第三話 壮年:黒澤 高天(くろさわ たかま/四十八歳)

文字数 3,382文字



「そろそろ出番です。師匠、お願いします」

「はいはい、わかりましたよ」

 楽屋の鏡の前で正座していた私は、呼びに来た前座の者に言葉を返した。

 白足袋を履いた爪先を伸ばして立ち上がると、膝の上を掌でパンと叩いた。二ツ目になった頃からの、癖になっていた動作だった。

 纏うことを許された着物の襟を引っ張り、姿勢を正した。真打ちになって、これが最初の高座になる。みっともない格好は見せられなかった。

 身に着けている単衣の色は、どこかのテレビ番組の落語で見るような、派手な物ではなかった。けれどこれで良いと思っていた。噺家は話芸を人に見せるのが商売だ。立派に光った豪華な羽織を見せびらかす為に、舞台に立つわけじゃあない。

 黒いものがほとんどなくなった髪を手で撫で付けると、私は舞台の袖へと歩いていった。

 相変わらず、歩く度に肩の付近の古傷がシクシクと痛む。いつもより動悸が多い気がした。もしかしたら今回が真打の舞台だというせいで、緊張しているからかもしれないと思った。


 この世界に足を踏み入れたのは遅く、三十五齢になってからだった。

 それまで私は所帯持ちの平凡なサラリーマンとして会社に務めていた。人に語るような偉業は成し遂げていない。けれど平凡な人生だったかというと、そうでもない。

 思い出せば若い頃は、いろいろとアクシデントが多かった。特に身体に関しては、他人より相当な無理をさせてきたと言えた。

 もう記憶が薄いのだが、幼少の頃に車(もしかしたらバイクだったかもしれない)にはねられるという大きな事故にあった。

 歩けるまでに一年を要した。その後は傷ついた体を鍛える為、両親の勧めで水泳に熱中したものだ。おかげでだいぶ立派な大会で記録を残すまでの選手になる事ができた。

 そうして鍛えた心と体を、世のために役立てたいと考えたのは自然な流れだったのかもしれない。

 成人した私は、当時のビルマ連邦で青年協力隊の一員として働いていた。現地では得意だった水泳の指導を始め、様々な肉体作業に従事していた。日々はとても充実していたけれど、時代と情勢が私の幸せな滞在生活を破壊してしまった。

 暑い夏の最中に、そのストライキは起こった。仏教僧も学生も、そして公務員から一般市民まで、扇動された国民は例外なく立ち上がって参加していった。国の全土を巻き込んだ運動は、結局多くの外国人をも巻き込む流れとなった。

 私はそれに参加するつもりは毛頭なかった。

 ただ偶然通りかかった際に、踏み入れてしまったデモの群衆の強い流れに、体ごと流されてしまった。それだけだった。それだけなのにビルマ国軍は自国の民衆の塊に向けて、容赦なく発砲を行ったのだ。

 本当に運の悪いことに、その銃弾のうち二発が、私の鎖骨付近を直撃した。螺旋に回転する金属の弾は、私の肉と骨と血管の一部を削り取って、体から抜けていった。

 地面に崩れた私の意識は朦朧としていた。なのでこの時、もうひとり大事な仲間と連れ添っていた気がするのだが、彼/彼女がどうなったのかは、今だに思い出せない。

 私は血まみれのまま病院に運び込まれ、優に半年の間、鉄製の硬いベッドに縛り付けられた。

 そして動けるようになるとすぐに、日本への帰国を余儀なくされた。

 心と体の両方が回復するまでに、それなりの時間がかかった。

 ただその間に幸運があった。治療にあたっていた当時の看護婦、いまの家内と知り合う事ができたのだ。献身的な看護のおかげで、私は見事に回復し、立派に社会の一員として復帰することができた。

 なのに、こうして私はいま長襦袢(ながじゅばん)の上に衣装を羽織り、高座へと向かって歩いている。

 人生とは不思議なものだ。

 妻には悪いと思っている。子供もできなかったのに、やっと安定してきた壮年期のど真ん中にあって、落語の道に進みたいなどと、大変な我儘を言わせてもらった。

 人の中にあって、私という種がそういう性質を持っているのかもしれない。安穏とした暮らしをしばらく続けていると、ふと駅で電車を待っている時間の隙間などに、なぜか胸騒ぎがするのだ。


