第1話

文字数 4,758文字

 小惑星探査機に乗ってゆくうちに、僕にはある事実がわかってきた。
 過去に事件となったYouTuberの動画の中には、小惑星イトカワの上に着陸したK-HTTi06のように、イトカワ上で自慰行為に及んで射精した男性銀河YouTuberがいたということ。後に別の探査機がそのYouTuberの精液をイトカワ上から採取して、探査機の中にいた女性Mo+308498との体外受精を行わせ、結果妊娠に至ったということ。
 何より驚きだったのが、その結果生まれた子が他ならぬ僕Tk384KKOであり、宇宙実験体としての手厚い待遇を受けているという事実であった。
 その事実を知ったのは天の川銀河Wi-Fiで情報を収集していたときで、僕はマゼラン星雲の辺りから取り寄せた情報端末TRF2959によってそれを知ることになったのだ。
 小惑星の裸の岸壁の上で文字通り素っ裸になって手淫を行い、それを銀河系全体に発信したYouTuberの子どもが僕であるというこの怪電波のような事実を、僕にはどう受け入れていいのかわからなかった。
 僕は小惑星探査機の中に同棲している実験用モルモットYMO21に話しかける。話しかけた音声はAIの搭載により高等知能を手に入れたこのモルモットの脳内に電気信号として変換され、YMO21もまた電気信号によって返信を行うのだった。
「ねえ、僕って、実は銀河YouTuberの子どもだったんだ」
「どうしてわかったの?」
「僕の名前のパスコードと親のパスコードがそれぞれ端末に搭載されていた親情報データベースと一致したからさ。端末に表示された僕の親のIDがイトカワ上の動画データベースのIDと一致したときはぞっとしたよ」
「僕みたいに何百年も生きているとね」実験用モルモットは言う。「ネットの変なYouTuberの子孫であることはそう珍しいことじゃないんだよ。僕や君たち人間の名前がIDではなく天使や神さま、土地や英雄の名前で管理されていた過去の時代から、そういう変なYouTuberはいたんだ。昔僕に話しかけてくれた田中光央くんという実習生は、自分の親が火星からのロケットの発射に合わせて自慰行為を行った地球YouTuberだったことを知ってがっかりしていたよ」
「いったいいつ頃からIDで管理するようになったんだい? 情報交換がものすごくやりにくくなってしまったじゃないか」
「この銀河を統括する情報統括者K(ケルビン)にとって、宇宙での知名度なんてものは些事たる出来事でしかないよ。宇宙の全情報を管理しているハイパーコンピューターが、特定のIDの知名度が情報空間内で高まるとIDのサイズが端末上で大きくなる『インフレーション』という、百年ぐらい前の話で言うならツイッターのフォロワーみたいなシステムを導入したことによって、全世界の銀河YouTuberが競って動画を上げるようになったんだ。その中には木星でピアノを弾く銀河ピアニストの動画もあれば、テクスターと呼ばれる奇妙な文章をアップロードする人もいたし、ハイスコアーと呼ばれるゲームオタクも存在していたんだ。もっとも、最近は下火になった法曹関係や政治関係の人なんかも、この『インフレーション』によって有名になる人も出てきたけどね」
「でも、どうして射精なんかしたんだろうね? 今や誰もがそんなこと当たり前のようにやっているから、そう珍しい話ではないんだけどね」
「倫理っていうのは循環するんだよ。孤独の解消のためにそういう超越的行為に及ぶ人間も多かれ少なかれいるということは、人間というもののの存在がいかに罪深いかがよくわかるよ」
 僕らはそこで会話をやめた。実験用モルモットYMO21は、ケージの中をふわふわと漂っている。
「ねえ、どうして君はYMO21という名前だったんだい?」僕は唐突に気になって尋ねた。
