第24話 少女の果て

文字数 3,581文字



「お帰りなさい」

 目深に被ったパーカーのフードを脱いだとき、後ろから声がした。

「ただいま」深夜の自宅。起こさないように帰ってきたつもりだったのに。ジゼルはソファの上に寝転がって、ケーブルテレビの終わらないアニメを眺めていた。

「起こしちゃった?」

「寝てない。待ってたから」少女は視線をテレビの箱から外さずに訊いた。「それで、やり残したことは、もう終わったの?」

「うん」私は答えた。パーカーを椅子の背にかけると冷蔵庫から冷えたバドワイザーを取り出し、タブを引く。喉がカラカラだった。「明日早朝にはここを()つつもり」

「そう」ジゼルは興味がなさそうにうなずいた。「国道(マザールート)に出たら車が多いから、飛ばしすぎないで」

 いつもの知ったかぶりかい。私は苦笑したが、ジゼルが運転できるんだという事実を思い出して笑うのを止めた。

 それが注意を引いたのか、ジゼルが私の方を見た。「ねえ、メイヴィス。あなたが最初に街で目覚めた時、この部屋にいたでしょう?」

「そうよ。どうして?」

「その反応だと、これを見ていないのね」ジゼルはソファの前に広げていたタブロイドを手に取り、私に向かって差し出した。

 私はビールを飲みながら、地方出版の新聞を受け取った。表面を見ると赤いサインペンで囲われている記事を見つけた。

『昼間の住宅街。30代の子持ちバツイチ(ディヴォースド)が薬物自殺。子育て疲れと低賃金の生活苦による絶望死か。

 ……

 オールバニ市警によると、この女性は当日も酒に酔っており、娘の小学校、警察署、元夫の勤め先に乗り込んで暴言を吐いていたという記録がある』

「ふうん」そうなんだ。これが私の死因か。自分の死亡記事にも関わらず、私の関心は他人事だった。

「きっとシトラスに悪いことをされて、気が動転しちゃったのかも。それはともかく(・・・・・・・)、この世界で目覚めるとね、必ず近くにその人の死亡原因を書いた新聞記事が置いてあるのよ。何故かはわからないけどね。あ、その記事、返してね。切り抜いてスクラップブックに挟むつもりだから。わたしみんなの記事、集めてるの」

「いい趣味だわ」

 まあねと首をすくめるジゼル。少女は手にしたポップコーンを食べながら、再びアニメ番組に没入しようとした。

「いろいろあって、聞きそびれてた。ジゼル、あなたにも何か未練があるんでしょう。それって何なの?」

 ポップコーンを口に運ぶ少女の手がピタリと止まった。ジゼルは深くため息をついた。「あーあ、メイヴィスが気づかなければ、このまま黙っていようと思ったのになあ」

 少女は澄んだ赤い瞳で私を見つめた。どこか寂しそうな目だった。「パーカー・スワンって男の子、覚えてる?」

 私は首を縦に振った。そいつの事はしっかりと覚えていた。

「ひとつ上のクラスにいた男の子よ。とてもイカしてて、皆の人気者だった。クラスのどの女子も彼を振り向かせようとして、毎日作戦を練っていたわ」

 ジゼルが段々とうなだれていく。「でも駄目だった。なぜなら彼の目には一人の女の子しか映ってなかったから。それがあなたよ」

「……」

「知ってたみたいね。彼の方から話しかけられるメイヴィスが、死ぬぼど羨ましかった。それでね、私はある日どうしても彼をあなたから私に振り向かせたくって、色仕掛けをしたの」

 少女は落ちつかなげにクッションを抱き締めた。「彼をジムの裏に呼び出して、有無を言わさずキスをしたわ。大人みたいに舌まで入れてやった。そうしたら彼もその気になって、私に覆い被さってきた。わかるかしら? それまで生きてきたどんな瞬間よりも、一番ゾクゾクしたの。大人の女になるんだっていう気持ちと、誰よりもリードしてるっていう優越感。特にあなたに勝った(・・・・・・・)って思った瞬間に、わたし商売女みたいに、だらしなく笑っちゃった」

 ジゼルは突然立ち上がった。小さな肩が震えている。私ではなく床を見つめて語っていた。「結局人が来て、私とパーカーにそれ以上の進展はなかった。でも満足したわ。明日から私が一番偉くて、クラスの誰もが私を見直すんだって、ワクワクしてた――その日の夜、あなたがわたしの家を訪ねてくる直前まではね」

