暴力的な誕生祝い

文字数 2,983文字

 七年前にジミーの二番目の奥様が亡くなった。
 そのお葬式の席で挨拶をした私にジミーは
 「この世で一番暴力的な誕生祝いって何だと思う?」
 と質問をした。

 私は、わからないと言った。
 ジミーは黙って、頭をゆっくりとさげる。
 この度は妻の為にわざわざお越しいただき…という紋切り型の文句と共に。

 木曜日の朝、部屋でひとりで亡くなっているのをジミーは発見された。
 二番目の奥様が亡くなってから私はジミーと週に二回、一緒にお茶を飲んでいた。
 火曜日と、金曜日。
 だからもう少し頑張ってくれれば、今週もまたもう一度逢えたのにと思う。

 人々は何喰わぬ顔して、天国へ旅立ってしまう。
 別れの挨拶も無しに、だ。
 少し薄情だと思うけれど、いつも許してあげることにしている。
 彼らも突然の旅立ちに戸惑っていることだろうから。

 ジミーは腕利きの大工の棟梁だった。
 それこそ往年は若い衆を何人も抱えて、沢山立派な家を建てて来た。
 例えば二十四丁目の角の西洋屋敷がそうだ。
 人々はそれを御殿と呼ぶけれど、私はジミーの六十八番目の作品と呼んでいる。

 なぜ、大工の作品は作品扱いをされないのだろう?
 建築家はきちんと名前が明記されるのに。
 設計も大切だけれど、やはり建てる人がいなければ家は建たないのに。
 私が以前そう文句を言うとジミーは
 「大工は、芸術家じゃないからな」
 と豪快に笑った。なぁそうだろう、とまだご存命だった二番目の奥様に同意を求めて。

 ジミーのお葬式の喪主はジミーの長男が受け持った。
 彼は街の噂に因ると、都会で弁護士、もしくは豚をして、生活を営んでいるらしい。
 無学な私には弁護士の仕事も、豚の仕事も、どんなものかわからない。
 アドルフさんはどちらも同じものだ、と言っていた。
 アドルフさんは弁護士が嫌いだからそう言うのよとエイミーは小声で毒づく。
 エイミーは入れ歯をそろそろ洗うべきだ。

 私にはジミーの息子はとても立派に見える。
 短く刈り込んだ髪と上等なスーツ。黒の革靴はしっとりと彼の足に馴染んでいる。
 ジミーの二番目の奥様は、自慢の息子だと、常々仰っていた。
 彼はジミーの最初の奥様の産んだ子だと言うのに、奥様は必ず微笑んでそう言った。
 ジミーは、不肖の息子だ、便りも中々寄越さない、と怒鳴りながら、いつも煙草。

 私はお葬式に来ている町の人達の目をかいくぐって、ジミーの部屋を訪ねる。
 私たちと同じくらい古い扉をあけると、中からはジミーの匂いが濃く馨った。
 書き物机には万年筆と帳面、ベッドの横には読みかけの推理小説が置いてある。
 ベッドの足下にぼろぼろの作業靴と、ちりひとつついていない工具箱。
 ジミーは仕事をリタイアしてからも、工具箱の手入れは毎日していた。
 いつか、イタリアへ旅する為に。

 「イタリアのフィレンツェに、名匠と呼ばれる大工がいてな」
 ジミーは震える手でお茶を飲みながら、嬉々として語った。
 いつか、俺の仕事を見てもらいにイタリアへ行くんだ。
 アルコール中毒によってもう仕事が出来なくなった手で、イタリア語の教習本をめくってそう言った。

 ファッチョ イーオ。チェ ラ ファッチョ。 ソノ プロント。
 「イタリアの名匠も、ジミーの腕を見たら驚くわね」
 慣れないイタリア語を勉強するジミーに、私は微笑んでそう嘘を吐いた。
 あれが正しかったのか、私にはまだわからない。
 ノノ カピート。ミ ディスピアーチェ。

