第3話
文字数 2,525文字
由香とその家族が住んでいる居住階は二階にあった。由香の住んでいるビルは古いビルだったがしっかりと手入れされているようで、暖房がしっかり効いていて寒さは全く感じなかった。由香の家に入り彼女の部屋に通されると、新しく張り替えた壁紙から放たれる糊の匂いと、新調されただろう学習机や本棚と、そこに並ぶ漫画やライトノベルの本の背表紙が目に入った。どんな作品を読んでいるのだろうかと見ていると、僕が読んでいるのと同じ作品のタイトルが二つ目に入った。
「俺も読んでいる本があるね」
「そうなの?どれ」
ティーカップに注いだ紅茶を持って来てくれた由香が訊き返したので、僕は自分も読んでいるライトノベルと漫画のタイトルを答えた。そしてその話題で、紅茶を飲みながら三十分ほど会話した。注がれた紅茶が完全に冷めるのと同じタイミングで話題が尽きると、僕はどうやって由香と肌を重ねようかと考えた。共働きの由香の両親は家にいないから、重ねるなら今のうちだったが、一階か三階に同居人が居るのは困った。
「そういえば、由香の家はこの二階だけなの?」
僕は確認の意味も込めて、由香に質問した。
「そうよ、一階は物置、三階はおじいさんとおばあさんの居住スペースだったんだけれど、二人とも死んじゃったから今は空き部屋なの。あるのはおじいさんが集めていた、古い文献や骨とう品の保管スペースになっているわ」
「そう」
僕は小さく答えた。親族の死を由香に言わせてしまったのは少し申し訳ない気がした。その感情が過ぎ去ってゆくと、不意にあの一階のエントランスにあった地下室への小さな扉の事が頭に浮かんだ。
「あの地下室は?何があるの」
僕は様々なものに興味を抱く少年の気持ちで、由香に質問した。
「あの地下室の事?」
「そう、あの地下室」
僕が再び訊くと、由香は少し驚いたような表情になった。もしかしたら、祖父母の代から受け継いだ莫大な資金を隠しているのかもしれない。という邪な考えが僕の脳裏をかすめた。
「それよりも先に、三階にあるおじいさんのコレクションを見てみない?」
「なんでまた?」
急に由香が話題を変えてきたので、僕は訊き返した。
「あの地下室はね、おじいさんの仕事や生涯に渡って集めたコレクションと関係があるの。それを知ってもらってから、覗いて欲しいのだけれどいい?」
由香はどこか含みのある言葉と、疑心の籠った眼差しを持って僕に訊き返した。今までにない程の真剣な様子。自分の生まれたままの姿と女の部分を見られるよりも、大切にしておきたい物があるのだろうか。自らの肉体をよりも隠しておきたい部分に、僕は興味をもった。
「それは俺が観ても構わない物なの?」
「あなたにその勇気があるなら」
由香は試すような口調でまた訊き返した。男として見下されているような気がした僕は奮い立たせるようにして「見たい」と答えた。
「じゃあこっちに来て」
由香はそう言って僕に立つよう促した。僕と同い年の人間であるのに、年下の坊やをベッドに誘う年上女性のような、妙な色気と不気味さがある言葉だった。
僕は由香に促されるまま部屋を出て、廊下を横切り三階に続く階段を上った。三階は二階よりも高い場所なのに空気が重く、奇妙なおどろおどろしさが立ち込めていた。
三階に上がると、カーペット敷きの床が僕を出迎えた。真っ暗で何も見えなかったが、家族の居住スペースとしていくつかの部屋に分かれている二階とは違う間取りのようで、暗闇に隠されていても広く空間がとられているのが分かった。
「いま、明りを点けるね」
由香は肌を重ねる際の下着を脱ぐ時と同じ口調で言って、明りを点けた。天井の蛍光灯が二、三回ほど点滅して、三階の全容が明らかになる。最初に飛び込んできたのは、横たわった卵のような形の巨大な物体だった。大きさは長さが二メートル、高さが一メートルあり、薄茶色の表面はアラビア文字のような彫刻でびっしりと覆われていた、近づいて質感を確かめると、人工物ではなく天然の素材のようだった。