 そういうものが この空間に充満するのだ
 そういうものが 微塵の中にも激動するのだ


 あの幼子の頃に図書館で読んだ忘れられない詩が、そういう心を呼び込むのかもしれない。私が決して逆らえない、原始の命が持つ衝動の力によって。


「今日の根多(ネタ)は、あれかい?」

 今朝、私の師匠にあたる方が楽屋を訪れて、そう訊いてくださった。

「へい。『猫の皿』をやろうと思っております」

「仕込みオチかい。お前さんらしいサゲを聞けるだろうね。いいだろう、思う存分やんな」

「ありがとうございます……。師匠、これまでありがとうございました。そして、これからもよろしくお願いしやす」

「へへ、たくさん弟子を取んなさい。お前さんのこれからの為にさ」


 歩きながら、私の心の中にそんな会話が浮かんできた。

 いよいよだ。ここまで時間がかかったが、真打の世界に出たら、噺家として生涯現役として活躍する事ができる。この体と座布団一枚あれば暮らしていけるのさ。悪くない人生に違いない。


 お囃子の女性が私専用の出囃子を奏で始めた。いよいよ出番だ。私は満を持してお客様の前へと進み出た。

 軽い前口上から始まって、枕を述べた後、私は早速、本題を披露し始めた。

 落語「猫の皿」とは、ある端師(はたし:古道具などの仲買人)の男と茶店の主人の話である。

 掘り出し物を求めて地方を回っていた男が、中山道のある茶屋で休んでいる。

 ふと何の気なしに茶屋の土間を見ると、そこに一匹の猫がいて飯を平らげている。

 男はぎょっと驚く。その猫に、ではなく猫が舐めている皿にだった。

 そいつは絵高麗(えごうらい)といって、文禄・慶長の役以後に渡来した中国産の焼き物の一種。

 しかも茶の席で最も珍重される、梅林の花紋を散らした梅鉢手という、値段にしてみたら三百両は下らない代物だった。

 どうやらこの主人は物の価値を知らない男とみえる。

 そこで端師の男はこの茶碗を格安で手に入れようと、主人に猫を譲ってくれともちかける。

 主人が嫌な顔をするので、では三円だすからどうだいと交渉し、見事に猫を買いとる事に成功する。

 さらに男は言う。

 猫っていうのは器が変わると飯を食わなくなるっていう。できればその皿も一緒にくれまいかと。

 すると主人が驚いた顔をする。

 いやいや、それは譲れません。お客さんは値打ちがわかっていない。その皿は絵高麗の梅鉢手といって、我が家に伝わる家宝だ。

 三百両はするだろう。代わりにこの安い皿をあげるから、持っていってくれと。

 男はがっかりして主人に尋ねる。じゃあどうしてあんたは、そんな結構な皿で猫に飯を食わせるんだいと。

 主人は答える。

 それがね、この茶碗で飯を食わせると、ときどき猫が三円で売れます。


 もう本題は終わり、オチの直前まで来た。私はもっとも気に入った、この最後の台詞(サゲ)を言おうとして口を開いた。

 その時だった。

 体の中でドクンと嫌な音がした。そうすると一気に胸が締め付けられ苦しくなった。持ち上げた右の手が一気に震えた。

 眼の前の客の姿が二重三重になった気がして、ふらふらとよろめいた。

 これはもしかして、と額が冷や汗に包まれる中で気づいた。最近時々、動悸がおさまらない事があると思っていた。しかしこの若さで心臓に何もあるものかと油断していた。

 それがまさか、こんな時に、第二の人生のこれからがスタートする時に、病として起こるなんて。

 立ちくらみのもっと酷いものがやってきて、見えない鉄槌が私の頭をガーンと叩いた。こんな時は根性も役に立たない。暗闇が訪れる。

 駄目だと悟った。私はこのまま一生涯、猫の値段をお客さん(金ちゃん)に教えられそうにない。

 それを見て、きっと師匠は笑うに違いない。

 おいおい、お前さん。噺家が最後を言えないなんて、なんてオチだい、ってね。
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