#8.3 春一番
文字数 3,081文字
春の風がサラサラと吹いてきた頃。
高原のタンポポがまた綿毛になると、恒例のように出没するケイコは、例によってタンポポと一緒に舞い上がっています。その空に楽しそうな声が弾んでいますが、今日はケイコだけのようで、マチコの姿はありません。
いつもケイコのすぐ近く、または声の届く範囲に居そうなマチコも予定があるのでしょう。多少は寂しい気持ちもあるようですが、遊びに夢中になると全てを忘れてしまうケイコです。
「うっひょひょーい」
タンポポの綿毛に囲まれて、それはそれは楽しそうなケイコ、笑顔満点です。穏やかに舞い散る綿毛と、フワフワと浮き沈みするケイコ、それを風がゆっくりと運んでいきます。
ヒューン。
少し風が強くなってきたでしょうか。それとともに綿毛とケイコの移動する速度が速まります。それでも、それはそれで楽しいようです。
ヒューン、ヒューン。
風が強くなってきたでしょうか。更に移動する速度が速まります。それでも、それはそれで楽しいようです。
ヒューン、ボワボワ・ボワァァァァァァァァァァァァン。
春一番です! 海から吹き上げる南風が一気に吹いて参りました。物凄い風、強風、烈風です。これにより一気に飛び散る綿毛、一目散です。次いでと言ってはなんですが、ケイコも当然、どこかに飛ばされて行きます、ボワーン。
風は高原を超え、山にあたり、その山を越え、谷を駆け抜け、そのまた次の山へ。そして山を下り、どこかの森に到着です。そこでポロリと風から落とされたケイコです。
そこは一体どこなのでしょうか。それをケイコに尋ねても無駄でしょう。何故なら、右も左も西も東もよく間違え、よく分からなくなるケイコ、自慢の性格です。
きっと近くの森だよ、と思っていることでしょう。しかし、とても遠くまで来てしまっていることに気が付くことはないでしょう、どこかの遠い森の中です。
「ふー、やれやれ」
やっと立ち上がったケイコは周囲をキョロキョロ、どっちに向かえば元の所に戻れるのやら、と思っていると、少し離れて散歩中の熊さんが居たそうです。
その熊さん、冬眠明けでお腹を空かせていたので、ケイコが美味しそうに見えたそうな。正確にはケイコのショルダーバッグ、その赤い色に心をときめかしたそうよ。
(あれが欲しい、これが食べたい)と熊さんは思ったかもしれません。その俊敏な脚でサクッとケイコの目の前までやって来ました。そうして目にも止まらぬ速さで右手をケイコに振りかざしたのです! シュパッ。
「おっとー」
決して鈍いとは申しませんが、さりとて身のこなしが素早いとは冗談でも言えないケイコ。そのケイコが熊さんの『会心の一撃』を躱 したのです、一大事です。
いいえ、それは違います。事実は躱 したのではなく、目にも止まらぬ速さで繰り出された熊さんの右手によって生じた風圧で、ケイコが勝手に移動しただけなのです。
「ほっほー、私に挑むとな。ほれほれ」
調子に乗ったケイコが、やれるものならやってみろ、と熊さんに手招きして挑発しているではありませんか。これが『身の程知らず』というものでしょう。
ケイコの招待に遠慮なく左、右とパンチを繰り出す熊さんです。それを「ほっほー」と避けるケイコ、どうやら徒者 ではないと気が付いた様子の熊さんです。
そこで後退して距離を取る熊さん。それに釣られてケイコも下がりますが、なんと背中に木が当たってしまいました。そう、木が邪魔でこれ以上、下がることができなくなってしまったのです。これはヤバイぞ、ケイコ!
