そして最後は馬鹿騒ぎ

文字数 3,596文字

探知外への離脱を確認後。惑星の影に入りながら船首を傾け、【ヴィーナス号】は進路修正に入った。
やり方としては古典的だが、準備入らずで実用的な逃げ方だ。
格納庫そばの更衣室で汗臭くなった服を脱ぎ、用意しておいた黒スーツへと着替える。
歩きながら髪を整え、仕上げに香水(コロン)をひと吹きしてブリッジへと戻ったレオンを、真っ先に出迎えたのはチェリシアだった。
クルーの面々はと言えば、到着を前に既に祝杯を開けている。幸いにもアルコールの類は無い為、レオンの怒りを買うことは無い。
一足先にバカ騒ぎを始めるクルー達を尻目に、心配そうなチェリシアへ笑顔を返す。
「この通り無事に戻りました」
「信じておりました」
両手を広げて再会の抱擁を求めるチェリシアを、犬か猫のように抱き上げて椅子へと戻し、自身も船長席へと腰を下ろす。
当然チェリシアは頬を膨らませた。
「祈っておりましたのに」
「それはもう感謝してます。出来れば正当防衛の証人になっていただけるともっと嬉しいんですが」
そう言って、レオンは戦闘記録と戦闘の正当性を主張する旨の報告書の作成をはじめた。
いそがしく手を動かすレオンの横顔を眺めつつ、退屈だけど邪魔してはいけないのだと自分に言い聞かせながら、ついはしたなく床に届かない足をばたつかせる。
見かねたシンが栄養ドリンクの瓶を渡し、届けてあげてくださいと頼んだ。
顔を輝かせ、受け取った瓶を持ってレオンの隣へと向かう。
「あのような物騒な方々もいらっしゃるんですね」
戦闘記録を見ながらチェリシアが悲しげにつぶやいた。
「通報はしましたし、星系軍にデータも送ります。そのうち大捕り物が見られるかもしれませんね」
「そう祈ります」
報告書を作り終え、損害を計算しているところにミーから声がかかった。
「キャプテーン【ボルドア】見えた」
「おう分かった」
遠くに緑に輝く惑星を見つけ、張っていた気持ちが和らぐのを感じる。とは言え、まだ問題は残っているのだ。
チェリシアを呼び、【ボルドア】の地図を展開。地上から伸びる起動エレベーターの最上部を指差す。
「エンジンが安定しないんで、宇宙港から降りてもらいます」
「分かりました」
とチェリシアが応えた所で船体が大きく揺れた。
ナットから『エンジンヤバイ』という簡潔な連絡を受け、チェリシアに向き直る。
「宇宙港へは小型船でお送りします」
「……分かりました」
何とも困った表情でチェリシアは応えた。
短距離用の小型船を使い、二人はボルドア農業区宇宙港へと入港した。
余裕があるとは言い難かったが、事前に連絡をしておいた事もあり、主催者の農家らが用意した車でスムーズに移動は行われた。


