第14話 確執

文字数 1,825文字

 インターフォンが鳴った。玄関ではなく、マンションの入り口だ。すでに夜の十時を回っている。モニターで確認した秘花(ひめか)は「永瀬さんだわ」と呟き、ロックを解除した。まもなく玄関のチャイムが鳴ってくたびれた顔の永瀬刑事が現れた。居間に招き入れ、ストロベリー・ティーとハーブ入りのクッキーを出す。どっちも秘花の好みだが、永瀬さんも大の甘党なのである。
「遅くなってごめんよ。会議が長引いちゃって」
「こちらこそ、お疲れのところわざわざ来ていただいてすみません」
 おとなびた口調で生真面目に秘花は謝罪した。紅茶を一口飲み、永瀬さんは手を振った。
「いやいや、秘花ちゃんには何かと知恵を貸してもらってるからね。奇士(あやと)くんにも」
「とってつけたように言わなくていいですよ」
 僕は苦笑した。残念ながら、本職の刑事に貸すような知恵は逆さに振っても出てこない。「月銀(つきしろ)警視正はまだお帰りじゃないの?」
「ついさっき電話があって、本庁を出たところだそうです。この頃忙しいみたいで」
「──それで、何かわかりました?」
 気ぜわしく秘花が尋ねる。捜査状況が知りたくて、ずっとうずうずしていたのだ。永瀬さんは頷いてカップを戻し、メモ帳を取り出した。
「金持ちってのはえてして内部に確執を抱えているもんだけど、咲倉(さくら)家も例外ではないね。まず、咲倉颯子(そうこ)は先代当主の実子ではない。今から五年前に亡くなった咲倉景彰(かげあき)の妻・伊津子(いつこ)の連れ子だ。景彰は初婚、伊津子は再婚で、結婚当時、颯子は七歳。夫妻は高速道路の玉突き事故に巻き込まれて亡くなった」
「秀子は兄の景彰氏に対して葛藤があるようですが」
「景彰と、彰秀・秀子兄妹は母親が違う。これがまた複雑でねぇ……。まず、先々代の咲倉正大(まさひろ)と妻の宮子の間に生まれたのが景彰。愛人の浪江(なみえ)との間に生まれたのが彰秀と秀子だ。宮子は愛人の存在を苦にして自殺した。それをものともせず、浪江はふたりの子どもを連れて咲倉家に乗り込み、後妻に収まった」
「……すごいな。それじゃ、兄妹仲が悪くて当然だ」
「宮子さんはどうやって自殺したんです?」
「庭木の桜で首を吊った」
 さくらで首を吊った、というところに何とも言えない恨みを感じて僕はゾッとした。
「庭に桜の木はなかったように思いますが」
「正大が切り倒したそうだ。浪江と結婚する際にね」
「その桜の木、もしかして空中庭園が建っている場所にあったのではありませんか?」
 秘花の問いに、永瀬さんは目を丸くした。
「いや、そこまでは聞いてないなぁ。何かそう考える根拠でも?」
「秀子さんがしきりにあの空中庭園について『厭味だ』って言ってたんです。空中庭園は英語で言えばHanging Garden。hangingには『縊死(いし)』という意味もあります。景彰氏がわざわざ空中庭園を造ったのは、古代バビロニアの遺物に興味があったというより、むしろ言葉の響きに惹かれたんじゃないでしょうか」
「なるほど……。うん、桜のあった場所は確認しておこう」
「景彰氏が亡くなった後、咲倉家の財産はすべて颯子さんが受け継いだのですか?」
「ああ、そうそう。しっかり遺言状があってね、ほぼ全財産が颯子のものになった。誰も財産に手が出せないようにしっかりガードしてあったようだよ。景彰は異母弟妹にはビタ一文やりたくなかったようだ。秀子たちが手に入れたのは法定相続分だけだな」
「つまり、実父が残した財産を異母兄に独占され、それが今度はまったく血縁のない颯子さんに渡ってしまうわけですね」
「それは面白くないだろうなぁ。だから先輩を殺したってのか?」
「待ってよ、奇士。颯子さんが未婚のままで死んだら遺産は寄付されてしまうのよ」
「それが、彼女は結婚していたんだ。今から一週間足らず前に婚姻届が提出されてる」
「あ、相手は誰ですかっ」
「鵜沼誠司だ。彼は以前から颯子に言い寄っていたらしい。まったく相手にされていなかったようだがね」
「それで勝手に婚姻届を出して、殺したっていうんですか?」
「今のところ、その線で捜査してるよ。勝手に婚姻届が出されたのがバレればもちろん無効になる。財産を得られるチャンスは二度と巡って来ない。ちなみに彼はカネに困っていた。使い道は主に遊興費だがね。つまり、彼には動機があり、事件当時のアリバイがない」
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