「フフ」
そう笑ったような熊さんです。前脚後脚、準備完了。障害物なし、照準よし、気分よし。力を溜めて溜めて一気に、ダーーーッシュ、です、ウンゴー。
自分めがけて突進してくる熊さんに、それでも「およよ」と余裕のケイコです。それはハッタリか痩せ我慢か。身動きひとつしない、または動くことが出来ないのか、そのままの姿勢で待ち受けるケイコです。このままでは、このままでは、アホですかー。
突進する熊さんが勝利を確信したその時その瞬間、その隙を突くかのようにケイコが一歩前に進み出ました。それは一体なにをしているのでしょうか。これでは自分から当たりに行くようなものです! 当たったら痛いですよ。
バキーン、ほよよ。
熊さんが勢い余って木に激突してしまいました。これではもうケイコは、ケイコは。一方、熊さんは打つけた頭を摩っています、さぞ痛かったことでしょう。そうして辺りを確認する熊さんです。そこにケイコの姿が……あれ? 居ませんね、どこに行ってしまったのでしょうか。
「ほほ、帰ってしまった」
星が瞬く夜空に、ゆらゆらと揺れる葉っぱベット。そう、ここはケイコのお家です。ということは、はい、家に戻ってきたケイコです。
熊さんと激突する寸前、一歩前進したケイコは、その一歩で家に戻ってきていたのです。ですからもう熊さんと出会った森にケイコは、居ません。
ということは、こういうことを最初から計算していたのでしょうか。普段のケイコからは想像も出来ない離れ業です、見直しました。但しこれが偶然でなければ、ですが。
その頃、森の木にし こ た ま 頭を打つけた熊さんは、消えてしまったケイコに理解が及ばず悩み始めたようです。
(あれは一体、何だったのか? 夢か幻でも見ていたというのか)
そんな思いがクルクル・グルグルと頭の中を駆け巡る熊さんです。しかし、そんな悩みを吹き飛ばすかのように突如、ケイコが目の前に出現。それに飛ぼ上がるくらい驚いた熊さんはビューンと後退、恐れをなしてブルブルと震えています。
そのケイコは一歩下がって家から、もと居たこの場所に戻ってきた、ようです。家に帰るもの出るもの自由自在、恐るべしケイコです。ところで、なんで戻ってきたのでしょうか。
そんな事情を知らない熊さんは既に戦意喪失です。一度勝てなかった相手に二度目はありません。それが熊さんのルールなのです。よって、「はは〜」とひれ伏す熊さんに「良い良い」と応えるケイコ、どっちが強いかを示したようです。
「姉さん、何なりと申しつけください。ですから命だけは」と言ったような熊さんです。それに、
「私、家に帰りたい」と、わざわざ家から戻ってきたケイコが申しております。
「それでは、あっしの背中にお乗りになってくだせえ」と言ったような熊さん。
「うむ」こくりと頷いたケイコはブーンと飛び上がり、熊さんの背中に。
「それで姉さん、家の方角はどちらでしょうか」と言ったような熊さん。
「あっち」と適当に指すケイコ、図らずも正解です。
「わかりやした。しっかりと掴まっておくんなせい」と言ったような熊さん。
こうして山を下る熊さんとケイコです。その所々で「うっひゃー」と気勢をあげ、森を駆け抜けて参ります。
そして、谷に差し掛かった時です、熊さんは鹿と出会いました。もちろん驚く鹿さんです。その俊敏な脚で逃げようとしましたが、熊さんが事情を説明し、ケイコを家に届けるという使命をバトンタッチしたようです。
「しかと頼んだぞ」と言ったような熊さんに、
「仕方ないわね」と承諾の鹿さんです。
こうして谷を駆け抜ける鹿さんとケイコです。この後、鹿さんからイノシシ、タヌキ、ウサギと乗り継いだケイコは、最後はリスに乗って家に戻った、ということです、はい。
◇
高原のタンポポがまた綿毛になると、恒例のように出没するケイコは、例によってタンポポと一緒に舞い上がっています。その空に楽しそうな声が弾んでいますが、今日はケイコだけのようで、マチコの姿はありません。
いつもケイコのすぐ近く、または声の届く範囲に居そうなマチコも予定があるのでしょう。多少は寂しい気持ちもあるようですが、遊びに夢中になると全てを忘れてしまうケイコです。
「うっひょひょーい」
タンポポの綿毛に囲まれて、それはそれは楽しそうなケイコ、笑顔満点です。穏やかに舞い散る綿毛と、フワフワと浮き沈みするケイコ、それを風がゆっくりと運んでいきます。
ヒューン。
少し風が強くなってきたでしょうか。それとともに綿毛とケイコの移動する速度が速まります。それでも、それはそれで楽しいようです。
ヒューン、ヒューン。
風が強くなってきたでしょうか。更に移動する速度が速まります。それでも、それはそれで楽しいようです。
ヒューン、ボワボワ・ボワァァァァァァァァァァァァン。
春一番です! 海から吹き上げる南風が一気に吹いて参りました。物凄い風、強風、烈風です。これにより一気に飛び散る綿毛、一目散です。次いでと言ってはなんですが、ケイコも当然、どこかに飛ばされて行きます、ボワーン。
風は高原を超え、山にあたり、その山を越え、谷を駆け抜け、そのまた次の山へ。そして山を下り、どこかの森に到着です。そこでポロリと風から落とされたケイコです。
そこは一体どこなのでしょうか。それをケイコに尋ねても無駄でしょう。何故なら、右も左も西も東もよく間違え、よく分からなくなるケイコ、自慢の性格です。
きっと近くの森だよ、と思っていることでしょう。しかし、とても遠くまで来てしまっていることに気が付くことはないでしょう、どこかの遠い森の中です。
「ふー、やれやれ」
やっと立ち上がったケイコは周囲をキョロキョロ、どっちに向かえば元の所に戻れるのやら、と思っていると、少し離れて散歩中の熊さんが居たそうです。
その熊さん、冬眠明けでお腹を空かせていたので、ケイコが美味しそうに見えたそうな。正確にはケイコのショルダーバッグ、その赤い色に心をときめかしたそうよ。
(あれが欲しい、これが食べたい)と熊さんは思ったかもしれません。その俊敏な脚でサクッとケイコの目の前までやって来ました。そうして目にも止まらぬ速さで右手をケイコに振りかざしたのです! シュパッ。
「おっとー」
決して鈍いとは申しませんが、さりとて身のこなしが素早いとは冗談でも言えないケイコ。そのケイコが熊さんの『会心の一撃』を
いいえ、それは違います。事実は
「ほっほー、私に挑むとな。ほれほれ」
調子に乗ったケイコが、やれるものならやってみろ、と熊さんに手招きして挑発しているではありませんか。これが『身の程知らず』というものでしょう。
ケイコの招待に遠慮なく左、右とパンチを繰り出す熊さんです。それを「ほっほー」と避けるケイコ、どうやら
そこで後退して距離を取る熊さん。それに釣られてケイコも下がりますが、なんと背中に木が当たってしまいました。そう、木が邪魔でこれ以上、下がることができなくなってしまったのです。これはヤバイぞ、ケイコ!