熱気と人の波をかき分け、シンは込み入った会場を進んだ。略服や民族衣装に身を包んだ地元民たちの中、目立つ黒スーツを見つけて声をかける。
「お待たせ」
遅れて現れたシンに、レオンは隣へ座るよう促した。
特等席とは言えないまでも、中央のステージが良く見える好位置だ。
「あの子大丈夫そう?」
「緊張はしてる。でも硬くない。周りが見えてる」
ステージ上に目を向ければ、二回り以上年上の面々の中で存在感を放つチェリシアがいる。
「と言うか、問題は他の連中だ」
「何かトラブル?」
眉をひそめるシンに、レオンは居並ぶ出席者を指差す。
「七割方すでに出来上がってやがる」
ステージ上――いや、会場全体に漂う熟成された匂いがシンの鼻孔を刺激する。
右にワイン、左もワイン、そして自分達のテーブルにもワイン。見渡せば、飲めや歌えやを実演する出席者たち。
顔が赤いばかりか、足取りがおぼつかない者までいる。
主賓のチェリシアが現れる前からこの有様だったのだ。果たしてこれからどうなる事やら。
「酷いな」
「バカ騒ぎとは言ったもんだ。周りが行かせたがらなかっただけはある。……行きたがってただけもある」
胸元のはだけかかった給仕女から追加のワインを受け取り、乾杯する。
「いいね」
「いいな」
ワインはもちろん、その空気は親しみ深く心地よかった。
そしてその時は来た。
主催者らがステージ上で着席し、主賓であるチェリシアも中央の席へと招かれる。
その眼前には伝統のカップと一枚の書状。
「あの紙は?」
「皇室御用達の証明書ってとこだ。あれにサインすんのが祭の大一番」
緊張の中、チェリシア用に作られた最高級葡萄ジュースが運ばれ、栓が抜かれる。
年配の醸造家がボトルを掴み、カップへと体を向ける。その動きに淀みは無く、重役を預かるだけの貫禄も人望も持ち合わせていた。
ひとつ問題があったとすれば、その老人がステージ上の誰よりもワインを味わってしまっていた事だろう。
めまいか、震えか、力が抜けたのか、握られた手の中からボトルがすっぽ抜けてテーブルへと落ちた。
「あっ」
思わずシンが声を上げ、レオンも口を開けたまま固まる。
幸いにもボトルは無事であり、ジュースもこぼれこそしたもののチェリシアにかかることは無かった。
しかし不運にもこぼれたその先は大切な書状の上であり、転がった先には伝統のカップが置かれていた。
残念な事に書状は防水加工されておらず、カップはボトルの勢いに耐えられるだけの重量を持ち合わせていない。
レオンとその場の全員の見つめる先でカップは机の上から押し出され、割れた。
騒めきは一瞬にして会場に広がり、そして瞬く間に消える。
重たい沈黙が会場を満たし、老人が吐き気を堪える声だけが妙に響いた。
――どうするの?
とシンが視線を送れば、レオンはどうにもならんと首を振る。
すっかり酔いも覚めかかった頃、決心したようにチェリシアは立ち上がった。
千を超える視線を受け、それでも毅然として倒れたボトルを掴む。
流れたジュースは戻らないが、それでも一口分は残っているのを確認し、チェリシアは直接口をつけて飲み干した。
呆気にとられる人々へ向け、豪快に口元を拭ったチェリシアは、右手の人差し指と中指を開いて見せた。
「ぶ、Vサインだ!」
「Vサインを頂いたぞ!」
驚きを含んだ声は、すぐに歓声となって広がった。
数年分の苦労が実を結んだ勝利のVサインに、誰もがグラスを片手に喜びを分かち合う。
そんな酔っ払い達に負けず劣らず、片手を上げてチェリシアは笑顔を振りまく。
湧き上がり、出来上がっていく参列者の中、部外者であるシンはついていけずにレオンを見た。
「ああいう子だったんだ」
「うちの星の皇族はあんなんばっかだよ」
経験と自信を持ってレオンは断言する。
「何ていうか、大人気だね」
「まあな」
テーブルのワインを手にし、ラベルを見るように促す。
掌状の葉を象った【ボルドア】の星章と並ぶように、獣の瞳孔を象った【黄眼】の星章がプリントされている。
「この星は元々植民惑星でな、最初は値段の低い量産品しか作れなかったんだ」
今でこそワインの産地として知られる惑星であるが、かつては生産惑星として開拓された星であり、生活水準も高いとは言えなかった。
「開拓ギルドの支援で質は上がったが、ブランドとしての信用が築けなかったんだよ。だから黄眼皇族から品質証明のサインをもらって出荷するようになったんだ」
たった一枚の古風な証明書が百年にわたる興隆と発展を支える基盤となったのだ。
善意か義務か、あるいは気まぐれだったのかもしれない。
それでも遠く離れた星の皇家の名前によってこの星は今に至るのだ。
「何をするでもなく、そこにいるだけで誰かに喜ばれ、求められる。幸か不幸かそんな家に産まれちまったんだよ」
それは幸運であり不幸でもある。
長い歴史は富と権力を与え、義務と責任を要求する。
「大丈夫かな?」
「そのうち母親みたいに良い性格になってくさ。俺らと違ってひねてない」
「そうだね。それにしても」
改めてシンは尋ねた。
「皇族がラッパ飲みしちゃっていいの?」
「いいアドリブだったろ」
愉快そうに笑うレオンの視線の先では、ボトルを片手に集まったメーカーやワイナリー達と乾杯を始めるチェリシアの姿。
緊張が嘘のように、すっかり馴染んでおり、いささか馴染み過ぎていて不安にもなる。
麗しの皇女殿下に倣い、ボトルを豪快にあおっている所に【ヴィーナス号】から通信が入った。
『エリシア皇女から伝言』
「なんだって?」
『晴れ舞台録画して送ってって』
何処で聞きつけたのか、それとも最初から読んでいたのか。
妙なところで有能さを見せつけてくるエリシアに呆れながらも体は動く。
「貧乏暇無しだね」
「親子そろって勝手言ってくれるよ」
デバイスの撮影機能を使用し、笑顔で語らうチェリシアの姿を収める。
「良い顔だ」
葡萄とワインと笑顔が自慢の星は、今日も騒がしく賑やかであった。
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