 ジゼルは半笑いになって、涙を流していた。「そんなタイミングで、あなたは私に言ったよ。『突然だけど、来週引っ越すことになった』って。『あなたとの友情は永遠。一緒に集めたスプーキーは無くさないように、全部あなたが預かって』って。『私はだらしないけど、あなたはしっかりしてるから安心できる。いつか会う時に2人で分けあおうね』って!」ジゼルは力なくその場にくずおれた。「それからは知ってるよね。私はいっさい外にでなくなって、学校もしばらく休んだわ」

 私は震えるジゼルの肩に手を置いた。「突然引っ越したせいだと、私がジゼルを傷つけたと思ってた。そのあと一度も会ってくれなかったから……私が街を出る最後の日も学校にも来なかったし」

「会えるわけ無いじゃない! 泣きながらベッドの上で呪ったわ。私の心のあまりの醜さをね。欲望に忠実で、しかも周りからは誰も気づかれないって自惚れてた。愚かすぎるわ……あなたの友達の豚ちゃんと何の代わりがあるっていうの?」

 私はジゼルの前まで行き、片膝をついた。姿通り子供らしくしゃくり上げる少女に優しい視線を送り、ジェイミーを抱くようにジゼルの頭を胸の中に包んでやった。

「ジゼルがあんな怪物みたいな男と同じ心の持ち主のわけ無いじゃない……それに、そんな事でずっと私を避けていたなんて知らなかった。話してくれて嬉しいわ」

 ジゼルは私の言葉にショックを受けたようだった。「『そんな事』って!! ひどくない? 私はこの世界で何十年も、毎日毎日死ぬ直前まで後悔を繰り返してきたのよ! それを――」

「違う違う! ジゼルを馬鹿にしたわけじゃないんだ。ただ、パーカーみたいなクズに関わったことで、私に負い目を感じて悔やむ必要は全く無いってことよ!」

「パーカーが……クズ?」オウム返しに尋ねるジゼル。

「もともと付き合っちゃいなかったけどさ……あの勘違い野郎、私の所に来てなんて言ったと思う?

『メイヴィスの友達のジゼル、俺に気があるみたいなんだ……でも俺はお前を一番だと思ってる。だからあいつは2番以下って扱いでデートするよ。ところでさ、メイヴィス。他の女を2番だって思う為には、俺としても一番をはっきりさせておく必要があると思うんだ……それで、俺たちがいつセックスするか、日を決めたいんだけど』

 だとさ! 笑っちゃうだろう。ジゼルがあのあと学校に来てたら、しばらくの間パーカーの鼻が真っ赤に腫れあがってるのを見れたろうに! 私が喰らわした拳のせいだって事、パーカーは周りにこれっぽちも言ってないだろうけど」

 ぽかんとするジゼルの前で、私は腹の底から笑っていた。そうして笑いの衝動が収まったあと、もう一度ジゼルを抱いてやった。「ごめん。ちゃんと言うべきだった。そんな真剣に悩んで傷ついてた事、知らなかった」

 ジゼルはただ嗚咽するだけで、私を許してくれたかどうか、わかならなかった。ただ泣き終えて真っ赤になった目をこちらに向けた時、その顔にもう悲しみはなかった。

「メイヴィス……もう離して。私、疲れちゃった。今夜はここで眠らせてもらっていいかしら」

「ああ……ジェイミーのベッドで寝ていいよ」

「ううん、ソファでいい。そこはもうすぐ帰ってくる娘さんの為に取っておいて」ジゼルは靴も脱がず、クッションを抱いて横になった。「あなたは朝早くに出かけるのよね。じゃあお休みと、さようならを言うわ」そういって背を向けるジゼル。

「あっ……」私はジゼルの姿がゆっくりと薄らいでいくのに気づいた。そうか。旧友ともここでお別れということか。

「あんたもね、ジゼル。ゆっくりと休みな……」私は屈んでジゼルの頬にキスをした。かろうじてまだ柔らかい感触があった。「今度はこの街に寄らないで、直接そっち(・・・)に行くようにするから」

「……期待してるわ……スプーキーを並べて待ってる。それまで家族で仲よく過ごしなさい……喧嘩は年5回まで……ほら泣かないで、メイヴィス……私にまた未練が残っちゃうじゃない」もう殆どジゼルの姿は見えなくなっていた。

 消えてしまう所を見たくなくて、私はソファに背を向けた。目尻の涙を拭き取っていると。背後からジゼルのお決まりの台詞が聞こえてきた。

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