第1話

文字数 1,978文字

東京から地方に引っ越した人の数を今月もラジオはつたえている。
コロナがひろがってあたりまえになったニュース。ここ半年は転入よりも転出していく人のほうが多いそうだ。このことはいつしか、「コロナに感染することを避ける」引っ越し、という意味もふくみながら報道されはじめたのではないだろうか。わたしも転出組のひとりだけど、理由はちょっと違う。でも、それがひとつの数として発表される時、いろいろな事情はそがれてしまう。

 数の上では「転出組」に入るとしても、ほんとうは別のわけで東京をはなれた人ってどれくらいいるのだろう。コロナ前と変わらずに、転勤していく人もいるはずだし、「十年前から計画していた、自給自足の暮らしを始めることにしました」という人にもいてほしい。ちょっと見では、コロナの波が強く押しよせていることを示すとおもえる数の裏に、仕事とひたすら向きあったり、自分らしく生きようとする人の、コロナの前からあった、「いつもの暮らし」が隠れていると思いたい。

 たしかに誰もが、いつもの暮らしをしたいのは山々だけど、最近では「ステイホーム」ということばで注文がつけられるようになった。「おうちにいてください」。コロナの感染をふせぐためには、「おうち」にいれば、まずは合格だとみなされる。したがう必要があるとは思うが、それにしてもコロナの時代の「ホーム」ってなんだろう、と考えてしまうのも正直なところ。それは、療養している感染者が亡くなる場所ともなるし、一軒の家でよりそって暮らす家族のうでも互いに距離をとって、などと気配りの必要なところといってもいい。

わたしもこの半年で、いくつか「ホーム」をなくして、新しい「ホーム」をつくらざるをえなかった。
夫との家庭があやうくなったり、それと関わりないはずの彼の実家までゆらぎはじめたのだ。そして、何年も行かなくても、そこにあるだけでホッとした父の実家、80年をこ超えてありつづけた家までとりこわしになるという。誰だって、こんな「ホーム」にかかわってきたろうが、コロナのいま、それらはわたしのなかで一気にくずれはじめた。

 30年一緒に暮らした夫に「でていけ」といわれた去年の秋、わたしは東京をから引っ越してきた。夫はかたづけられない人で5年前に通ったビジネススクールの暦がまだ貼ってあるという部屋に住んでいる。彼の趣味は自転車やスキーで、こまかな工具や部品がとどく毎日。日に2回以上なんてこともある。せまい場所にふえるばかりの荷がわたしにはたまらなくなった。夫に話してもなにも変わらない。それでしかたなく、いらなそうなものを処分したら、すててはならないものも捨ててしまい、夫の怒りが爆発したのだ。

 正月八日には夫の父が倒れて、意識不明のまま二月になくなった。夫はここ十年くらい実家にいったことがなくて、自然とわたしも遠のいていた。思いだすのは義父が「おれはなんとか、うちのお母さんと五十年やってきたよ」というひとこと。義母とは性格も行動もまるで反対だったから、彼なりの苦労はあったろう。でも愚痴は聞いたことがない。その人が、趣味にはしりがちな夫にあきれるわたしをただ一度、はげましてくれた。

 もし、夫との家庭をわたしがつくれていたら、その実家とも深くつながったかもしれない。でも、夫ははじめから外にでていきたい人で……。活動する範囲はどこまでもひろがり、たいして広くない家のなかからはかぎりなく去っていった。だから、ふたつの「ホーム」はいまも画のままで、空想するしかない。

 三月には父方の叔母がなくなった。父が実家をでたあとを守ったのがひとり身をとおした叔母。生まれたわたしをだいてお宮参りをしてくれたそうだ。それ以来、かぞえきれないほど祖父母の家で彼女に会った。おじいさんおばあさんとは気軽に話せても、彼女が部屋に入ってくるとわたしはいつも緊張せずにいられない。こたつで茶菓子をかこんで話すのもおそるおそる。叔母はぜんぜん気にしていなかったろうが。叔母は勝ち気だから叱られたくなくてわたしはビクビクしていたのだと思う。それでも、自分で手編みをしたパンタロンスーツを子どものわたしにくれたりと、愛情の深い人でもあった。その温かさに感謝しながらもやはり彼女が苦手なわたし。叔母の死によって、住む人がいなくなった父の実家が取りこわされたあと、わたしはこの思いをずっと抱えていく。

 これまでかかわってきた、いくつかの「ホーム」。そのどれもにじかに踏みこめなくて、わたしはここにきた……。ひとり暮らしが「ホーム」なのかわからないけど、わたしはまたここから始めていく。

 東京から引っ越した人のさまざまなエピソードを、コロナ期の「ホーム」を語る上でとりあげてはいかがでしょうか。「数」だけにはおさまらない夢や希望がかならずあると思うのです。
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