「うーん、それが僕にもよくわからないんだが……」YMO21はそう言い淀んだが、こんな話をしてくれた。「僕を誕生させた『百万年生きるモルモット』というプロジェクトの中で、プロジェクトの担当者がたまたま坂本龍一という音楽家の曲が好きで、彼がYellow Magic Orchestraというグループを組んでいたんだけど、僕がたまたま21番目の個体だったからYMO21になった、という話を実験の担当者から聞いたことがあるよ。もう亡くなってしまったけどね。人間を百万年生きながらえさせるよりは、モルモットを百万年生きながらえさせる方が楽だったし、機材の維持費も軽かった」
「僕の名前……Tk384KKOの名前の由来はわかるの?」
「実は僕も知らないんだ」モルモットは歯車を掴んでゆっくりと回し始めた。「それは確かコンピューターによって割り振られた記号じゃなかったかな。君の親や君と血の繋がりのある人、いやもっと言えば人間が名付け親じゃないんだよ。コンピューターが名付け親なんだ。だからそういう名前の人も生まれてしまうのさ。昔はイシグロとかジェインとかマーガレットとかクリスティーナとかが普通だったんだけど、同姓同名の人があんまりにも増えすぎたから、だんだんコンピューターの名前を割り振るようになったんだ。その方が管理に都合がいいからだろうね」
 僕は小惑星探査機の窓から外を覗いた。窓の外には宇宙タヌキや宇宙ヘビが、遊泳器具をつけて泳いでいる。彼らは地球上から繁殖域を広げて宇宙にまで進出するようになったのだ。宇宙線の存在はもはや自分たちで無視できるようになるまでに高い繁殖力を手に入れたためだ。その気になれば惑星などに着陸しなくても宇宙空間でそのまま交尾し、宇宙空間で子を産んだり卵を孵したりする。宇宙の暗闇を背景に泳いでいる彼らの姿を見ると不思議な気持ちになってくる。
「ねえ、どうしてそんな細かいことまで君は知っているわけ?」
「なあに、二百年も生きていれば色んな経験をするよ。細かいことまで覚えているわけじゃないけどね。奥さんもいたし、恋人も五百ぐらいはいたさ」モルモットはそう言った。
「すごいね」僕は言った。躊躇いなく。
「いや、五百は盛りすぎだったかな。四八九ぐらいだったかもしれない。まあ、色んな経験をしたし、子どもたちも色んなところに旅立っていった。今はどうしてるんだろうなあ」
「知ることはできないのかな? 宇宙猫に食べられたり、別の研究室に配属になったりしてるかもしれないじゃない?」
「僕に搭載されている人工知能には、僕が知る権限が付与されていないからね。あとこの人工知能は型番が古くて、銀河Wi-Fiに対応していないんだ。昔はWi-Fiとかってせいぜい4Gとか5Gとかだったけど、今や12000Gだもんね。時代は変わるねぇ」
「本当、時代の変化ってやっぱりあるよね。どうしても、僕には僕がどうやって生きたらいいか、よくわからないんだよね。親がそういうエンターテイナーだったということもあって、僕自身もエンターテイナーを目指したいところだけど、今時何をやっても受けないしなあ。宇宙妊娠も宇宙出産も全く珍しい話じゃないし……あの端末にあった言葉なんだけど、『ブロガー』っていう言葉があったんだね。『親聞』っていう言葉もあった。あれは難しい漢字でちょっと読めないんだよなあ」
「それを言うなら『新聞』ね。昔は機能していたけど今は地球とか火星とかの惑星にいる人しか読まないものの一つだね。というか、宇宙だと紙の値段が高すぎるんだよなあ。紙の量産工場を火星とかの惑星に作るには、環境が悪すぎるし、かといってこの銀河系の中でパルプの代替品になるものを生産している惑星は、DNK999598KOIしかないからね」
「やっぱり、こつこつ生きていくしかないのかな」
「うーん。当分はそうだろうね。また何かあったら、今日のことを日記に書いてみたらいいじゃん。もう寝るよ。おやすみ」
