第5話1 しんとしている
文字数 861文字
しんとしている。
何もない。
何も見えないし、気配も感じられない。
静かで凪いでいる。
心の揺らぎもなく、体の感覚もない。
――無。
一つの境地。
究極の一。
すべてが満たされており、足りぬものは存在しない。
それが自分であり、世界である。
世界と自分との間に垣根もない。
違いはなく同一である。
暗闇に塗りつぶされている。
すべてを飲み込み、不変で、不満はなく、平等で、一つである。
目を開けよう。
そう思った瞬間、それがあるのがわかった。
そこが目であり、まぶたであるのがわかる。
力を込める。
瞳の形に膨らんだまぶたがかすかに震える。
単一だった世界に異なるものが生まれる。
この瞬間までは一つしかなかった。それでよかった。
しかし、今は違う。
それ以外のものがあった。
もう一つの始原の色――
満たされていたものが欠けてしまった。
何か大切なものが失われてしまった。
もう戻ってこない。
どれだけ切望しようと、研鑽を積もうと、元に戻ることはない。
それがわかってしまう。
小波が立つように黒が震える。
消えていく。
徐々に黒が失われていき、白が広がっていく。
その白から
さらに
次々に色が生まれていき、黒は見えなくなってしまった。
色が世界にあふれ出す。
同時に自らの身体に力がみなぎるのがわかる。
戦う力が自分の内側にあるのがわかる。
人にはない圧倒的な力。
大岩を持ち上げ、大木をへし折る
敵を打ち滅ぼす力がある。
カッと目を開いて世界を見る。
上空から見下ろす大地。
だが先ほどのように風のせいで顔をそむける必要はなかった。
恐怖心もない。
不思議と心は凪いでいた。