第5話

文字数 1,473文字

 すべての世界に締め出された幸子は、それから数年は何もしていない。
 須藤がいたりいなかったりする事務所と、古くなっていく団地を往復し、街でナンパされればときどきセックスをした。
 そんな幸子に須藤が「最後のお願い」をしてきた。
 須藤が幸子を連れ込もうとしたのは、AVの世界だった。
 幸子はさすがにこれは拒否した。
 もう芸能界はいい。
 この男を養い続けることも限界だ。
「社長、もう辞めさせてください」
 須藤はこちらを見ない。
 幸子は古びた事務所の中を見回した。馴染みはあるが、ここを懐かしいと思うことはないだろう。
 事務所の中は荒れていた。
 整理されてない机の上には、実現されなかった企画書の山があふれて、床にこぼれている。
 来るたびに様子が悪くなっている(須藤が暴れているのかもしれない)事務所は、自身の容姿の劣化を表しているようだった。
 クロスがはげてコンクリートの肌がむき出しになっている壁からは、冷気のようなものが漂っている。
 なんだか、おどろおどろしい。
 霊感みたいなものからは縁遠い幸子でさえ、そう感じた。
 建てられて五十年近く建っているビルの汚れた壁にはうっすらとヒビが入っている。
 ヒビの周辺には黒ずんだカビがはえ、それは須藤の目の下に刻まれたクマと同じように暗い。
「最後にちょっと付き合ってくれや」
 須藤は床に落ちている書類を蹴りながら事務所を出ていった。
 幸子は少し遅れてついていく。
 須藤が入っていったのは、薄汚れたラブホテルだった。周辺のホテルより二割ほど休憩料金が安い。
 古びたホテルの中に幸子は入っていく。
 これで終わるなら。
 それしか思わなかった。
 須藤と寝るのは二度目だった。小学生だった幸子の体はすっかり変わったものになっている。
 しかし須藤の体に刻まれた変化もなかなかのものだった。たるんだ腹、黒ずんだ臀部、みっともなく膨らみひろがった乳首。
 幸子はそれらをできるだけ目に入れないように、須藤と体を重ねる。
 須藤が入ってくる。性急なのは変わらない(女に対する思いやりやサービス精神がないともいえる)。
 当時は幸子をぎゅうぎゅうに満たし痛みまで与えたモノは、いとも簡単に幸子に飲み込まれた。
 幸子は痛みも快感も、違和感さえ感じない。
 須藤はほんとに小さかったのだ。
 それが自分の運命と比例しているようで、幸子は当時より悲しく暗い気持ちになる。
 あの頃はまだ若さがあったし。
 若さは未来だ。それがこの男に、どれだけ無駄に消費されたことだろう。
 幸子は恨みをこめて、須藤の上にのる。
 二三度大きく揺れると、須藤はあっさりうめき声をあげ、果てた。
 勝ったと思った。なんともあっけない。
 幸子はにやりと須藤に笑ってやる。須藤も同じような笑いを返してきた。共犯の笑み。
 馬鹿な男だ。そういう意味ではない。 
 幸子は跳ねるように須藤から身を放し、力をなくしさらに粗末になった須藤のモノを抜いた。
 シャワーも浴びずに服を着て外へ出る。
 その間、幸子は一度も須藤を振り返らなかった。
 幸子が部屋のドアを閉めるとき、須藤がライターをカチっと閉じる音が、かすかに聞こえた。
 家に帰り、須藤の事務所を辞めたことを母に報告した。
 母の由紀子は何も言わなかった。幸子の目さえ、見なかった。
 由紀子もいつまでも成功しない幸子にすっかり関心をなくしていた。
 家を出て、安いアパートを借りた。
 須藤と出会って七年ほどが経ち、幸子は十九歳になっていた。
ワンクリックで応援できます。
(ログインが必要です)

登場人物紹介

登場人物はありません

ビューワー設定

文字サイズ
  • 特大
背景色
  • 生成り
  • 水色
フォント
  • 明朝
  • ゴシック
組み方向
  • 横組み
  • 縦組み