マリエさんの告発
文字数 1,913文字
以前はよくバラエティーで見かけて、「留学する」と一時期芸能界から姿を消したマリエさん。
今年の春に、自身が若い頃、芸能界の大先輩から受けたセクハラについて告発をしました。セクハラという言葉で表現しきれるものではないかもしれません。性的関係の強要、周りにいた人もそれに同調した。そして断ったことにより仕事を降ろされたり、仕事がてきなくなった、という内容でした。
そのニュースを聞いたときの私の第一印象は
「注目されたいのかな」
でした。
一度芸能界から距離を置いて、再びそこでやっていこうと思ったら、なにかショッキングな話題を提供して注目されないといけないのかな、と。
その辛さに思いを寄せることもなくそんなふうに思ったのです。
自分も散々苦しんだのに、なぜそんなことを思ったんだろう。
最近になって、テレビに出ている人たちを見ると
「この人はセクハラを受け入れてきたのかな」
「すごくおもしろいけど、裏では女性をおもちゃのように扱ってきたのかな」
などと思うようになりました。
バラエティーを見ていると楽しいのに、ふとこの人はどうなんだろう……と考えてしまうのです。
どこかで「芸能界はそういうところ」という目で見ていたのだと思います。
でも、ぼんやり思っていたことが実際にそうなのかもしれないと思い始めると、吐き気がするようになりました。
若い頃、私も散々、本当に散々、セクハラにあってきました。同世代から親ぐらいの年齢の人にまで。全員の名前と写真をあげて晒したい気持ちです。
あまりにも日常で、それは当たり前のもので、諦めの気持ちで受け流していました。惨めとか情けないと思うことすらなくなっていました。
自己肯定感が低かったのです。
自分を大切に扱うということを知りませんでした。
夫と結婚してからもセクハラを受け、その時初めて心底腹が立ちました。その場ではそれまでと同じように軽くあしらいましたが(その時一緒にいた他の人たちの方が焦っていました。「今の時代、それはダメですって」とか言いながら止めていました。でも本気で問題にしようなどという人は一人もいませんでした)、家に帰ってから涙が出てきました。夫は仕事でまだ帰宅しておらず、家で一人で泣きました。悔しくて。
夫が私を大切に思ってくれたから、私の中に自分を大切にする気持ちが出てきたのだと思います。自分がセクハラをされて夫に申し訳ないとも思いました。夫まで侮辱されたように感じました。
夫に話しました。夫も怒りました。
信頼できる職場の同僚に話しました。話ながら涙が出てきました。
席が隣だったその同僚は
「僕が話してきましょうか」
と言って、そのセクハラをした人に話をしに行ってくれました。
こういうことでそんなにすぐに動いてくれる人がいるなんて思いもしなかったので驚きました。
その数日後、セクハラをした人の仕事部屋(職場内の)に呼ばれ(よく考えたらこれもおかしい。自分のテリトリーに呼ぶなんて)その部屋に行くのがすごく怖かったことを覚えています。その部屋にはその人しかおらず、まさかここで何かされたらどうしようと本気で思いました。その人は私に謝罪しました。そしてその年度末に転勤していきました。転勤にそのことが関係しているのかどうかはわかりません。
マリエさんは、16年経っての告発だったそうです。セクハラを受けたのはマリエさんが18歳のころです。
その時すぐに、なんてなかなか言えません。
私も結婚していなかったら、言えなかったのではと思います。
そういうことがしたいなら、その人にとって大切な存在になればいい。そういうことをしていい関係になればいい。
そうじゃないのにするって、そうしてもいい相手と思っているということ?
