなく、自然と一体となる東洋的な情操も大切なんだと考えたんです」

佐々木「あー…」

義一「とある昔の番組に、生前なので大分昔ですが、岡潔がこんな事を言ってるのも思い出しました。
『日本人は、自然とか人の世とかを、自分の心の中にあると思っているらしい。自然や人の世が喜ぶと、自分が非常に嬉しいというらしい。芭蕉や万葉を読んでみると、少しも自他対立してなくて、自分の心がそのまま外に嬉しいという風に詠んでいる』。
えぇっと…あ、そうそう、岡潔はここで、万葉集にある歌で、尾張連(おはりのむらじ)が詠んだ二首のうちの一首を引用しました。
『【うちなびく 春来るらし山の際(ま)の 遠き木末(こぬれ)の 咲き行く見れば】』
この歌を詠み終えると、これに関連付けて岡はこう続けます。
『パァーッと春が来てるが、それがすなわち自分の生命だっていう風になるらしい。そう思って自分のやり方を見ると、数学を自分の心の中に取り入れて、そして心の中でその数学を見る。そうすると心の中に入っている数学が、その一点に凝集して形を現してくるという風になる。つまり日本人は、ものを心の中に入れて、そしてその自分の心を見るっていう風なことが非常に上手なのに、今の人はどうも内を見る”眼”というのが、あんまり開いていないように思う』」

二人「…」

義一「『日本人の本来の心を、思い出して貰いたいな』」

二人「…そうです、ねぇ…」

義一「はい…って、かなり長く岡潔について触れてきましたが、これで私の発言は一旦閉めさせて頂きます」

佐々木「いやぁー、ありがとうございました。私も勿論岡潔のことは存じていたんですが、失念していたせいで、少し軽率に自然物理化学の世界が価値観と無縁だと言い切ってしまったのは今訂正したいと思います」(お辞儀)

神谷「じゃあついでに私も」(お辞儀)

義一「い、いやいや先生方勘弁してください…」

二人「あはははは」

義一「…ふふふ」




神谷「先ほど私が言った、文章と人生という話に戻らせて頂くと、文章には文体、英語で言うところのStyleが必要ですよね?このスタイル、文体にも色んな種類があって、文章を書こうとした時に、まずどんな文体で全体を書こうかって考えて、選ぶわけですが、これもこれまで散々議論が出て来たように、何によって選ぶのかというと価値観によって選ぶわけで、その価値観はどこから来るのかというと、先ほどはその人のいる国家、時代、その前の歴史や伝統習慣などなどからだと、まぁ大局的な話をしたんですが、それを窄めてというかミクロな視点にしても、その人の歩んできた人生と深く関わってくるんですよね」

二人「そうですね」

神谷「そういう意味で、これはまた、んー…ふふ、この場で言えば、我々三人の自画自賛となってしまうんだが、我々まぁまぁね、自分の文章、学問などなどと、自分たちの人生とね、大方整合性が取れてるように思ってるんです。
…自分で言ってて恥ずかしいけれどね」

二人「(笑)」

神谷「あはは、それに比べて、人生と学問が分断されている学者先生…って、これこそ大方がそうですが、単純に厳しいというか本人もキツイでしょうねぇ。大学ではコレコレと講義なり研究なりしていたのに、家に帰ったら全く別の事をしてるみたいな」

二人「あー」

神谷「こうしてると、自分自身の中で分裂状態が時間と共に深まっていってしまって、病気になる…うん、やっぱり、最近…って、別に最近に限らないけれど、テレビだとか見たいな公衆の面前に、〇〇学者と称して出てきて、色々と理屈を弄くり回して世相を切ってたりするのを聞くけれど、事態が全く検討外れな方向に流れていってしまったというのに、その同じ人物は、ケロッとした顔で、誰も追求しないというのもあるけれど、間違った意見をずっと言い続けて来たというのに、それを反省や弁解、弁明をしないどころか、また性懲りもなく公衆の面前でアレコレと宣いてるのを見ると…ふふ、こんなところでも、学者の分裂病の証拠が出てるのかも知れないですなぁ」

義一「あはは、そうかも知れませんねぇ」

佐々木「アッハッハッハ。あ、今先生のお話をお聞きして、ふと『知行合一』を思い出しましたねぇ。後、三島由紀夫も、彼も文学者でありながら一つの思想を作ったと思いますが、『文武一致』と言いますかね、とても激しい思想を持っていました。
自分の行動と、自分の思想を完全に一緒に合わせなければダメだと」