「これは?」
僕は由香に質問した。彼女の生まれたままの姿を見た時と同じ感情が僕の中でゆっくりと蠢いているのが分かった。
「これは命をつなぐ器よ。傷ついたり病気になったりしたら、この中に入って生命のエネルギーに浸かるの。不老不死になる事は出来ないらしいけれど」
由香は淡々と語った。長年この物体と一緒に過ごしてきた彼女にとっては、特別なものではないのだろう。
「ほかにもあるわよ」
由香が僕に促すと、僕は視線を卵型の物体から移した。壁には何かの仮面か、盾のような防具に、動物の骨か何かを加工した首飾りのようなものまであった。そしてそれらの造形は当時の僕の知識の本棚にある、どの古代文明や民族の造形にも似ていなかった。
「あのアクセサリーみたいな品々は?」
僕は呆然としながら由香に尋ねた。
「あそこの品々は、何かの儀式に使ったり、戦いのときに身に付ける防具や護身具らしいは。武器があるかは知らないけれど」
由香は淡々と答えた。彼女もおじいさんが集めたモノの詳細は知らないだろう。あるいは僕に教えたくない事が含まれているから、意図的にはぐらかしているのかもしれないが、確かめる事は出来なかった。
「このおじいさんが集めたものは、海外から取り寄せたの?」
「そうよ」
「それとあの地下室がどう繋がるの?」
僕はまた由香に質問した。
「ここにあるものは、あの地下室から運んできたものなの」
「発掘したの?」
僕が質問をすると、由香は僕の方を見てこう言った。
「あの地下への扉はね、中にいろいろな所へとつながるトンネルが走っているの」
由香の眼差しは何か恐ろしいものに満ちていた。彼女が放った言葉は普段なら下らない子ども騙しだと思って笑っていただろうが、おじいさんが集めたという品々を見た後では説得力があった。僕が否定も肯定も出来ないでいると、由香はそっと僕の前に来て唇が重なるくらい顔を近づけて、僕の目を見ながらこう言った。
「これから見せるのは、私にとっては自分の身体を見せる事より大切な事なの。だから逃げずについて来て」
由香の眼差しから得体のしれない力を受けた僕は、黙って頷くしかなかった。
「俺も読んでいる本があるね」
「そうなの?どれ」
ティーカップに注いだ紅茶を持って来てくれた由香が訊き返したので、僕は自分も読んでいるライトノベルと漫画のタイトルを答えた。そしてその話題で、紅茶を飲みながら三十分ほど会話した。注がれた紅茶が完全に冷めるのと同じタイミングで話題が尽きると、僕はどうやって由香と肌を重ねようかと考えた。共働きの由香の両親は家にいないから、重ねるなら今のうちだったが、一階か三階に同居人が居るのは困った。
「そういえば、由香の家はこの二階だけなの?」
僕は確認の意味も込めて、由香に質問した。
「そうよ、一階は物置、三階はおじいさんとおばあさんの居住スペースだったんだけれど、二人とも死んじゃったから今は空き部屋なの。あるのはおじいさんが集めていた、古い文献や骨とう品の保管スペースになっているわ」
「そう」
僕は小さく答えた。親族の死を由香に言わせてしまったのは少し申し訳ない気がした。その感情が過ぎ去ってゆくと、不意にあの一階のエントランスにあった地下室への小さな扉の事が頭に浮かんだ。
「あの地下室は?何があるの」
僕は様々なものに興味を抱く少年の気持ちで、由香に質問した。
「あの地下室の事?」
「そう、あの地下室」
僕が再び訊くと、由香は少し驚いたような表情になった。もしかしたら、祖父母の代から受け継いだ莫大な資金を隠しているのかもしれない。という邪な考えが僕の脳裏をかすめた。
「それよりも先に、三階にあるおじいさんのコレクションを見てみない?」
「なんでまた?」
急に由香が話題を変えてきたので、僕は訊き返した。