どれだけ相手を軽んじたらそんなふうに思えるんだろう。
傲慢にもほどがある。
今、思い出しても、心の底から腹が立ちます。
なにもなかったように平和に善人の顔をして暮らしていると思うと、目の前に行って「以前、私にこういうことしましたよね」とその過去の行いを突きつけてやりたいです。
「そんなことしてない」
で一蹴でしょうか。
自分もこんな思いをしてきたのに、マリエさんの告発を聞いたとき最初に思ったことを心から情けなく恥ずかしく思います。
今はそんなふうに思いません。
芸能界であっても、どこであってもその人の人格が軽んじられることがあってはならないと思います。
マリエさんの告発は無駄ではない。
「それでいいの?」
「ほんとに、それでいいの?」
と、社会に問いかけていると思います。
なにもなかったように今日もテレビ画面の中で笑っている人の心にも。
今年の春に、自身が若い頃、芸能界の大先輩から受けたセクハラについて告発をしました。セクハラという言葉で表現しきれるものではないかもしれません。性的関係の強要、周りにいた人もそれに同調した。そして断ったことにより仕事を降ろされたり、仕事がてきなくなった、という内容でした。
そのニュースを聞いたときの私の第一印象は
「注目されたいのかな」
でした。
一度芸能界から距離を置いて、再びそこでやっていこうと思ったら、なにかショッキングな話題を提供して注目されないといけないのかな、と。
その辛さに思いを寄せることもなくそんなふうに思ったのです。
自分も散々苦しんだのに、なぜそんなことを思ったんだろう。
最近になって、テレビに出ている人たちを見ると
「この人はセクハラを受け入れてきたのかな」
「すごくおもしろいけど、裏では女性をおもちゃのように扱ってきたのかな」
などと思うようになりました。
バラエティーを見ていると楽しいのに、ふとこの人はどうなんだろう……と考えてしまうのです。
どこかで「芸能界はそういうところ」という目で見ていたのだと思います。
でも、ぼんやり思っていたことが実際にそうなのかもしれないと思い始めると、吐き気がするようになりました。
若い頃、私も散々、本当に散々、セクハラにあってきました。同世代から親ぐらいの年齢の人にまで。全員の名前と写真をあげて晒したい気持ちです。
あまりにも日常で、それは当たり前のもので、諦めの気持ちで受け流していました。惨めとか情けないと思うことすらなくなっていました。
自己肯定感が低かったのです。
自分を大切に扱うということを知りませんでした。
夫と結婚してからもセクハラを受け、その時初めて心底腹が立ちました。その場ではそれまでと同じように軽くあしらいましたが(その時一緒にいた他の人たちの方が焦っていました。「今の時代、それはダメですって」とか言いながら止めていました。でも本気で問題にしようなどという人は一人もいませんでした)、家に帰ってから涙が出てきました。夫は仕事でまだ帰宅しておらず、家で一人で泣きました。悔しくて。
夫が私を大切に思ってくれたから、私の中に自分を大切にする気持ちが出てきたのだと思います。自分がセクハラをされて夫に申し訳ないとも思いました。夫まで侮辱されたように感じました。
夫に話しました。夫も怒りました。
信頼できる職場の同僚に話しました。話ながら涙が出てきました。
席が隣だったその同僚は
「僕が話してきましょうか」
と言って、そのセクハラをした人に話をしに行ってくれました。
こういうことでそんなにすぐに動いてくれる人がいるなんて思いもしなかったので驚きました。
その数日後、セクハラをした人の仕事部屋(職場内の)に呼ばれ(よく考えたらこれもおかしい。自分のテリトリーに呼ぶなんて)その部屋に行くのがすごく怖かったことを覚えています。その部屋にはその人しかおらず、まさかここで何かされたらどうしようと本気で思いました。その人は私に謝罪しました。そしてその年度末に転勤していきました。転勤にそのことが関係しているのかどうかはわかりません。
マリエさんは、16年経っての告発だったそうです。セクハラを受けたのはマリエさんが18歳のころです。
その時すぐに、なんてなかなか言えません。
私も結婚していなかったら、言えなかったのではと思います。
そういうことがしたいなら、その人にとって大切な存在になればいい。そういうことをしていい関係になればいい。
そうじゃないのにするって、そうしてもいい相手と思っているということ?
どれだけ相手を軽んじたらそんなふうに思えるんだろう。
傲慢にもほどがある。
今、思い出しても、心の底から腹が立ちます。
なにもなかったように平和に善人の顔をして暮らしていると思うと、目の前に行って「以前、私にこういうことしましたよね」とその過去の行いを突きつけてやりたいです。
「そんなことしてない」
で一蹴でしょうか。
自分もこんな思いをしてきたのに、マリエさんの告発を聞いたとき最初に思ったことを心から情けなく恥ずかしく思います。
今はそんなふうに思いません。
芸能界であっても、どこであってもその人の人格が軽んじられることがあってはならないと思います。
マリエさんの告発は無駄ではない。
「それでいいの?」
「ほんとに、それでいいの?」
と、社会に問いかけていると思います。
なにもなかったように今日もテレビ画面の中で笑っている人の心にも。