義一「そうでしたねぇ」

佐々木「ただそこまで来ますと…それを現実世界、現実の日常でそれを実現しよう、実行しようとするのは、それはもう考えたり論じるまでもなく、とてつもなく大変な話なんですよ」

神谷「それはそうなんだよねぇ」

佐々木「だから…ふふ、これは視聴者の方々に言うんですが、一般的には我々のいわゆる文系というのは理系と比べてお気楽で、ただ言葉遊びをしている役に立たない研究を、自分たちの税金も入れてるのにし続けていると、そんな風に思われるんでしょうが、なかなかねぇ…ふふ、実際に完璧にしようとしたら、我々の側もこれだけ大変なんだと、それだけは理解して頂きたいですねぇ」

二人「あははは」

神谷「さっき佐々木くんが出してくれたけれど、『知行合一』ね。これは近江聖人と称えらえた、近江國、今の滋賀県ですがね、そこ出身の陽明学者であった中江藤樹という人が有名です。
彼は農家に生まれるんですが、武士だった祖父の養子になって、それからまぁ藩に仕えるようになるんだけれど、まだ二十代の時に母親の健康上の問題とか諸々のことがあって、その願いは聞き入れられずに、その後は脱藩したりと一悶着があって、郷里に戻った後で私塾を開くんだけれど、別に今、中江藤樹の半生を紹介したかったんじゃなくて、それで私塾を開いた後で、お弟子さんになった人がね、
『藤樹先生、学問とは何でしょうか?』
って聞いたら、藤樹先生はこう答えたっていうんだね。『学問とは、母親の面倒を看ることである』と。まぁこう言ったらしいんだけれど、これはどういう意味なんだろうね?」

佐々木「アッハッハ、そうですねぇ…彼は陽明学の先生ですし、先ほどから出ている『知行合一』の一言なんでしょうが、この陽明学も儒教的な流れですよね?もちろん、江戸幕府と共に、林羅山などを中心に武士の一般的な学問とされた朱子学とは違うものですが、要は、君主に対する『忠』と、親に対する『孝』と見比べた時に、最終的には親に対する『孝』の方が大事というか、中江藤樹は知行合一の『行』として、藩で藩主に仕えるよりも、親への孝行を取ったって事でしょうが、ただ陽明学的に言えば、『知』というものは、行いから何が大事かってことが分かってくるんだと」

二人「うんうん」

佐々木「それに比べて、チラッと今出した朱子学で言うと、何か”向こう側”に真理というか、『理』というものが”予め”存在してるということになっていて、既に存在しているのだから、”こちら側”にいる私たちが努力すれば自ずとその真理なりに近づけると、まぁあまりにも単純化してますが、そんな考え方なんです」

神谷「『知行』…知識と行動。
でも厳密に言っても、そもそも知識だってボーッとしてたらダメでしょ?調べたり、研究したり、さっきのに合わせれば文章に書かなくちゃと、これらは全て行動だよね?
活動というのは既に『行い』なんですよね」

義一「あー」

神谷「あとは、行動、行いって言うけれども、我々は本能のままに動く、というか動ける犬や猫ではなく、とある戦後最大と言いたくなる精神心理学者の言葉を引けば、
『本能が壊れてしまって、それでは生きていけずに滅びてしまうというので、文明なり文化なりを作り上げて来たのが人間という動物』
というわけで、行動というのは何も考えない…うん、まぁ…ふふ、何も考えずにひょっとしたら行動してるんじゃないかと、今の特に日本人を見るとそう思わないでも無いけれど」

佐々木「アッハッハッハ」

義一「あはは」

神谷「ふふ、それはともかく、普通は思考しないままに身体が勝手に動き出すのは、特殊な例外を除いて無いと。
という事は、行動にだって『言葉』が伴っているわけですよね?考えてるって事は、言葉で考えるんですから。
で、この言葉というのは、全てにおいて意味を含んでおり、その意味はこれまで引き継がれて来た、内包して来た知識とも言えるわけで、そういう意味で知行合一というのは、私なりの解釈を述べさせて貰えれば、知識と行為が、今述べた通りに内的に深く結び合っているとも言えるんでしょうね」

抜粋終わり
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