 僕はそのときのことを日記に書いた。端末に入力していったのだ。そうして、この日記が出来上がった。でも、僕は自分がどう生きたらいいのかよくわからない。とりあえず普通の人として生きたいし、普通の人として生活したいのだけど、周囲がそれを許さないらしいのだ。どうして、この喋るモルモットとずっと一緒に暮らさなければならないのだろう? 僕はずっと前からそのことを思っていたけど、なかなか疑問は形にならなかった。
「普通に生きるってどういうことなんだろう」僕は遠くの星を窓から眺めながら呟いた。
 宇宙は、なんの答えも返さない。小惑星探査機は、静かに僕の生まれ故郷であるイトカワまで向かっているところだ。イトカワは今では発展したターミナル小惑星になっていて、惑星間の交流点になっているのだが、そこまで荷物を見送るのが僕のミッションだった。
 宇宙ラジオをつけると、こんなボイスがかかっている。「次のナンバーは、『コンサートバンドとジャズアンサンブルのラプソディー』。この壮大な音楽空間を、遥かなる宇宙の旅のお供に、お楽しみください」
 まるでいつ終わるのかわからないような曲だった。しかし展開部に差し掛かるとそのことがはっきりとわかった。僕は窓の外を見た。イトカワが近い。クレーターの凹凸が窓に映っている。サビの部分でのシロフォンのソロが、打鍵するマレットの指先のエロティシズムを感じさせる、妖艶な音色を奏でている。まるでマレットが空気を切っていくようだ。
 音楽が終わりに近づいてきてジャズアンサンブルに差し掛かった頃、小惑星探査機はやっとイトカワに到着した。荷物ボタンを押して荷物を下ろすと、僕はひとまず外に出ることにした。荒涼とした小さな大地が広がっている。
(ここで僕は生まれたのか……)
 仲間の宇宙船がやってきて、僕の下ろした荷物をがっちりと掴み運んでいくのを見送ると、僕はほっとため息をついた。
(ここに僕の親の精液が、舞っていたのか……)
 僕はなんだか母なる大地に帰ってきたような、不思議な気持ちになるのがわかった。宇宙ラジオのナンバーが次の曲に移り変わろうというときになって、僕はさっきの曲をもう一度聴きたいと思った。「お送りしたのは、パトリック・ウィリアムズ作曲、『コンサートバンドとジャズアンサンブルのためのラプソディー』……」そこまで聴き取ると、僕はこの小宇宙を体感させるようなこの曲目が嬉しくなった。
(ありがとう、宇宙……)
 僕はそこで静かに空を見上げた。メトロポリスの都市空間が広がっている。
(どうしてイトカワの上で射精したんだろう、お父さん……何か満たされたかったんだろうか……何が満たされたんだろうか……)
 僕は不思議と寒さを感じなかった。精子はこのイトカワの氷点下の平均温度では確実に凍り付いてしまうだろう。それでも何故僕はここから採取された精子から生まれたのだろうか。本当にそんな馬鹿みたいな事実があったのだろうか。それさえも僕には疑問だった。でも確かに僕の親のIDとあの動画データは一致したのだ。動画データは削除されてしまったのだが、簡単な概略は知っている。壁面に貼り付く凍り付いた精子のかけらが虹のように煌めいているあの美しい光景を、もう僕は見る気にもなれない。
 僕は船内に戻り、YMO21の安らかな寝息を聞いた。彼は三毛模様ののんびりした表情を浮かべていて、もふもふしている。それをゆっくり撫でた。(ああ、これが癒しだ……)僕は思ったが声に出さなかった。彼はスヤスヤと眠っていた。
 僕も眠ることにした。寝袋の中に無造作に体を突っ込んで、こんなことを思った。
(今度、恋人の作り方、彼に聞いてみようかな……)

<完結>
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