名器

文字数 2,115文字

 何度目かの満足を得た男は、丸めたティッシュをゴミ箱に放り投げ、枕元のリモコンでテレビをつけた。

 女が身体を寄せて来たので、腕枕をしてやる。

 たまたま入ったバーで知り合ったばかりの女だ。背中まで伸びた艶やかな黒髪とは対照的に、目に痛いほどの白い肌を持つ。痩せぎすな女だと思っていたのに要所要所の肉付きはよく、思いのほか抱き心地のいい身体だった。

 毛穴すらないかのごとく滑らかな肌。括れた腰に、弾力ある臀部。程よい大きさに隆起した形の良い乳房。色素が薄く控えめな乳輪と、その中央でつんと上を向いた愛らしい乳首。

 そして何より女は名器の持ち主だった。無数の襞がまるで別の生き物かのように男性自身を包み込み、セックスの快感をこれまでに達したことのない境地にまで高めてくれた。

「いけない人ね」

 男の薬指の指輪を触りながら、女は意地の悪い笑みを浮かべる。

「お互い様じゃないか」

 女の左手にも薬指に光る指輪があった。

「そうね。恨みっこなしのお互い様ね」

 テレビは今(ちまた)を賑わせている不倫殺人事件を報じ始めた。
 ダブル不倫をしていた男女が男の自宅で殺され、男の妻が行方不明になっているという。

「二人とも無残な姿だったらしいわよ」

「らしいな」

 報道によれば、亡くなった二人はいずれも顔の半分が打ち砕かれ、原型を留めていなかったという。

「行方を(くら)ましている男の女房が犯人なんだろう。女を怒らせると怖いな」

「不倫する男は皆、死ねばいいのよ」

「どの口が言ってるんだよ。仮に君の旦那が浮気をしたところで、君には怒る資格なんてないだろう」

「そうかしら。あの事件の凶器をご存知?」

「ゴルフクラブだろ」

「そう。そのクラブに残っていた指紋は、死んでいた旦那のものだけだったらしいわよ」

「どういうことだ?」

 女は直接答えようとはしない。

「浴室は血の海だったって」

「旦那は浴室で殺されていたんだから、当然だ」

「でも、その大量の血の半分が奥様のものだとしたら?」

「何が言いたいんだ?」

 またしても女は男の問いには答えない。

「庭が掘り返されていたことは知ってる?」

「週刊誌報道だけだろう。奥さんの目玉が見つかったとか。もはやオカルトの世界だよ」

「そうね。オカルトね。でも、それだけ女の怨念は怖いってこと。この世ならぬものとこの世を繋いでしまうほどにね」

「もういいよ。こんな話はやめよう。せっかくいい気分だったのに台無しだ」

 話を(さえぎ)った男は、気分転換しようとリモコンを取り、チャンネルを切り替えた。
 アダルトチャンネルに合わせると、女性のわざとらしい喘ぎ声とともに、モザイクのかかった男女の結合部が大映しになった。

 それに触発されたのか、女が男の上に跨ってくるが、男のものはまだ回復していない。

「だめだよ」

「大丈夫」

 女は片手を自分の後ろに回し、すっかり()えているそれにそっと触れる。その指先が根元から先端までを二度往復しただけで、男はすっかり力を取り戻した。

 妖しげな笑みを浮かべて先端を自分自身にあてがい、女はゆっくりと腰を下ろしていく。

「ああぁぁ~……」

 長く糸を引くため息のような喘ぎと共に、女は顎を上げ、背中を反らせる。

 男は温かく潤った粘膜に包まれた。
 女の腰がゆっくりと動き始める。腰だけではない。男を包み込んだ粘膜の襞全体が、無数の虫のように蠢き始める。

 今までに経験したことのない至福と恍惚。それがそこにはあった。もうすっかり放出し切ったと思っていたのに、早くも頂点が迫って来る。

「だめだ。もう、出る」

 そのとき、女の腰の動きが止まった。

「ねえ、知ってる? 行方不明の奥さん、名前は梗子っていうの」

 男が不審げに見上げたその顔には前髪が垂れ下がり、表情は読めない。

「怨みに(まみ)れて死んだ女のあそこは、あの世とこの世を結んでいるの。そこに精を放った男は、もうこの世では生きていられない」

「な、何を言っているんだ?」

 そのとき、男の腹に何か生温かいものが落ちてきた。
 見ると血のように赤く染まっている。

「お、おいっ、なんだよ」

 女が髪を掻き揚げた。

「わたしが、梗子よ」

 男はあまりのことに声すら出ない。
 女の口元からは粘性の高そうな、どす黒い血が流れ落ちる。かと思えば、身体中が徐々に黒く変色し、目の周囲の肉が腐食したかのように垂れ下がった。

 こんな状況でありながらなお、女の粘膜は男性自身を包み込み、蠢いて快感を送り続けてくる。まるで最後の一滴まで搾り取ろうとするかのように。

「や、や、」やっと声が出た。
「やめてくれぇっ~!」

 男が叫ぶのと同時に、女の眼球が零れ落ち、胸の上で転がって男を見た。その周囲では幾匹もの蛆虫が蠢いている。

 その蛆虫の蠢きこそが、実は自分に快感を与え続けているものの正体なのだと本能的に悟ったとき、男は再度絶叫し、最後の精を放つと同時に命ごと果てた。
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