第11話「信じ抜く心の行方」

文字数 1,521文字

 唸り声を上げる獣に対峙し、ジャンと司祭は膝を折る。

「アンヌ、まず私が謝りましょう」
 ダリウス司祭が口を開く。

「ルー・ガルー……ジェヴォーダンの獣をおびき出すためとは言え、貴方の父親を貶めるような事を言ってしまって済みませんでした。貴方の父は立派な男で、私の無二の友です」

(何を今更!)
(コロセ! ……サバキヲ!)
 再び飛びかかろうと身を沈めた獣をジャンが制する。

「待ちなさいアンヌ。私にも謝らせておくれ」

(だめ! 跳びかかってはだめ!)
 狼はそのまま身を低く構え、苛立ちの唸り声を上げる。
 しかし飛びかかりはしなかった。

「アンヌ。私が不甲斐ないばかりにお前にこんな思いをさせてしまって済まなかった。私はお前の想ってくれているような英雄ではなかったのだ。戦いで負った怪我を理由に自分の不甲斐なさを誤魔化し、お前たちの優しさに甘えて責任を放棄した。人に陰口を言われて当然の事をしたのだ」
(違う! お父様は国の皆のために戦って皆のために怪我をしたのに! お父様は悪くない!)
 アンヌの迸る気持ちに触発された狼が、あろうことかジャンにその爪を向けた。

(だめっ!!)
 必死の静止にもかかわらず、その禍々しい爪はジャンの頬を切り裂く。地面に転がったジャンはダリウスの手を借りて立ち上がった。
 頬には4本の深い傷が刻まれ、顔の半分は朱に染まっていた。

「アンヌ……、もしお前が許してくれるなら、もうこんな事はやめてくれ。私はこのダリウス司祭と神に誓ったのだ、一生をかけて、神にもお前にも誇れるような本物の英雄になると。お前も一緒に今までの罪を償い、生きよう。その機会を私に与えてくれないか」
 背負った銃を取り出し、アンヌの見ている前で袋から取り出した銀色の弾を込める。
 その弾は狼の目には真っ白な光に包まれているように見えた。

(お父様が……私を……撃つの……?)
(ヤメロ! アノオトコニモ……カミノ……サバキヲ!)
 ダリウス司祭の祈りの声が低くゆるやかに響き渡る。

「アンヌ、この弾は神のために聖別された銀の弾だ。この弾は獣を殺す。……だがな、アンヌ、私は自分の娘を殺したりしない」
 ゆっくりと持ち上げられた銃は、狼の眉間を真っ直ぐに狙った。

「私を信じてくれるなら……いや、許してくれるなら、そうしてじっとしていてくれ。許さぬのなら、お前の手で私を殺してくれ!」

(お父様が私を?! ……私を?! ……私は?!)
(カミノサバキヲ! サバキヲアタエル!)
 牙を剥きアンヌを取り込んでしまうかのように身を捩る獣の中で、アンヌは自問していた。

(私はどうして……何のために獣になったの?! どうして人を殺してしまったの?!)
(サバキヲ! アタエルタメニ! カミノ……サバキヲ!)

(違う! 私はお父様のことが大好きだから! お母様の悲しむ姿を見たくないから! ……私は!)
(オォォォォォォ! コロス! ……コロス!)
 巨大な狼の体から、ブチブチと何かが引きちぎられるような不気味な音が響き、ゆっくりとジャンへと近づく。
 狼の口角ががほんの僅か引き上げられ、その黒い裂け目は、まるでニヤリと笑っているように見えた。

「ゴォォォォアァァァ!」
 迸るように咆哮を放ち、ジェヴォーダンの獣はその牙をジャンの頭へ向けて真っ直ぐにつきだした。

(私は……! お父様を……! 信じる!)
 獣の突進はジャンの銃口の目前、数十cmの所で唐突に止まり、白み始めた満月の夜空に一発の銃声が鳴り響く。
 その銃声は、まるで狼の遠吠えのように、長く、悲しく、糸を引いていつまでも山に木霊した。
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登場人物紹介

アンヌ・シャルトル

 フランス、ジェヴォーダン地方の小さな村に住む10歳の少女。

 母親譲りの輝くように美しい銀髪と、父親の血が色濃く残る力強い眼をしている。

 父親はインドでの戦争以降、家に寄り付かなくなり、街でゴロツキのような生活をしているが、小さな頃から聞かされた父の武勇伝を信じ、今でも父を慕っている。

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