「フフ」
そう笑ったような熊さんです。前脚後脚、準備完了。障害物なし、照準よし、気分よし。力を溜めて溜めて一気に、ダーーーッシュ、です、ウンゴー。
自分めがけて突進してくる熊さんに、それでも「およよ」と余裕のケイコです。それはハッタリか痩せ我慢か。身動きひとつしない、または動くことが出来ないのか、そのままの姿勢で待ち受けるケイコです。このままでは、このままでは、アホですかー。
突進する熊さんが勝利を確信したその時その瞬間、その隙を突くかのようにケイコが一歩前に進み出ました。それは一体なにをしているのでしょうか。これでは自分から当たりに行くようなものです! 当たったら痛いですよ。
バキーン、ほよよ。
熊さんが勢い余って木に激突してしまいました。これではもうケイコは、ケイコは。一方、熊さんは打つけた頭を摩っています、さぞ痛かったことでしょう。そうして辺りを確認する熊さんです。そこにケイコの姿が……あれ? 居ませんね、どこに行ってしまったのでしょうか。
「ほほ、帰ってしまった」
星が瞬く夜空に、ゆらゆらと揺れる葉っぱベット。そう、ここはケイコのお家です。ということは、はい、家に戻ってきたケイコです。
熊さんと激突する寸前、一歩前進したケイコは、その一歩で家に戻ってきていたのです。ですからもう熊さんと出会った森にケイコは、居ません。
ということは、こういうことを最初から計算していたのでしょうか。普段のケイコからは想像も出来ない離れ業です、見直しました。但しこれが偶然でなければ、ですが。
その頃、森の木に
(あれは一体、何だったのか? 夢か幻でも見ていたというのか)
そんな思いがクルクル・グルグルと頭の中を駆け巡る熊さんです。しかし、そんな悩みを吹き飛ばすかのように突如、ケイコが目の前に出現。それに飛ぼ上がるくらい驚いた熊さんはビューンと後退、恐れをなしてブルブルと震えています。
そのケイコは一歩下がって家から、もと居たこの場所に戻ってきた、ようです。家に帰るもの出るもの自由自在、恐るべしケイコです。ところで、なんで戻ってきたのでしょうか。
そんな事情を知らない熊さんは既に戦意喪失です。一度勝てなかった相手に二度目はありません。それが熊さんのルールなのです。よって、「はは〜」とひれ伏す熊さんに「良い良い」と応えるケイコ、どっちが強いかを示したようです。
「姉さん、何なりと申しつけください。ですから命だけは」と言ったような熊さんです。それに、
「私、家に帰りたい」と、わざわざ家から戻ってきたケイコが申しております。
「それでは、あっしの背中にお乗りになってくだせえ」と言ったような熊さん。
「うむ」こくりと頷いたケイコはブーンと飛び上がり、熊さんの背中に。
「それで姉さん、家の方角はどちらでしょうか」と言ったような熊さん。
「あっち」と適当に指すケイコ、図らずも正解です。
「わかりやした。しっかりと掴まっておくんなせい」と言ったような熊さん。
こうして山を下る熊さんとケイコです。その所々で「うっひゃー」と気勢をあげ、森を駆け抜けて参ります。
そして、谷に差し掛かった時です、熊さんは鹿と出会いました。もちろん驚く鹿さんです。その俊敏な脚で逃げようとしましたが、熊さんが事情を説明し、ケイコを家に届けるという使命をバトンタッチしたようです。
「しかと頼んだぞ」と言ったような熊さんに、
「仕方ないわね」と承諾の鹿さんです。
こうして谷を駆け抜ける鹿さんとケイコです。この後、鹿さんからイノシシ、タヌキ、ウサギと乗り継いだケイコは、最後はリスに乗って家に戻った、ということです、はい。
◇