あの人と私

文字数 925文字

お、あの人が帰って来た。


今日も残業でヘトヘトのようだ。

いや、今日と言うのは間違いだな。

時計の針はすでにてっぺんを通り越している。

こんな遅くまで働いて、あの人は倒れたりしないのだろうか。

まあ、私にできるのはせいぜいあの人のもとへ駆け寄って励ますことくらいだ。

あの人は不思議な人で、私を撫でていると疲れが吹っ飛ぶのだという。

そんなことを私を撫でながら平気で言うものだから、私はくすぐったくってニャニャしてしまう。


私はあの人が大好きだ。

あの人が家に帰ってくると私は嬉しくなるし、撫でてくれるとほっこりする。

彼も私のことを大好きだと言ってくれる。

けれど、私の『好き』とあの人の『好き』は違う。

あの人の好きはきっと、『家族』の私に向けたものだ。


あの人の別の『好き』は、最近できた彼女とやらに向けられているのだろう。

あの人の彼女は職場の同僚らしい。

最近は時々この家に来て、あの人のために料理を作っているのを見かける。

彼女はご丁寧に私の食べ物まで用意してくれる。

私としてはあの人に用意して欲しいものだが、彼女が好意を持って接してくれているのは分かるので悪い気はしない。

ただ、食べ物を用意してくれるのは構わないのだが、私を撫でるのはやめて欲しい。

それはあの人専用の行為なのだ。


彼女の顔からは優しさが感じられて、確かにあの人が彼女に恋をした気持ちは分かる。

だからといって私が焼き餅を焼いていないかといえば、もちろん焼いている。

今まで私だけの場所だったあの人の隣に、今は彼女が座っている。

それが悔しくて私も負けじとあの人の膝の上へと飛び乗るのだが、彼女は「可愛い〜」と言って私を撫でてくる。

くぅ。


叶うことなら、私は『泥棒猫』になって彼女のもとからあの人を奪い取って、ずっと独り占めしたい。

けれどそれは叶わない。

猫である私にとっては泥棒猫になるなど本来容易なことであるはずなのに、あの人を奪うことだけはどうやら不可能なようだ。

であるならば仕方ない。

せめて彼女がいない間だけでも、あの人を独り占めさせてもらうことにしよう。


幸いなことに今日は彼女と一緒には帰って来ていないらしい。

だから、疲れたあの人を励ますのは私の役目だ。


「にゃー」

と声をあげ、私はご主人様のもとへ駆け寄る。
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