「あの地下室はね、おじいさんの仕事や生涯に渡って集めたコレクションと関係があるの。それを知ってもらってから、覗いて欲しいのだけれどいい?」
由香はどこか含みのある言葉と、疑心の籠った眼差しを持って僕に訊き返した。今までにない程の真剣な様子。自分の生まれたままの姿と女の部分を見られるよりも、大切にしておきたい物があるのだろうか。自らの肉体をよりも隠しておきたい部分に、僕は興味をもった。
「それは俺が観ても構わない物なの?」
「あなたにその勇気があるなら」
由香は試すような口調でまた訊き返した。男として見下されているような気がした僕は奮い立たせるようにして「見たい」と答えた。
「じゃあこっちに来て」
由香はそう言って僕に立つよう促した。僕と同い年の人間であるのに、年下の坊やをベッドに誘う年上女性のような、妙な色気と不気味さがある言葉だった。
僕は由香に促されるまま部屋を出て、廊下を横切り三階に続く階段を上った。三階は二階よりも高い場所なのに空気が重く、奇妙なおどろおどろしさが立ち込めていた。
三階に上がると、カーペット敷きの床が僕を出迎えた。真っ暗で何も見えなかったが、家族の居住スペースとしていくつかの部屋に分かれている二階とは違う間取りのようで、暗闇に隠されていても広く空間がとられているのが分かった。
「いま、明りを点けるね」
由香は肌を重ねる際の下着を脱ぐ時と同じ口調で言って、明りを点けた。天井の蛍光灯が二、三回ほど点滅して、三階の全容が明らかになる。最初に飛び込んできたのは、横たわった卵のような形の巨大な物体だった。大きさは長さが二メートル、高さが一メートルあり、薄茶色の表面はアラビア文字のような彫刻でびっしりと覆われていた、近づいて質感を確かめると、人工物ではなく天然の素材のようだった。
「これは?」
僕は由香に質問した。彼女の生まれたままの姿を見た時と同じ感情が僕の中でゆっくりと蠢いているのが分かった。
「これは命をつなぐ器よ。傷ついたり病気になったりしたら、この中に入って生命のエネルギーに浸かるの。不老不死になる事は出来ないらしいけれど」
由香は淡々と語った。長年この物体と一緒に過ごしてきた彼女にとっては、特別なものではないのだろう。
「ほかにもあるわよ」
由香が僕に促すと、僕は視線を卵型の物体から移した。壁には何かの仮面か、盾のような防具に、動物の骨か何かを加工した首飾りのようなものまであった。そしてそれらの造形は当時の僕の知識の本棚にある、どの古代文明や民族の造形にも似ていなかった。
「あのアクセサリーみたいな品々は?」
僕は呆然としながら由香に尋ねた。
「あそこの品々は、何かの儀式に使ったり、戦いのときに身に付ける防具や護身具らしいは。武器があるかは知らないけれど」
由香は淡々と答えた。彼女もおじいさんが集めたモノの詳細は知らないだろう。あるいは僕に教えたくない事が含まれているから、意図的にはぐらかしているのかもしれないが、確かめる事は出来なかった。
「このおじいさんが集めたものは、海外から取り寄せたの?」
「そうよ」
「それとあの地下室がどう繋がるの?」
僕はまた由香に質問した。
「ここにあるものは、あの地下室から運んできたものなの」
「発掘したの?」
僕が質問をすると、由香は僕の方を見てこう言った。
「あの地下への扉はね、中にいろいろな所へとつながるトンネルが走っているの」
由香の眼差しは何か恐ろしいものに満ちていた。彼女が放った言葉は普段なら下らない子ども騙しだと思って笑っていただろうが、おじいさんが集めたという品々を見た後では説得力があった。僕が否定も肯定も出来ないでいると、由香はそっと僕の前に来て唇が重なるくらい顔を近づけて、僕の目を見ながらこう言った。
「これから見せるのは、私にとっては自分の身体を見せる事より大切な事なの。だから逃げずについて来て」
由香の眼差しから得体のしれない力を受けた僕は、黙って頷くしかなかった。