 ジミーの部屋は、ジミーがいた頃と寸分違わず、そのままだった。
 なのに、何かが決定的に違う。
 主人を失った部屋は、瞼を閉じようとして眠ろうとしているように感じられる。
 イタリアへ行く準備の途中で開かれたままの古いトランクだけが、物語の外側で名残惜しさと語らっていた。

 ジミーは死の数ヶ月前に、私にもうひとつ質問をした。
 「世界中の貧困や中毒は、一体誰の所為だ?」
 それについては過去、沢山の人々が物知り顔で答えているわ、と私は答える。
 国だとか、一部の富裕層だとか、貧しい人たち本人だとか、神様や悪魔だとか。

 「誰の所為で、沢山の人たちが失意のまま、死んでいっている?」
 ジミーは震える手で、お茶を飲んだ。
 私は悲しくなってしまって、悲しい、と言った。
 俺も悲しい、俺たちに何が出来るのかすらわからん。とジミーが言った。
 ジミーに出来ることはなかった。自分のアルコール中毒にすら、負けているジミーには。

 弱者には正義を貫くことも出来ないのか。
 ジミーの震える手に涙の粒が溢れて、私は骨張った老婆の手でそれを拭う。
 ジミーはイタリア旅行さえ、出来なかった。
 私はジミーが可哀想で仕方なかった。
 
 一生懸命働いて、悩んで、苦しんで、中毒になってしまったジミー。
 震える手で、最後まで工具箱を磨いていたジミー。
 息子が弁護士か豚のどちらかになって、手紙も貰えなかったジミー。
 週に二回、火曜と金曜に私とお茶をして色んな事を話したジミー。

 私はトランクを閉じて、ジミーの部屋から出た。
 お葬式会場ではみんながジミーに最後の別れを告げているところだった。
 私はジミーの長男に、このトランクを棺桶に入れられるか、と訊く。
 彼は困惑して、私をなだめた。少し大きすぎるでしょう。

 彼は私を頭の弱くなった老人だと見做したようだった。
 けれど私も彼を弁護士か豚だと思っているのだから、おあいこだと考える。
 仕方なく私は町の人たちが見守る中、トランクを広げて中からイタリア語の教習本を取り出す。
 それは頁が折られすぎて、膨れてぐにゃぐにゃだった。
 私はそれをジミーの棺桶にそっといれた。

 許してね。工具箱も、一張羅のスーツも、歯ブラシも、革靴も入れないけれど。
 こんな姿じゃ名匠に逢いにいけないよ、とジミーが泣き笑いして言う声が聴こえた。
 でもあなたの棺桶には、トランクは大きすぎると息子さんが言うのだもの。
 あいつはいつもは便りも寄越さない癖に、こういう時だけ俺たちに偉そうに指図をするんだよ。
 ジミーは怒りながら、いつも煙草。

 ジミーの棺桶が、墓地まで運ばれる。
 私は墓地の穴の上で棺桶を見つめながら、質問の答えをひとつ理解した。
 「この世で一番暴力的な誕生祝いって何だと思う?」
 棺桶に土がざくざくとかけられる。弁護士か豚の長男が目頭を抑えている。 
 弁護士嫌いのアドルフさんも、入れ歯洗浄が必要なエイミーも、泣いている。

 ジミーは今、この世で一番暴力的で、輝かしい誕生祝いを手放した。
 私達が産まれた時に、神様がプレゼントしてくださったお祝いを。
 私は泣かない。私は誕生祝いをまだ手放せないから。
 暴力的で、美しくて、矛盾しながら整然とした生命。

 墓地では私と葬儀社の人間だけが、泣いていなかった。
 ジミーと関係のあった人は、皆一様に泣いているように見えた。
 けれど、その中では私が一番ジミーを愛していた。ジミーの作品を愛していた。
 ヴォン ラボーロ。ヴォン ヴィアジョ。チャオ、ジミー。
 宇宙が揺蕩い、ジミーが光の中に還る。
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