第8話

文字数 1,041文字

 あたくしは、一体何をしているのだ。
 
 昔の美しい思い出に浸って何になる。
 足音が近づいてきた。はっとして顔を上げる。鍵を開ける音。
 そこにいるのは龍王だった。この部屋から出ようとなりふり構わずにいるエズメラルダを見て、小さく笑った。
「とんだ姫君様だ」
「龍王様!」
 駆け寄った。
「……どう、なさったのですか?」
 頬にはすり傷、服も汚れ、あちこちが破れている。思わず駆け寄って、その体を抱きしめた。
「今日の戦いは一段と激しくてね」
 疲れたように笑った。そこで、気づいた。
「どの国から雇われたのです? なぜ、あたくしを連れて行ってくださらない? 少しの助けにはなりましょうものを」
「それは無理です」
 龍王はエズメラルダを見つめた後、その額に唇を当てた。
「今日は、戦いの助太刀ではない。国を守る戦いなのです」
「そんな……」
 全身から血の気を引いていった。
「では、あたくしをここに閉じ込めたのは、あたくしを守るためだったのですのね?」
龍王は返事をしなかった。
「そして国を襲われたのも……」
「あなたは何も、心配などすることはないのです」
 エズメラルダは体を離し、きっ、と、龍王を見上げた。
「なぜです?」
「愛しい人」
 さみしそうに笑った。そしていつもよりも優しく、強く、エズメラルダを抱いた。
「わたしは、あなたをここから逃がすために、一足先にここに来た」
「それは……」
「別れのときが来たのです」
 どきん、と、心臓が大きな音を立てた。血の気が引いていく。さきほど脳裏をかすめた一抹の不安。
「予言者……ですね」
 エズメラルダの言葉に、龍王は静かにうなずいた。
「地下室に、ウデュという名の龍を用意しています。食料も着替えも、すべて整っている」
 青ざめた顔。苦しい表情でエズメラルダを見つめる。

 わかっていたことだ。
 こうして、この方もあの者どもに言われるままあたくしを引き渡すのか。

 空しかった。せめて、あと少しこの時間を引き延ばすことができたら。
 龍王を見つめた。
「……エズメラルダ?」
 このまま、おとなしくここから離れるつもりはなかった。意を決して、開かれたままのドアを閉めた。そして高まる胸をおさえながら龍王のそばへともどり、その胸に頬を押し付けた。
「……抱いてください」
 固く、その体を抱きしめる。
「しかし」
「前にも、申し上げたはずです」
 龍王は考えこむように優しくエズメラルダの髪をなでていたが、
「本気にしてしまいますよ」
 と、真面目ともつかぬ顔で言った。エズメラルダはただ、うなずいた。
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